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4 第二王子は
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馬車で連れられたのは大きの宮殿の前。高く頑丈な塀。それを抜ければ、一面の緑が広がった。噴水があり、少し視線を動かせば、手の込んだ薔薇園もあった。
金持ちであるダリムの家に行った時も、サーシャは驚いたが、今回の驚きはその比ではない。さすが王宮。といったところだろうか。この中に、何人の人が住んでいるのか知らないが、きっと、使われていない部屋が多くあるのだろうな、とサーシャは思う。
「サーシャ様、こちらです」
大理石でできた玄関では、豪華なシャンデリアと大きな階段が出迎えた。階段の踊り場の上には、サーシャが両手を広げたほどの大きな絵画。美しい女性が振り返り、こちらを見ている。階段を登れば渡り廊下となっており、別棟にもつながっているのだとハリオが簡単に説明した。スケールの違いに戸惑いながらも、サーシャは一番に気になることを聞くことにした。
「ハリオ様、ユリウス王子はどういう方なのですか?」
サーシャの少しだけ前を歩くハリオは伺うようにちらりとサーシャに視線を向けた。どこか迷いながら、慎重に言葉を選ぶ。
「そうですね、何と言いましょうか…」
「ハリオ様?」
「…王子は、冷たい方、です。でも、それと同時に優しい方です」
「冷たいのに、優しい、ですか」
「矛盾していますか?」
「はい。そう思います」
素直に頷くサーシャにハリオは微苦笑を浮かべた。けれどその目はどこか優しい。
「ユリウス王子の場合、冷たいと優しいは同義なんです」
「どういう意味でしょうか?」
「冷たいから、優しいんです」
ハリオの言葉の意味が分からず、サーシャは首を傾げる。ハリオは理解されないことがわかっているのか、サーシャの反応を気にすることはなかった。
「サーシャ様は王子の噂を聞いたことがありますか?」
「…はい。私ではなく、オースが聞いたのですが」
「オース?ああ、そのスチャの事ですね」
ハリオはサーシャの肩に乗るオースを見た。人にするように軽く会釈する。そんなハリオにオースは一つ声をあげて応えた。
「どんな噂をお聞きになりましたか?」
「…えっと…」
「…第二王子は冷たい、と。そう聞きましたか?」
「…はい」
サーシャはどういう反応をするのが正解かわからなかった。ぎこちなく頷く。そんなサーシャにまたハリオは苦笑を浮かべる。
「噂は本当です。ユリウス様は冷たい。…非情にならなければいけない立場でもあるからです。けれど、傍にいれば、それだけではないことがわかります」
心からそう思っているのだとわかる声色だった。目が優しい。ユリウスのことを大切に思っていることがわかった。
オースが聞いてきた情報とハリオが語るユリウス像は一致しなかった。ならば、自分の目で確かめるしかないとサーシャは歩みに力を入れる。
「こちらです、サーシャ様」
ハリオが止まったのは、大きな扉の前。重量を感じさせる扉の前でサーシャは思わず息を呑む。
「ここが第二王子の部屋ですか?」
「いいえ。ユリウス王子のペットのホワイトライオンの部屋です」
「ライオンの部屋?…え?ライオンの部屋があるのですか?」
「はい。王子のペットなので特別待遇です」
「…」
当たり前のようにそう言うハリオにサーシャは続ける言葉が見つからなかった。小さな声で「そうですか」と言ったが、ハリオに聞こえたかどうか。
「ここでお待ちいただけますか?きっと、王子はこちらにいると思いますので、声をかけてきます」
「こちらの部屋に王子が?」
「ええ。…ホワイトライオンがあまり食事をしなくなってからは、ユリウス王子は心配でいつもこの部屋で過ごしているのです」
「わかりました。こちらでお待ちしております」
サーシャの言葉に頷き、ハリオはノックをする。若い男性の声が入室を促した。それに従い、ハリオは部屋の中に入っていく。急いでいたからなのか、話を聞かせようと思ったのか、扉は少しだけ開いていた。
「ユリウス王子。ただいま、動物と話すことのできる女性を連れてきました」
「…お前、本当に連れてきたのか?」
呆れているのが声だけでわかった。けれどハリオはそのまま続ける。
「ええ。ユリウス王子が、勝手にしろとおっしゃられたので」
「だからって本当に連れてくるやつがあるか。…動物の言葉がわかる?ただの戯言だろう。そうでなければ金欲しさについている卑しい嘘だ」
「サーシャ様はそんな方ではありません」
「どうしてお前にそんなことがわかる?」
「え?」
「会って間もないのだろう?どうしてそう言い切れる?」
「それは…」
『むかつく』
今にも飛び掛かりそうな勢いのオースをまあまあ、と宥める。動物の声がわかる女がいる。そんな噂が流れ始め、きっと多くの人がユリウスと同じように言っているのだろうと思っていた。
実際に耳にするのは気分が悪い。けれどそれだけだった。サーシャが動物の声が聞こえるのは本当の事ではあるが、信じるも信じないもそれは個人の自由である。
「悲しい身の上話でもされたか?それで同情を引くなど、詐欺の常套手段だぞ?」
「そんなことは…」
「仮にもお前は第二王子の側近だ。その自覚を持て」
「サーシャ様はそのようなお方では…」
「まだ言うのか…」
『痛い~~!!』
引き返そうと思った。信じてほしいと懇願することでもない。信じていないならここにいる必要はないと、扉に背を向け、一歩踏み出した時だった。サーシャの耳に大きな声が入る。
『痛い、痛い、痛い、痛い…』
あまりにも悲痛な声に、サーシャは扉に手を伸ばした。無礼を承知で、勢いよく開ける。ハリオともう一人の青年がこちらを向いた。歳はサーシャと同じくらいだろうか。細身だが、筋肉が程よくついている身体。茶色い髪はくせなのか少しカールしており、その下には端正な顔。聡明さがにじみ出る顔立ちだった。
「なんだ、お前は。勝手に入ってきて」
苛立ちを隠さず、青年が言った。碧い瞳が鋭く光る。この人がユリウスだろうとな、とサーシャは足を止めた。
「失礼をお許しください、王子様。しかし、痛いと叫ぶ声が聞こえたので、無礼を承知で中に入らせていただきました」
「そんなこと誰も言っていない」
『痛い、痛い、痛いよ!!』
ユリウスの後ろを見れば、少し距離を開けてホワイトライオンが座っていた。立派なたてがみに体躯だが、まだ生まれて1年か2年といったところだろうか。どこか幼さの残る声で、左前脚を見ながら痛い、痛いと叫んでいる。
「あちらにいるホワイトライオンですが、左前脚に怪我をしているようです」
「…」
「…御存知でしたか?」
「執拗に気にしているのはわかっていたが、威嚇され近づけない」
「私なら、できます」
「…お前がこいつが連れてきた妙な女か」
選別をするような視線が足元からゆっくり上に上がっていく。どこかバカにしたような表情。
「ええ、そうです、王子様。私なら彼の話を聞くことができます」
サーシャの言葉にユリウスは鼻で笑った。
「お前のことなど信用できるか。どうせ金目当てなんだろう?いくら欲しいんだ?」
『こいつ、むかつく!』
「オース!」
またも飛び掛かろうとするオースを叫ぶような声で止めた。けれど気持ちはオースと同じであった。
「では、あなたは彼に何ができますか?」
「なんだと?」
「私なら、彼の声を聞くことができます。何に苦しんでいるかどうしてほしいのか。私なら聞くことができるのです」
そう言って、サーシャはホワイトライオンにゆっくり近づいていく。ホワイトライオンは、首輪をし、柱に繋がれていた。
「おい!」
それでも不用意に近づけば、怪我では済まないかもしれない。どこか焦ったを出すユリウス。けれどサーシャは気にせず尋ねる。
「この子、名前は?」
「は?」
「だから、名前はなんと言うんですか?」
「ない」
「はい?」
「呼ぶときは、ライオンと呼んでる」
「……そうですか。じゃあ、ライね」
サーシャはライと呼ぶことに決めたホワイトライオンの前に立った。機嫌の悪そうな目がサーシャをとらえる。きっと普通の人間なら牙を向けられているところだろう。
『あれ?光ってる?』
驚いたように言った。サーシャは笑みを浮かべる。
「ええ、そうよ。私、あなたと話ができるの。ねぇ、ライって呼んでいい?」
『いいよ。君は、僕の声がわかるんだね』
「そうよ。私はサーシャ。この子は、オースって言うの」
サーシャはオースを紹介した。オースは挨拶に羽を広げて見せる。
「…ねぇ、どうしたの?どうしてご飯を食べないの?」
『左前脚が痛くて食べられないんだ。肉を食べるとき、前脚で押さえるんだけど、痛くてできないんだ。だから、上手く食べられなくて。…どんどん痛くなってる』
「何があったの?」
『この前、庭を歩いたときにこれが刺さったんだ』
そう言ってライは左前脚を少しだけ動かした。痛みが走ったようで唸るような声が聞こえる。その声に反応し、動く雰囲気を後ろに感じた。サーシャはすぐに振り返る。ユリウスとハリオが腰の剣に手を伸ばしていた。首を横に2、3回振ることで動きを止める。そして、また、サーシャはライを見た。
近くで見たライの脚には確かに、小さな釘が刺さっていた。貫通しているわけではないようだが、毛に覆われていない肉球が赤くなっている。
『初めはちょっと痛いだけだったんだ。でも、ちょっと前から、すごく痛いの』
「抜いてみようか?」
『抜けるの?』
「やってみないとわからないけど、触ってもいい?」
『……うん、お願い』
サーシャはライの脚に手を伸ばす。白い毛をかき分けると短い釘がある。軽く触る。ライの表情が歪んだ。
「少しだけ我慢しててね」
ゆっくりと釘を持ち、引き抜く。けれど、深く刺さっているようで、サーシャの力では抜けなかった。痛みに耐えているライに、手を離そうとした時だった。
『痛いよ!!!』
おそらく無意識だっただろう。動物の本能からか、痛みを与える原因となっているサーシャに牙を向けた。頭を噛み切るために広げられた大きな口に、すぐには対応できなかった。
『サーシャ、危ない!!』
オースの叫び声が聞こえた。サーシャは、思わず目を閉じる。
「お前、バカなのか?」
予想した痛みは訪れてこなかった。代わりに聞こえたのはそんな声。
身体が包まれているのを感じた。目を開けば、近くに端正な顔。理解するのに時間がかかった。呆然としているサーシャをユリウスは興味なさそうに、腕から離す。ライの牙が襲い掛かる前、ユリウスがサーシャの左腕を掴み、引き寄せ守ったのだ。
「不用意に近づけば攻撃される。当たり前のことだ」
「……あ、あの…ありがとう…ございました」
頭を下げる。けれど、どうでもいいというようにユリウスを右手を振った。
「あいつ、どうしたんだ?」
「え?」
「だから、ライオン」
ユリウスの視線の先には唸るような声をあげているライ。動かしたため、痛みが増したのか、ライの表情は歪んでいた。サーシャを噛もうとした自覚はないようだ。
『サーシャ!大丈夫?』
必死の形相でオースが飛んできた。そんなオースに手を伸ばし、頭を撫でる。
「大丈夫だよ。ちょっと、考えが甘かったみたい」
『心配した』
「ごめんね」
「おい、質問に答えろ」
苛立ちを隠さない声色にサーシャは怯えることなくまっすぐユリウスを見た。瞳の奥にどこか不安げな色を見つける。ライの事を心配しているのだな、とサーシャは思った。
「私の言葉を信じるのですか?」
「あ?」
「先ほどは、信用できないと。動物の声がわかるなど、戯言だと」
「…」
ユリウスは、ばつが悪そうに下を向いた。
「そ、それは、…お前の言葉に、ライオンが反応しているように、…その、見えたから…」
「サーシャ様、こちらの態度が悪くてすみませんでした。お願いします。教えてください」
ハリオが割り込むようにそう言う。決して主人が口にできないであろう言葉を口にする。頭を下げるハリオの姿に、サーシャは一つ息を吐いた。
「左の前脚に釘が刺さっています。初めは違和感だけだったらしいのですが、痛みが増したようです。食事をするとき、前脚で押さえてものを食べます。けれど、痛くて押さえられず、食べられないそうです」
「釘?そんなものどこで」
「庭を歩いていたら刺さったと言っていました。抜こうとしたのですが、思いのほか深くて、余計痛みが増してしまったようです」
「…」
「王子?」
「…俺が抜く」
「え?」
「ハリオ、こっちにこい。あ、いや、外に控えている近衛兵もあと3人連れて来い。それと、俺の盾を用意しろ。それから、ライオンの口輪も」
「ライ様は口輪は嫌いでは?」
「ライ?」
ユリウスは睨むようにハリオを見る。
「いや、サーシャ様がそう呼んでいたので」
だんだんと小さくなるハリオの声に、ユリウスはわかりやすいため息を一つついた。
「……口輪はこの女がつけさせるだろう。そのくらいの仕事できなきゃ呼んだ意味がない。わかったらさっさといけ」
「かしこまりました」
ハリオは一礼すると部屋から出て行った。
金持ちであるダリムの家に行った時も、サーシャは驚いたが、今回の驚きはその比ではない。さすが王宮。といったところだろうか。この中に、何人の人が住んでいるのか知らないが、きっと、使われていない部屋が多くあるのだろうな、とサーシャは思う。
「サーシャ様、こちらです」
大理石でできた玄関では、豪華なシャンデリアと大きな階段が出迎えた。階段の踊り場の上には、サーシャが両手を広げたほどの大きな絵画。美しい女性が振り返り、こちらを見ている。階段を登れば渡り廊下となっており、別棟にもつながっているのだとハリオが簡単に説明した。スケールの違いに戸惑いながらも、サーシャは一番に気になることを聞くことにした。
「ハリオ様、ユリウス王子はどういう方なのですか?」
サーシャの少しだけ前を歩くハリオは伺うようにちらりとサーシャに視線を向けた。どこか迷いながら、慎重に言葉を選ぶ。
「そうですね、何と言いましょうか…」
「ハリオ様?」
「…王子は、冷たい方、です。でも、それと同時に優しい方です」
「冷たいのに、優しい、ですか」
「矛盾していますか?」
「はい。そう思います」
素直に頷くサーシャにハリオは微苦笑を浮かべた。けれどその目はどこか優しい。
「ユリウス王子の場合、冷たいと優しいは同義なんです」
「どういう意味でしょうか?」
「冷たいから、優しいんです」
ハリオの言葉の意味が分からず、サーシャは首を傾げる。ハリオは理解されないことがわかっているのか、サーシャの反応を気にすることはなかった。
「サーシャ様は王子の噂を聞いたことがありますか?」
「…はい。私ではなく、オースが聞いたのですが」
「オース?ああ、そのスチャの事ですね」
ハリオはサーシャの肩に乗るオースを見た。人にするように軽く会釈する。そんなハリオにオースは一つ声をあげて応えた。
「どんな噂をお聞きになりましたか?」
「…えっと…」
「…第二王子は冷たい、と。そう聞きましたか?」
「…はい」
サーシャはどういう反応をするのが正解かわからなかった。ぎこちなく頷く。そんなサーシャにまたハリオは苦笑を浮かべる。
「噂は本当です。ユリウス様は冷たい。…非情にならなければいけない立場でもあるからです。けれど、傍にいれば、それだけではないことがわかります」
心からそう思っているのだとわかる声色だった。目が優しい。ユリウスのことを大切に思っていることがわかった。
オースが聞いてきた情報とハリオが語るユリウス像は一致しなかった。ならば、自分の目で確かめるしかないとサーシャは歩みに力を入れる。
「こちらです、サーシャ様」
ハリオが止まったのは、大きな扉の前。重量を感じさせる扉の前でサーシャは思わず息を呑む。
「ここが第二王子の部屋ですか?」
「いいえ。ユリウス王子のペットのホワイトライオンの部屋です」
「ライオンの部屋?…え?ライオンの部屋があるのですか?」
「はい。王子のペットなので特別待遇です」
「…」
当たり前のようにそう言うハリオにサーシャは続ける言葉が見つからなかった。小さな声で「そうですか」と言ったが、ハリオに聞こえたかどうか。
「ここでお待ちいただけますか?きっと、王子はこちらにいると思いますので、声をかけてきます」
「こちらの部屋に王子が?」
「ええ。…ホワイトライオンがあまり食事をしなくなってからは、ユリウス王子は心配でいつもこの部屋で過ごしているのです」
「わかりました。こちらでお待ちしております」
サーシャの言葉に頷き、ハリオはノックをする。若い男性の声が入室を促した。それに従い、ハリオは部屋の中に入っていく。急いでいたからなのか、話を聞かせようと思ったのか、扉は少しだけ開いていた。
「ユリウス王子。ただいま、動物と話すことのできる女性を連れてきました」
「…お前、本当に連れてきたのか?」
呆れているのが声だけでわかった。けれどハリオはそのまま続ける。
「ええ。ユリウス王子が、勝手にしろとおっしゃられたので」
「だからって本当に連れてくるやつがあるか。…動物の言葉がわかる?ただの戯言だろう。そうでなければ金欲しさについている卑しい嘘だ」
「サーシャ様はそんな方ではありません」
「どうしてお前にそんなことがわかる?」
「え?」
「会って間もないのだろう?どうしてそう言い切れる?」
「それは…」
『むかつく』
今にも飛び掛かりそうな勢いのオースをまあまあ、と宥める。動物の声がわかる女がいる。そんな噂が流れ始め、きっと多くの人がユリウスと同じように言っているのだろうと思っていた。
実際に耳にするのは気分が悪い。けれどそれだけだった。サーシャが動物の声が聞こえるのは本当の事ではあるが、信じるも信じないもそれは個人の自由である。
「悲しい身の上話でもされたか?それで同情を引くなど、詐欺の常套手段だぞ?」
「そんなことは…」
「仮にもお前は第二王子の側近だ。その自覚を持て」
「サーシャ様はそのようなお方では…」
「まだ言うのか…」
『痛い~~!!』
引き返そうと思った。信じてほしいと懇願することでもない。信じていないならここにいる必要はないと、扉に背を向け、一歩踏み出した時だった。サーシャの耳に大きな声が入る。
『痛い、痛い、痛い、痛い…』
あまりにも悲痛な声に、サーシャは扉に手を伸ばした。無礼を承知で、勢いよく開ける。ハリオともう一人の青年がこちらを向いた。歳はサーシャと同じくらいだろうか。細身だが、筋肉が程よくついている身体。茶色い髪はくせなのか少しカールしており、その下には端正な顔。聡明さがにじみ出る顔立ちだった。
「なんだ、お前は。勝手に入ってきて」
苛立ちを隠さず、青年が言った。碧い瞳が鋭く光る。この人がユリウスだろうとな、とサーシャは足を止めた。
「失礼をお許しください、王子様。しかし、痛いと叫ぶ声が聞こえたので、無礼を承知で中に入らせていただきました」
「そんなこと誰も言っていない」
『痛い、痛い、痛いよ!!』
ユリウスの後ろを見れば、少し距離を開けてホワイトライオンが座っていた。立派なたてがみに体躯だが、まだ生まれて1年か2年といったところだろうか。どこか幼さの残る声で、左前脚を見ながら痛い、痛いと叫んでいる。
「あちらにいるホワイトライオンですが、左前脚に怪我をしているようです」
「…」
「…御存知でしたか?」
「執拗に気にしているのはわかっていたが、威嚇され近づけない」
「私なら、できます」
「…お前がこいつが連れてきた妙な女か」
選別をするような視線が足元からゆっくり上に上がっていく。どこかバカにしたような表情。
「ええ、そうです、王子様。私なら彼の話を聞くことができます」
サーシャの言葉にユリウスは鼻で笑った。
「お前のことなど信用できるか。どうせ金目当てなんだろう?いくら欲しいんだ?」
『こいつ、むかつく!』
「オース!」
またも飛び掛かろうとするオースを叫ぶような声で止めた。けれど気持ちはオースと同じであった。
「では、あなたは彼に何ができますか?」
「なんだと?」
「私なら、彼の声を聞くことができます。何に苦しんでいるかどうしてほしいのか。私なら聞くことができるのです」
そう言って、サーシャはホワイトライオンにゆっくり近づいていく。ホワイトライオンは、首輪をし、柱に繋がれていた。
「おい!」
それでも不用意に近づけば、怪我では済まないかもしれない。どこか焦ったを出すユリウス。けれどサーシャは気にせず尋ねる。
「この子、名前は?」
「は?」
「だから、名前はなんと言うんですか?」
「ない」
「はい?」
「呼ぶときは、ライオンと呼んでる」
「……そうですか。じゃあ、ライね」
サーシャはライと呼ぶことに決めたホワイトライオンの前に立った。機嫌の悪そうな目がサーシャをとらえる。きっと普通の人間なら牙を向けられているところだろう。
『あれ?光ってる?』
驚いたように言った。サーシャは笑みを浮かべる。
「ええ、そうよ。私、あなたと話ができるの。ねぇ、ライって呼んでいい?」
『いいよ。君は、僕の声がわかるんだね』
「そうよ。私はサーシャ。この子は、オースって言うの」
サーシャはオースを紹介した。オースは挨拶に羽を広げて見せる。
「…ねぇ、どうしたの?どうしてご飯を食べないの?」
『左前脚が痛くて食べられないんだ。肉を食べるとき、前脚で押さえるんだけど、痛くてできないんだ。だから、上手く食べられなくて。…どんどん痛くなってる』
「何があったの?」
『この前、庭を歩いたときにこれが刺さったんだ』
そう言ってライは左前脚を少しだけ動かした。痛みが走ったようで唸るような声が聞こえる。その声に反応し、動く雰囲気を後ろに感じた。サーシャはすぐに振り返る。ユリウスとハリオが腰の剣に手を伸ばしていた。首を横に2、3回振ることで動きを止める。そして、また、サーシャはライを見た。
近くで見たライの脚には確かに、小さな釘が刺さっていた。貫通しているわけではないようだが、毛に覆われていない肉球が赤くなっている。
『初めはちょっと痛いだけだったんだ。でも、ちょっと前から、すごく痛いの』
「抜いてみようか?」
『抜けるの?』
「やってみないとわからないけど、触ってもいい?」
『……うん、お願い』
サーシャはライの脚に手を伸ばす。白い毛をかき分けると短い釘がある。軽く触る。ライの表情が歪んだ。
「少しだけ我慢しててね」
ゆっくりと釘を持ち、引き抜く。けれど、深く刺さっているようで、サーシャの力では抜けなかった。痛みに耐えているライに、手を離そうとした時だった。
『痛いよ!!!』
おそらく無意識だっただろう。動物の本能からか、痛みを与える原因となっているサーシャに牙を向けた。頭を噛み切るために広げられた大きな口に、すぐには対応できなかった。
『サーシャ、危ない!!』
オースの叫び声が聞こえた。サーシャは、思わず目を閉じる。
「お前、バカなのか?」
予想した痛みは訪れてこなかった。代わりに聞こえたのはそんな声。
身体が包まれているのを感じた。目を開けば、近くに端正な顔。理解するのに時間がかかった。呆然としているサーシャをユリウスは興味なさそうに、腕から離す。ライの牙が襲い掛かる前、ユリウスがサーシャの左腕を掴み、引き寄せ守ったのだ。
「不用意に近づけば攻撃される。当たり前のことだ」
「……あ、あの…ありがとう…ございました」
頭を下げる。けれど、どうでもいいというようにユリウスを右手を振った。
「あいつ、どうしたんだ?」
「え?」
「だから、ライオン」
ユリウスの視線の先には唸るような声をあげているライ。動かしたため、痛みが増したのか、ライの表情は歪んでいた。サーシャを噛もうとした自覚はないようだ。
『サーシャ!大丈夫?』
必死の形相でオースが飛んできた。そんなオースに手を伸ばし、頭を撫でる。
「大丈夫だよ。ちょっと、考えが甘かったみたい」
『心配した』
「ごめんね」
「おい、質問に答えろ」
苛立ちを隠さない声色にサーシャは怯えることなくまっすぐユリウスを見た。瞳の奥にどこか不安げな色を見つける。ライの事を心配しているのだな、とサーシャは思った。
「私の言葉を信じるのですか?」
「あ?」
「先ほどは、信用できないと。動物の声がわかるなど、戯言だと」
「…」
ユリウスは、ばつが悪そうに下を向いた。
「そ、それは、…お前の言葉に、ライオンが反応しているように、…その、見えたから…」
「サーシャ様、こちらの態度が悪くてすみませんでした。お願いします。教えてください」
ハリオが割り込むようにそう言う。決して主人が口にできないであろう言葉を口にする。頭を下げるハリオの姿に、サーシャは一つ息を吐いた。
「左の前脚に釘が刺さっています。初めは違和感だけだったらしいのですが、痛みが増したようです。食事をするとき、前脚で押さえてものを食べます。けれど、痛くて押さえられず、食べられないそうです」
「釘?そんなものどこで」
「庭を歩いていたら刺さったと言っていました。抜こうとしたのですが、思いのほか深くて、余計痛みが増してしまったようです」
「…」
「王子?」
「…俺が抜く」
「え?」
「ハリオ、こっちにこい。あ、いや、外に控えている近衛兵もあと3人連れて来い。それと、俺の盾を用意しろ。それから、ライオンの口輪も」
「ライ様は口輪は嫌いでは?」
「ライ?」
ユリウスは睨むようにハリオを見る。
「いや、サーシャ様がそう呼んでいたので」
だんだんと小さくなるハリオの声に、ユリウスはわかりやすいため息を一つついた。
「……口輪はこの女がつけさせるだろう。そのくらいの仕事できなきゃ呼んだ意味がない。わかったらさっさといけ」
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