必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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宰相邸

第7話

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 ルシアンは、王都霊廟の異変が鎮まった原因はリリアの歌以外に考えられない、と断じた。
 だが、屋敷と霊廟の距離を思えば、声が届くなど不可能だ。

「……確かに、理屈の上では届かないはずだ。けれど君が歌ったのは、グレイモンド家に伝わる鎮律だったな」

 ルシアンは一度言葉を切り、リリアを見た。視線の奥に、かすかな探りの色があった。

「能力の高い拍術師が奏でれば、その波動が霊廟にまで届くこともあり得る。……だが、確証はない」

 そこまで言って、ルシアンはこめかみに手を当て、深く息を吐いた。

「……そもそも、拍を響かせる鈴は君の手元にはないのに」

 その言葉に、リリアははっとした。
 忘れていた記憶が、胸の奥で鈍く疼く。
 鈴をなくしたのは、あの日。ミリエラに攫われたときだった。

 ちらりと視線を横に向けると、ミリエラは何事もなかったように静かな微笑を浮かべている。

 ──……やはり、どこにあるのか知っているのね。

 ルシアンの態度とミリエラの様子から、リリアは確信に近い感覚を覚えた。
 だが、ここでそれを口にすべきか。迷いが胸をかすめる。

 ルシアンはリリアの逡巡をよそに、再び声を落とした。

「昨夜の件で、陛下がグレイモンド嬢に意見を求めたいと仰っている。だが、今はまだ、君と陛下を会わせるべきではないと私は考えている。君が歌っていたことを知る者は、この屋敷の者だけだ。陛下にはもうしばらく、原因を考えていてもらおう」

 そう言って、ルシアンは机上の書類をまとめる。
 それからヴァルガンとミリエラを伴い、執務室を後にした。

 三人の足音が遠ざかり、静けさだけが残った。
 その場に残されたのは、リリアとカリムだけだった。

 リリアは少しの間、扉の向こうを見つめていた。
 やがて顔を上げ、カリムに声をかける。

「……カリムさん。私の鈴、たぶんミリエラさんが持っていると思うのですが、何か聞いていませんか?」

 カリムは眉を顰めた。

「……やっぱりそうか。いや、あいつは攫ったときに抵抗されて無くしたなんて言っていたが……」

 言いかけて、彼は首を横に振った。

「たとえ隠し持っていたとしても、そう簡単に見つかるものじゃない。もし見つけてほしいと言われても、俺には無理だ」

「どうしてですか?」

 リリアの問いに、カリムは少し目を伏せてから答えた。

「ミリエラは、もともと閣下と相容れない考えを持っている。だというのに、閣下はあいつを重用し、わがままを許している。きっとお前の鈴の件も、閣下は承知している。……なら、俺ごときに探し出せる場所じゃない」

 きっぱりと言い切るカリムに、リリアは小さくうなずいた。

「そうですか……。なら、仕方ありませんね」

 淡々とした声だったが、その奥に小さな決意が宿っていた。
 少しの沈黙のあと、リリアは言葉を重ねる。

「鈴がないのは、正直不安です。……それでも、私は霊廟へ向かいます」

 迷いはなかった。

「お前を屋敷から出すなと命じられている俺に、そんなことを言うのか」

 落ち着いた声の中に、困惑と、わずかな苦笑が混じっていた。
 リリアは真っすぐにカリムを見返した。
 その瞳は穏やかだが、揺るぎない光を宿している。

「もし、私におとなしくしていてほしいのなら、昨晩の霊廟のことを伝えるべきではなかったはずです。それなのに宰相閣下は、異変が鎮まり、陛下が私に会いたがっていると教えてくださった。……つまり、宰相閣下は選べとおっしゃっているのだと思います」

 リリアの真剣な声に、カリムの表情がわずかに引き締まる。

「だから、私は霊廟に行きます」

 はっきりと断言するリリアの声は、揺るぎなかった。
 カリムは短く息を吐き、しっかりとうなずく。

「……わかった。俺も行く」

 その言葉に、リリアはふっと微笑んだ。




 夜の王都は、まるで息を潜めているかのように静かだった。
 月は薄雲に隠れ、宰相邸の庭は暗闇に包まれていた。

 リリアはカリムの背を追いながら、屋敷の裏門を抜け出した。
 足音を殺し、影のように石畳を渡る。
 兵の見回りを避けるたびに胸が高鳴ったが、カリムの動きは迷いがなかった。
 慣れた足取りで、迷路のような裏路地を抜けていく。

「……このまま霊廟へ向かうのですか?」

 小声で尋ねると、カリムは振り返らずに答えた。

「いや、寄るところがある」

 リリアは思わず眉を寄せた。
 少しでも早く霊廟へ行きたかった。
 だが、カリムは短くため息をつき、肩越しに振り返る。

「その格好のままじゃ、目立ちすぎる」

 リリアははっとして自分の姿を見下ろした。
 自分は今、宰相邸で与えられた薄桃色のドレスを身に纏っている。
 裾が重く、袖には細かな刺繍が施されている。
 動きにくいし、夜の闇の中ではあまりに浮いていた。

「……たしかに、このままでは動きづらいですね」

「そういうことだ。こっちだ」

 カリムに促され、リリアは彼の後を追う。
 やがて辿り着いたのは、王都の外れにある小さな民家だった。
 外壁は少し古びているが、窓の灯りが温かく揺れている。

 カリムが短く合図すると、すぐに扉が開いた。

「思ったより時間がかかったね」

 明るい声とともに顔を出したのはジャドだった。
 彼は満面の笑みを浮かべ、手にしていた包みを軽く掲げる。

「待ってたよ。ほら、着替え。大きさはたぶん大丈夫だと思う」

 カリムがむすっとした顔をして腕を組む。
 その様子に、リリアは小さく苦笑しながらジャドから服を受け取った。

「……ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、ジャドは慌てたように手を振った。

「いいのいいの。僕にできるのは、こんなことくらいだから」

 そう言ってジャドは、リリアの肩に手を置き、ぽんぽんと優しく叩く。
 その仕草に、リリアの緊張が少しだけほどけた。

「ちゃんと笑えそう?」

 穏やかに尋ねるジャドの目は、どこまでもまっすぐだった。
 リリアは一瞬だけ迷い、そして小さく笑う。

「自信はありませんが……そうなるように、選択していこうと思います」

 その答えに、ジャドは苦笑した。

「──うん。その感じが、リリアらしいね」

 その言葉に、リリアはかすかに目を細めた。
 外では夜風が枝を揺らし、どこか遠くで鐘の音が響いていた。
 夜の道は、まだ静かに続いている。
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