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旅一座
第2話
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小さく薄い音が石畳の溝を潜り、噴水の縁で反射して戻ってくる。朝のざわめきの中で、ひと筋の道が浮かび上がる。
リリアはその道を辿り、井戸へ向かう溝の途中で膝をついた。
「ここ。わかりにくいけど傾斜になっています。夜、暗くなったら足を取られます」
リリアの言葉を聞いたカイが、目だけで感心を示す。
すると、白粉の道化が満面の笑みを浮かべた。木箱の上からひょいと飛び降りると、リリアの示した石畳の溝を、大げさな仕草で跨いでみせる。ふざけた態度に、通行人たちから小さな笑いが零れた。
「いいだろう。それじゃ、もうひとつ音を鳴らしてもらおうか」
カイの反応に安堵しているリリアへ、カリムから鋭い言葉の刃が投げかけられた。
カリムが顎で示したのは、広場へ通じる細い路地の曲がり角。
「あそこはよく盗人が隠れる。お嬢ちゃんは追い払えるか?」
リリアは路地を見た。
ただ、今度はすぐに鈴を鳴らさない。代わりに、リリアは靴の踵で石畳を一度だけ打ちつけた。
──トン。
生まれた振動が路地へ走り、壁に触れて返る。
そこで位相の乱れを感じた。布擦れ、浅い呼吸。早朝の冷たい風が頬に触れた。
――トン、トン
嫌な気配がする。リリアは続けて石畳を二度打った。
すると、路地に隠れていた影が後ずさり、気配が薄くなる。返ってきた波紋は、街の温かさをまとっていた。
「……へえ、思っていたよりもやるねえ」
カリムはリリアの拍術を評価するような声を上げながらも、からかうように大きな口笛を吹いた。
その甲高い音で、道化を見ていた通行人たちの視線がカリムに集まってしまう。彼はしまったという顔をして、カイに助けを求めた。
「せっかく座長が穏やかな場を作ってくれたのに。カリムはすぐに拍を乱すよね」
カイがやれやれと頭を振りながら旗を大きく振り回し、鈴を鳴らす。
カイの鳴らした鈴の音は三つ。
墓守の鈴の使い手であるリリアにはあまり馴染みのない拍ではあったが、彼が短い拍印を奏でたことは理解できた。
鈴の音を聞いた人々は、カリムから視線を外して歩き出す。何事もなかったかのように、それぞれの日常に戻っていく。
「すごい、柔らかい音。人の注意だけをそっと撫でていった」
リリアがつぶやくと、座長のヴァルガンが笑った。
「合格だな」
「いやいやいや! 仮合格でしょ」
リリアに合格だと言ったヴァルガンに向かって、カイは驚いた顔をして抗議する。
「俺のときはすぐに合格なんてくれなかったのに。リリアには甘すぎじゃないですかあ?」
嫌みったらしく話しかけてくるカイを無視して、ヴァルガンはリリアに淡々と告げた。
「夜は昼より嘘つきだ。耳で見ろ」
「……耳で見ろ、ですか?」
リリアは問いかけるように首を傾げる。だが、ヴァルガンはリリアのことも無視して手を叩いた。音は一つ。それで場の空気が変わった。
「さあ、みんな。新入りに自己紹介をしろ」
ヴァルガンの声かけに、カイが手を上げる。
「じゃあ俺から。道化見習いのカイ!」
カイが自己紹介をすると、ヴァルガンは彼を射抜くような視線で睨みつける。
「お前はまた、ふざけたことを。カイは拍術師で、その知識を生かして一座の舞台音楽を担当している」
「だって、ジャドに弟子入りさせてもらったし。道化見習いは本当ですもん」
カイは唇を尖らせる。すると、ヴァルガンが帳簿でカイの頭を強く叩いたので、リリアは目を丸くした。
そんなリリアの前に、白粉の道化が軽やかに跳ね飛びながらやってくる。
「ジャド。よろしく」
つい今しがたカイの口から名の出た道化が、笑顔で胸を張る。
「……よろしくお願いします」
「僕はお客さまを笑わせる係。でも、誰かが悲しくなったら裏で泣く係も兼任」
ジャドはリリアの肩に手を置いた。ポンポンと二拍。優しく叩いてから、元いた木箱の上に飛び乗った。
すると、木箱の乗った荷馬車の影から、踊り子がひらりと姿を現してリリアの前で丁寧にお辞儀をする。
「セラ。あたしはつまずくような馬鹿はしないけど、あんなとこで転ぶやつがいると場がしらけるわ。だから段差、ちゃんと見ててね、墓守ちゃん」
セラはリリアの鼻先を人差し指でつついて背をむけた。吊り目で、気が強そうな少女。
最後に、薄紫のショールの女が近づいてきた。落ち着いた水のような、澄んだ目の美しい人。
「私はミリエラよ。語りと、歌。……鈴の人、ようこそ歓迎するわ」
──歓迎。
その二文字が、意外なほど重く胸に落ちた。
必要ない、と言われた場所から来て、歓迎する、と迎え入れてくれる。
どちらもただの言葉。それでも、響き方はこんなにも違う。
「条件は簡単だ」
ヴァルガンが帳簿を開きながら言う。
「今夜の公演まで下見と仕込み。明日の朝、北の街道へ出る。二日間は試用。食事と寝床はセラに聞け。判断は私とカリムに従う。報酬は出来高で。異論は?」
リリアは首を横に振った。腰の革袋にしまった鈴も、小さく音を鳴らして応えている。
「よし。──じゃあ、働こう」
ヴァルガンがもういちど手を鳴らすと、一座は一斉に動き出した。
リリアはその道を辿り、井戸へ向かう溝の途中で膝をついた。
「ここ。わかりにくいけど傾斜になっています。夜、暗くなったら足を取られます」
リリアの言葉を聞いたカイが、目だけで感心を示す。
すると、白粉の道化が満面の笑みを浮かべた。木箱の上からひょいと飛び降りると、リリアの示した石畳の溝を、大げさな仕草で跨いでみせる。ふざけた態度に、通行人たちから小さな笑いが零れた。
「いいだろう。それじゃ、もうひとつ音を鳴らしてもらおうか」
カイの反応に安堵しているリリアへ、カリムから鋭い言葉の刃が投げかけられた。
カリムが顎で示したのは、広場へ通じる細い路地の曲がり角。
「あそこはよく盗人が隠れる。お嬢ちゃんは追い払えるか?」
リリアは路地を見た。
ただ、今度はすぐに鈴を鳴らさない。代わりに、リリアは靴の踵で石畳を一度だけ打ちつけた。
──トン。
生まれた振動が路地へ走り、壁に触れて返る。
そこで位相の乱れを感じた。布擦れ、浅い呼吸。早朝の冷たい風が頬に触れた。
――トン、トン
嫌な気配がする。リリアは続けて石畳を二度打った。
すると、路地に隠れていた影が後ずさり、気配が薄くなる。返ってきた波紋は、街の温かさをまとっていた。
「……へえ、思っていたよりもやるねえ」
カリムはリリアの拍術を評価するような声を上げながらも、からかうように大きな口笛を吹いた。
その甲高い音で、道化を見ていた通行人たちの視線がカリムに集まってしまう。彼はしまったという顔をして、カイに助けを求めた。
「せっかく座長が穏やかな場を作ってくれたのに。カリムはすぐに拍を乱すよね」
カイがやれやれと頭を振りながら旗を大きく振り回し、鈴を鳴らす。
カイの鳴らした鈴の音は三つ。
墓守の鈴の使い手であるリリアにはあまり馴染みのない拍ではあったが、彼が短い拍印を奏でたことは理解できた。
鈴の音を聞いた人々は、カリムから視線を外して歩き出す。何事もなかったかのように、それぞれの日常に戻っていく。
「すごい、柔らかい音。人の注意だけをそっと撫でていった」
リリアがつぶやくと、座長のヴァルガンが笑った。
「合格だな」
「いやいやいや! 仮合格でしょ」
リリアに合格だと言ったヴァルガンに向かって、カイは驚いた顔をして抗議する。
「俺のときはすぐに合格なんてくれなかったのに。リリアには甘すぎじゃないですかあ?」
嫌みったらしく話しかけてくるカイを無視して、ヴァルガンはリリアに淡々と告げた。
「夜は昼より嘘つきだ。耳で見ろ」
「……耳で見ろ、ですか?」
リリアは問いかけるように首を傾げる。だが、ヴァルガンはリリアのことも無視して手を叩いた。音は一つ。それで場の空気が変わった。
「さあ、みんな。新入りに自己紹介をしろ」
ヴァルガンの声かけに、カイが手を上げる。
「じゃあ俺から。道化見習いのカイ!」
カイが自己紹介をすると、ヴァルガンは彼を射抜くような視線で睨みつける。
「お前はまた、ふざけたことを。カイは拍術師で、その知識を生かして一座の舞台音楽を担当している」
「だって、ジャドに弟子入りさせてもらったし。道化見習いは本当ですもん」
カイは唇を尖らせる。すると、ヴァルガンが帳簿でカイの頭を強く叩いたので、リリアは目を丸くした。
そんなリリアの前に、白粉の道化が軽やかに跳ね飛びながらやってくる。
「ジャド。よろしく」
つい今しがたカイの口から名の出た道化が、笑顔で胸を張る。
「……よろしくお願いします」
「僕はお客さまを笑わせる係。でも、誰かが悲しくなったら裏で泣く係も兼任」
ジャドはリリアの肩に手を置いた。ポンポンと二拍。優しく叩いてから、元いた木箱の上に飛び乗った。
すると、木箱の乗った荷馬車の影から、踊り子がひらりと姿を現してリリアの前で丁寧にお辞儀をする。
「セラ。あたしはつまずくような馬鹿はしないけど、あんなとこで転ぶやつがいると場がしらけるわ。だから段差、ちゃんと見ててね、墓守ちゃん」
セラはリリアの鼻先を人差し指でつついて背をむけた。吊り目で、気が強そうな少女。
最後に、薄紫のショールの女が近づいてきた。落ち着いた水のような、澄んだ目の美しい人。
「私はミリエラよ。語りと、歌。……鈴の人、ようこそ歓迎するわ」
──歓迎。
その二文字が、意外なほど重く胸に落ちた。
必要ない、と言われた場所から来て、歓迎する、と迎え入れてくれる。
どちらもただの言葉。それでも、響き方はこんなにも違う。
「条件は簡単だ」
ヴァルガンが帳簿を開きながら言う。
「今夜の公演まで下見と仕込み。明日の朝、北の街道へ出る。二日間は試用。食事と寝床はセラに聞け。判断は私とカリムに従う。報酬は出来高で。異論は?」
リリアは首を横に振った。腰の革袋にしまった鈴も、小さく音を鳴らして応えている。
「よし。──じゃあ、働こう」
ヴァルガンがもういちど手を鳴らすと、一座は一斉に動き出した。
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