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反撃
『真実の愛』と『深遠の愛』
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「ボタンを前で留めるドレスが流行して来ていると聞いたよ」
お茶会から半月以上が経ったある日、二人で養護院へ視察に向かう馬車の中でアレクシスがそう切り出した。
「社交界の流行を作り出せるようになったら、立派な淑女の仲間入りだね」
「アレク様が贈って下さったドレスを着ていただけですわ」
謙遜などではなく、あのドレスの件に関しては心からそう思っている。
セレスティアナは何もしていない。今となっては新しい流行を生み出したなんて、とても言えなかった。
「ティアナにあのドレスが似合っていて、令嬢たちにも着てみたいと思わせたからだよ」
「そうであるなら、嬉しいです」
「うん」
せっかく褒めてくれたのに、頑なに卑下し続けるのもいけない。流行はこれから自分の考えで作って行けたらいいのだ。セレスティアナがはにかみながら受け入れると、アレクシスも表情を綻ばせた。
「そういえば」
「何でしょうか」
「特に一部の令嬢たちの間で、式典での僕の行動やドレスの飾りボタンのデザインから、僕のティアナへの想いが〝深遠の愛〟と呼ばれているらしいね」
「深遠の愛……」
セレスティアナは小さく反芻する。
おそらくはミーナに対する〝真実の愛〟に対抗した名称なのだろう。お茶会で少しだけ話した令嬢たちが式典の話で盛り上がっていたから、彼女たちから広まったのかもしれない。それにしても、深遠だなんて。
「他の方々には、はかりしれないほど、奥深い……と受け止められているということでしょうか」
「そうだね。奥深い、かは僕にも分からないけれど、はかりしれないほどティアナだけを愛しているよ」
「あ……。もう、アレク様……」
面と向かって蕩けそうなほどの笑顔で言われ、セレスティアナは真っ赤になった。
「でも、わたくし、も……同じ気持ち、です」
「え」
完全に不意を突かれたのかアレクシスの頬も真っ赤に染まる。
「くそ。可愛いな……」
手の甲を口に押し当て、小さく息を吐く。
ちょっと仕返しができたような気がしてセレスティアナはくすくす笑った。
事件……と言うほどのものではないけれど、事件が起きたのは養護院に到着し、門を抜けて玄関先まで馬車が進んだ時のことだった。
「アレクシス様!」
何故か大きな木製のドアの前にミーナが立っている。さすがに今は友人たちもおらず一人のようで、セレスティアナをエスコートしたアレクシスが馬車を降りると駆け寄って来た。
「アルテリア伯爵令嬢……。何故ここに」
「アレクシス様が今日はここで視察するって聞いたんです!」
その返答にアレクシスは目に見えて顔をしかめる。
予定や行先を把握している人物が簡単にミーナに教えたのだ。親切心で教えただけに留まらず、下手をしたら通じている可能性もあり――むしろ、現状でそんな親切を働くということはその可能性こそ疑った方が良いだろう――不快に思うのも無理はない。
「ミーナも一緒に視察してもいいですか?」
「いや。以前のような公務でもなく、今はティアナと二人の視察だからだめだ」
「あ。セレスティアナ様も一緒にいたんですね!」
ミーナはさも初めて気がついたとばかりにセレスティアナを見やる。
「ごきげんよう、ミーナ様」
「ねえ、ミーナも一緒でいいでしょう? セレスティアナ様。だってミーナは聖女なんだもの。みんなだって喜ぶわ」
「そうですね。わたくしは構いませんわ」
「ティアナ」
今日は挨拶さえ無視されたけれど、セレスティアナが素直に要求を受け入れるとアレクシスが視線を向けた。
場所が場所なだけに、いつまでもミーナに騒がれるのは良くないと思ったのだ。アレクシスもそれは危惧していた部分らしく、深いため息を吐いた。
「――分かった。ティアナがそう言うのなら」
「ありがとうございます、アレク様」
「アレクシス様ありがとう!」
「行こう、ティアナ」
感激に抱きつこうとするミーナを躱し、アレクシスはセレスティアナの手を取った。
ミーナもアレクシスが一緒にいる時ならおとなしくしているだろう――それは甘い考えだと、セレスティアナは知ることになる。
「あら? 本日は聖女様もご一緒なのですね。王太子殿下並びに未来の妃殿下、ようこそお越し下さいました」
「子供たちもお二人のご訪問を楽しみにお待ちしておりますわ」
ミーナもいることに驚きつつ、二人のシスターは優しい笑顔で出迎えてくれた。
「何か変わりはありませんか?」
「妃殿下が物資をご配慮下さったおかげで、とても快適に過ごせております」
「足りないものはないか気になっていましたから、それなら良かったです」
シスターの案内で院内に変わりはないか順番に見て回っていると、子供たちが一人また一人と現れる。中にはミーナを見て聖女様だ、と声をあげる子供もおり、ミーナを上機嫌にさせた。
「セレスティアナ様、またご本を読んで!」
「ええ、一緒にホールへ行きましょう。アレク様、行ってまいりますわ」
「気をつけて」
普段は「いってらっしゃい」と送り出してくれるのに、気をつけてなんて珍しい発言に子供たちがセレスティアナを守るからと勇ましく応える。アレクシスが身を屈めて小さな騎士たちに「僕のお姫様を頼んだよ」と伝えると、それぞれに力強く頷いた。微笑ましい光景に自然とセレスティアナも笑顔を浮かべる。
そうしてアレクシスとは別れて子供たちに手を引かれてホールに向かう途中、ふいにあの時と同じようにひどく嫌な感覚がした。
ぞくりとした何かが背筋を伝い落ち、ぱちんと弾けるような音がする。
「きゃっ!」
突然、ミーナが隣で派手に尻餅をついた。何が起きたのか分からないという顔をして、それからすぐに涙を目に滲ませてセレスティアナを見上げる。
「ひどいです、セレスティアナ様。ミーナにいきなり足をかけて転ばせるなんて……!」
「わたくしは何も……」
子供たちもぽかんという顔でミーナを見た。
セレスティアナが向かおうとしていた方向に対し、ミーナの体勢は横向きになっているのだ。どう考えてもセレスティアナが足を引っかけようとするには無理がある。階段から落ちた時と同じだ。
無邪気な子供たちにすら怪訝そうな目を向けられたからか、ミーナは顔を真っ赤にして一人で起き上がると埃を払う。
その後もセレスティアナが用意したお茶とお菓子を振る舞う場で、ミーナが紅茶を頭から被ったりと不思議な現象が起こり、セレスティアナは子供たちと首を傾げるばかりだった。
お茶会から半月以上が経ったある日、二人で養護院へ視察に向かう馬車の中でアレクシスがそう切り出した。
「社交界の流行を作り出せるようになったら、立派な淑女の仲間入りだね」
「アレク様が贈って下さったドレスを着ていただけですわ」
謙遜などではなく、あのドレスの件に関しては心からそう思っている。
セレスティアナは何もしていない。今となっては新しい流行を生み出したなんて、とても言えなかった。
「ティアナにあのドレスが似合っていて、令嬢たちにも着てみたいと思わせたからだよ」
「そうであるなら、嬉しいです」
「うん」
せっかく褒めてくれたのに、頑なに卑下し続けるのもいけない。流行はこれから自分の考えで作って行けたらいいのだ。セレスティアナがはにかみながら受け入れると、アレクシスも表情を綻ばせた。
「そういえば」
「何でしょうか」
「特に一部の令嬢たちの間で、式典での僕の行動やドレスの飾りボタンのデザインから、僕のティアナへの想いが〝深遠の愛〟と呼ばれているらしいね」
「深遠の愛……」
セレスティアナは小さく反芻する。
おそらくはミーナに対する〝真実の愛〟に対抗した名称なのだろう。お茶会で少しだけ話した令嬢たちが式典の話で盛り上がっていたから、彼女たちから広まったのかもしれない。それにしても、深遠だなんて。
「他の方々には、はかりしれないほど、奥深い……と受け止められているということでしょうか」
「そうだね。奥深い、かは僕にも分からないけれど、はかりしれないほどティアナだけを愛しているよ」
「あ……。もう、アレク様……」
面と向かって蕩けそうなほどの笑顔で言われ、セレスティアナは真っ赤になった。
「でも、わたくし、も……同じ気持ち、です」
「え」
完全に不意を突かれたのかアレクシスの頬も真っ赤に染まる。
「くそ。可愛いな……」
手の甲を口に押し当て、小さく息を吐く。
ちょっと仕返しができたような気がしてセレスティアナはくすくす笑った。
事件……と言うほどのものではないけれど、事件が起きたのは養護院に到着し、門を抜けて玄関先まで馬車が進んだ時のことだった。
「アレクシス様!」
何故か大きな木製のドアの前にミーナが立っている。さすがに今は友人たちもおらず一人のようで、セレスティアナをエスコートしたアレクシスが馬車を降りると駆け寄って来た。
「アルテリア伯爵令嬢……。何故ここに」
「アレクシス様が今日はここで視察するって聞いたんです!」
その返答にアレクシスは目に見えて顔をしかめる。
予定や行先を把握している人物が簡単にミーナに教えたのだ。親切心で教えただけに留まらず、下手をしたら通じている可能性もあり――むしろ、現状でそんな親切を働くということはその可能性こそ疑った方が良いだろう――不快に思うのも無理はない。
「ミーナも一緒に視察してもいいですか?」
「いや。以前のような公務でもなく、今はティアナと二人の視察だからだめだ」
「あ。セレスティアナ様も一緒にいたんですね!」
ミーナはさも初めて気がついたとばかりにセレスティアナを見やる。
「ごきげんよう、ミーナ様」
「ねえ、ミーナも一緒でいいでしょう? セレスティアナ様。だってミーナは聖女なんだもの。みんなだって喜ぶわ」
「そうですね。わたくしは構いませんわ」
「ティアナ」
今日は挨拶さえ無視されたけれど、セレスティアナが素直に要求を受け入れるとアレクシスが視線を向けた。
場所が場所なだけに、いつまでもミーナに騒がれるのは良くないと思ったのだ。アレクシスもそれは危惧していた部分らしく、深いため息を吐いた。
「――分かった。ティアナがそう言うのなら」
「ありがとうございます、アレク様」
「アレクシス様ありがとう!」
「行こう、ティアナ」
感激に抱きつこうとするミーナを躱し、アレクシスはセレスティアナの手を取った。
ミーナもアレクシスが一緒にいる時ならおとなしくしているだろう――それは甘い考えだと、セレスティアナは知ることになる。
「あら? 本日は聖女様もご一緒なのですね。王太子殿下並びに未来の妃殿下、ようこそお越し下さいました」
「子供たちもお二人のご訪問を楽しみにお待ちしておりますわ」
ミーナもいることに驚きつつ、二人のシスターは優しい笑顔で出迎えてくれた。
「何か変わりはありませんか?」
「妃殿下が物資をご配慮下さったおかげで、とても快適に過ごせております」
「足りないものはないか気になっていましたから、それなら良かったです」
シスターの案内で院内に変わりはないか順番に見て回っていると、子供たちが一人また一人と現れる。中にはミーナを見て聖女様だ、と声をあげる子供もおり、ミーナを上機嫌にさせた。
「セレスティアナ様、またご本を読んで!」
「ええ、一緒にホールへ行きましょう。アレク様、行ってまいりますわ」
「気をつけて」
普段は「いってらっしゃい」と送り出してくれるのに、気をつけてなんて珍しい発言に子供たちがセレスティアナを守るからと勇ましく応える。アレクシスが身を屈めて小さな騎士たちに「僕のお姫様を頼んだよ」と伝えると、それぞれに力強く頷いた。微笑ましい光景に自然とセレスティアナも笑顔を浮かべる。
そうしてアレクシスとは別れて子供たちに手を引かれてホールに向かう途中、ふいにあの時と同じようにひどく嫌な感覚がした。
ぞくりとした何かが背筋を伝い落ち、ぱちんと弾けるような音がする。
「きゃっ!」
突然、ミーナが隣で派手に尻餅をついた。何が起きたのか分からないという顔をして、それからすぐに涙を目に滲ませてセレスティアナを見上げる。
「ひどいです、セレスティアナ様。ミーナにいきなり足をかけて転ばせるなんて……!」
「わたくしは何も……」
子供たちもぽかんという顔でミーナを見た。
セレスティアナが向かおうとしていた方向に対し、ミーナの体勢は横向きになっているのだ。どう考えてもセレスティアナが足を引っかけようとするには無理がある。階段から落ちた時と同じだ。
無邪気な子供たちにすら怪訝そうな目を向けられたからか、ミーナは顔を真っ赤にして一人で起き上がると埃を払う。
その後もセレスティアナが用意したお茶とお菓子を振る舞う場で、ミーナが紅茶を頭から被ったりと不思議な現象が起こり、セレスティアナは子供たちと首を傾げるばかりだった。
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