必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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宰相邸

第3話

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 ルシアンは姿勢を正し、指先を静かに組んだ。

 長い沈黙が訪れた。
 その静けさには威圧ではなく、思索の深さが滲んでいた。
 やがて彼は、慎重に言葉を選ぶように口を開く。

「──本題に入ろう。リリア・

 ルシアンはその姓をあえて強調して告げた。
 すでにその名を失っていることを、彼は知っているはずだった。
 まるで意図的にリリアの立場を確かめるような物言いに、リリアは口を開きかけたが、言葉にならず、静かにうなずいた。
 ルシアンは淡々と続けた。

「君は、我々がなぜ貴族と呼ばれ、人を統べる立場にあるのか、その理由を知っているかね?」

 不意の問いに、リリアはまばたきをした。
 意図を測りかねて、小さく首を振る。

「いいえ……存じません」

 ルシアンは目を閉じ、わずかにうなずいた。
 それが予想どおりの答えであるかのように。

「我らが強者だったからだ」

「……強者、ですか?」

 リリアの問い返しに、ルシアンは短く息を吐いた。

「かつてこの国が生まれるよりも前、人々は混乱の中で互いを滅ぼし合っていた。その混乱を鎮めたのは、我々の祖、拍術師たちだ。音によって人の心を導き、秩序をもたらした。つまり理の始まりとは、拍の律であり、心の制御であったのだ」

 ルシアンの声はまるで祈りのように低く響いた。
 リリアは息を潜めて聞いていた。

「君の一族が代々、墓を守り、魂を鎮めてきたのもその理の延長だ。拍は秩序を作る。乱れた心を律し、死を静め、生を導く。だが……」

 ルシアンは一拍の間を置き、目を細めた。

「それを揺るがそうとしている男がいる。王だ」

 ルシアンは組んだ指をわずかに動かし、机上の銀の懐中時計へ視線を落とした。
 針の進む音すら、この部屋では時間の鼓動として数えられるようだった。

「──拍術は、この地を平和に治めるための音の理だ」

 その声は穏やかだったが、ゆるぎない確信を帯びていた。

「人の心は不安定なものだ。怒り、悲しみ、恐れ──それらはすべて、世界を乱す波に変わる。争いが起きる。拍術はその波を鎮め、一定の調律へと戻すために生まれた。理の起源とは、感情の制御だ。ゆえに、拍術を扱う者は世界の秩序を預かる者でもある」

 ルシアンの瞳が微かに揺れた。
 その表情には誇りではなく、長年の責務を刻んだような静けさがあった。

「我々、貴族とはその理を継ぐ者だ。拍の理を継承し、秩序を護る。だからこそ人の上に立つ資格を与えられた」

 言葉のひとつひとつが、室内の空気を引き締めていく。
 リリアは無意識に背筋を正していた。

「だが、拍の理は必ずしも安定ではない。時とともに拍の律は失われていき、拍術師たちは感情に侵されていった。いつしか己の音すら聴けなくなった。今では貴族の多くが拍術を失い、本来の役目を果たせなくなっている」

 ルシアンの声は淡々としているのに、不思議と重みがあった。

「我がレイグラント家に伝わる拍術も失われて久しい。貴族としての体面を保つために、かろうじて魔術は扱えるが……もはや理を操る力は残っていない」

 リリアは息を呑んだ。
 ルシアンの言葉には、神話のような遠さと、現実の冷たさが共に存在していた。

「君の家系、グレイモンド家は、建国の理を今なお保つ稀有な例だ。墓守として拍の理を継ぎ、封印を維持してきた」

 ルシアンは視線を落とし、机上の懐中時計にそっと指を添えた。

「拍術を扱える者は減少の一途をたどっている。だからこそ、我々は彼らを守らねばならなかった。守るとはすなわち、閉じ込めることだ。役職を与え、定められた務めの中に生を収める。それ以外を望まず、他の世界を見ようとしないように。それが理を守るということだったのだ」

 リリアは眉を寄せた。
 ルシアンの声には、怒りではなく、どこか自嘲めいた響きがあった。

「かつて拍術師たちは、感情を鎮めるために存在した。だがいつしか、自らの感情をも鎮めねば、拍を保てなくなった。感情は音を乱す。乱れた音は理を崩す。だから我々は、拍術師から人を削り取ったのだ。理のために、心を捨てた」

 ルシアンの瞳が、わずかに細められた。
 その声音には一切の情がなかったが、言葉の奥に確かな痛みがあった。

 そこから再び静寂の時間が訪れた。
 ルシアンは先ほどまでの饒舌さが嘘のように何も語らない。

 外から風の音がして、リリアは窓の外へ視線を向けた。
 木の枝がわずかに揺れている。
 リリアはその光景を見ながら、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。

「……それを、壊したのが陛下なのですね」

 リリアの問いに、ルシアンはゆっくりと顔を上げた。

「壊した、か。いや、揺らした、と言うべきだろう。あの方は、拍術師に外の世界を見せた。感情を持たせ、他者と交わらせた。……君のようにな」

 その言葉に、リリアは息を止めた。
 静寂の中、ルシアンの瞳がリリアを正確に射抜いていた。

「君が外の世界で何を見、何を感じたか。それが理を脅かすものか、それとも理を救うものか――それを見極めるために、私は君をここに呼んだのだ」
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