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心配くらいさせてよね
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一羽の鳥が空を飛んでいた。数羽の鳥が後を追うように飛んでいる。強い風が吹いた。鳥たちは風と同じ方向に顔を向けている。風に押されているのか、風を利用しているのか。地から見上げるセシリアにはどちらかわからなかった。
「ねぇ、何かわかった?」
鍋の中に入った緑色の不気味な液体を注意深く見つめながらセシリアが言った。弱火にかけられているそれは、熱し過ぎてはいけないため、表面をよく観察していなければならない。一番初めの空気の泡ができたらすぐに火を止めるのがセシリアに与えられた仕事だった。
セシリアは以前言ったように、リディと同じ白と黒のメイド服に身を包んでいた。いつもどおりの服でクロードの家まで来て、バスルームを借りて着替えている。
「…何が?」
「何がって、薬」
セシリアの言葉に、クロードは困ったような表情を浮かべた。
「正直さっぱりだな」
「そう」
「……悪いな」
少しだけトーンの下がった声。セシリアはクロードに顔を向けそうになり、慌てて鍋に視線を戻した。声だけで聞く。
「何が?」
「もう一週間も経ってるのに何もわかっていないから」
「だって初めからそう言っていたでしょう?無理を言っているのは私。だからクロード様が謝ることはないよ」
「それはそうだけど」
「…あ!」
突然上がったその声にクロードは思わず顔をセシリアに向けた。セシリアは、火を消し、両頬を上げてクロードを見る。
「ぷくってなったよ。ちゃんと火を止めました」
誇らしげな表情にクロードは小さく笑う。機嫌のよさそうなその態度にセシリアは小さな疑問を聞いてみることにした。
「ねぇ、クロード様って、なんで国王直属の薬師になったの?」
「なんだよ、突然」
「なんとなく気になって」
まっすぐな目がクロードをとらえていた。あまりにもまっすぐで少し居づらく感じる。クロードは視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「…別に理由なんてない。ただ俺がルーブ族だったからだよ」
「どういうこと?」
「もともとルーブ族は山の中で住んでいたから薬草とかの知識が当たり前のものとして根付いてたんだ。ルーブ族の全員が優れた薬師だと言っていい。俺が特別に優れているわけじゃない」
「え?」
「人間って結構いい加減で、毒でも薬だと思えば、治ったり、逆にすごく効果のある薬なのに、毒だと思えば、どんどん症状は悪化していったりする。病は気からってやつだ」
「…?」
クロードの言いたいことがわからず、セシリアは首を傾げた。そんなセシリアを見て、クロードはもう少し言葉を足す。
「お嬢様は、俺が国王直属の薬師だと聞いてどう思った?」
「どうって…」
「ルーブ族なのに、国王直属なんて、それだけ腕がいいんだろうな、そう思わなかったか?」
クロードの言葉にセシリアは口を閉ざした。確かにそうだった。国民の評判を大切にする現国王が選んだのはルーブ族の青年。事実はどうであれ、ルーブ族は蔑視されている。そのルーブ族の青年を国王直属にすれば国民がどう思うか、それは考えればすぐ出てくる答えだった。けれど国王は薬師にクロードを選んだ。つまりそれだけの能力がクロードにはあるのだろう。セシリアはそう思っていた。
セシリアの表情から考えが読み取れたのか、クロードは微苦笑を浮かべた。
「つまりそう言うことさ。誰でもよかったんだ、ルーブ族なら誰でも。ただ、ちょうど俺がそこにいただけ。代わりなんてたくさんいる」
クロードの顔は、どこか諦めを帯びていた。
「でも、やめることは許されないんだ。俺に自由はない。俺は言わば、人質さ」
「…」
「ルーブ族の扱いがこれ以上ひどくならないようにするための人質。…誰でもよかったくせに、そんな重い枷を付けられてるんだよ、俺は」
自嘲的に笑うクロードにセシリアは首を横に振った。
「そんなことないわ!クロード様だからこそ、国王はお選びになったのよ」
クロードは怪訝そうな顔をした。けれどセシリアは続けた。
「だって、クロード様は優しいもの」
「…は?」
想像を超えた言葉にクロードは思わず声を漏らした。その声にセシリアは両頬を持ち上げる。
「私はクロード様ほど、観察眼があるわけじゃないし、視力がよいわけじゃないけど、わかるわ。クロード様は優しい」
「何言ってるんだよ?」
「だって、こんなに毎日、薬を作って。寝る間も惜しんで薬草を取ってきて。勉強して、自分の身体で試して。…ルーブ族の皆さんが素晴らしい薬師でも、そんな風に皆できるわけがないわ。国の薬師に全員がなれるわけがない。…優しくて、思いやりがあって、あなたの薬を使う全員のことを心配できるクロード様だからこそ、なれたのよ」
「…」
「だから自由がないの。だって、あなたしかできないんだもの。でも、それってそんなに窮屈な不自由ではないわ」
「何言って…」
「ねぇ、リディもそう思うでしょう?」
同意を求めるようにセシリアはリディを見た。リディは優しい笑みを返す。
「そうですね。私もそう思いますよ」
クロードは2人の言葉に驚いた。そんな風に言われたのは初めてだった。そんな風に思ったことも考えたこともなかった。自分はただ、ルーブ族への対応がこれ以上悪くならないよう国王の言うことを聞いているだけの存在。誰とでもすぐに交代できる存在だと思っていた。ルーブ族に縛られ、国王に縛られ、それなのに、自分の代わりは五万といる。
セシリアは何も知らない。国王の思惑も、国王とルーブ族とで結ばれた「協力している間は一族に手を出さない」という暗黙の了解も。自分はこの国とルーブ族の均衡を保つための人質に過ぎないのだ。
けれどセシリアは目の前で「そんなことはない」と言う。あまりにもまっすぐな目でそう断言した。
何も知らないくせに。バカみたいだと思った。何も知らない小娘の言葉に、嬉しくなってしまう自分が。必要にされていると言われたことが、自分ではなければならないと言われたことが、それが正しいかどうか関係なくただ、嬉しかった。
「何も知らないくせに」
「ええ。何も知らないわ。でも間違ってないでしょう?」
辛うじてついた悪態は、セシリアには響かなかったらしい。自信満々のドヤ顔にクロードは思わず噴き出した。
「え?何、急に」
「お嬢様、その顔、すっごく笑えるぜ」
「な!失礼よ、レディーに対して!」
「悪かったな」
「悪かったと思うのなら、笑いを止めたらどうなの!」
笑いが止まらないクロードにセシリアは怒気を強める。それもツボにはまったらしく、クロードはさらに笑い出した。
「クロード様!やらなくてはならないことがあるのではないのですか!」
セシリアは怒鳴るようにそう言い、クロードの手にある分厚い本を指さした。
「ああ、これか」
ようやく笑いの収まったクロードはセシリアにも見せるよう少しだけ本の位置を動かした。
「一応調べてるんだ」
「…もしかして、惚れ薬?」
「まあな。でも、性的欲求を促すものはあっても、恋心を抱かせるっていうのは難しい。そもそも恋とは何なのか。それを考えると哲学の問題まで発展する。そうすると薬ではどうしようもなくなるしな」
「なんだかすごく難しそうね」
「…セシリア様」
他人事のように呟くセシリアにリディがいさめるように名前を呼んだ。セシリアは肩を少し上げると、クロードの手にある本を自分の方に寄せる。少しだけ伺うようにクロードの顔を見たが、何も言われないため、そのままゆっくりとページを捲った。
「…綺麗な花」
数枚捲ったところでセシリアは手を止めた。そこには、黄色い小ぶりの花が書かれてあった。
「それ、毒だぜ」
「え?これが?」
思わぬ言葉にセシリアはもう一度その絵を見る。どこかの花壇にあってもおかしくはない綺麗な花だった。「毒…」と思わず口の中でそう言う。敏感な耳が察知したのか、クロードは解説部分を指さした。
「ここに書いてあるだろ?ま、ただ見ている分には問題ないけどな。間違って口に入れると手足が痺れる。量によっては死ぬかもな」
「え?そんなに?」
「ああ。でも、使い方によっては薬にもなる」
「そうなの?」
「ああ。えっと…あ、そう。この花。この花と混ぜると、腹下しに効く薬になる」
クロードが指を指したのは白くふちがピンクで彩られた大ぶりの花だった。こちらもどこかの花壇にあってもおかしくはない綺麗な花である。
「奥が深いんですね」
隣で聞いていたリディが感想を述べた。その感想にセシリアも大きく頷く。それからまたパラパラとページを捲った。
「ねぇ、この花は?この花は何に効くの?」
「ああ、リュナね。これは、満月の夜にしか咲かない花なんだ」
「満月の夜だけ?」
「ああ。詳しいことはわかってないけど、満月の夜の波長とかそういうのが影響してるんだと思う。…これは、……待てよ」
そういうとクロードは本を自分の方に引き寄せた。リュナの載っているそのページを食い入るように見つめる。そして少し考え込むといきなり立ち上がった。本棚に向かい、数冊の本を抱える。それをまた、食い入るように目を通し始めた。真剣な表情にセシリアは小さく笑う。
急にクロードが顔を上げた。その顔はどこか輝いているように見えてセシリアは首を傾げる。
「もしかしたら、もしかするかも」
そう言ってクロードは本の一節を指さした。
「え?」
「だから、作れるかもしれない。惚れ薬」
満面の笑みを浮かべたその顔をセシリアは数秒見つめた。そして、遅れて目を見開く。
「本当に?」
「ああ。と言っても可能性があるってだけだけど」
「…動悸?」
クロードの指が指す文字をセシリアが読み上げた。満足げにクロードが頷く。
「ああ。しかも、注意として書く必要がないほどほんの少しの動悸だ。そして遅行性」
「…クロード様、よく、意味がわからないわ」
セシリアの言葉にクロードはにやりと片頬を持ち上げた。
「惚れ薬を作りたい。けれど、そもそも惚れるとはどういうことなのか。それを考えたらきりがなくなる。でも、一つ言えるのは、惚れるという現象としてドキドキするという身体的な変化が生じる。つまり、動機だ。そうだよな、恋してるメイドさん」
「……どうしてそこで私に振るのですか!」
リディは睨むようにクロードを見た。そんな様子にクロードは肩を少し上げる。
「だってお嬢様、恋したことがないんだからあなたが教えてあげないと」
「……そうですね!想い人と会った時はドキドキしますね」
やけのように語尾を強めてリディが答えた。それに面白そうにクロードは頬を上げて頷く。
「な?」
「…えっと、クロード様、やっぱり意味がわかんない」
「結構ヒント出してると思うけど?」
「だって、わかんないものはわかんないの。どういうことなの?」
「だから、リュナを使って、動悸を起こさせる。つまり、ドキドキさせるんだ。それを恋のドキドキと勘違いさせる。恋していると錯覚させるのさ。遅行性だから薬の影響だと思う可能性は低い」
「それって惚れ薬って言う?」
「言うさ。恋なんて結局は錯覚なんだ。錯覚を信じ込んでいるのが恋」
「夢も何もないのね」
「夢も何もないよ。現実の恋は」
物知り顔で言うクロードにセシリアは少しだけ腹を立てた。どうせ恋なんて知りませんよ、と心の中で悪態をつく。セシリアの気持ちを知ってか知らずか、クロードはさらに笑みを深めた。その表情にセシリアの機嫌はさらに降下する。
「恋を語るなんて、クロード様は恋多きお方なんでしょうね!」
「ま、お嬢様よりは?」
「なっ…!そうよね。当たり前ですわね。きっとクロード様の恋のお相手ならさぞかしお綺麗な方なのでしょう。今度会わせてくださらない?」
引きつる頬を無視して、そう続けた。
精一杯出した強がりは、結局自分を苦しめるだけだった。少し考えれば、思いつくことだった。国王直属の薬師で、端正な顔立ち。ルーブ族という面を差し引いてもお釣りがくるほど、この目の前の人物は魅力的なのだ。セシリアの母が婚約者候補の1人に挙げるほど。
セシリアはなぜか苦しくなって、右手で胸を押さえた。どうして苦しくなるのだろう。目の前の端正な男はただの協力者だ。自分が、母の望んだ人と結婚するための協力者。あともう少ししたら顔を見ることもなくなる人。それでも、他の女性が彼の隣にいる姿を想像すると胸が苦しくて、声が出なかった。突然黙ったセシリアをクロードは少しだけ心配そうな表情で見つめる。
「お嬢様、どうかしたか?」
「…いいえ。なんでもないわ」
「そうか?」
「ええ。…それより、惚れ薬はいつごろできそうなの?」
「えっと…満月まであと7日だから、その次の日にはできると思う」
「満月の夜にしか咲かない花、だったわね。じゃあ、7日後の夜には私も一緒に採りに行くわ」
「は?ダメに決まってるだろ?」
即答するクロードをセシリアは不満そうに見た。
「…どうして?迷惑はかけないわ」
「リュナの生息場所は、ここからまっすぐ行った森の中だ。夜は危険な動物も多い。しかも、近くには崖がある。そんなところにお嬢様を連れてはいけない。足手まといだし。それに、満月だしな」
「…満月だと何がいけないの?」
「え?いや、……こっちの話さ」
「…?」
「とにかく危険ってことだ」
「セシリア様、そう言うことなら私も了承しかねます」
「リディまで…。でも、危険ってことならクロード様もそうでしょう?」
伺うようにセシリアはクロードを見た。そんなセシリアにクロードは首を振る。
「俺は大丈夫だ」
「何よ、それ」
「ルーブ族だから」
「え?」
「知らないはずはないだろう?ルーブ族の身体能力の高さを。それに、動物と会話もできる。基本的に、話し合えば襲ってはこないさ」
空腹以外は、という言葉は心の中で呟くだけにとどめた。それでも心配そうにこちらを見るセシリアにクロードは笑みを浮かべる。
「大丈夫。ちゃんと成功させるよ、惚れ薬。リュナを煎じれば飲めば完成だから。あ、でも、勘違いを起こさせるためのものってだけで、そのあとはお嬢様の努力が必要だからな」
「わかっているわ。…というか、私が心配しているのは惚れ薬ができるかってことじゃあないからね」
「…違うのか?じゃあ、何?」
素の表情でそう返すクロードにセシリアは小さく怒りを覚えた。叫ばないように、しかし怒気を込めて、強く言う。
「あなたのことが心配なの」
「は?」
「…私だってそこまで薄情じゃないんだから」
「いや、だから心配しなくても大丈夫だって」
「大丈夫じゃないわ。ルーブ族の人だって人間でしょう?怪我をすれば痛いし、崖から落ちたら死んでしまう。そうでしょう?」
「そりゃまあ、そうだけど」
「…心配するわ」
「…まいったな」
そう言いクロードは頭をかいた。そんなクロードを見て、セシリアは首を傾げる。クロードは微苦笑を浮かべた。
「心配なんてされたことないから、どんな顔していいかわからない」
「え?」
「俺たちは治癒も早いから、ちょっとくらい怪我しても誰も心配なんてしない。だからなんて言ったらいいか…」
困ったような表情を浮かべるクロードをセシリアはまっすぐ見つめた。そして呆れたように息を吐く。
「クロード様って賢いのにバカなのね」
「は?」
「ありがとうって素直に言えばいいじゃない」
「え?」
「すごく簡単なことよ?子どもだってわかること。『ありがとう』そう言ってもらえれば嬉しいの。ね、リディ?」
「そうですね」
「心配してくれたらありがとう。心配かけたらごめんなさい。それでいいんじゃない?」
「…ありがとう」
恥ずかしそうに頬を染めるクロードにセシリアは大きく頷いた。
「どういたしまして」
その言葉にクロードは小さく笑った。
「ねぇ、何かわかった?」
鍋の中に入った緑色の不気味な液体を注意深く見つめながらセシリアが言った。弱火にかけられているそれは、熱し過ぎてはいけないため、表面をよく観察していなければならない。一番初めの空気の泡ができたらすぐに火を止めるのがセシリアに与えられた仕事だった。
セシリアは以前言ったように、リディと同じ白と黒のメイド服に身を包んでいた。いつもどおりの服でクロードの家まで来て、バスルームを借りて着替えている。
「…何が?」
「何がって、薬」
セシリアの言葉に、クロードは困ったような表情を浮かべた。
「正直さっぱりだな」
「そう」
「……悪いな」
少しだけトーンの下がった声。セシリアはクロードに顔を向けそうになり、慌てて鍋に視線を戻した。声だけで聞く。
「何が?」
「もう一週間も経ってるのに何もわかっていないから」
「だって初めからそう言っていたでしょう?無理を言っているのは私。だからクロード様が謝ることはないよ」
「それはそうだけど」
「…あ!」
突然上がったその声にクロードは思わず顔をセシリアに向けた。セシリアは、火を消し、両頬を上げてクロードを見る。
「ぷくってなったよ。ちゃんと火を止めました」
誇らしげな表情にクロードは小さく笑う。機嫌のよさそうなその態度にセシリアは小さな疑問を聞いてみることにした。
「ねぇ、クロード様って、なんで国王直属の薬師になったの?」
「なんだよ、突然」
「なんとなく気になって」
まっすぐな目がクロードをとらえていた。あまりにもまっすぐで少し居づらく感じる。クロードは視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「…別に理由なんてない。ただ俺がルーブ族だったからだよ」
「どういうこと?」
「もともとルーブ族は山の中で住んでいたから薬草とかの知識が当たり前のものとして根付いてたんだ。ルーブ族の全員が優れた薬師だと言っていい。俺が特別に優れているわけじゃない」
「え?」
「人間って結構いい加減で、毒でも薬だと思えば、治ったり、逆にすごく効果のある薬なのに、毒だと思えば、どんどん症状は悪化していったりする。病は気からってやつだ」
「…?」
クロードの言いたいことがわからず、セシリアは首を傾げた。そんなセシリアを見て、クロードはもう少し言葉を足す。
「お嬢様は、俺が国王直属の薬師だと聞いてどう思った?」
「どうって…」
「ルーブ族なのに、国王直属なんて、それだけ腕がいいんだろうな、そう思わなかったか?」
クロードの言葉にセシリアは口を閉ざした。確かにそうだった。国民の評判を大切にする現国王が選んだのはルーブ族の青年。事実はどうであれ、ルーブ族は蔑視されている。そのルーブ族の青年を国王直属にすれば国民がどう思うか、それは考えればすぐ出てくる答えだった。けれど国王は薬師にクロードを選んだ。つまりそれだけの能力がクロードにはあるのだろう。セシリアはそう思っていた。
セシリアの表情から考えが読み取れたのか、クロードは微苦笑を浮かべた。
「つまりそう言うことさ。誰でもよかったんだ、ルーブ族なら誰でも。ただ、ちょうど俺がそこにいただけ。代わりなんてたくさんいる」
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「でも、やめることは許されないんだ。俺に自由はない。俺は言わば、人質さ」
「…」
「ルーブ族の扱いがこれ以上ひどくならないようにするための人質。…誰でもよかったくせに、そんな重い枷を付けられてるんだよ、俺は」
自嘲的に笑うクロードにセシリアは首を横に振った。
「そんなことないわ!クロード様だからこそ、国王はお選びになったのよ」
クロードは怪訝そうな顔をした。けれどセシリアは続けた。
「だって、クロード様は優しいもの」
「…は?」
想像を超えた言葉にクロードは思わず声を漏らした。その声にセシリアは両頬を持ち上げる。
「私はクロード様ほど、観察眼があるわけじゃないし、視力がよいわけじゃないけど、わかるわ。クロード様は優しい」
「何言ってるんだよ?」
「だって、こんなに毎日、薬を作って。寝る間も惜しんで薬草を取ってきて。勉強して、自分の身体で試して。…ルーブ族の皆さんが素晴らしい薬師でも、そんな風に皆できるわけがないわ。国の薬師に全員がなれるわけがない。…優しくて、思いやりがあって、あなたの薬を使う全員のことを心配できるクロード様だからこそ、なれたのよ」
「…」
「だから自由がないの。だって、あなたしかできないんだもの。でも、それってそんなに窮屈な不自由ではないわ」
「何言って…」
「ねぇ、リディもそう思うでしょう?」
同意を求めるようにセシリアはリディを見た。リディは優しい笑みを返す。
「そうですね。私もそう思いますよ」
クロードは2人の言葉に驚いた。そんな風に言われたのは初めてだった。そんな風に思ったことも考えたこともなかった。自分はただ、ルーブ族への対応がこれ以上悪くならないよう国王の言うことを聞いているだけの存在。誰とでもすぐに交代できる存在だと思っていた。ルーブ族に縛られ、国王に縛られ、それなのに、自分の代わりは五万といる。
セシリアは何も知らない。国王の思惑も、国王とルーブ族とで結ばれた「協力している間は一族に手を出さない」という暗黙の了解も。自分はこの国とルーブ族の均衡を保つための人質に過ぎないのだ。
けれどセシリアは目の前で「そんなことはない」と言う。あまりにもまっすぐな目でそう断言した。
何も知らないくせに。バカみたいだと思った。何も知らない小娘の言葉に、嬉しくなってしまう自分が。必要にされていると言われたことが、自分ではなければならないと言われたことが、それが正しいかどうか関係なくただ、嬉しかった。
「何も知らないくせに」
「ええ。何も知らないわ。でも間違ってないでしょう?」
辛うじてついた悪態は、セシリアには響かなかったらしい。自信満々のドヤ顔にクロードは思わず噴き出した。
「え?何、急に」
「お嬢様、その顔、すっごく笑えるぜ」
「な!失礼よ、レディーに対して!」
「悪かったな」
「悪かったと思うのなら、笑いを止めたらどうなの!」
笑いが止まらないクロードにセシリアは怒気を強める。それもツボにはまったらしく、クロードはさらに笑い出した。
「クロード様!やらなくてはならないことがあるのではないのですか!」
セシリアは怒鳴るようにそう言い、クロードの手にある分厚い本を指さした。
「ああ、これか」
ようやく笑いの収まったクロードはセシリアにも見せるよう少しだけ本の位置を動かした。
「一応調べてるんだ」
「…もしかして、惚れ薬?」
「まあな。でも、性的欲求を促すものはあっても、恋心を抱かせるっていうのは難しい。そもそも恋とは何なのか。それを考えると哲学の問題まで発展する。そうすると薬ではどうしようもなくなるしな」
「なんだかすごく難しそうね」
「…セシリア様」
他人事のように呟くセシリアにリディがいさめるように名前を呼んだ。セシリアは肩を少し上げると、クロードの手にある本を自分の方に寄せる。少しだけ伺うようにクロードの顔を見たが、何も言われないため、そのままゆっくりとページを捲った。
「…綺麗な花」
数枚捲ったところでセシリアは手を止めた。そこには、黄色い小ぶりの花が書かれてあった。
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「え?これが?」
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「ああ。でも、使い方によっては薬にもなる」
「そうなの?」
「ああ。えっと…あ、そう。この花。この花と混ぜると、腹下しに効く薬になる」
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「奥が深いんですね」
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「ねぇ、この花は?この花は何に効くの?」
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「満月の夜だけ?」
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そう言ってクロードは本の一節を指さした。
「え?」
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「本当に?」
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「…動悸?」
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セシリアの言葉にクロードはにやりと片頬を持ち上げた。
「惚れ薬を作りたい。けれど、そもそも惚れるとはどういうことなのか。それを考えたらきりがなくなる。でも、一つ言えるのは、惚れるという現象としてドキドキするという身体的な変化が生じる。つまり、動機だ。そうだよな、恋してるメイドさん」
「……どうしてそこで私に振るのですか!」
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「な?」
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「ま、お嬢様よりは?」
「なっ…!そうよね。当たり前ですわね。きっとクロード様の恋のお相手ならさぞかしお綺麗な方なのでしょう。今度会わせてくださらない?」
引きつる頬を無視して、そう続けた。
精一杯出した強がりは、結局自分を苦しめるだけだった。少し考えれば、思いつくことだった。国王直属の薬師で、端正な顔立ち。ルーブ族という面を差し引いてもお釣りがくるほど、この目の前の人物は魅力的なのだ。セシリアの母が婚約者候補の1人に挙げるほど。
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「…いいえ。なんでもないわ」
「そうか?」
「ええ。…それより、惚れ薬はいつごろできそうなの?」
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「は?ダメに決まってるだろ?」
即答するクロードをセシリアは不満そうに見た。
「…どうして?迷惑はかけないわ」
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「え?いや、……こっちの話さ」
「…?」
「とにかく危険ってことだ」
「セシリア様、そう言うことなら私も了承しかねます」
「リディまで…。でも、危険ってことならクロード様もそうでしょう?」
伺うようにセシリアはクロードを見た。そんなセシリアにクロードは首を振る。
「俺は大丈夫だ」
「何よ、それ」
「ルーブ族だから」
「え?」
「知らないはずはないだろう?ルーブ族の身体能力の高さを。それに、動物と会話もできる。基本的に、話し合えば襲ってはこないさ」
空腹以外は、という言葉は心の中で呟くだけにとどめた。それでも心配そうにこちらを見るセシリアにクロードは笑みを浮かべる。
「大丈夫。ちゃんと成功させるよ、惚れ薬。リュナを煎じれば飲めば完成だから。あ、でも、勘違いを起こさせるためのものってだけで、そのあとはお嬢様の努力が必要だからな」
「わかっているわ。…というか、私が心配しているのは惚れ薬ができるかってことじゃあないからね」
「…違うのか?じゃあ、何?」
素の表情でそう返すクロードにセシリアは小さく怒りを覚えた。叫ばないように、しかし怒気を込めて、強く言う。
「あなたのことが心配なの」
「は?」
「…私だってそこまで薄情じゃないんだから」
「いや、だから心配しなくても大丈夫だって」
「大丈夫じゃないわ。ルーブ族の人だって人間でしょう?怪我をすれば痛いし、崖から落ちたら死んでしまう。そうでしょう?」
「そりゃまあ、そうだけど」
「…心配するわ」
「…まいったな」
そう言いクロードは頭をかいた。そんなクロードを見て、セシリアは首を傾げる。クロードは微苦笑を浮かべた。
「心配なんてされたことないから、どんな顔していいかわからない」
「え?」
「俺たちは治癒も早いから、ちょっとくらい怪我しても誰も心配なんてしない。だからなんて言ったらいいか…」
困ったような表情を浮かべるクロードをセシリアはまっすぐ見つめた。そして呆れたように息を吐く。
「クロード様って賢いのにバカなのね」
「は?」
「ありがとうって素直に言えばいいじゃない」
「え?」
「すごく簡単なことよ?子どもだってわかること。『ありがとう』そう言ってもらえれば嬉しいの。ね、リディ?」
「そうですね」
「心配してくれたらありがとう。心配かけたらごめんなさい。それでいいんじゃない?」
「…ありがとう」
恥ずかしそうに頬を染めるクロードにセシリアは大きく頷いた。
「どういたしまして」
その言葉にクロードは小さく笑った。
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「セレス様、行きましょう」
「ありがとう、リリ」
私はセレス・バートレイ。四歳の頃に母親がなくなり父がしばらく家を留守にしたかと思えば愛人とその子供を連れてきた。私はそれから今までその愛人と子供に虐げられてきた。心が折れそうになった時だってあったが、いつも隣で見守ってきてくれた精霊たちが支えてくれた。
ある日精霊たちはいった。
「あの方が迎えに来る」
カクヨム/なろう様でも連載させていただいております
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