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旅一座
第1話
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霊廟を出て霧の端を抜けると、街はもう早朝の冷たさではなく別の温度で回っていた。
パン屋の窓から甘くおいしそうな湯気が逃げ、露台では赤と青の布が朝の風を掴んで翻っている。井戸のまわりには桶が輪になって置かれ、その横で寝転んだ犬があくびをしていた。
リリアがぼんやり街の様子を眺めていると、行商人の鈴が短く鳴って我に返る。
「さあ、こっち。噴水の北側ね。ぼくらが王都で公演をするときの定位置」
カイが旗を肩に担ぎ直し、軽快な足取りで石畳を駆けていく。
旗の先端に縫い付けられている鈴が、リリアの持つ墓地の鈴よりも軽く、せっかちに跳ねていた。
噴水のそばには、荷馬車が二台。
ひとつは天幕と縄、もうひとつは木箱と古びた仮面でいっぱいだ。
その陰で、がっしりとした体格の男が剣の柄を布で磨いている。刃はまだ鞘の中だが、磨く指の動きにぬかりはない。
さらに、その脇の木箱の上で、白粉を顔の半分だけ塗った道化が片目をぱちぱちさせていた。箱を叩く足のつま先で、早い拍が刻まれている。
「おはよう、カイ。遅いぞ」
剣の男が、目だけでこちらを見る。
「人材確保に時間がかかったの」
カイは旗を軽々と回しながら、リリアの背を軽く肘でこずく。
「ほら、挨拶して」
「……リリア・グレイモンドです」
リリアが名乗ると、場の空気がかわった。
それまで慌ただしく刻まれていたさまざまな音が一斉に止まり、噴水の水音が一瞬だけ近くなる。
──そうか。グレイモンド家の役目は必要がないのだから、もう私に家名を名乗る資格はないのか。
リリアが表情を曇らせ目を伏せると、荷馬車の隣に立っていた黒衣の男が帳面からゆっくりと顔を上げた。
髪に白いものが混じり、背は高く、線は細い。表情は穏やかだが、目の奥は笑っていない。
「私はヴァルガン。この一座の座長だ。……グレイモンドということは、君は墓守の家の子、か」
質問でも詰問でもない。ただただ事務的に事実を確認するために置かれた言葉。
リリアは小さく頷いた。腰に下げた革袋の中の鈴が、ひそやかに音を立てる。
「護衛が一人、怪我で抜けた。今夜の最終公演と、明日の出立。二日間だけ、試してみるかい」
ヴァルガンは帳面を閉じ、靴の踵で石畳を二度叩いた。カイの旗の先に縫い付けられた鈴が、それに呼応するように短く鳴る。
「……護衛と言われても、私は剣を使えません」
「剣は足りてる」
すぐに言葉を返してきたのは、さきほどの剣の男だ。鋭く、鋼のような声だった。
「俺たちに欠けているのは耳だ。名はカリム。以後お見知りおきを、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃんという言い方にわずかな刺を感じた。だが、向けられている視線は敵意というより試しているものだった。
「ねえ、リリア」
カイが一歩近づいてきた。穏やかに微笑みながら、彼は問いかけてくる。
「鈴、持ってるよね?」
リリアは腰の革袋から小さな銀の鈴を取り出して、カイに見せる。
「うん。いい音だ」
カイはリリアの鈴には触れずに言った。
「芯が生きてる。──試すかい?」
「なにを」
「拍だよ」
「あなたも、拍術を?」
拍術とはこの王国に古くから伝わる魔術だ。
他国との交流が盛んになるにつれ、新しく流れてきた魔術の型に押し負け学ぶ者が減った。最近ではめっきり見かけなくなった、土地に根付いた古代の魔術の型。
グレイモンド家のように役目として型の引継ぎでもしていないかぎり、わざわざ習得している者は少ない。
「うちの一座はね、音で場を守るの。剣でも、拳でもなく。まずは道の呼吸を聞くこと。ね、座長?」
カイの問いかけに、ヴァルガンは短く頷くと、荷馬車の周りから人を遠ざけた。誰もいない、緩い空間ができあがる。
「通行の邪魔にならないように。ねえリリア、石の上でひとつ音を鳴らして。あなたのやり方で」
墓地では土だった。
けれどここは街の中で、足元にあるのは石畳。
石は土とは違う。けれど、呼吸はどちらにも存在している。
リリアは息を吸い、祖母から受け継いだ歌の形を喉の奥に置く。言葉ではなく、拍の器。
指で鈴の縁を撫で、胸元で──。
リン、と墓守の鈴を鳴らした。
パン屋の窓から甘くおいしそうな湯気が逃げ、露台では赤と青の布が朝の風を掴んで翻っている。井戸のまわりには桶が輪になって置かれ、その横で寝転んだ犬があくびをしていた。
リリアがぼんやり街の様子を眺めていると、行商人の鈴が短く鳴って我に返る。
「さあ、こっち。噴水の北側ね。ぼくらが王都で公演をするときの定位置」
カイが旗を肩に担ぎ直し、軽快な足取りで石畳を駆けていく。
旗の先端に縫い付けられている鈴が、リリアの持つ墓地の鈴よりも軽く、せっかちに跳ねていた。
噴水のそばには、荷馬車が二台。
ひとつは天幕と縄、もうひとつは木箱と古びた仮面でいっぱいだ。
その陰で、がっしりとした体格の男が剣の柄を布で磨いている。刃はまだ鞘の中だが、磨く指の動きにぬかりはない。
さらに、その脇の木箱の上で、白粉を顔の半分だけ塗った道化が片目をぱちぱちさせていた。箱を叩く足のつま先で、早い拍が刻まれている。
「おはよう、カイ。遅いぞ」
剣の男が、目だけでこちらを見る。
「人材確保に時間がかかったの」
カイは旗を軽々と回しながら、リリアの背を軽く肘でこずく。
「ほら、挨拶して」
「……リリア・グレイモンドです」
リリアが名乗ると、場の空気がかわった。
それまで慌ただしく刻まれていたさまざまな音が一斉に止まり、噴水の水音が一瞬だけ近くなる。
──そうか。グレイモンド家の役目は必要がないのだから、もう私に家名を名乗る資格はないのか。
リリアが表情を曇らせ目を伏せると、荷馬車の隣に立っていた黒衣の男が帳面からゆっくりと顔を上げた。
髪に白いものが混じり、背は高く、線は細い。表情は穏やかだが、目の奥は笑っていない。
「私はヴァルガン。この一座の座長だ。……グレイモンドということは、君は墓守の家の子、か」
質問でも詰問でもない。ただただ事務的に事実を確認するために置かれた言葉。
リリアは小さく頷いた。腰に下げた革袋の中の鈴が、ひそやかに音を立てる。
「護衛が一人、怪我で抜けた。今夜の最終公演と、明日の出立。二日間だけ、試してみるかい」
ヴァルガンは帳面を閉じ、靴の踵で石畳を二度叩いた。カイの旗の先に縫い付けられた鈴が、それに呼応するように短く鳴る。
「……護衛と言われても、私は剣を使えません」
「剣は足りてる」
すぐに言葉を返してきたのは、さきほどの剣の男だ。鋭く、鋼のような声だった。
「俺たちに欠けているのは耳だ。名はカリム。以後お見知りおきを、お嬢ちゃん」
お嬢ちゃんという言い方にわずかな刺を感じた。だが、向けられている視線は敵意というより試しているものだった。
「ねえ、リリア」
カイが一歩近づいてきた。穏やかに微笑みながら、彼は問いかけてくる。
「鈴、持ってるよね?」
リリアは腰の革袋から小さな銀の鈴を取り出して、カイに見せる。
「うん。いい音だ」
カイはリリアの鈴には触れずに言った。
「芯が生きてる。──試すかい?」
「なにを」
「拍だよ」
「あなたも、拍術を?」
拍術とはこの王国に古くから伝わる魔術だ。
他国との交流が盛んになるにつれ、新しく流れてきた魔術の型に押し負け学ぶ者が減った。最近ではめっきり見かけなくなった、土地に根付いた古代の魔術の型。
グレイモンド家のように役目として型の引継ぎでもしていないかぎり、わざわざ習得している者は少ない。
「うちの一座はね、音で場を守るの。剣でも、拳でもなく。まずは道の呼吸を聞くこと。ね、座長?」
カイの問いかけに、ヴァルガンは短く頷くと、荷馬車の周りから人を遠ざけた。誰もいない、緩い空間ができあがる。
「通行の邪魔にならないように。ねえリリア、石の上でひとつ音を鳴らして。あなたのやり方で」
墓地では土だった。
けれどここは街の中で、足元にあるのは石畳。
石は土とは違う。けれど、呼吸はどちらにも存在している。
リリアは息を吸い、祖母から受け継いだ歌の形を喉の奥に置く。言葉ではなく、拍の器。
指で鈴の縁を撫で、胸元で──。
リン、と墓守の鈴を鳴らした。
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