必要ないと言われたので、私は旅にでます。

黒蜜きな粉

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幕間

前編

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 灰の匂いは、いつまでも鼻の奥に残った。
 家々の礎が崩れ、木々は黒く焦げ、風は生き残った者たちの沈黙だけを運んでいく。
 セラの瞳に映る世界は、すべてが溶けて歪んでいた。

 あのとき、カイは膝をついていた。
 祖父の拍術に押し潰され、彼はもう言葉を失っているように見えた。
 セラはその姿を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。

「やめて! カイを傷つけないで!」

 祖父を止めなければいけない、そう思って駆け出した。
 祖父にカイを傷つけさせないために拍術を使った。そこまでは、確かに覚えている。
 自分の悲鳴のような声が耳に届いたことだけは記憶しているが、それから先のことはわからない。

 気がついたときには、村は消えていた。

 灰の海の中で、セラは確かに思った。
 カイを守らなければいけないということ。
 カイだけが、自分という存在を形作る全てだということ。
 生まれ育った運命だとか、祖父の言い付けだとか、遠い復讐の理屈など、どうでもよくなった。
 もし世界が滅びても、カイがそばにいればそれでいい。そう思った。

 カイは無言で、セラの手を取った。何も言わず、ただ手を握ってくれた。
 その温度が、セラには救い以外の何ものでもなかった。

「行こう、セラ。ここには、もうなにもない」

 カイの声は、セラにとって確かな導きだった。

 セラは泣きながら握った手を離さず、二人は焼け跡を背に森へと逃げた。
 正直なところ、外の世界なんてものはセラにとってどうでもよいものだった。
 よそ者が村に紛れ込んできたときも、これっぽっちも関心が沸かなかった。
 村の外へ出て、知らない文化に触れても、興味を引かれるものはなかった。
 世界の広さを知る前から、セラの心はすでに一人の人間に縛られていたのだ。
 それが、カイという唯一の存在だった。

 しばらくして、峠道で出会った男とその仲間が二人の旅に加わった。
 旅芸人を自称する者たち。
 座長だというその男は、口調は落ち着いていて、笑みは柔らかい。
 けれど、その端正な顔立ちの奥に何かを隠しているようで、身のこなしにはどこか芝居がかったところがあった。
 セラは初め、面白くなかった。
 世界のどこかから来たという他者が、二人だけの世界に土足で入り込んだように感じたからだ。

 だが、カイは違った。
 男の話す奇異な旅の話、見知らぬ街の色、舞台での歓声に目を輝かせた。
 カイが喜ぶのを見て、セラは胸の奥が鈍く疼くのを止められなかった。
 自分が守らなければならないと誓った相手が、いつか自分よりも外の世界に心を向けてしまうのではないか。
 その恐れは、日を追うごとに大きくなっていった。

「あいつらを消したほうがいいのかな」

 ある夜、セラはこんな言葉を口にした。

 その日の昼間、男が次の目的地を告げたのだ。
 王都だと、男は笑いながら言った。
 その瞬間の光が、いまも胸に焼き付いて離れなかった。

「次に向かうのは王都だってさ。ほら、昔から村の大人たちに聞かされてたよな」

 カイは目を輝かせ、まるで少年のように笑っていた。

「復讐しろって何度も言われてきたから、小さい頃は外にどんな化け物がいるのかと思ってた。けど、そんなことはなかったじゃないか。そりゃ綺麗なものだけじゃなくて、嫌なものもあるだろうけど、魅力的なことがたくさんある。きっと王都も立派な街並みなんだろうね。だよ、セラ」

 そのカイの素直な言葉が、セラの心に鋭く刺さった。

 ──自分は、この人のにはなれないのか。

 外の世界に興味を持てない自分は、いつか置いていかれるのではないか。
 一緒に笑えない自分は、カイにとっての重荷になるのではないか。

 焦燥が喉を焼いた。胸の奥がざわつき、どうしても静まらなかった。
 そして、夜。セラはあの言葉を口にしていた。

「いつか復讐を果たさなければ。私たちの祖国を踏みにじった血を、いつか絶たなければならないの」

 その言葉は、祖父から受け継いだ理を思い出すためのものではなかった。
 カイの心を、自分のもとへ引き戻すための呪いのような言葉だった。

 カイは少しの間黙り、それから静かに微笑んだ。

「復讐のためだけに生きるのは違うよ、セラ。でも、君がそう思うなら、俺は一緒に考える」

 その優しさが、セラには痛かった。
 心の裏側で何かが音を立てて崩れていく。
 守りたいという思いが強ければ強いほど、カイが自分の知らない場所を見ようとするたびに、胸の奥がざわついた。
 カイの自由さが、いつか自分を遠ざけてしまう気がした。

 セラは自分でも知らない熱に駆り立てられ、毎夜、カイに復讐の理を思い出させるようになっていった。
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