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第二章
7. 白詰草の記憶
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ロゼリエッタは俯き、両手を強く握りしめた。
なのに掌の感覚がまるでない。そのくせ心臓はうるさいくらいに鼓動を刻み、冷ややかな熱を伴った。
一度目をきつく瞑って、それからゆっくりと開く。再び兄に視線をやり、震える声で問いかけた。
「巻き込まれたとは、どういう状況なのですか」
聞きたくない。けれどクロードの安否を聞かなくてはいけない。
でも、クロードの身が無事ならば、兄はこんな言い方をしなかっただろう。
ロゼリエッタを安堵させるように「巻き込まれたけど無事でいるよ」と言ってくれるはずだ。
仲の良い兄だからこそ、その言葉選びで察してしまう。
兄は静かに首を振り、苦しそうに眉根を寄せた。
「まだ詳しいことは何も分からない。ただ……国王陛下を通して隣国の王家から、火事以降クロードの行方が知れないとグランハイム家に伝えられたそうだよ。もちろんレミリア王女殿下もご存知のことだ」
ロゼリエッタは押し黙って兄の告げる一字一句に耳を傾ける。
その言葉は冷えた心臓から冷たい血液と共に全身を流れ、今にも身体の奥底から凍えてしまいそうなほど残酷なものだ。
心が冷えて行くのと反比例して冴えて行く脳が、状況が現実のものであると徐々に理解しはじめる。理解はしても受け入れたくはなくて、世界が色と形を失って行った。
「嘘……。クロード様が、行方不明だなんて……嘘に決まってます……」
「ロゼ!」
衝撃に身体がふらついて、椅子から落ちそうになる。慌てて駆け寄った兄に支えられ、ロゼリエッタはいやいやとかぶりを振った。
お守りを渡した日のことを夢に見た日にそんな報せを受けるなんて、どんな巡り合わせなのだろうか。
でも、お守りは子供騙しで何の意味もなかった。ああそれとも、元婚約者にもらった手作りのお守りなんて、とうの昔に捨ててしまっているだろうか。
持っていても何の効果もないお守りを渡したこと。すぐに捨てられるお守りを渡したこと。どちらがましな結果なのだろう。
最初からお守りなんて渡さなければ良かった。
でも、それよりも。
「クロード、様……」
好きでいることさえ許されないのなら、出会わなければ良かった。
□■□■□■
「お嬢様、そろそろ日が暮れてしまいます」
朝からずっと、休憩を取りつつもひたすら白詰草に埋もれて四葉を探すロゼリエッタの背に、年老いた侍女が躊躇いがちに声をかける。
日没を迎える前に部屋に戻らなければ、また体調を崩してしまうかもしれない。もしそんなことになったらロゼリエッタではなく彼女が父に叱られることだろう。
申し訳なさを感じつつも諦めたくなくて、ロゼリエッタは白詰草に半ば埋もれながら侍女に懇願する。
「あと五分だけ待って、お願い」
答えはすぐには返って来なかった。
侍女からしてみたら子供のわがままに振り回された挙句に主に叱られ、暇を出されることまではないにしろ、下手をしたら減給の憂き目に遭うかもしれないのだ。簡単に受け入れられることではないに違いない。
ややあって溜め息の気配が耳に届く。
「仕方ありませんね。ですが、あと五分以内に見つからなかったらまた明日以降にしましょう」
「ありがとう!」
お礼を言うのに顔を上げ、その時間さえ惜しくてすぐにまた視線を手元に落とす。今まで時間は限りなくあると思っていたけれど、あと五分だけになってしまった。そうとなれば一秒でも無駄にはしたくない。小さな白い指が土で汚れるのも厭わず、必死に青々と茂る葉をかき分けた。
クロードが次はいつ遊びに来てくれるのか分からない。家に来たとして、ロゼリエッタにも顔を見せてくれるとも限らなかった。それでもできるだけ早くクロードにお守りを渡したかったのだ。
それに、今日見つけられなかった四葉は明日になったら枯れてしまうかもしれない。そう思うと永遠に四葉を見つけられないような気がした。
焦りながらも注意深く探し続け、四枚に分かれた緑色の葉を見つける。傷つけないよう周りの葉を慎重に除ければ間違いない。ずっと探し求めていた四葉だ。
「見つけた!」
「よろしゅうございました」
侍女は優しい笑顔を見せた。喜びも束の間、ロゼリエッタは眉尻を下げる。
あと五分。その約束だったのに、いつの間にか太陽の位置はずいぶんと下の方に沈み込んでいた。
冷静になって考えればすぐ分かることだ。
朝から必死に探しているようなものが、たった五分でそんな都合良く見つかるわけがない。それでも完全に日が沈んで辺りが暗くなるまでのことだろうけれど、侍女は何も言わず五分をゆうに超える時間を待っていてくれたのだ。
無言で与えられた優しさに胸がいっぱいになる。
ロゼリエッタは細く短い四葉の茎を両手でそっと包み込んだ。四葉が幸運のシンボルと言われるのは人の温かな気持ちが結晶となっているからに違いない。そう思った。
「わがままを言って付き合わせて本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ。さ、せっかく見つけた四葉を失くしてしまわないうちに帰りましょう。風が出て参りました」
「うん」
侍女に手を引かれて部屋に戻ると、厚い辞典の真ん中辺りに四葉を挟んで押し花を作る。そうして縫物など一度もしたことがないけれど、侍女に教えてもらって小さな巾着袋も作った。
あとは四葉の押し花が完成したら台紙に貼って中に入れるだけだ。
クロードは受け取ってくれるだろうか。
期待と不安とで揺れる気持ちを抱えながら、ロゼリエッタはどこか歪な巾着袋を胸に押し当ててた。それから、クロードを想う心だけは偽りなく真っすぐに祈りを捧げる。
どうか、良いことがありますように。
□■□■□■
「……お兄様」
「ああ、目が覚めたのかい」
目を開けると、心配そうにのぞきこむ兄と目が合った。
ベッドに横たえられていることに気づき、記憶を手繰る。
ああそうだ、思い出した。
クロードが隣国の武力抗争に巻き込まれて行方不明になったと兄から聞いて、気を失ってしまったのだ。
そしてまたクロードの為に四葉を探す夢を見ていた。
いくら探したところで、ロゼリエッタが見つけた四葉ではクロードに幸運をもたらすことはできない。でもそんな未来を知らない幼いロゼリエッタは、クロードの為に探し続ける。
同じ夢を、この先も何度も見るに違いなかった。
「お兄様、私」
口を開けば兄の手が優しく頭を撫でた。
どうしても言いたいことがあったわけでもない。ロゼリエッタは口を噤み、ただ兄の顔を見上げる。
レオニールは大きく頷き、小さな子供をあやすようにロゼリエッタの頭を軽く叩いた。
「じゃあ僕は一度王城に戻るよ。今日は早めに帰って来られると思う」
「お仕事の邪魔をしてごめんなさい」
「気にしなくていいから、もうしばらく休んでるといいよ」
ドアの前にじっと控えるアイリに後のことを託し、レオニールは部屋を出て行く。
入れ替わるようにアイリがベッドの脇まで歩み寄り、目線を合わせるべく中腰で膝をついた。
「また少しお休みになられますか?」
さほど乱れてはいないシーツを簡単に直しながら尋ねる。ロゼリエッタは横たわったまま首を振った。
「温かい紅茶が飲みたいわ。淹れてもらってもいい?」
「もちろんです。すぐに準備をして参りますね」
「ミルクとお砂糖は多めにしてね」
「畏まりました」
静まり返った部屋に一人きりになり、ロゼリエッタはゆっくりと身を起こした。ベッド脇のスツールに手を伸ばし、緑色の宝石箱を引き寄せる。中に一枚だけ収められたカードを取り出した。
掌の上のカードを、そっと指先でなぞった。
クロードと初めて会った日に彼と兄が遊んでいたものと同じカードだ。後になって、ルールを少し覚えたと報告したら真新しいカードを贈ってくれた。いつか二人で遊ぶ日を夢見ていたけれど、果たせないままに関係が終わってしまった。
とりわけ白詰草と四葉の描かれたカードがお気に入りで、そのカードだけを箱から取り出しては何度も眺めた。こうして今日久し振りに手に取ったのは、クロードを忘れるなんてできない未練がましさからだろう。
「クロード様」
カードの上に一滴の涙が落ちる。透明な雫は防水加工の施された表面を伝い、まるでカード自体も泣いているようだった。
『隣国の王城で深夜に火災が発生して、クロードが巻き込まれたそうだ』
兄の言葉が何度も頭の中で繰り返された。
ロゼリエッタを一人の女性として愛してくれていた婚約者は、最初からどこにもいなかった。その代わり白詰草と称し、妹のように可愛がってくれる婚約者はいた。だけどその婚約者も、もういない。
涙で濡れたカードの表面を最後に一撫でして、宝石箱にしまう。
クロードへの恋心も思い出も、カードと一緒にしまいこみ、鍵をかけてしまおうか。
でもそんなことはできはしない。自分がいちばんよく、分かっていた。
なのに掌の感覚がまるでない。そのくせ心臓はうるさいくらいに鼓動を刻み、冷ややかな熱を伴った。
一度目をきつく瞑って、それからゆっくりと開く。再び兄に視線をやり、震える声で問いかけた。
「巻き込まれたとは、どういう状況なのですか」
聞きたくない。けれどクロードの安否を聞かなくてはいけない。
でも、クロードの身が無事ならば、兄はこんな言い方をしなかっただろう。
ロゼリエッタを安堵させるように「巻き込まれたけど無事でいるよ」と言ってくれるはずだ。
仲の良い兄だからこそ、その言葉選びで察してしまう。
兄は静かに首を振り、苦しそうに眉根を寄せた。
「まだ詳しいことは何も分からない。ただ……国王陛下を通して隣国の王家から、火事以降クロードの行方が知れないとグランハイム家に伝えられたそうだよ。もちろんレミリア王女殿下もご存知のことだ」
ロゼリエッタは押し黙って兄の告げる一字一句に耳を傾ける。
その言葉は冷えた心臓から冷たい血液と共に全身を流れ、今にも身体の奥底から凍えてしまいそうなほど残酷なものだ。
心が冷えて行くのと反比例して冴えて行く脳が、状況が現実のものであると徐々に理解しはじめる。理解はしても受け入れたくはなくて、世界が色と形を失って行った。
「嘘……。クロード様が、行方不明だなんて……嘘に決まってます……」
「ロゼ!」
衝撃に身体がふらついて、椅子から落ちそうになる。慌てて駆け寄った兄に支えられ、ロゼリエッタはいやいやとかぶりを振った。
お守りを渡した日のことを夢に見た日にそんな報せを受けるなんて、どんな巡り合わせなのだろうか。
でも、お守りは子供騙しで何の意味もなかった。ああそれとも、元婚約者にもらった手作りのお守りなんて、とうの昔に捨ててしまっているだろうか。
持っていても何の効果もないお守りを渡したこと。すぐに捨てられるお守りを渡したこと。どちらがましな結果なのだろう。
最初からお守りなんて渡さなければ良かった。
でも、それよりも。
「クロード、様……」
好きでいることさえ許されないのなら、出会わなければ良かった。
□■□■□■
「お嬢様、そろそろ日が暮れてしまいます」
朝からずっと、休憩を取りつつもひたすら白詰草に埋もれて四葉を探すロゼリエッタの背に、年老いた侍女が躊躇いがちに声をかける。
日没を迎える前に部屋に戻らなければ、また体調を崩してしまうかもしれない。もしそんなことになったらロゼリエッタではなく彼女が父に叱られることだろう。
申し訳なさを感じつつも諦めたくなくて、ロゼリエッタは白詰草に半ば埋もれながら侍女に懇願する。
「あと五分だけ待って、お願い」
答えはすぐには返って来なかった。
侍女からしてみたら子供のわがままに振り回された挙句に主に叱られ、暇を出されることまではないにしろ、下手をしたら減給の憂き目に遭うかもしれないのだ。簡単に受け入れられることではないに違いない。
ややあって溜め息の気配が耳に届く。
「仕方ありませんね。ですが、あと五分以内に見つからなかったらまた明日以降にしましょう」
「ありがとう!」
お礼を言うのに顔を上げ、その時間さえ惜しくてすぐにまた視線を手元に落とす。今まで時間は限りなくあると思っていたけれど、あと五分だけになってしまった。そうとなれば一秒でも無駄にはしたくない。小さな白い指が土で汚れるのも厭わず、必死に青々と茂る葉をかき分けた。
クロードが次はいつ遊びに来てくれるのか分からない。家に来たとして、ロゼリエッタにも顔を見せてくれるとも限らなかった。それでもできるだけ早くクロードにお守りを渡したかったのだ。
それに、今日見つけられなかった四葉は明日になったら枯れてしまうかもしれない。そう思うと永遠に四葉を見つけられないような気がした。
焦りながらも注意深く探し続け、四枚に分かれた緑色の葉を見つける。傷つけないよう周りの葉を慎重に除ければ間違いない。ずっと探し求めていた四葉だ。
「見つけた!」
「よろしゅうございました」
侍女は優しい笑顔を見せた。喜びも束の間、ロゼリエッタは眉尻を下げる。
あと五分。その約束だったのに、いつの間にか太陽の位置はずいぶんと下の方に沈み込んでいた。
冷静になって考えればすぐ分かることだ。
朝から必死に探しているようなものが、たった五分でそんな都合良く見つかるわけがない。それでも完全に日が沈んで辺りが暗くなるまでのことだろうけれど、侍女は何も言わず五分をゆうに超える時間を待っていてくれたのだ。
無言で与えられた優しさに胸がいっぱいになる。
ロゼリエッタは細く短い四葉の茎を両手でそっと包み込んだ。四葉が幸運のシンボルと言われるのは人の温かな気持ちが結晶となっているからに違いない。そう思った。
「わがままを言って付き合わせて本当にごめんなさい」
「大丈夫ですよ。さ、せっかく見つけた四葉を失くしてしまわないうちに帰りましょう。風が出て参りました」
「うん」
侍女に手を引かれて部屋に戻ると、厚い辞典の真ん中辺りに四葉を挟んで押し花を作る。そうして縫物など一度もしたことがないけれど、侍女に教えてもらって小さな巾着袋も作った。
あとは四葉の押し花が完成したら台紙に貼って中に入れるだけだ。
クロードは受け取ってくれるだろうか。
期待と不安とで揺れる気持ちを抱えながら、ロゼリエッタはどこか歪な巾着袋を胸に押し当ててた。それから、クロードを想う心だけは偽りなく真っすぐに祈りを捧げる。
どうか、良いことがありますように。
□■□■□■
「……お兄様」
「ああ、目が覚めたのかい」
目を開けると、心配そうにのぞきこむ兄と目が合った。
ベッドに横たえられていることに気づき、記憶を手繰る。
ああそうだ、思い出した。
クロードが隣国の武力抗争に巻き込まれて行方不明になったと兄から聞いて、気を失ってしまったのだ。
そしてまたクロードの為に四葉を探す夢を見ていた。
いくら探したところで、ロゼリエッタが見つけた四葉ではクロードに幸運をもたらすことはできない。でもそんな未来を知らない幼いロゼリエッタは、クロードの為に探し続ける。
同じ夢を、この先も何度も見るに違いなかった。
「お兄様、私」
口を開けば兄の手が優しく頭を撫でた。
どうしても言いたいことがあったわけでもない。ロゼリエッタは口を噤み、ただ兄の顔を見上げる。
レオニールは大きく頷き、小さな子供をあやすようにロゼリエッタの頭を軽く叩いた。
「じゃあ僕は一度王城に戻るよ。今日は早めに帰って来られると思う」
「お仕事の邪魔をしてごめんなさい」
「気にしなくていいから、もうしばらく休んでるといいよ」
ドアの前にじっと控えるアイリに後のことを託し、レオニールは部屋を出て行く。
入れ替わるようにアイリがベッドの脇まで歩み寄り、目線を合わせるべく中腰で膝をついた。
「また少しお休みになられますか?」
さほど乱れてはいないシーツを簡単に直しながら尋ねる。ロゼリエッタは横たわったまま首を振った。
「温かい紅茶が飲みたいわ。淹れてもらってもいい?」
「もちろんです。すぐに準備をして参りますね」
「ミルクとお砂糖は多めにしてね」
「畏まりました」
静まり返った部屋に一人きりになり、ロゼリエッタはゆっくりと身を起こした。ベッド脇のスツールに手を伸ばし、緑色の宝石箱を引き寄せる。中に一枚だけ収められたカードを取り出した。
掌の上のカードを、そっと指先でなぞった。
クロードと初めて会った日に彼と兄が遊んでいたものと同じカードだ。後になって、ルールを少し覚えたと報告したら真新しいカードを贈ってくれた。いつか二人で遊ぶ日を夢見ていたけれど、果たせないままに関係が終わってしまった。
とりわけ白詰草と四葉の描かれたカードがお気に入りで、そのカードだけを箱から取り出しては何度も眺めた。こうして今日久し振りに手に取ったのは、クロードを忘れるなんてできない未練がましさからだろう。
「クロード様」
カードの上に一滴の涙が落ちる。透明な雫は防水加工の施された表面を伝い、まるでカード自体も泣いているようだった。
『隣国の王城で深夜に火災が発生して、クロードが巻き込まれたそうだ』
兄の言葉が何度も頭の中で繰り返された。
ロゼリエッタを一人の女性として愛してくれていた婚約者は、最初からどこにもいなかった。その代わり白詰草と称し、妹のように可愛がってくれる婚約者はいた。だけどその婚約者も、もういない。
涙で濡れたカードの表面を最後に一撫でして、宝石箱にしまう。
クロードへの恋心も思い出も、カードと一緒にしまいこみ、鍵をかけてしまおうか。
でもそんなことはできはしない。自分がいちばんよく、分かっていた。
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