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救世主

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2話  橘



人がまばらに行き交うビルタワーの入り口前、点在する木々を囲うようにしてできたベンチに腰かける。

なんとなくの視線を感じる。

あまり他人からの視線が分かる方の人間ではないが、多分見られている。

無視して人を待っていると、知らない人が足早に歩いてきて真横に座る。

私はもやもやっとした嫌悪を感じる。

なぜ知らない人がこんな近くに腰かけるのだろうか。

辺りを見回すと五つほどベンチがあり、すべて空いている。

でも、特に何かされたわけでもない。



考えすぎだろうか?



私が自意識過剰?



とりあえず念には念をと思い場所を変えようと決意する。

電話が来て、移動しながら話をする風に見せかけて立ち上がる。

一歩目を歩き出そうとした時〝ガシッ〟と腕をつかまれた。力が強い。

私は必死で平静を装った。今までその人がいたのに気づかなかったかのように振る舞い、冷静に問いかける。


「どうしました?」

「…………」


何も言葉を発そうとしない。

幸いな事に、ここは治安がいいとは言えない場所だが、人通りは多い。

いざとなれば誰かが助けてくれるだろう。

しかし、目の前の深く帽子を被ってベンチに腰掛けている男性が恐怖の対象であることには変わりなかった。

いち早くこの場から離れたい。

男の腕を振りほどこうと掴まれた腕を自身の身体の方へ引っ張る。

しかし、全く振りほどけない。

これは大声を出すべきなのかもしれない。


「……っ……」


こういう時に自分は声を出せるタイプではないと気づいた。

今気づきたくはなかったが。

アソコを蹴ればいい?

でも逆恨みされても怖い。

互いの沈黙が続く。

その間も腕を引くが、動かす度に男が私の腕を掴む力が強くなっていく。

ギチギチと骨に響く痛みに恐怖が走る。

突然、私の視界が薄暗くなる。

影をつくっている斜め後ろを見ると、少し息を弾ませたスーツ姿の男性が立っていた。

男性はぶっきらぼうな顔で男を睨みつける。


「何をしているんですか?」


男性の口調は丁寧だが、有無を言わせない空気が漂っていた。

男性は男の腕を握り、その手に力を入れていく。男も痛みに顔を歪めていく。

男の手が私から離れた。

いくら抵抗しても離れなかったのに……。

自分の非力さに劣等感を覚える。

男はバッと突然立ち上がると、人通りの少ない暗い路地へ走っていく。

最後まで顔は見えなかった。私は呆気にとられて小さくなる男の後ろ姿をただ見ていた。


「行きますよ」


私を一瞥すると、目の前のタワービルに入っていく。

状況をうまく呑み込めないが、彼に従った。

うつむきがちに彼の後ろについて歩いていく。

シプレー系の香水の香りが心地よくふわっと鼻をくすぐった。



喧騒から一転して静まり返ったエントランスに入ると二十帖もあるのに何も置かれていない、だだっ広い空間が広がっていた。

黒の大理石調のタイルがホールの床全体に敷き詰められている。

マガボニーやブロンズの色が交じったレンガ積み調の壁が、天井からの間接照明に照らされて上質な空間を演出していた。

ここら辺では目立つ、大きいタワーだから待ち合わせによく使っていたけど、中に入るのは初めてだった。

自分の服はこの空間に場違いな気がして身体が縮こまる。

前を歩いていた彼がこちらに振り向くと、自分もふと我に返り、頭を下げる。


「ありがとうございました」

「いえ、気になさらず。それより、これからどうしますか? 反対側の出口にタクシーを呼びましょうか?」


 彼はポケットから携帯を取り出す。

それだけの姿なのにとても絵になっていた。

歳は三〇代前半くらいだろうか。身長は百八十センチを超えていそう。

広い肩幅と厚い胸板が重厚感のある濃紺の生地のスーツとよく合っている。

すうっと通った高い鼻梁に薄い唇。

軽く後ろに流された漆黒の髪から覗く鋭い眼が印象的だった。

見惚れそうになるのを我慢すると、思わず目を逸らしてしまう。


「いえ、これから人と会う約束をしているんです。その人が来たら出ていかないと」

「携帯で連絡してみては」

「持ってないことが多いんです。持ってても着信に気づかないことが多くて……。一応、電話してみます」

バッグから携帯を取り出して電話をかける。


「…………。出ないみたいです。あと二〇分ぐらいしたら来るとは思うんですけど」

「でも外はまだあいつがいるかもしれませんよ?」


彼は私たちが入ってきたエントランスに視線をやりながら言う。


「そう、ですよね……。あの人からはバレない死角を探してみます」

「もし見つかったらどうするんですか?」


きつめの口調で言われ、彼に返す言葉が見つからない。

彼の言ってることはごもっともだ。

今度こそ何かされるかもしれない。


「でもこれ以上迷惑をかける訳にはいきませんし……。なんとか乗り切りますんで!」


彼は無言のまま、難しい顔をして眉間に皺を寄せていた。

きっと納得していない。

私の短絡的な考えに呆れているのだろうか。

彼が無言の間、怒られているような気がして委縮してしまう。


「よければ上の階から見てみますか?」

「えっ?」


考えてもいなかった提案に戸惑ってしまう。

彼は先ほどとは違い、穏やかな口調で話す。


「上の方の階は外から見えないようになっていますし、上からあなたの待っている方を探すのがいいのかなと思ったのですが、どうでしょうか?」

「そんなことができるんですか?」

「ええ、私のオフィスが上にあるので」

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