願わくは、きみに会いたい。

さとう涼

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9.水中落下

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 それから五日後の金曜日のことだった。夜遅くにお姉ちゃんにベッドから引きずり降ろされ、わたしは今、リビングのソファに座らされている。
 テーブルには駅前にある人気店のシュークリームとペットボトルのアイスティー。夜中だというのにシュークリームを食べようとしているお姉ちゃんの神経が信じられない。
「食べないの?」
「いらない。太る」
「そんなに痩せておいてなに言ってんの。むしろもっと太りなさい」
 お姉ちゃんにシュークリームを押しつけられ、仕方なく手に取る。
 今日もまともに食事をしていない。それなのにお腹が空かない。わたしの体はどんどん痩せ細り、体重を計ったら一週間前より三キロ減っていた。
「それより急になに? わたしにシュークリームを食べさせることが目的じゃないんでしょう?」
「鋭いね、千沙希」
 お姉ちゃんはテレビのリモコンを手に取ると電源を入れた。
「なにか見たい番組でもあるの? わたし、そういう気分じゃないんだけど」
「わたしが見たいっていうか、千沙希に見てもらいたいの」
「わたしに?」
 画面に映し出されたのは、よく知る音楽番組。大物アーティストはもちろん、デビューしたてのアーティストにも注目し、この番組がきっかけでブレイクした人もいる。
 すずちゃんがこの番組、好きだったんだよな。
 ふと彼女の顔が頭をよぎった。けれど、あんなひどいことを言っておきながら、今さらどういう顔をして会えばいいのかと考えて、気分がさらに落ち込んだ。
「おっ!」
 お姉ちゃんがシュークリームをくわえながら、テレビに釘づけになった。
「これって……」
 テレビから聞こえてきたのはフェアリーのデビュー曲。その曲とともに美空が登場し、男性MCに迎えられた。
 MCと挨拶をかわし、ゲスト用のソファに座る。テロップには【注目の歌姫 フェアリー、TV初登場!!】とあって、美空の顔がアップで抜かれた。
 MCとの会話を弾ませている美空が時折、屈託のない笑顔になる。白い歯がこぼれ、スタジオの照明に反射した瞳がキラキラと輝いていた。
「これを見せるためなの?」
「そうだよ」
「ふーん……。それにしても美空ったらMCのオヤジギャグなんかでよく笑えるね」
「あたり前でしょう。仕事なんだから。美空はもう大人だね。プロの顔してる」
 お姉ちゃんの真剣な横顔に、それ以上なにも言えなくなった。居心地が悪くなって、それを紛らわそうとアイスティーをグラスに注ぎ、口をつける。
 美空もいよいよ本格始動か。全国ネットのテレビに出演すれば、これまで以上に顔と名前が世間に知られる。音楽に詳しくない人にも認知され、ファン層も広がるんだろう。
 差が広がる一方だな。ここまでくると開き直りのほうが大きいかもしれない。
『ところで最近は自分で作詞もしているそうですね』
 MCが美空に尋ねると、美空は悲しげに目を伏せ、だけどすぐに鋭い眼差しになった。
『時間を見つけては歌詞を書き溜めています。頭に中に次から次へとあふれてくるんです。喜びとか悲しみとか、そういったものが自分の中で爆発しそうになって……』
『それってプライベートでいろいろあったってこと?』
『そうですね。デビューが決まってからはめまぐるしい毎日で、もちろん楽しいこともたくさんあったんですけど、そうではないこともあって……』
 そこまで言って、美空が言葉をつまらせた。気持ちを落ち着かせようとしてか、数秒ほど目を閉じ、再び力強く見開く。
『すごく辛くて、どうしようもない気持ちになったとき、それを言葉で表現してみようって思ったんです。下を向いてばかりじゃいけない。どうにかして前に進まなきゃって。その方法がわたしにとっては作詞をすることでした』
『それで作詞を……。もしかして自身の恋愛も投影されているのかな?』
『もちろんです!』
『うわっ! 僕から聞いておいてなんだけど、そんなことまで話しちゃって大丈夫?』
『ええ。わたし、思いっきりフラれましたから』
『本当!? こんなに可愛い子をフッちゃう男なんているの?』
『可愛いだなんて、そんなことぜんぜん! ほかに好きな人がいるって言われました。実は、その女の子のことを小さい頃からよく知っているんですけど、すごく魅力的な子で、ずっと憧れていた子なんですよ』
『幼なじみと同じ男の子を好きになっちゃったってことか。切ないね』
『でも好きになったことは後悔していません。その男の子がいなかったら、今わたしはここにいなかったと思います。歌手になることを迷っていたとき、背中を押してくれたのがその男の子で、慣れない東京での生活でも彼は心の支えでした』
 美空は弾けるような笑顔で言った。それと同時に大きな瞳が揺らめいて、キラリと光った。
 きっと美空はこれまでもたくさん泣いたんだろう。いつもより目が腫れぼったい。ほかの人はたぶん気づかないだろうけれど、わたしにはわかった。
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