私を忘れたはずの王子様に身分差溺愛されています

瀬月 ゆな

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カイル視点の前日譚

王子様の七年間

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 転機が訪れたのは、十三歳の時だった。

 カイルが生まれて間もない頃、ハプスグラネダ領の一部が管理が出来ないからと王家へと売却されていたことを知ったのだ。
 そして保養地にする計画も立てられていたらしいが、結果として今まで手つかずであったらしい。

 それを知ったカイルはすぐさま計画を再開するべきだと進言した。
 ハプスグラネダ領は小さい領土ながら緑豊かで、生産業の成長も近年特に著しい。かつては王族との婚姻もあったと言うし、親交を深める絶好の機会だろうと。

 たかが十三歳のカイルの下心を両親である国王夫妻は簡単に見抜いていた。しかしそれとは別に良い取り引きであることも事実だった。
 そうして丘を整備して王家の別邸を建てる計画は再び進められることになり、国王はさらにカイルが成人し、なおかつ特定の条件を満たせば譲渡すると約束した。

 条件というのは他でもない。
 成人を迎えるまでにハプスグラネダ伯爵家の令嬢と結婚すること。それだけだ。

 ようやく目的地が見えはじめて、それがカイルの日常をさらに忙しいものにする。
 あと七年と、明確なタイムリミットが切られた。だが実際に使える時間はそれよりももっと短い。

 ハプスグラネダ領に行き彼女と想いを重ね合わせる為に、カイルは本来なら二十二歳で終わるはずの最高学府での学問を習得する必要があった。
 もちろんそれだけではなく、いつか捨てることになる王族としての膨大な知識だって身につけなければならない。
 逆に言えば、それさえ済ませれば王都にいなければいけない理由はなくなった。

 何よりもカイルを追い立てるのは、彼女が他の誰かのものになってしまうかもしれないということだ。

 幸い、これまで彼女に縁談を持ちかける貴族はいなかった。
 だが年頃になって行くこれからは分からない。
 ハプスグラネダ領の一部を王家が利用すると知れば、その土地の有用性に目をつける貴族が出ないとも限らなかった。

 それに、もしも……彼女が自分の意思で誰かと恋に落ちていたら。

 夜会でハプスグラネダ家の案内役を務めたディアスを自分付きの護衛に指定してから、その時の彼女の話を色々と聞き出した。
 ディアスが接したのは短い時間だったが、そんな中でも彼女の印象は明るく、はにかみ屋だったという。
 「小さなレディ」と呼べば恥ずかしそうに微笑み、少女らしい愛らしさに溢れていたと。

 あの笑顔を見たカイルだって、本来の彼女は無邪気な笑顔を浮かべると知っている。
 傍にいたら、きっと優しい気持ちになれるということも。
 異性から、愛しくて守りたいと思われる存在だということも。

 カイルは首を振り、最悪の予想を必死に追い払う。

 大丈夫だ。
 何一つ根拠のない否定を繰り返すしかできなかった。



「カイル王子、よろしかったらこちらをご覧になりますか」

 そう言ってディアスが差し出したのは、何の変哲もない数冊のファイルだった。
 カイルが訝しげな眼を向けると、ディアスは適当にページをめくって中を見せる。

「ハプスグラネダ領で週に二度発行されている新聞をまとめたものです。四か月に一度、王都に検閲の為に持ち込まれているのだとか」
 
 それからカイルはファイルにまとめられる度に目を通すようになった。
 領地全体の新聞だから、アリシアに関することが載っている方が圧倒的に少ないし、その内容もカイルには良く分からないものばかりだ。

 だがある日、アリシアが温室で苺を育てはじめたという記事を見つけた。
 久々に得られた彼女の情報はそれだけだったが、カイルは何度もその記事を読んだ。

 彼女はどんな苺を育てているのだろう。
 楽しんでいるのだろうか。
 困っていることはないのだろうか。
 何か、手伝えることは。

 瑞々しい小さな赤い果実は彼女のイメージに似合っているようだった。



 ただ彼女のことだけを想い、気の遠くなるような月日を経て、ようやくカイルが自由を得たのは十九になる年の春先のことだ。
 いよいよハプスグラネダ領へと向かう朝、ディアスから話を聞いたのかエレナも見送りに来た。
 エレナはその細い顎をつんと上げ、さも高慢そうに腕を組んでカイルを見やる。

「私から一年もディアスを奪うのだから、しくじったら一生許さないわ。絶対にお姫様を連れて帰って来なさいな」
「彼女を王都に連れて帰っては来ないけど、しくじらないよ」
「え?」

 カイルの返事は全くの想定外だったのだろう。澄ました顔が一瞬崩れて年相応の表情になる。

 三日前、一足先にハプスグラネダ領に向かったディアスは、エレナにそこまで話してはいなかったのか。
 もっとも話したところでカイルの意思が変わるわけでもないし、ディアスがその後どうするかはディアス本人が決めることだ。
 王都に戻りたいのであれば、そう計らうつもりはある。

「俺も向こうに残るから、王都に一緒に来ることはあっても連れて帰っては来ない」
「あらそうなの。一緒に暮らすビジョンまで立てていらっしゃるとか、ずいぶん自信がおありなのね」

 何もなかったようにいつもの表情に戻ったエレナに、カイルは唇の端を上げて答えた。

「当たり前だろう。その為に七年も時間をかけたんだ」
「それもそうでしたわね。相変わらず、すごい執念ですこと」

 なるほど確かに、カイルのそれは執念なのかもしれない。
 あのわずかな時間でカイルは彼女のこと以外は何も考えられなくなってしまった。
 言葉にしきれない感情だけが、彼女を思う度にカイルを支配していた。

 だが、その想いを執念と言うのならお互い様だ。
 たとえ報われなかったとしても、他の誰かに同等かそれ以上の強い感情を抱くことはできない。
 もう全てを捧げた。
 望むならいくらでも差し出す覚悟もできている。

「俺にとっては最初で最後の恋だからね。……君にとっても、そうだろう」

 エレナは、カイルにそれも執念だと言われた自らの想いを噛みしめるように美しく笑った。

「当たり前よ。私が何年、彼だけを見て来たと思っていらっしゃるの。今さら、みすみすと他の女になんか奪われてなるものですか」

 そうして、ふと一瞬だけ視線を前方に――彼女の想い人が三日前に通った道へ――向け、カイルを見上げる。

「今は私のことは別にいいわ。今後の報告次第では、あなたの可愛いお姫様に会いに行って差し上げてよ」
「ああ、彼女と一緒に待ってる」
「ご武運を」

 エレナは白馬に跨ったカイルに、まるで戦に赴く兵士にかけるような言葉を告げ、扇子で優雅に口元を煽った。


 この場所に彼女が住んでいる。
 王都とは何もかもが違って見える風景はあの日、彼女を初めて見た時に大木の妖精が現れたかのような錯覚を覚えたことを思い起こさせた。

 簡素な地図を手に、彼女の家へと向かう。
 辿り着いたそこは領主の屋敷にしてはいささか頼りない気もしたが、彼女の家だと思えばその控え目な佇まいも特別な物となるのだから不思議な話だ。
 今は家にいるだろうか。呼び鈴を探す為に門扉に視線を移したその時、向こう側から一人の少女が歩いて来るのが視界の隅に見えた。

(あの子だ)

 少女もカイルに気がついたらしい。足を止めて、自分の家の前に立つカイルの姿に首を傾げる。

 七年前とは逆に、彼女から誰何すいかの声がかけられた。
 警戒心を隠し切れずにわずかな怯えを含んだ、けれど優しい声音はカイルの背を歓喜に震わせる。
 カイルは七年振りに会う、七年間も恋い焦がれた彼のお姫様を見つめた。

 七年の間に飽きることなく何度も思い返した顔立ちは、カイルの記憶にあるそれとあまり変わってはいなかった。でも、少しだけ大人びて綺麗になった気がする。
 榛色をした長い髪もそのままで、緩やかに風になびいていた。さらさらと流れるそれを撫でたら、彼女はどんな顔をするのだろう。

 今度はたくさん優しくする。
 とろけてなくなってしまうくらいにたくさん甘やかす。

 だから……どうかたくさん、カイルに笑いかけて欲しい。

 すでに知っている名前を呼びたくなるのをこらえ、カイルは口を開いた。


「初めまして」

 ――俺のたった一人のお姫様。
 最初の出会いからやり直す為に、君にずっと、会いたかった。

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