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真実
思い違い
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セレスティアナが危惧したように雨はもう十日も続き、さらにはその降水量も日ごと増えて来ていた。
これくらいの雨量ならばまだ、予め領地で行っている対策の範囲内だ。農地が水没してせっかくの作物がだめになることも、河川が氾濫することもない。
とは言え、いつまでも続けば太陽の光が足りずに作物が育たなくなってしまう。水による被害は防げるからと楽観視できる状況ではなかった。
(どうか領地を、この国をお守り下さい)
朝晩、屋敷内に作られた精霊を祀る聖堂に両親と足を運び、精霊に祈りを捧げる。
四大精霊はいたずら好きで気まぐれな一面を持っており、いたずらと称するには人間にとって大きな力を揮うことはあれど、そこに悪意が込められていることはまずない。特に穏やかな性質の水の精霊ならなおさらだ。
そうして領地に来てから半月が経過した頃だった。
「どういうことだ……」
祈りを終え、父は苦悶の声をあげる。
セレスティアナもまた、信じられない思いで両親の顔を見た。
「水の精霊の気配がありませんでしたわ」
こんなことは初めてだった。
精霊はいつも身近にいる。それはウォルタスタン公爵領に限らず、四大公爵家の領地なら当たり前のことだ。けれど、その精霊たちがいなくなったなんて前例はなかった。
いなくなったということはつまり見限られ、水の精霊の加護が完全に消え去ったことを意味する。あるいは加護は残っているのかもしれない。何らかの理由で繋がりを絶たれてしまった状態にあるだけで。
水の精霊だからこの程度で済んでいるものの、気性の激しい炎や風の精霊が制御を離れては考えうるだけでも恐ろしい事態になることは想像に難くない。
(アレク様……どうしたらいいの? 助けて)
失われるはずのないものが今、失われようとしている。
そして同じことが他でも起きているのだ。どこか一か所でも決壊したら他の三か所もあっという間に崩れ去るだろう。四方を固める公爵家領が崩壊したら中央にある王都もさすがに無事では済まない。
(王笏が陛下の元にあれば……)
広い国内の領地で少しずつ範囲を広げているけれど、王笏も依然として見つかってはいなかった。何者かの手で壊されたりはしていない、はずだ。精霊王に贈られた、王への信仰と王からの加護を象徴する王笏に何かあればこの程度の被害では済まされない。
セレスティアナのせいではないことで自分を責めて思い詰めたり、無理をしてはいけないとアレクシスは言った。
セレスティアナがしようとしていることは、彼の言う無理なことだろうか。無理と、無理ではないことの境目は正直よく分からない。それ以上をしたらアレクシスが心配することは、きっと〝無理〟に相応することだ。でもアレクシスがセレスティアナに思う〝無理〟の範囲は、他の人が思うよりずっと広い。
(わたくしにできることを、やりたい)
決意を固めたセレスティアナはデイドレスから神官衣に着替え、雨具を羽織った。
玄関から外に出れば途端に強い雨が容赦なく頬を打つ。空は黒く、景色は降りしきる雨で灰色にくすんでいた。このままどんどん色が、希望が消え失せてしまうのではないか。そんな恐怖がセレスティアナの胸をよぎった。
(大丈夫。水の精霊にきっと届くはず)
かぶりを振って不安を払い、叩きつけるような雨の中ゆっくりと歩を進める。少し歩いたところで足を止めた。
両手を広げて目を閉じる。
これだけの雨だ。思った通り、ほんの少しだけれど精霊の息吹を感じる。でも何故だろう。精霊たちもどこか傷を負っているような気がした。
「祈りならわたくしがたくさん捧げます。だからどうか、この国をまた守って下さい」
セレスティアナの祈りの力に何の意味はないかもしれない。
ただ、アレクシスが望まない無理な行動を自己満足でしているのかもしれない。
それでもセレスティアナにできることは想いを乗せて祈ることだけだ。
『あなたは、彼女なのね』
『もう会えないかと思ってたわ』
『また会えるなんて夢みたい』
少女の澄んだ声がいくつも聞こえ、セレスティアナの周囲に膜が張られたように雨が避けて行く。
「あの……彼女、とは……」
尋ねると空気が重く張りつめた。
見えないけれど目の前に誰かが立っている気配を感じてセレスティアナは顔を上げる。
『我が愛しき末王女の魂を受け継ぎし、人間の娘よ』
聞いたことのない厳かな声が脳裏に響く。
『いけすかないあの男に渡した王笏をそなたが携え、祈りを捧げよ。さすれば下界の混乱を鎮めてやろう』
いけすかないあの男とは、王笏を渡したということはもしかして健国王を指しているのだろうか。
それなら目の前に感じる気配の持ち主は精霊王ということになる。
信じられない出来事に、でも今は信じるしかなくてセレスティアナは口を開く。
「お言葉ですが……王笏が見つからないのです、陛下。できる限り魔力を張り巡らせて探しているのですが、わたくしの力では……」
『下界を覆う現状は精霊ではなく王笏が、世界の理を変えんとするほどに強い一人の憎悪によって穢れに満ちているからだ』
セレスティアナは、はっとして目を見開いた。
(もしかしたら……わたくしは大きな思い違いを……?)
王笏は精霊王から贈られた国の至宝だ。アレクシスと一緒に見た時と同じように今も眩い光を放っているものだと思い込み、光を探していた。だけどもし、この現象が精霊への信仰が原因ではなく、王笏に込められた憎悪よるものだったなら。
きっと、邪悪な光を放っているはずだ。
『我が愛しき末王女よ。お前が愛したこの下界を守れるのもまた、お前だけなのだ』
「ティアナ!」
両親が心配そうに雨の中を駆け寄って来る。
収まったかと思った雨足は再び強くなっていた。精霊王はおろか精霊たちの気配も消えてなくなっている。
でも、セレスティアナの心には温かい力が宿っているのを強く感じた。
これくらいの雨量ならばまだ、予め領地で行っている対策の範囲内だ。農地が水没してせっかくの作物がだめになることも、河川が氾濫することもない。
とは言え、いつまでも続けば太陽の光が足りずに作物が育たなくなってしまう。水による被害は防げるからと楽観視できる状況ではなかった。
(どうか領地を、この国をお守り下さい)
朝晩、屋敷内に作られた精霊を祀る聖堂に両親と足を運び、精霊に祈りを捧げる。
四大精霊はいたずら好きで気まぐれな一面を持っており、いたずらと称するには人間にとって大きな力を揮うことはあれど、そこに悪意が込められていることはまずない。特に穏やかな性質の水の精霊ならなおさらだ。
そうして領地に来てから半月が経過した頃だった。
「どういうことだ……」
祈りを終え、父は苦悶の声をあげる。
セレスティアナもまた、信じられない思いで両親の顔を見た。
「水の精霊の気配がありませんでしたわ」
こんなことは初めてだった。
精霊はいつも身近にいる。それはウォルタスタン公爵領に限らず、四大公爵家の領地なら当たり前のことだ。けれど、その精霊たちがいなくなったなんて前例はなかった。
いなくなったということはつまり見限られ、水の精霊の加護が完全に消え去ったことを意味する。あるいは加護は残っているのかもしれない。何らかの理由で繋がりを絶たれてしまった状態にあるだけで。
水の精霊だからこの程度で済んでいるものの、気性の激しい炎や風の精霊が制御を離れては考えうるだけでも恐ろしい事態になることは想像に難くない。
(アレク様……どうしたらいいの? 助けて)
失われるはずのないものが今、失われようとしている。
そして同じことが他でも起きているのだ。どこか一か所でも決壊したら他の三か所もあっという間に崩れ去るだろう。四方を固める公爵家領が崩壊したら中央にある王都もさすがに無事では済まない。
(王笏が陛下の元にあれば……)
広い国内の領地で少しずつ範囲を広げているけれど、王笏も依然として見つかってはいなかった。何者かの手で壊されたりはしていない、はずだ。精霊王に贈られた、王への信仰と王からの加護を象徴する王笏に何かあればこの程度の被害では済まされない。
セレスティアナのせいではないことで自分を責めて思い詰めたり、無理をしてはいけないとアレクシスは言った。
セレスティアナがしようとしていることは、彼の言う無理なことだろうか。無理と、無理ではないことの境目は正直よく分からない。それ以上をしたらアレクシスが心配することは、きっと〝無理〟に相応することだ。でもアレクシスがセレスティアナに思う〝無理〟の範囲は、他の人が思うよりずっと広い。
(わたくしにできることを、やりたい)
決意を固めたセレスティアナはデイドレスから神官衣に着替え、雨具を羽織った。
玄関から外に出れば途端に強い雨が容赦なく頬を打つ。空は黒く、景色は降りしきる雨で灰色にくすんでいた。このままどんどん色が、希望が消え失せてしまうのではないか。そんな恐怖がセレスティアナの胸をよぎった。
(大丈夫。水の精霊にきっと届くはず)
かぶりを振って不安を払い、叩きつけるような雨の中ゆっくりと歩を進める。少し歩いたところで足を止めた。
両手を広げて目を閉じる。
これだけの雨だ。思った通り、ほんの少しだけれど精霊の息吹を感じる。でも何故だろう。精霊たちもどこか傷を負っているような気がした。
「祈りならわたくしがたくさん捧げます。だからどうか、この国をまた守って下さい」
セレスティアナの祈りの力に何の意味はないかもしれない。
ただ、アレクシスが望まない無理な行動を自己満足でしているのかもしれない。
それでもセレスティアナにできることは想いを乗せて祈ることだけだ。
『あなたは、彼女なのね』
『もう会えないかと思ってたわ』
『また会えるなんて夢みたい』
少女の澄んだ声がいくつも聞こえ、セレスティアナの周囲に膜が張られたように雨が避けて行く。
「あの……彼女、とは……」
尋ねると空気が重く張りつめた。
見えないけれど目の前に誰かが立っている気配を感じてセレスティアナは顔を上げる。
『我が愛しき末王女の魂を受け継ぎし、人間の娘よ』
聞いたことのない厳かな声が脳裏に響く。
『いけすかないあの男に渡した王笏をそなたが携え、祈りを捧げよ。さすれば下界の混乱を鎮めてやろう』
いけすかないあの男とは、王笏を渡したということはもしかして健国王を指しているのだろうか。
それなら目の前に感じる気配の持ち主は精霊王ということになる。
信じられない出来事に、でも今は信じるしかなくてセレスティアナは口を開く。
「お言葉ですが……王笏が見つからないのです、陛下。できる限り魔力を張り巡らせて探しているのですが、わたくしの力では……」
『下界を覆う現状は精霊ではなく王笏が、世界の理を変えんとするほどに強い一人の憎悪によって穢れに満ちているからだ』
セレスティアナは、はっとして目を見開いた。
(もしかしたら……わたくしは大きな思い違いを……?)
王笏は精霊王から贈られた国の至宝だ。アレクシスと一緒に見た時と同じように今も眩い光を放っているものだと思い込み、光を探していた。だけどもし、この現象が精霊への信仰が原因ではなく、王笏に込められた憎悪よるものだったなら。
きっと、邪悪な光を放っているはずだ。
『我が愛しき末王女よ。お前が愛したこの下界を守れるのもまた、お前だけなのだ』
「ティアナ!」
両親が心配そうに雨の中を駆け寄って来る。
収まったかと思った雨足は再び強くなっていた。精霊王はおろか精霊たちの気配も消えてなくなっている。
でも、セレスティアナの心には温かい力が宿っているのを強く感じた。
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