声を聞かせて

はるきりょう

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12 仲睦まじく

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 湿気を含んだ温かい風がサーシャの髪を揺らした。自身の腕の上から巻かれたユリウスの腕が視線に入る。突然のことにサーシャはわかりやすく動揺した。腕から抜けようと身体を動かす。そんなサーシャの耳元でユリウスが囁いた。
「落ち着け」
 トーンを押さえた声が胸に響く。
「お、おち、…落ち着けるわけ…ないでしょう!」
「いいから動かず、黙って聞け」
「…何がしたいんですか?」
「さっき言っただろう?」
「これのどこが護身術ですか!」
 文句を言おうと振り返る。けれどサーシャの動きは強い力で封じ込まれた。
「いいから黙って聞け」
「こ、こんな体制で、聞けるわけない!!」
 背中から感じられる体温。耳を撫でる息。自分の体温が上がっていくのがわかった。サーシャの頬が徐々に赤く染まっていく。もがくように動くがけれど、びくともしないユリウスの腕。
 ようやく諦めたように動きを止めた。そんなサーシャにユリウスは口を開く。
「ここは空き部屋からよく見える」
「…え?」
「その空き部屋は、執事やメイドが休憩で使っている」
「…どういうことですか?」
「ここの俺たちの行動は、執事たちに丸見えということだ。ついでに兵士の訓練場もここから近い」
 ユリウスの言葉を理解するのに、時間がかかった。頭が懸命に働くが、ユリウスの意図が掴めない。サーシャは一つ大きく息を吸った。そしてゆっくりと吐き出す。
 目の前には先ほどと変わらないきれいな薔薇。その薔薇を一つ、二つ、三つと心の中で数えた。頭がゆっくりだが、回転し出す。薔薇を見つめながらユリウスに聞いた。
「他の人たちにこの光景を見せることにどんな意味が?」
「…冷静だな。いいことだ」
「お褒めに預かり、光栄ですわ。王子様」
 嫌味を込めた言葉にユリウスが小さく笑った。息が耳にかかる。頬がさらに赤くなるのには気づかないふりをする。せっかく落ち着いたはずの鼓動がまた大きく鳴り出したのも知らないふりだ。
「は、早く説明してください」
「ここでくっついていれば、この宮殿で働いている連中に見られるだろう。周りには俺たち2人が仲睦まじく映るだろうな」
「…?」
「だからここで護身術を教えてやる。…周りにはお前が俺から必死に逃げているように映るだろう」
「…意味が分かりません」
 仲睦まじくし、逃げているように映る。正反対の行動の意味が分からず、素直にそう伝えた。理解されるとは思っていなかったのだろう。ユリウスはいつものように「バカだ」ということなく、丁寧に説明した。

 多くの従事者から見えるこの場所で、くっつき、そして逃げる。その相反する行動をすることで、2人の関係性についての認識を曖昧にさせることが狙いだという。
「この宮殿は、いや、この国は今、過渡期にある」
「過渡期?」
「王が変わる」
「…国王が後継者を決めようとしている、のでしたね」
「ああ、そうだ。そして、この国の上層部が二派にわかれている」
「二派?」
「第一王子を推す派と第二王子を推す派だ」
「…」
「けれど、俺は国王になりたくないと公言している。それを本心だと思う者もいれば、嘘だと思う者もいる」
「そのこととこの行動とどう関係が?」
「お前は第二王子の想い人だ。…つまり、お前はどちらにとっても利用価値がある」
「利用価値?」
「第一王子派からすれば、王位を諦めさせるために。第二王子派からすれば、王位を継承させるための道具となり得る」
「…」
「だからこそ、俺たちの仲を曖昧にする必要がある」
「どういう意味ですか?」
「仲がいいのか、悪いのか。お前は俺をどう思っているのか。それをはっきりさせなければ、権力に利用される可能性は下がる。お前を脅すのが正解か、悪事を持ち掛けるのが正解か。混乱させるんだ。お前を利用しようとする奴らを」
 くっついている時には、恋人同士に見え、逃げている時にはユリウスの一方通行に見える。確かに、周りは混乱するだろう。
「…また、利用、ですか」
「ああ。それがお前の仕事だからな」
「…」
「だから、仲睦まじく過ごし、けれど、俺から逃げる術を教えてやる。お前は俺に言われたとおりの事をしろ。別に演技なんかしなくていい。嫌なら嫌な顔をすればいい。下手に演技をする方がばれるからな。お前、演技下手そうだし」
 からかうような笑いが聞こえた。勝手に巻き込んでおいてそんな言い方しかできないのかと腹が立つ。ユリウスが帰してくれさえいれば、国の事情に巻き込まれることもなかったのに。
 けれど自分に触れているユリウスの手が少しだけ震えている気がした。だからだと思う。言いたいことはたくさんあった。けれど、サーシャはそれを自分の腹の中にしまい込んだ。
「……半年だけですからね」
 たっぷり時間をかけてそう言った。
「わかってる。約束は守るさ」
 耳から入ってくるユリウスの声が、急に優しくなった様な気がして、収まったはずの熱が再びぶり返す。
「…ご、護身術」
「なんだ?」
「護身術を早く教えて下さい。家に戻ってからも役に立ちますよね?」
「そうだな。実践に近いものを教えてやるよ」
「お願いします」
「お前、人の急所がどこか、知っているか?」
「知りません」
「急所はいくつかある。まずは、人の顔面だ。鼻に当たれば、出血しやすい。出血すれば相手は一瞬ひるむだろう」
「なるほど」
「それに、顔面は、攻撃された時の心理的なダメージも大きい。あとは、ここ」
 そう言って、ユリウスは右手でサーシャのこめかみを触った。突然の行動に思わず肩が上がる。
「お、王子?」
 けれど、サーシャの動揺に気づかず、ユリウスの説明は続く。
「ここを強打されると平衡感覚が失われる。上手くいけば、失神させることも可能だ。あとは、そうだな、腿もそうだ。強く蹴れば、立てなくすることも可能だ。まあ、一瞬だけどな。でも、逃げる時間は稼げる。あと、そうだな、…蹴るならすねもいい」
「…はい」
「ただ、言うのは簡単だが、やるとなるとなかなか難しい。女の力では高が知れてる。でも、女だからこそ、効果的なこともある」
「…なんですか?」
「もしこんな風に背中から抱きつかれたら、まず、つま先を狙え」
「つま先?」
「そう。つま先をかかとで思いっきり踏むんだ。その尖ったヒールが役に立つ」
 サーシャは顔だけ動かし、自分のヒールを見た。サーシャの靴は年頃の娘たちに比べ、そこまで高くなく、細くない。
「お前の靴のヒールくらいがちょうどいい。ある程度体重もかけられて、幅も広い。つま先への攻撃は、相手からしたら奇襲だから、思わず腕が緩む可能性が高い。その隙に腕から逃げ出す」
「なるほど」
「腕から抜け出したらすぐに、思い切り肩を押せ。そうすれば、尻もちをつかせることもできる」
「…」
「相手がこけているうちに逃げろ。相手が男なら金玉を蹴れば効果的だ」
「そうですか。…思い切り押せばいいんですね」
 サーシャは視線でユリウスのつま先を確認した。なるほど、これを踏めばいいのかと動きを一度頭の中で確認する。
「王子様?」
「なんだ?」
 サーシャはにこりと笑った。そして、右足を思い切り持ち上げる。ユリウスの右足のつま先にめがけて一気に落とした。
「―――っ!」
 ちょうどいい幅のヒールがユリウスのつま先を襲う。突然のサーシャの行動に、ユリウスは痛みで表情を歪めた。サーシャに回っていた腕が緩む。背中を丸くして自分のつま先を押さえた。
 サーシャは一歩離れ、すぐに後ろを振り帰る。片足立ちになっているユリウスの肩を両手で押した。バランスを崩したユリウスは、簡単によろけ、どしりと音を立て、尻もちをつく。
「本当ですね、王子様」
 高い可愛らしい声で言った。そんなサーシャをユリウスは睨む。
「お前な!」
「私、言いましたよね」
「あ?」
「自分の思い通りになると思うな、と」
 サーシャは満面の笑みをユリウスに向けた。
「王子様の教えを実践してみましたの。上手にできました?」
「…」
 なんとも言えない表情のユリウス。そんな様子に声を出して笑い出すのを必死で堪え、サーシャは手を差し出した。そんなサーシャの手を振り払い、ユリウスは自ら立ち上がった。服の裾に土がついている。舌打ちをしながら、それを払う。そんなユリウスの様子にサーシャは、耐え切れず小さく噴き出した。
「笑うな」
「だって、王子。面白いから」
「面白くない」
 低い声だった。驚くほど怖くはない。
「いいじゃないですか。王子の教え方が上手かったってことですよ」
「なら、良かった」
「王子、拗ねないでくださいよ」
「拗ねてない」
 ふと、上から視線を感じた。サーシャは左上に視線を向ける。窓から執事やメイドがこちらを見ているのが見えた。あそこが先ほどユリウスが言っていた部屋なのだろう。
「見過ぎるなよ」
「…はい」
「帰るぞ」
「もう、ですか?」
「とりあえず、当初の目的は果たした。お前は覚えがいいみたいだしな」
「まだ拗ねてるんですか?」
「拗ねてない。…雨が降りそうだ」
 ユリウスにつられるようにサーシャも空を見上げた。確かに、先ほどより、暗さが増している。風に含まれる湿気も多くなっている気がした。
「さあ、今度は、仲睦まじく、だ」
「はい?」
 疑問を浮かべるサーシャの腕をユリウスは掴んだ。思わず自分の方に引こうとするが、思いのほか力が強い。
「な、何するんですか?」
「いいから、帰るぞ。お前は、こっちの方がおとなしいな」
 先ほどの仕返しだろうか。からかうような口調に、サーシャはどうしていいかわからなくなる。
 何度か、手を引くが、けれどやはり外れない。サーシャは諦めたように腕の力を抜いた。そのままユリウスは歩みを進める。つられるようにサーシャも足を前に動かした。
『サーシャ、ただいま!!…あれ?』
「オース、お帰り」
『…どうしたの?それ』
 手を繋いでいる2人を見て、オースが当然の疑問を口にする。サーシャはどう説明しようか迷って、一つ息を吐く。苦笑を浮かべて、完結に応えた。
「仲睦まじく、してるみたい」
 首を傾げるオースと小さく噴き出すユリウスに、サーシャはどんな感情を抱けばいいかわからず、苦笑を浮かべ続けた。
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