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29.13歳の苦悩
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抜き身の刀を上段に構え、少年の頭目がけて振り下ろす。
「待ってください!」
刀の軌道は直前で変更され、少年の前髪を数本切り裂いて床に突き刺さった。
少年の股の間に刀が振り下ろされたことになる。
少年の歯がカタカタと鳴って、アンモニア臭が香ってくる。
大丈夫だ、徳川家康もあと2年くらいしたら敗走中に脱糞する予定だから。
失禁脱糞は戦国の習いだよ。
嘘か本当かは分からないけど。
強く生きろ。
「善次郎さん、私は大丈夫ですから。この子たちを許してあげてください」
「雪さんがそう言うなら俺は何の文句も無いよ」
俺を止めるために声をかけたのは雪さんだ。
雪さんならたぶん俺の考えを読んでそう言ってくれると思っていたけれど、結構ギリギリだったね。
意外と根に持っているのかもしれない。
「た、助かった……」
「雪さんに感謝するんだね、君たち。あと1秒遅かったら本当に斬ってたから」
「は、はひっ」
俺は刀を鞘に収める。
しかし結局、この状況はなんなのだろうか。
俺は板の間の胡坐をかいて座る。
土間の水がめの陰に隠れていたゆきまるが出てきて、俺に擦り寄ってくる。
「キャンキャンッ」
はいはい、ごめんな。
怖かったな。
でも君巨大化できるんだから、もうちょっと勇気を振り絞ってくれても良かったんだけど。
ゆきまるは潤んだ瞳でプルプル首を振る。
そうだね、ごめんね、俺が悪かったね。
ゆきまるは巨大化できる神獣とはいえ、まだ生まれて間もない幼犬だ。
無理を言っても仕方が無い。
それに本当に巨大化して戦ってくれたとしても、後々誤魔化すのが大変そうだ。
お前はしばらくそのままでいいよ。
俺はゆきまるを膝に乗せて頭を撫でた。
「それで、これはいったいどういう状況なのかな」
「それが……」
雪さんの話では、この2人の少年は織田信長の息子の奇妙丸君と森可成さんの息子の勝三君らしい。
ビビッて漏らしてしまった少年は後の織田信忠で、先程から少し離れた場所で固まってしまっている少年はさっき殿から戦死を知らされたばかりの武将の息子さんだったわけだ。
だからといって人の妻に刀を抜くのを正当化できるわけではないが。
「お父さんのことはご愁傷様だったね。うちに来たのはそのことも関係あるの?」
「は、はい……」
勝三君はぽつりぽつりと話し始める。
今年の春、俺が殿と出会った戦でお兄さんが亡くなり、先日お父さんも亡くなってしまった勝三君。
彼は若干13歳という若さで森家を背負っていかなくてはならなくなった。
しかし自分は武芸も勉学も、父や兄のようにはできない。
そんな愚痴を、遊び相手だった奇妙丸君に漏らしてしまったらしい。
将来主君となる人に愚痴を漏らすなんてみっともないが、父や兄を失った悲しみや焦燥がこみ上げてきてどうしようもなかったという。
それは俺なんかには想像もつかない感情だったに違いない。
未来であれば13歳なんてまだまだ子供だけど、この時代では大体の人が15歳くらいで元服という成人の儀式を迎える。
勝三君のように家を継ぐ者が戦死してしまったりすれば、もっと早くに大人の仲間入りを余儀なくされてしまうのだ。
そりゃあみんな老け顔になろうというものだ。
「それで、若様が善次郎殿に剣を習いに行こうと……」
「ん?なんでそんな話に?というかどこで俺の名前を?」
「お、お主、先日葛西家相手に大立ち回りを演じたじゃろう?城内はその話で持ちきりじゃ。木下藤吉郎の与力山内伊右衛門の配下にはとんでもなく腕の立つものがおるとな」
やっと失禁のショックから立ち直ってきたのか、奇妙丸君が続きを話す。
先日の一件がそんなに噂になってしまっているとはな。
大体部下が活躍したらこの時代の武士というのは、部下を立てつつも自分の手柄をアピールするものだ。
しかしご存知の通り殿はドがつくお人好しなので、俺の活躍をそのまま城代様に報告した。
結果、俺の活躍には尾ひれが付いてしまっているというわけだ。
「100人斬りの善次郎に剣を習えば、勝三にも少しは箔がつくかと思ってな」
その二つ名はちょっと嫌だな。
浮気者みたいで。
あと100人も斬ってない。
「でも、善次郎殿はいらっしゃらなくて……」
「そこの女がちゃんとした武芸指南役がおるなら帰れと抜かしたのじゃ」
普通に正論だと思うんだけど。
まあ正論で論破されると癇癪を起こしたくなる年頃なのだろう。
俺のような身分の低くて実績も無い武士に総大将の息子や重臣の息子が武芸を習うというのは、この時代的には常識外れな行動だ。
勝三君のほうは森家の家長となるのだし、余計に木っ端武士からの教えなど受けられる立場ではないと思うんだけどな。
俺のほうも困るからさっさと帰ってほしい。
「奥方様にこのようなことをしてしまって、今更どの面さげて頼むのかと申されるかもしれません。そのことについては深く謝罪申し上げます。ですが、どうか私に武芸を教えていただけないでしょうか。先程の身のこなしは実に素晴らしいものでありました。お願いします!!」
勝三君は床に頭をつけてお願いしてくる。
子供に土下座させるなんて外聞が悪いからやめてくれないかな。
奇妙丸君も驚いて口をぽかりと開けてしまっているじゃないか。
後の信忠とは思えないアホ面だな。
「勝三君、いえ、森様、頭をお上げください。俺なんて木っ端武士に武術を習うなんて、森家にとって良くないと思いますよ」
「ですが……」
「ですから、これからはこっそりおいでください。ここは狭いので、山内家の屋敷の庭先をお借りして見取り稽古くらいならばお相手いたしますよ」
まあ俺は教えるとかできないので、見取り稽古しかやりようがないんだけどね。
善住坊さんくらいの武芸の才能があれば、それでも強くなれるはずだ。
いや、善住坊さんに教えてもらえばすべて解決かもしれないな。
「ありがとうございます!!」
「勝三がそれで良いというのならば、此度のことは不問に処す。貴様らも良いな?」
「「「はっ……(ギリッ)」」」
奇妙丸君の許しも得られた。
許してもらえなかったら美濃から出て行かなければならなかったからね。
許してもらえるに越したことは無い。
しかし肩と股関節を外してしまった側近の大人たちからは、痛みに脂汗を流しながらギロリと睨まれてしまった。
やっぱり大人は面倒だな。
めでたしめでたしでいいじゃないのさ。
「待ってください!」
刀の軌道は直前で変更され、少年の前髪を数本切り裂いて床に突き刺さった。
少年の股の間に刀が振り下ろされたことになる。
少年の歯がカタカタと鳴って、アンモニア臭が香ってくる。
大丈夫だ、徳川家康もあと2年くらいしたら敗走中に脱糞する予定だから。
失禁脱糞は戦国の習いだよ。
嘘か本当かは分からないけど。
強く生きろ。
「善次郎さん、私は大丈夫ですから。この子たちを許してあげてください」
「雪さんがそう言うなら俺は何の文句も無いよ」
俺を止めるために声をかけたのは雪さんだ。
雪さんならたぶん俺の考えを読んでそう言ってくれると思っていたけれど、結構ギリギリだったね。
意外と根に持っているのかもしれない。
「た、助かった……」
「雪さんに感謝するんだね、君たち。あと1秒遅かったら本当に斬ってたから」
「は、はひっ」
俺は刀を鞘に収める。
しかし結局、この状況はなんなのだろうか。
俺は板の間の胡坐をかいて座る。
土間の水がめの陰に隠れていたゆきまるが出てきて、俺に擦り寄ってくる。
「キャンキャンッ」
はいはい、ごめんな。
怖かったな。
でも君巨大化できるんだから、もうちょっと勇気を振り絞ってくれても良かったんだけど。
ゆきまるは潤んだ瞳でプルプル首を振る。
そうだね、ごめんね、俺が悪かったね。
ゆきまるは巨大化できる神獣とはいえ、まだ生まれて間もない幼犬だ。
無理を言っても仕方が無い。
それに本当に巨大化して戦ってくれたとしても、後々誤魔化すのが大変そうだ。
お前はしばらくそのままでいいよ。
俺はゆきまるを膝に乗せて頭を撫でた。
「それで、これはいったいどういう状況なのかな」
「それが……」
雪さんの話では、この2人の少年は織田信長の息子の奇妙丸君と森可成さんの息子の勝三君らしい。
ビビッて漏らしてしまった少年は後の織田信忠で、先程から少し離れた場所で固まってしまっている少年はさっき殿から戦死を知らされたばかりの武将の息子さんだったわけだ。
だからといって人の妻に刀を抜くのを正当化できるわけではないが。
「お父さんのことはご愁傷様だったね。うちに来たのはそのことも関係あるの?」
「は、はい……」
勝三君はぽつりぽつりと話し始める。
今年の春、俺が殿と出会った戦でお兄さんが亡くなり、先日お父さんも亡くなってしまった勝三君。
彼は若干13歳という若さで森家を背負っていかなくてはならなくなった。
しかし自分は武芸も勉学も、父や兄のようにはできない。
そんな愚痴を、遊び相手だった奇妙丸君に漏らしてしまったらしい。
将来主君となる人に愚痴を漏らすなんてみっともないが、父や兄を失った悲しみや焦燥がこみ上げてきてどうしようもなかったという。
それは俺なんかには想像もつかない感情だったに違いない。
未来であれば13歳なんてまだまだ子供だけど、この時代では大体の人が15歳くらいで元服という成人の儀式を迎える。
勝三君のように家を継ぐ者が戦死してしまったりすれば、もっと早くに大人の仲間入りを余儀なくされてしまうのだ。
そりゃあみんな老け顔になろうというものだ。
「それで、若様が善次郎殿に剣を習いに行こうと……」
「ん?なんでそんな話に?というかどこで俺の名前を?」
「お、お主、先日葛西家相手に大立ち回りを演じたじゃろう?城内はその話で持ちきりじゃ。木下藤吉郎の与力山内伊右衛門の配下にはとんでもなく腕の立つものがおるとな」
やっと失禁のショックから立ち直ってきたのか、奇妙丸君が続きを話す。
先日の一件がそんなに噂になってしまっているとはな。
大体部下が活躍したらこの時代の武士というのは、部下を立てつつも自分の手柄をアピールするものだ。
しかしご存知の通り殿はドがつくお人好しなので、俺の活躍をそのまま城代様に報告した。
結果、俺の活躍には尾ひれが付いてしまっているというわけだ。
「100人斬りの善次郎に剣を習えば、勝三にも少しは箔がつくかと思ってな」
その二つ名はちょっと嫌だな。
浮気者みたいで。
あと100人も斬ってない。
「でも、善次郎殿はいらっしゃらなくて……」
「そこの女がちゃんとした武芸指南役がおるなら帰れと抜かしたのじゃ」
普通に正論だと思うんだけど。
まあ正論で論破されると癇癪を起こしたくなる年頃なのだろう。
俺のような身分の低くて実績も無い武士に総大将の息子や重臣の息子が武芸を習うというのは、この時代的には常識外れな行動だ。
勝三君のほうは森家の家長となるのだし、余計に木っ端武士からの教えなど受けられる立場ではないと思うんだけどな。
俺のほうも困るからさっさと帰ってほしい。
「奥方様にこのようなことをしてしまって、今更どの面さげて頼むのかと申されるかもしれません。そのことについては深く謝罪申し上げます。ですが、どうか私に武芸を教えていただけないでしょうか。先程の身のこなしは実に素晴らしいものでありました。お願いします!!」
勝三君は床に頭をつけてお願いしてくる。
子供に土下座させるなんて外聞が悪いからやめてくれないかな。
奇妙丸君も驚いて口をぽかりと開けてしまっているじゃないか。
後の信忠とは思えないアホ面だな。
「勝三君、いえ、森様、頭をお上げください。俺なんて木っ端武士に武術を習うなんて、森家にとって良くないと思いますよ」
「ですが……」
「ですから、これからはこっそりおいでください。ここは狭いので、山内家の屋敷の庭先をお借りして見取り稽古くらいならばお相手いたしますよ」
まあ俺は教えるとかできないので、見取り稽古しかやりようがないんだけどね。
善住坊さんくらいの武芸の才能があれば、それでも強くなれるはずだ。
いや、善住坊さんに教えてもらえばすべて解決かもしれないな。
「ありがとうございます!!」
「勝三がそれで良いというのならば、此度のことは不問に処す。貴様らも良いな?」
「「「はっ……(ギリッ)」」」
奇妙丸君の許しも得られた。
許してもらえなかったら美濃から出て行かなければならなかったからね。
許してもらえるに越したことは無い。
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