私を忘れたはずの王子様に身分差溺愛されています

瀬月 ゆな

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1巻

1-3

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「すみません、失礼してもよろしいでしょうか」
「どうぞ」

 軽くノックをしてから詰め所の扉を薄く開けて中を窺うと、持ち場の見回りが終わったのか先程の衛兵がいた。
 アリシアと目が合うと優しく笑って近寄って来る。暖かい笑顔は未だ緊張したままのアリシアの心をそっと包み、溶かしてくれるようだった。当然の反応だけれど、衛兵は見送ってからの短時間でぼろぼろになったアリシアのドレスを見て目を丸くする。

「どうされたのですか。どこかお怪我でも」
「いえ、あまりにも立派な木があったから見惚れて転んでしまって……」

 アリシアは心配そうな面持ちで尋ねる衛兵に嘘をついて誤魔化した。
 転んだ直接の理由ではなくても、木に見惚れたこと自体は嘘ではない。これくらいの嘘なら許してもらえるだろう。
 ついでに、さもはしゃぎ疲れたと言わんばかりにわざと元気のない演技をしてみせた。
 そんなもので自分よりずっと大人な人々を誤魔化しきれるとも思えないけれど、舞踏会を欠席することになった際に証人になってもらう為だ。

(でも、さすがに嘘だと思われるかしら)

 アリシアは気まずさを抱えながら衛兵を見上げた。不安げな視線を受けた衛兵は嘘を信じてくれたのか、信じたふりをしてくれたのか、どちらにしても優しい微笑みを返してくれる。

「それでは客室へと戻りましょうか。先程のお約束通り、私がご案内致します」
「あ……お願いします」

 初対面でも親切な、人の良い衛兵を騙すようでいささか良心が痛むがしょうがない。せめてもの罪滅ぼしとなるのかは分からないけれど、何かの機会があったら衛兵がとても良い対応だったと、両親から近衛団長に伝わるよう計らってもらおうと思う。

「お部屋に到着致しました」
「ありがとうございます。助かりました」

 そうして部屋に戻ると、家族はまだ誰も戻って来てはいなかった。アリシアとて本来ならもっと時間をかけて庭園の隅々を散策するつもりでいたのだから無理もない。
 でも、王城で開かれる舞踏会に招かれた貴族の娘が土で汚れ、なおかつ裾の裂けたドレスを着て平然と庭園を歩いているなど、他の貴族に知られたら大問題になるだろう。ハプスグラネダ家だけでなく王家の品格に傷がつく。
 アリシアもそれが分からないほど子供ではない。厳しい言い方だったし認めるのは正直な気持ち少し癪ではあるけれど、王子の言わんとすることは正しいのだ。
 一人きりの部屋の中をあてもなくうろつく。部屋に飾られた絵画やアンティークと思しき調度品の数々を価値も良く分からないまま鑑賞し、それから中央付近に置かれた革張りの二人がけソファーに深く腰を下ろした。

「――どうしよう」

 両親には正直に話すべきだろうか。王子には名前を聞かれなかったしアリシアも名乗らなかった。今はまだハプスグラネダ家の娘だとばれてはいなくても、身元が割れればまず間違いなく家に迷惑をかけてしまうだろう。
 だけど、その場では不問としたことを後になってわざわざ調べるとも思えない。アリシアの希望的観測と言えばそれまでだけれど、あの王子もそんなに暇ではない気がする。
 どちらにしろ、一人で悶々と考えていても埒が明かない。
 とりあえずそういう悪い可能性もあると心に留めるだけにして、アリシアは家族の帰りを待った。


 太陽が西に差し掛かった頃、両親と兄は一緒に戻って来た。

「まあ、そのドレスはどうしたの、アリシア」
「ごめんなさい、お母さん。中庭の庭園があまりにも綺麗だったから、見ながら歩いてたらよそ見をしすぎて転んでしまったの」

 出迎えたアリシアの姿は家族にも驚かれたけれど、好奇心が強くお転婆な娘は初めて行く王城だろうと――初めての王城だからこそ――おとなしくしているわけがないと母は見越していたらしい。
 家から用意していた余り布とレースのおかげでドレスは完全に元通り、とは行かないまでも人前に出られる程度には修復された。
 さすがの母の読みと手腕に感嘆しながらも、アリシアは内心ひどくがっかりする。土壇場になって舞踏会を欠席するなどということはどうあってもできないらしい。
 それからドレスを手直ししてもらっている間、庭園での出来事も王子に対するアリシアの個人的な感情をできる限り排除して話した。
 事情を知った両親も兄も特に何も言わなかった。
 おそらくは家族たちも、頭で考えてもどうしようもないことはなるようになった時に何とかしようと思っているに違いない。
 アリシアに都合の良い考えかもしれないけれど、そんな気がした。


 アリシアの家が三つは入るのではないかというほどに広いホールには無数のシャンデリアが星さながらに煌めき、賓客の貴婦人たちの色鮮やかなドレスがその美しさを競い合うようにあちらこちらで華麗に咲き誇っている。
 豪華であることは想像していた。
 でも、それを遥かに超えた夢の世界のような、どこか非現実な空間を前にアリシアはひたすら圧倒されて息を飲んだ。

「すごい……」

 これが王族や貴族の姿なのである。その暮らしを羨むことはなくても、目の前に広がる光景は純粋に美しいと思った。
 ホールに集まった人々の歓談の声は開始の時刻が迫るにつれ自然と小さくなって行き、予定時刻の五分前には静かなざわめきだけが場を支配する。
 揃って向けられた視線を追うと宝石の散りばめられた王冠を戴く紳士を中心に、一際華やかな雰囲気を持つ男女計五人が奥にある大きな扉から現れたところだった。途端にホールの至るところで漏れる感嘆の声を拾ってみれば、やはり彼らが王族に名を連ねるお歴々らしい。
 国王、王妃と続き、その後ろに控える三人は王子たちだろう。年恰好からして王位継承の序列順に違いない。
 いちばん後ろにさっきの王子の姿があった。
 庭園で遭遇した時よりも輪をかけて豪奢な服装に変わっている。
 白いマントを自身の目と同じ色の大きなサファイアで留め、凛と背筋を伸ばして堂々と立つ様は、まごうことなき王子様の姿だった。

(あっ……)

 彼らが壇上に登る際、ふいに王子がアリシアの方に顔を向けた気がして、アリシアは慌てて顔を伏せた。
 近くにいた同年代と思しき令嬢たちが、第三王子と目が合ったと無邪気に喜んで色めき立つ。王子が視線を向けたのは偶然で、自分を見ていたはずもないのに意識して俯いたりして滑稽に思えた。
 アリシアの気持ちが沈むのをよそに、今夜の主役である第一王子エリオットの紹介と挨拶を経て、国王の宣言の下に舞踏会がはじまった。
 両親は滅多に会うことがない友人兼商談相手たちとの交友に忙しく、アリシアの傍には常にジェームズがついていてくれた。優しい兄のおかげでアリシアも舞踏会を楽しむ余裕が生まれ、用意された軽食を兄と一緒につまんではおいしいと笑い、作り方はどんな感じなのだろうと考えてみる。
 舞踏会がはじまってから一時間も経つ頃にはアリシアもすっかり気が緩み、辺りの様子をぐるりと見渡した。視線を巡らせて一階部分を眺め、半円を描いて二階からせり出すような形のテラスの存在に気がつく。
 何とはなしにそのまま自然と目を向ければ、そこは王族を中心とした高位貴族たちの社交場になっているらしい。あの王子も同年代らしき令息や令嬢たちに取り囲まれている。
 第三王子と親しげにしているだけあって、彼の周囲にいる令嬢は皆が綺麗に着飾っていた。

「アリシア? 何か気になるものでもあったのかい?」
「ううん。何にも」

 兄に声をかけられ、アリシアは首を振りながらさりげなく視線を外す。それでもいつの間にか、目は第三王子の方に向けられてしまっていた。
 ドレスに関しては、アリシアの着ているものはハプスグラネダ領が誇る服飾職人でもある自慢の母の手仕事が光るお手製だ。彼女たちが身に纏うドレスと比較しても少しも引けを取っているとは思わない。
 けれどアクセサリーはどうしても財力の差が如実に表れ、見劣りしてしまっていた。そのことに今さら劣等感を抱いたりはしないけれど、彼らとは根本的に世界が違うのだ。改めてそう思った。

(あの女の子とても綺麗)

 中でも特に、第三王子の左隣に座る令嬢はアリシアの目を引いた。
 身につけたドレスやアクセサリーもさることながら、遠目からでも鮮やかなプラチナブロンドが宝石さながらに輝いて眩いほどだ。
 雰囲気も彼女だけどこか違う。
 もしかしたら、本当のお姫様なのかもしれない。そう思うと第三王子のいちばん近い席に座り、いちばん親しそうなことに納得が行く。
 ――けれど。
 状況が状況だっただけに仕方ないとは言え、アリシアには決して向けることのなかった笑顔で談笑している。
 楽しそうな様子を遠巻きに眺めれば、何故だか非常に面白くなかった。アリシアにはあんな横柄な態度だったのに、普通に笑って話すこともできるのではないか。

(私にも、ほんの少しでいいから笑ってくれたら良かったのに)

 自分でも理由が分からない怒りが込み上げてくる。何だか理不尽だと思った。
 仕方のないことだと頭の中では分かっている。アリシアは第三王子とは初対面で、親しい友人どころか知り合いですらない。そんな相手があんな格好でいきなり目の前に現れたら、不審に思うのも当たり前だ。問答無用で衛兵を呼ばれていたとしても何らおかしくはない。
 アリシアだって、そんな簡単なことは分かっている。
 小さな溜め息を吐き出すと共に視線を外す。
 今後アリシアが王都に来ることもなければ、あの第三王子がハプスグラネダ領に来ることなんてそれこそない。初めて行った王都のちょっとした思い出話として心の奥深くにしまいこんで――何もなかったかのようにいつか忘れてしまえばいい。
 親しくなったわけでも何でもないのだ。
 ただ少し話して、不機嫌にさせてしまったという、それだけの話だった。


 実際に王都から戻って一週間ほどした頃、アリシアの初恋は、恋と言うにもあっけないほどに終わりを告げた。
 少しでもあの王子様のことを知ることはできないか、淡い期待を抱いてハンスに無理を言って王都で発行されている新聞を見せてもらったことがある。
 その一面の右下に書かれていたのだ。
 第三王子殿下、近日中にご婚約か、と。
 脳裏に浮かんだのは、隣で笑っていたお姫様の姿だった。

(そう、だよね。王子様だもの)

 生まれて初めて見た素敵な王子様の姿に心が動いてしまったけれど、その程度で済んで良かったのだ。
 時折そっと、綺麗な思い出に触れて心を甘く高鳴らせ、あるいは鈍くきしませる。
 言うなれば日々に彩りを与えるほんの少しのエッセンスで良かったのだ。
 ――それなのに。
 七年が経ち、十九歳になろうとしているアリシアは、明確な形を伴って現れようとしている思い出の置き場に困って目を開けた。
 あの第三王子が今になってハプスグラネダ領に来るなんて。
 名前も知らないアリシアのことなどもう忘れてしまったに違いない。だからアリシアの生活に変化が訪れることもないだろう。
 けれど、アリシアの胸中は穏やかではなかった。


   □ □ □


 学校の高等部はこの春卒業したけれど、週に二度、火曜日と木曜日には仲の良い友人たちとの集まりがある。
 学生時代のように他愛のないお喋りをしながら、やりたいことや家の仕事を本格的に手伝う為に技術的な要素を学ぶ場だ。アリシアは苺を育てることも続けつつ、残りの時間で多少は母の役に立てないかと思い刺繍を習うグループに参加している。
 友人たちと別れて一人家路を歩くアリシアは、家まであと数十メートルのところで足を止めた。
 門の前に見知らぬ誰かが立っている。
 ハプスグラネダ領でいちばんの名馬を育てると評判の、グレッグの馬よりも美しい毛並みをした白馬の手綱を握っていた。夕陽を受けて濃いオレンジ色に染まる髪の本当の色は、おそらくは明るい金に違いない。

(どうして、こんなところにいるの?)

 アリシアはその金色を知っていた。忘れたくて、精一杯忘れた振りをしても忘れられないでいる色だ。まだ幼かった頃、王城で一度だけ見た眩い金色。
 ――その第三王子が、どうしてアリシアの家の前にいるのだろうか。
 いずれハプスグラネダ領に来る予定が立っていることはハンスから聞いている。
 でもそれを聞いたのはつい昨日の話だ。ハンスの口ぶりでは来るにしても、まだしばらくは先の話ではなかったのか。
 どうして。
 どうして?
 わけも分からずアリシアが足をすくませたままでいると、王子と思しき青年がこちらを見た。青空を閉じ込めた目と視線がぶつかる。
 それだけで、何度も取り出そうとしては胸の奥にしまいこんで来た記憶が呼び起こされて胸がわずかに高鳴った。
 やっぱり間違いない。あの時の王子だ。
 アリシアは大きく息を吐き、何でもない振りで王子の近くに歩み寄った。

「あの、家に何か用ですか……?」

 七年前とは逆に、今度はアリシアが尋ねる。
 王子はハッとしたように一瞬目を見開き、そして柔らかく微笑んだ。七年前は決して向けられなかった表情にアリシアは不意を突かれてたじろぐ。
 あの庭園でのやりとりを繰り返しているようで、まるで違った。

「ああ、すまない。俺はレインハルツ王国王位継承第三位のカイル・ドラグリット・レインハルツ。近々ハプスグラネダ領に世話になるから、ハプスグラネダ伯爵に挨拶に来たんだ」
「……アリシア、ハプスグラネダです」
「初めまして、アリシア」

 初めまして。
 その言葉にアリシアは今さらながら衝撃を受けた。
 王子――カイルがアリシアのことを覚えているとは思ってなかった。でも実際に本人の言葉でその答え合わせをしてしまうと何故だろう。
 胸が、苦しい。
 やっぱりカイルにとって七年前の出来事なんて、すぐ忘れられるほどの些末な記憶だったのだ。
 それくらい最初から分かっていた。
 誰だって片田舎で暮らす伯爵令嬢のアリシアよりも、第三王子であるカイルの方が記憶に残る。カイル本人でも同じことだ。たった一度、王城へ上がってきただけの娘を七年経って覚えているわけがない。

「ハプスグラネダ領へ、ようこそいらっしゃいましたカイル殿下。領民一同、心より歓迎致します」

 アリシアは心の表面にうっすらとできた傷を必死で塞ぎ、笑顔を浮かべた。
 カイルの“特別”でありたかったわけでもない。何かを期待するようなみっともないまねはやめよう。

「父なら多分、裏の畑にいると思います。すぐ呼んで来ますから、狭いですけど応接室でお待ち下さい」
「裏の畑?」

 カイルが不思議そうな面持ちで尋ねるのも無理はないだろう。
 伯爵家の敷地内に畑があり、しかも当主自らがそこにいるなんて普通はありえないことだ。
 門扉を開けてカイルを中に促す。普通の貴族邸なら執事やメイドが迎えるものだけれど、ハプスグラネダ家にはあいにくどちらもいない。一応は令嬢であるアリシアがこのまま応接室に案内する形になる。

「良かったら畑を見てみたい」
「構いませんけど、少し歩きますよ?」

 予期しなかったカイルの提案にアリシアは目を丸くし、返事に少しの嘘を混ぜた。
 歩くと言ってもアリシアが毎日歩いて移動できるような距離だ。たかが知れている。

「構わないから案内してくれる?」
「殿下が望まれるのでしたら」

 それでも快い一つ返事ではなく、遠回しに応接室で待っていて欲しいと牽制の意を込めたつもりが、遠回りしすぎて全く伝わらなかったらしい。カイルの中では畑に行くことは決定事項になったようだ。
 途中、低い植込みを左右へ回り込むよう伸びた道を左に曲がってもらおうとすると、カイルの視線は右側を向いていた。その先にはアリシアが管理している温室がある。

「あの温室は?」
「四年前から私が管理している温室で、今は苺を育てています」

 自分の温室だと言う必要はない。けれどアリシアは正直に答えた。
 ここで適当に誤魔化せば良かったものを、あの温室はアリシアにとって大切な場所である。たとえ言葉上だけだろうと蔑ろにはできなかったのだ。

「せっかくだし温室も見せてくれないか」
「ええっ」

 何がどう「せっかく」なのか。
 思わず大きな声を上げて驚くアリシアには構わず、カイルは当然とばかりに馬を右側に向けて歩かせた。
 温室の前に馬を止めると、カイルを温室の中に誘う。

「まだ花が咲いたばかりで苺は生ってない状態ですけど」

 家族以外に温室内を見せるのは初めてで、アリシアは恥ずかしそうにはにかんだ。温室一面に列をなして整然と植えられた苺はそのどれもが緑色の葉をつやつやと輝かせ、愛情を持って大切に育てられていることが一目で見て取れる。
 見てもつまらないものだろうに見たいと言い出した手前からか、カイルは温室中を見渡すように首を巡らせた。

「この中の苺は、アリシアが全部一人で面倒を見てるの?」
「面倒を見ていると言っても、毎日の水やりと目についた雑草を抜いているくらいです」

 意識して事務的に答えればカイルの目が細められる。王族に対して不遜な態度だと思われてしまっただろうか。
 でも――関わりたくないと思ってくれるなら、早い方がいい。
 そう思った途端、何故かわずかにきしんだ胸の痛みからはあえて目を逸らし、アリシアはカイルの次の言葉を待つ。
 長いような短いような沈黙の後、カイルは穏やかな口調で言葉を紡いだ。

「それでも毎日やるのは結構な仕事じゃないか。大切にしているのが見ているだけで分かるし、頑張っててアリシアは偉いね」

 好きでやっていることだから辛いと思ったことはない。だけどそれを褒められれば嬉しく思う。
 心の奥がくすぐったくなった。その心地良さにアリシアは思わず、先程まで頑なに閉ざそうとしていた扉を無意識のうちに自ら開いて行く。

「でもいちばん大変な作業はやっていませんから」
「いちばん大変な作業?」
「苺が生る為には人の手で受粉作業をしてあげないといけないんですけど、さすがにそれを一人で全部やるにはたくさん育てていますから、ミツバチを放って受粉してもらっているんです」

 苺の話になって、それまでは気を張り詰めさせてどこか素っ気なかったアリシアがあきらかに饒舌になっていた。その様子に苺を眺めていたカイルはアリシアを振り仰いで尋ねる。

「見たところ温室内にミツバチは飛んでないみたいだけど、まだ設置前なのかな」
「ええと……次のお休みに、兄の手を借りてやろうかと……」
「男手が必要なら俺も手伝うよ。何時に来たらいい?」
「えっ!?」

 今日だけですでに何度目だろうか。アリシアは驚きで目を丸くする。それから、とんでもないと言わんばかりに両手を胸の前で激しく横に振った。

「ミツバチを使うから王子様がやるには危ないですよ」
「女の子のアリシアがやるには危なくないの?」
「それは……」

 アリシアは口ごもり、形勢の悪さに視線を左下に落とした。断る理由の言葉選びを間違えた気がする。いやそれ以前にミツバチの話をしたことが良くなかった。ここからどう答えても、すでに詰んでいるのではないだろうか。
 余計なことを色々と話しすぎたと気がついた時にはもう手遅れだった。まさか王子様が苺栽培の作業に興味を持つとは思ってもみなかったのだ。でも、普通は誰だって思わないだろう。

「ミツバチが活動をはじめる前に設置しなくてはいけませんし、そうすると日が昇る前にやらないといけませんから」

 しどろもどろになって上手く言い訳ができない。どう言えば失礼にならずに断れるのかを考えていると、いつの間に近寄っていたのか。カイルが身を屈めて顔をのぞきこんだ。
 ……どうしてこの王子様は、こんな簡単に懐に入りこんできてしまうのか。
 そして、そのこなれた誘いにアリシアは心に小さな棘が刺さるような感覚を覚えてしまう。
 何度もじんわりとした痛みを与えるそれに心当たりはあった。あの時――七年前の王都の夜会で、彼が周囲の友人たちへ笑顔を向けているのを見た時と同じものだ。
 自分だけに向けて欲しいと願うものが他の人にも与えられている。その事実に対し、ひどく自分勝手な感情を抱いてしまう。それが醜いと分かっていながらも抱かずにはいられないことが苦しかった。

「アリシアは俺が来ない方がいいと思ってる?」

 ずるい。
 そういう聞き方をされたら、アリシアは否定の為に首を横に振るしかないではないか。

「別に、そういうわけじゃないですけど」
「ちゃんと手順を聞いて邪魔にならないようにするし、それでも役に立てないようなら離れた場所から見学してる。それならアリシアもいいだろう?」

 王子にここまで妥協させて、なおも突き放す手段をアリシアが知るはずもない。
 結局、手伝ってもらうことになってしまった。


「アリシア帰ってたのかい。温室の外の馬は一体……」

 扉を開けっ放しの入口からジェームズが顔をのぞかせた。アリシアの隣に立つカイルの存在に気がつき、慌てて頭を下げる。

「カイル殿下もご一緒だったとは大変失礼致しました。呼んで下されば外にお迎えにあがりましたのに」
「いや、こちらこそすまない。門の前で偶然会ったアリシア嬢からハプスグラネダ伯爵が裏の畑にいると聞いて、そのまま敷地内を案内してもらっていたんだ」
「そうでしたか。父もすでに中へ入っておりますから、そちらへ参りましょう」
「ああ、分かった」

 もう少し早く来てくれればさらに良かったけれど、アリシアには兄が神の使いに見えた。ジェームズが来ないままでいたら最終的にどうなっていたのか、想像するだけでも恐ろしい。

「わ、私、自室で着替えてから参りますから一旦失礼致します」

 アリシアはスカートの裾をつまんで一礼をして、後をジェームズに押しつけるよう温室を出た。扉のすぐ脇でおとなしく主を待っている白馬を見やり、人知れず安堵の息をつく。
 次の休みまでに心にちくちくと刺さってしまった棘を抜いて何でもない状態に戻して、それから内側からの補強もより頑丈なものにしなくては。
 それから、それから――
 ――好きにならないように、しなくては。


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