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愚か者はふたり
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「婚約、ねぇ……。そもそもその婚約、バルヒェット家からの申し出でいつでも解消できるものであったことはご存じですか? ゲレオルク卿」
ゲレオルク様はきょとんとする。私も、驚いてフィンリー殿下を見た。
「な、しかし、婚約は……」
「だから婚約は破棄ではなく解消されたのですよ、卿。そうですよね、伯爵?」
会場中の視線が、お父様に集中する。
「間違いありません、フィンリー殿下。アイリス殿下とゲレオルク卿の婚約は円満に解消されております」
「だ、そうですが?」
ゲレオルク様の顔がこわばる。正直なところ、私も婚約は破棄されるものとばかり思っていたから、彼の驚きも理解できる。
「で、ですが。それとこれとは別問題です。イーリスはたしかに、ヒーリーヌを」
分が悪いことは十分わかっているだろうに、ゲレオルク様はなおも言いつのる。
「そうですか。それで、証拠はあるのですか?」
「……え?」
「当然あるのですよね? そうでなければ、それはあなた方の妄想にすぎない、ということになりますが」
ゲレオルク様の顔色が、青色を通り越して、土気色になっている。
「わたくしが証言しますわ! 間違いなく、わたくしはお姉様に殺されかけたのです!」
対照的に、堂々としているヒーリーヌ。私ですら、彼女の言葉が真実かもしれないと思ってしまうほどに。
「それで? それを見た人はいるのですか? 決定的な証拠は?」
「だ、だからわたくしが証言すると……!」
「話になりませんね」
フィンリー殿下は一言でヒーリーヌを切り捨てた。混乱した様子のヒーリーヌは、全く理由がわからない、とでも言いたげな顔をしている。
「ゲレオルク卿、ヒーリーヌ嬢、おわかりですか? あなた方は、帝国の皇女殿下を証拠もなく陥れたのです。相応のお覚悟はお持ちですね?」
ゲレオルク様は、私の目にもわかるほどに震えていた。
おおかた、ヒーリーヌに良いところでも見せようとしたのだろう。あるいは、ヒーリーヌの話を本心から信じ切っていたのか。
どちらでも構わない。自分でも驚くほどに、ゲレオルク様への情は残っていなかった。
憎しみすらない。心の中をひっくり返して探しても、横たわっているのは冷え冷えとした無関心だけだ。
本当に、馬鹿な人。
「あ、あ、あ……」
ゲレオルク様の発する声は、もはや言葉にすらなっていない。
さすがのヒーリーヌも、何かがおかしいことには気がついたのだろう。せわしなく周囲を見回している。
「つまり、プルプレア王国はアーテル帝国に喧嘩を売っている、と、そういう理解でよろしいですか?」
フィンリー殿下は、底冷えのする瞳で二人を見つめている。誰も動けない。直接の怒りを受けていない私も、身動きがとれなかった。
「フィンリー殿下、お待ちください」
凛とした声が響く。そう大きな声ではないのに、人の意識を引く何かがあった。
人混みをかき分けて姿を現したのは。
「王太子殿下……」
耳に届いた誰かのつぶやきは、驚きと戸惑いに満ちていた。
そうか、この方が王太子殿下なのか。社交に出たことがほとんどない私は、初めて姿を拝見する。
王太子殿下は、前に進み出ると、いきなり頭を下げた。
「このたびは我が国の貴族が両殿下に大変失礼を。平に謝罪申し上げる」
「外交問題になりかねないこと、十分おわかりですよね?」
怒りを押し殺したフィンリー殿下の声。その声を聞くだけで、不思議と私の心は凪いだ。
「誠に申し訳ない。当該の二人には我が国で十分に裁きを下す。だから、どうか……」
「……わかりました。一旦そちらにお預けしましょう。ですが」
「勿論だ。決してぬるい処罰はしない」
長いため息を吐いたフィンリー殿下の目は、王太子殿下を真正面から射抜いた。
「身分のことも確かにあります。ですが、それを抜きにしても、彼女を馬鹿にされることは我慢ならない。……二度目はないと心得てください」
「寛大な言葉に感謝する。あの者たちの処罰については追って連絡を差し上げよう」
フィンリー殿下が頷いたことで、ようやく会場の空気がゆるむ。
「ゲレオルク卿、別室にお願いできますかな? ……ヒーリーヌ、お前もだ」
お父様が鋭く言う。ゲレオルク様は、魂が抜けたように呆けているが、ぼんやりと頷く。ヒーリーヌは、信じられないものを見る目でゲレオルク様をマジマジと見た。
「いやよ! どうしてわたくしが! 全部、あの性悪女のせいよ!」
ヒーリーヌがわめきだした。
「わたくしたちの結婚は誰からも祝福されるはずなのに! あの女のせいで!」
フィンリー殿下が何かを言おうとした瞬間、王太子殿下が動いた。側に控える部下に目配せをすると、屈強な男たちがヒーリーヌを背後から締め上げる。
ヒーリーヌはまだ何かを叫んでいたが、すぐに会場の外へ連れ出される。ゲレオルク様もおぼつかない足取りでそれを追った。
「アイリス様、不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
「き、気にしていませんわ……。フィンリー殿下が守ってくださいましたもの」
先ほどまでの怒りが嘘のように、しおらしく謝るフィンリー殿下。慌ててそう言うと、彼は動きを止めた。
その横顔がみるみる赤く染まっていく。
「……あなたは恐ろしい人だ」
そううめくと、招待客たちの方に向き直った。
「お騒がせした。どうぞ残りの宴を楽しまれよ」
貴族たちは、金縛りが解けたように散らばった。ようやくひと段落がついた。私も胸をなでおろす。
「アイリス様、お疲れでしょう。我々も裏で少し休みましょうか」
「そうですね、皆様、お気になさるでしょうから」
何気なく歩き出すと、すっと手が差し出される。ゲレオルク様だってエスコートはしてくれたけれど、全くの別物に感じられる。
ほんの少し触れ合うだけなのに、鼓動が早まる。この音がフィンリー殿下に聞こえはしないかと、落ち着かなかった。
ゲレオルク様はきょとんとする。私も、驚いてフィンリー殿下を見た。
「な、しかし、婚約は……」
「だから婚約は破棄ではなく解消されたのですよ、卿。そうですよね、伯爵?」
会場中の視線が、お父様に集中する。
「間違いありません、フィンリー殿下。アイリス殿下とゲレオルク卿の婚約は円満に解消されております」
「だ、そうですが?」
ゲレオルク様の顔がこわばる。正直なところ、私も婚約は破棄されるものとばかり思っていたから、彼の驚きも理解できる。
「で、ですが。それとこれとは別問題です。イーリスはたしかに、ヒーリーヌを」
分が悪いことは十分わかっているだろうに、ゲレオルク様はなおも言いつのる。
「そうですか。それで、証拠はあるのですか?」
「……え?」
「当然あるのですよね? そうでなければ、それはあなた方の妄想にすぎない、ということになりますが」
ゲレオルク様の顔色が、青色を通り越して、土気色になっている。
「わたくしが証言しますわ! 間違いなく、わたくしはお姉様に殺されかけたのです!」
対照的に、堂々としているヒーリーヌ。私ですら、彼女の言葉が真実かもしれないと思ってしまうほどに。
「それで? それを見た人はいるのですか? 決定的な証拠は?」
「だ、だからわたくしが証言すると……!」
「話になりませんね」
フィンリー殿下は一言でヒーリーヌを切り捨てた。混乱した様子のヒーリーヌは、全く理由がわからない、とでも言いたげな顔をしている。
「ゲレオルク卿、ヒーリーヌ嬢、おわかりですか? あなた方は、帝国の皇女殿下を証拠もなく陥れたのです。相応のお覚悟はお持ちですね?」
ゲレオルク様は、私の目にもわかるほどに震えていた。
おおかた、ヒーリーヌに良いところでも見せようとしたのだろう。あるいは、ヒーリーヌの話を本心から信じ切っていたのか。
どちらでも構わない。自分でも驚くほどに、ゲレオルク様への情は残っていなかった。
憎しみすらない。心の中をひっくり返して探しても、横たわっているのは冷え冷えとした無関心だけだ。
本当に、馬鹿な人。
「あ、あ、あ……」
ゲレオルク様の発する声は、もはや言葉にすらなっていない。
さすがのヒーリーヌも、何かがおかしいことには気がついたのだろう。せわしなく周囲を見回している。
「つまり、プルプレア王国はアーテル帝国に喧嘩を売っている、と、そういう理解でよろしいですか?」
フィンリー殿下は、底冷えのする瞳で二人を見つめている。誰も動けない。直接の怒りを受けていない私も、身動きがとれなかった。
「フィンリー殿下、お待ちください」
凛とした声が響く。そう大きな声ではないのに、人の意識を引く何かがあった。
人混みをかき分けて姿を現したのは。
「王太子殿下……」
耳に届いた誰かのつぶやきは、驚きと戸惑いに満ちていた。
そうか、この方が王太子殿下なのか。社交に出たことがほとんどない私は、初めて姿を拝見する。
王太子殿下は、前に進み出ると、いきなり頭を下げた。
「このたびは我が国の貴族が両殿下に大変失礼を。平に謝罪申し上げる」
「外交問題になりかねないこと、十分おわかりですよね?」
怒りを押し殺したフィンリー殿下の声。その声を聞くだけで、不思議と私の心は凪いだ。
「誠に申し訳ない。当該の二人には我が国で十分に裁きを下す。だから、どうか……」
「……わかりました。一旦そちらにお預けしましょう。ですが」
「勿論だ。決してぬるい処罰はしない」
長いため息を吐いたフィンリー殿下の目は、王太子殿下を真正面から射抜いた。
「身分のことも確かにあります。ですが、それを抜きにしても、彼女を馬鹿にされることは我慢ならない。……二度目はないと心得てください」
「寛大な言葉に感謝する。あの者たちの処罰については追って連絡を差し上げよう」
フィンリー殿下が頷いたことで、ようやく会場の空気がゆるむ。
「ゲレオルク卿、別室にお願いできますかな? ……ヒーリーヌ、お前もだ」
お父様が鋭く言う。ゲレオルク様は、魂が抜けたように呆けているが、ぼんやりと頷く。ヒーリーヌは、信じられないものを見る目でゲレオルク様をマジマジと見た。
「いやよ! どうしてわたくしが! 全部、あの性悪女のせいよ!」
ヒーリーヌがわめきだした。
「わたくしたちの結婚は誰からも祝福されるはずなのに! あの女のせいで!」
フィンリー殿下が何かを言おうとした瞬間、王太子殿下が動いた。側に控える部下に目配せをすると、屈強な男たちがヒーリーヌを背後から締め上げる。
ヒーリーヌはまだ何かを叫んでいたが、すぐに会場の外へ連れ出される。ゲレオルク様もおぼつかない足取りでそれを追った。
「アイリス様、不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
「き、気にしていませんわ……。フィンリー殿下が守ってくださいましたもの」
先ほどまでの怒りが嘘のように、しおらしく謝るフィンリー殿下。慌ててそう言うと、彼は動きを止めた。
その横顔がみるみる赤く染まっていく。
「……あなたは恐ろしい人だ」
そううめくと、招待客たちの方に向き直った。
「お騒がせした。どうぞ残りの宴を楽しまれよ」
貴族たちは、金縛りが解けたように散らばった。ようやくひと段落がついた。私も胸をなでおろす。
「アイリス様、お疲れでしょう。我々も裏で少し休みましょうか」
「そうですね、皆様、お気になさるでしょうから」
何気なく歩き出すと、すっと手が差し出される。ゲレオルク様だってエスコートはしてくれたけれど、全くの別物に感じられる。
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