声を聞かせて

はるきりょう

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8 内情

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 扉が閉じられた音が部屋中に広がった。我に返ったサーシャは、蹴り上げるため脚を思い切り上げる。しかし、それはユリウスの左手で簡単に押さえ込まれた。
「蹴るな、バカが。俺は王子だぞ」
「ふざけないでください」
 低い声を出し、睨みつけるサーシャに、ユリウスは意地の悪い笑みを浮かべた。サーシャの脚から手を離す。
「ふざけてなんかない。お前は、第二王子の愛する人だ」
「…」
「残念ながらもう逃げられないぞ。宮中は狭い。噂なんて簡単に広がる」
「ふざけんな、エロ王子」
 サーシャはもう一度ユリウスを蹴ろうとするが、再び止められる。
「だから蹴るな」
「なんで…こんなことするんですか?」
 睨みつけるサーシャにユリウスは少しだけ考えるように口を閉じた。
「…俺のためだ。まあ、一応、お前のためでもある」
「はい?」
「まあ、とりあえず、仕事をしてもらおうか」
「何を言って…」
「ハリオ」
「……はい?」
 どこか放心状態のハリオは、自身の名前を呼ばれてもすぐには反応できなかった。恋愛ごとに免疫がないのだろうか、誰よりも真っ赤な顔をしておろおろしている。
「な、な、何でしょうか?」
 裏返った声に動揺が見て取れる。そんなハリオの様子に、サーシャは自分の心が落ち着いていくのがわかった。自分より動揺している人を見ると、少しだけ冷静になれるのはなぜだろう。
 サーシャは、一つ深呼吸をし、起き上がる。冷静に考えれば、おかしいと気づく。ユリウスの突然の行動には何か理由があるのだろう。それでも許せないことに違いはないが。
 もう一度大きく息を吸い込み、深く吐き出した。ユリウスの出方を待つ。
「…お前にしてはよく空気を読んだな、と思ったが、ただ、反応ができなかっただけか」
「え?」
「ま、いい。ハリオ、噂を流せ。第二王子はこの女に夢中で、何も手につかないと」
「…ユリウス、王子?」
 ユリウスの言葉にハリオは戸惑いを見せた。
「お前が考える必要はない。言われたことだけをやれ」
 理解できていないハリオにそれだけ言い、ユリウスは定位置である机に戻る。姿勢を正し、座った。当たり前のように仕事を始める姿にサーシャは慌ててユリウスの前に立つ。
「こんなことをした理由を教えてください」
「理由?」
「メイドの彼女に私たちの関係を誤解させ、何をしようとしているのですか?そして、私に何をさせようとしているのですか?」
「…理解が早いな」
 ユリウスはにやりと笑う。そんな顔が憎たらしくて、落ち着いたはずのイライラがぶり返した。だから、サーシャは両頬を無理やり、持ち上げる。
「…王子様」
「なんだ?」
「何か事情があることはわかります。けれど、許せないことに変わりはないので、お話しの前に、一発だけ、殴っていいですか?」
「いいわけあるか」
「…サーシャ様、お気持ちは十分わかります。できれば許して差し上げたいのですが、立場上、できないのです。申し訳ありません」
 後ろからそんな声が聞こえた。振り返れば、神妙な顔で頭を下げるハリオ。その姿にサーシャは慌てて首を振る。
「いいえ、ハリオ様が謝ることはありません」
「申し訳ありません」
「ハリオ様、頭をあげてください。悪いのは王子様ですから」
「おい。俺の立場わかっているか?」
「敬ってほしければ、それなり行動をしてください」
「してるつもりだがな」
「どこが。…それより、王子、どうして、こんなことをしたのですか?」
「…さっきも言っただろう?俺のためで、お前のためだ。そして、この国のためでもある」
「国?」
 思いもよらぬ単語に思わず聞き返す。そんなサーシャにユリウスは首を横に振った。
「理由なんてどうでもいいだろ。諦めろ。お前は、もはや第二王子の想い人だ。事実がどうであれ、な」
「なんですか、それ?勝手に巻き込んでおいて。私には、理由くらい聞く権利はあると思いますけど?」
 爆発しそうな怒りを抑えながらそう言った。怒りを怒りとして伝えても真意は伝わらない。だからこそ、冷静に伝える必要がある。そう教えてくれたのはダリムだった。だからこそ、深く息を吸い、ユリウスを真っ直ぐ見る。
 少しだけ考えるようにユリウスもサーシャを見た。そして、諦めたように息を吐く。
「…まあ、確かに、お前にも内情を話しておく必要はあるか。自分の身を守るためにもな」
「どういうことですか?」
「それだけお前が巻き込まれた俺の事情はドロドロ、ってことさ」
 声の調子に深刻さはないのに、ユリウスはどこか遠くを見ているようだった。サーシャは思わず、息を飲み込む。
 ユリウスは静かに物語を語るように自分の事情について説明した。

「知ってのとおり俺は第二王子だ。つまり、第一王子がいる」
「ええ」
「…兄上と俺は腹違いの兄弟だ。兄上は王妃の子、俺は側室の子」
「…」
「俺の母親は、踊り子として宮殿に来たところを国王に見初められた。戯れに一夜を過ごしただけなのに、俺を身篭ってしまった哀れな女だ。母は、踊り子として自由に生きることも、王の側室として、この王宮の中で生きていくこともできない。何の学もなく、ただ、権力者に言われれば簡単に股を開くそんなバカな女だ」
 ユリウスが話しているのが、自分の母親の事だとはサーシャには思えなかった。赤の他人の事でも話しているように、無表情に事実だけを述べている。そんなユリウスがなぜか可哀想に思えた。
「俺と兄上は、半年違いで生まれた。歳は、同じ18。…それがよくなかった」
「え?」
「兄上の母君である王妃様は、公爵貴族出身で、大きな後ろ盾がある。それに、兄上ご自身も頑健な身体に、明るい性格、王になるにふさわしい大きな器を持ち合わせている」
「…」
「けれど、第二王子である俺が同い年だから、俺にも兄上と同様の王位継承権が与えられていると言い出すバカが現れた。国王は、最近病気がちで、どこか気弱になっているのか、後継者を決めようとしている。どこか焦っていると言ってもいい」
「継承者、ですか」
「ああ。順当に行くならもちろん兄上が王位継承者だ。だが、軍事のトップが俺を推し始めたのさ、迷惑なことに」
「第一王子であらせられるクレール様は、平和主義者であり、武術を好みません。剣をまともに振ったことがないのです。それに反して、ユリウス王子は、武術、剣術が得意です。その腕は王子を護衛するはずの兵士たちを上回ります」
 神妙に聞いていたハリオが説明した。サーシャはユリウスを見る。先日のユリウスの立ち振る舞いからも、剣術が優れているだろうことはわかった。
 ハリオの補足に、ユリウスは自嘲的な笑みを浮かべる。
「子供の頃は、この国の情勢なんて、何にもわかっていなかった。だから、国王に認められるために、強くなろうと思った。父親だと聞かされていたのに、話しすらしたことのない国王に認めてもらいたかったんだ」
 淡々と話すその様子に帰って胸が苦しくなる。けれど、ユリウスは表情を変えることなく続けた。
「まあ、どんなに腕を磨いても、声なんてかけてもらえなかったけどな。でも、だから、もっと、もっと、と努力した。そんな結果が、今だ。俺の努力は、この国を危険にさらしただけだった」
 努力した結果が、自分が思い描いていたものとは正反対に動いてしまう。それは、どれほどの苦しみだったであろうか。
「そんなことはありません。ユリウス王子のおかげでこの国の平穏は保たれています!」
 ハリオは叫ぶように反論する。けれどそんなハリオを見るユリウスの目は冷たい。
「俺がもう少し、自分の置かれた状況をきちんと把握していなら、ヴォルス将軍は、俺を担ごうなんてしなかったはずだ」
「それは…」
「…ヴォルス、将軍?」
「はい。近衛兵のトップです。この国の軍事を担っているお方で、…平和主義で、軍事を縮小しようとしているクレール様とたびたび衝突しています」
「いくら今、戦争がないからと言って、軍事の縮小は確かに極端だ。でも、兄上が目指す国は優しい。やり方さえ工夫すれば、この国はもっと良くなる。そんなのはみんなわかっている」
「はい、それは」
「それでも俺を推すのは、俺の後ろ盾となり、俺を操りたいだけだ。国王には兄上がなるべきだし、俺は操り人形なんてまっぴらだ」
 出てくる言葉が今までいた世界とはまったく違うもので、サーシャは言葉を繋ぐことができなかった。ただただ、物語を聞いているように現実感がない。それでも、そんなサーシャを置き去りに、話しは進んでいく。
「俺は、兄上の邪魔をしたくない。だから、お前が必要なんだ」
 大きな目がまっすぐサーシャを見た。ただ、まっすぐに。

 外に吹く風が強さを増したように、窓を揺らした。ガタガタと音を立てるそれが、自分の心のようだな、とサーシャは思った。
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