声を聞かせて

はるきりょう

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13 第二王子を好きな人

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『なんか、大変だね』
 ベージュ色のソファーの端に止まったオースは他人事のようにそう言った。部屋に戻ったサーシャは愚痴とともに、今日の出来事をオースに事細かく説明したのだ。
 オースの態度にサーシャは睨むように目を細める。
『そんな顔したってしょうがないじゃないか。僕にはこれしか言えないよ』
「わかってるけどさ…」
『いいじゃないか。尻もちつかせたんだろう?』
「まあ、それは気分がよかったかな」
 ユリウスの驚いた表情を思い出してくすりと笑う。
『それに、これからも護身術、教えてくれるんだよね?』
「うん。それに、今度、剣術も教えてくれるって」
『剣術?』
「そう。護身用に短剣を持った方がいいって。でも、本当に切り札だから、人に見られないために、部屋で教えてくれるみたい。さすがに2人きりで扉を閉めて長い間いることもできないから、ハリオ様も呼ぶって」
『ハリオも来るのか』
「うん。ハリオ様がいてくれると安心だよね」
『サーシャは、ハリオの事は信頼してるんだね』
「だって、本当にいい人だし。オースもいい人って言ってたでしょう」
『まあね』
「だからだよ」
『じゃあ、ユリウスは?』
 どこか伺うようなオースに、サーシャはなぜか即答できなかった。腹が立つことは多い。けれど、「悪い人」ではない気がする。「嫌い」とも違う気がした。
「…何とも言えないかな」
 この王宮にいる大半の時間をユリウスと過ごしている。少しだけだが人となりも知ってきたと思っている。けれど、何か隠されている気がした。本当のユリウスがサーシャにはわからない。だから、素直にそう答えた。知りたい気もする。けれど、知るのが怖い気もしている。
『…悪い人じゃないよ』
「え?」
『だから、ユリウスは悪い人じゃないよ』
「え、でも、オース嫌いって言ってたよね?」
 サーシャの言葉にオースはバツが悪そうに小さく頷いた。
『あの時は噂だけだったから。でも、直接会ってみて、そう思ったんだ』
「なんでそう言えるの?」
『勘さ』
「また、勘か」
『前から一緒にいるライだって、いい人って言ってたし』
「まあね」
『それに、サーシャだってそう思うんだろう?』
 確かにそうだ。口は悪いが、身を挺して守ってくれた。妙なものに巻き込まれたが、過保護なくらい気にしてくれている。けれど、素直に頷くのは、悔しい気がし、サーシャは否定も肯定もしなった。

 コンコン。突然、扉を叩く音が耳に入る。この宮殿に住んでしばらく経つが、そんなことは初めてだった。ユリウスが用があるなら部屋の続き戸を叩くはずだ。サーシャの肩が思わず上がる。
「…誰ですか?」
「サーシャさん、私。マルカよ」
「マルカさん?」
 警戒心むき出しのサーシャとは裏腹の明るい声。知った名前とその声にサーシャはゆっくりと扉を開けた。笑顔のマルカがそこにいた。突然のことに、サーシャは首を傾げる。
「どうしたの?何か手伝うこと?」
「ううん。違うの。今日の仕事は終わったから、サーシャさんと話したいって思って」
 来ちゃった、と笑みを浮かべる。人懐っこいその笑顔に、サーシャもつられて笑みを浮かべた。
「そうなんだ。あ、良かったら、中にど…」
『誰、この人』
 サーシャの言葉を遮るようにオースが言った。ソファーから飛び立ち、マルカの目の前を横切る。
「きゃっ!」
 突然の出来事に、マルカの口から小さな悲鳴が漏れた。サーシャは慌てて『オース!』と叱るように叫ぶ。そして、マルカに頭を下げた。
「…ごめんね、マルカさん。もう、オース何してるの!」
「オース?」
 部屋の中をくるくると飛び回るオースを視線で追いながらマルカは一歩後ずさる。
「驚かせてごめんね。スチャのオースよ。私の友達なの」
「とも、だち?」
「うん。マルカさんを見るのはじめてだから、オースもびっくりしたんだと思う。ごめんね」
「友達なの?」
「うん。そうだよ」
「鳥なのに?」
「え?」
「鳥が友達なの?」
「あ、…うん。そうだよ」
「…そう」
 一歩引いた反応にサーシャはどうすればいいかわからなかった。オースも威嚇した態度を崩さない。
「えっと…もしかして、鳥が苦手?」
「そうね。好きではないかな」
「そっか。そういう人もいるよね。あ~、えっと…オース、ごめん。ちょっとだけ、外に出てもらってもいい?」
 マルカの反応に、サーシャはオースを見てそう言った。動物が家族であるサーシャには理解できないことだが、動物が苦手な人は一定数いる。
 両手を合わせて右目を閉じる。オースは観察するようにマルカを見て、翼を動かすと、部屋にある一番高い棚の上に止まった。
「オース?」
『外は雨が降ってるもん、嫌だよ。大丈夫、ここでおとなしくしてるから』
「でも、雨が降ってても、いつも外の巣で寝てるじゃない」
『今日は嫌なの。寒くなりそうだし』
「そうなの?」
『うん。僕にはわかるんだよ。だから、ここにいる』
「…」
『もうさっきみたいなことはしないから、ここにいてもいいだろ?』
 そう言われると、頷くことしかできなかった。何か考えがあるのかもしれない、と長年の経験から思う。
「わかったよ。無理言ってごめんね」
『別に、サーシャが謝ることじゃないよ』
「…マルカさん、ごめんね。外は雨が降っているから出たくないみたい。オースも反省しているみたいだから許してあげて。あそこから動かないっていうからさ」
 そう言いながら右手を出して、中に入るように促した。マルカも頷いて中に入り、ファーに座る。その隣にサーシャも座った。
「いいの、いいの。私こそ、ごめんなさい。驚いちゃって。気を遣ってくれてありがとう」
「ううん。驚かせてごめんね」
「大丈夫よ。それより、サーシャさんって本当に、動物と話せるのね」
「ええ、そうよ」
「昔からそうなの?」
「11歳の時から急に声が聞こえるようになったの。その時からいつも傍にいてくれるのがオースなんだ」
「へぇ~、すごいね」
 感嘆の声をあげるマルカにサーシャは首を横に振った。
「すごくなんかないわ。ただ、話ができるだけだもの。言葉が聞こえなくとも、動物と繋がっている人はたくさんいるわ。そんな人たちの方がよっぽどすごいと思うの」
「ええ~、そうかな?動物と話せるってすごいことだと思うけどな~。便利そうだし」
 便利、という言葉に反応する。否定の言葉を言おうとしたが、悪気がないのだろうなと思い、サーシャは一つ息を吸うだけにとどめた。
 話題を変えようと頬を持ち上げる。
「ねぇ、マルカさん、話って何だったの?」
「あ、そうそう。何かこれって、話があるわけじゃないんだけどね。ほら、私たち、今日、友達になったばかりでしょう?だから、お互いの事を知っておきたいなと思ったの。迷惑だった?」
「そんなことないわ。私ももっと話してみたいと思っていたもの」
「本当に!嬉しい」
 手を合わせ、笑みを浮かべる。そんなマルカにサーシャの顔にも笑みが浮かんだ。
「じゃあ、何から話そうか。その、…私、今まで同年代の友達っていたことなくて、何を話したらいいか分からないの」
「う~ん、そうだな…、初めは、共通点について話すと話しやすいと思うよ」
「共通点?」
「うん、そう。…私たちの共通点って…ユリウス王子かしら?」
「え?」
「ほら、今まで私はユリウス王子のお世話をしていたし、今はサーシャさんがユリウス王子のお世話をしているでしょう」
「確かにそうだけど、私、マルカさんと話ができるほど王子のこと知らないよ」
「そうなの?」
「うん。事情があってここに残ってるだけだから。噂にあるような王子と恋仲でもないし」
「え、でも、その…この前のは…?」
 伺うような視線。「この前」とは、ユリウスに押し倒されたあの事件の事だ。そう言えば、マルカに目撃されていたなと思い出し、勢いよく首を横に振る。
「ちがうの!あれは違くて、えっと…そう!王子が、ハリオ様をからかってたの。ハリオ様、恋愛事に疎くて、すぐに真っ赤になるから、面白いって!」
「…そう、なの?」
「そうなの!ほら、私を、王子の許可なく連れてきたでしょ?その…お仕置き、みたいな?」
「…そう、なんだ。そっか…そうだよね、なんかあるわけないよね。…うん」
 どこか自分の言い聞かせるようにそう呟く。そして、嬉しそう小さく笑みを浮かべた。安心したような表情。可愛らしい顔が、さらに可愛くなった。
「…もしかして、マルカさんって…王子の事が好きなの?」
 今までサーシャは同年代と関わることが少なかった。関わったお客は四半世紀以上年の離れた人ばかりだ。色恋の話など出てこない。動物たちの恋の話はよく聞くが、人間の恋とは大きく違う。だから、サーシャは人間の恋愛事には疎い自信があった。けれど、そんなサーシャにもわかるほどマルカの反応はわかりやすい。
「な、な、な、何言ってるの!そ、そんなわけ、ないよ」
 顔を真っ赤に染め、どもりながらの否定に説得力はない。可愛いなと思った。それと同時に感じたのは、小さな胸の痛み。右手で左胸を押さえてみる。もう痛みはなく、感じたのは動く鼓動だけ。どうしたのだろうか、そう思いながら、サーシャは自分の胸を見る。
「ねぇ、でも、それなら、どうしてユリウス王子は、サーシャさんをこの宮殿に残しているの?」
「え?」
「だって、そうでしょう?メイドの部屋じゃなくて、自分の隣の部屋まで与えてまで残しているのはなんでなのかな?この部屋は本来、王子の婚約者が住む場所なのよ」
「そう、なの?」
 初めて聞かされた事実に、思わずサーシャは部屋の中を見渡す。ベージュ色の大きなソファーに天蓋付きの触り心地の良いベッド。赤と白のアラベスク模様の絨毯は見るからに高級品だ。そんなにすごい部屋だったのか、と他人事のように思う。
「だから、みんな勘違いしているの。サーシャさんはユリウス王子の想い人だって」
「そうなんだ」
「そんなわけないのにね」
 なるほど、とサーシャは思った。ここに住まわせること自体も作戦だったのか、と。横を見れば、マルカがサーシャの言葉を待っている。期待と不安を混ぜ合わせた様な表情。
 ユリウスの置かれた事情を説明するわけにもいかず、頭を悩ませる。さまようように、もう一度、部屋を見渡した。高い本棚の上で毛づくろいをするオースの姿を見つけて、サーシャはマルカに視線を戻す。
「…私が、動物の声が聞こえるからよ」
「え?…どういうこと?」
「さっきマルカさんも言ったでしょ、便利って」
「うん」
「本当は、便利なんかじゃないのよ。動物たちと友達になれるだけで、従わせることなんてできないのよ」
「そうなの?」
「ええ。でも、勘違いをする人もいる。その中には、悪い人たちだっているかもしれないの」
「確かに、そういう人もいるかもしれないね」
「だから、よ」
「だから?」
「そう。王子は心配してくれたの。悪い人に利用されないように」
 とっさにそんな言葉が口から出た。それはただの嘘だった。サーシャの説明にマルカが納得したように頷く。そんな様子にサーシャは安心した。だけど、なぜかどこかに引っかかりを感じた。
「サーシャさん?」
 浮かぶ違和感にサーシャは考え込むように口を閉じた。そんなサーシャの名をマルカが呼ぶ。
「え?」
「どうしたの?何か考え事?」
「…ううん。何でもないの」
「そう?」
「そうよ。だから、今、言ったとおり、王子は私の事を保護してくれているだけで、何もないから。だから、マルカさんは安心して」
「え?」
「王子と何もないわ」
「え、いや…別に私は…」
 マルカの頬が再び赤く染まる。そんなマルカがより可愛く見えた。
 人を好きになるとは、こういうことなのだなとサーシャは思う。可愛い人が、さらに可愛くなる魔法のようなものなのだ。
「あ、そ、そうだ!サーシャさんってユリウス王子のことあまり知らないって言ったよね?」
「え?あ、うん」
「じゃあ、私が教えてあげるよ」
「え?」
「ユリウス王子をお世話する上で、知っておいた方がいいこともあるかもしれないし!」
 マルカは声を弾ませた。どこか嬉しそうなマルカの顔に、提案を無碍にすることもできず、サーシャは微苦笑を浮かべながら話を聞いた。
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