薬師はひそやかに

涙希

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 ユノがターウェと出会ってから、既に一月が経過していた。

 ターウェに言ったように、ユノは往診のため自宅兼店からルラン国を行き来していた。
 ……最初の一週間は。

 ルラン国とユノのいる森林は、距離にしておよそ12.5km。時間変換すれば2時間半程で、徒歩や馬を利用すればその半分の時間で辿り着ける。

 道のりとしてもほぼ直線になるため、特に迷うことも問題も起こることもなく。既に往診を始めて5日目にして、ターウェの体調や怪我の具合はほぼ完治に等しかった。その治癒力は目を見張るものがあり、流石は騎士団に所属するだけはあるなと感心し納得したものだ。

 往診はターウェの体を慮って、最初の二日は騎士団寮のターウェの部屋でしていたが、だんだん動けるようになったターウェは医師であるユノの許可なく、その往診場所を勝手に鍛錬場へと変更していた。これには全くと言って良いほど怒りを露わにしないユノも、流石に人の目を憚らず注意した。
 異様に人の視線、騎士の視線を浴びていたがそんなことより重要なのは患者の身体だ。

 コンコンと冷静に言い含めていると、懲りたのかターウェは無茶な鍛錬をしなくはなったが、残念ながら往診場所の変更はできなかった。

 さほど深い傷でもなく、しかし浅くもない傷だが注意しないと合併症や感染症の恐れもある。肩は浅く爪で引き裂かれ脇腹は中傷程の咬み傷があり、正しく処置されていても膿む可能性もなきにしもあらずだ。油断は大敵、ましてや騎士は身体が資本なのだから大事にしろとは口を酸っぱく言い続けた。

 そうしてきっちり一週間が過ぎた時にターウェの方から提案がされた。
 ……提案というよりは懇願、だったか。

 ターウェが言うには、騎士団の士気が危うい、とのことだったが。いまいち理由はよく分からなかった。ブツブツと「副団長の威厳が」や「ユノさんを見過ぎだ」、「くそ、どうやって守れば」なんて言葉が聞こえていたが、正直何もわからなかった。

 意外だったのはターウェが騎士団内でも、副団長の地位にいたと言うことだ。

 いやはや副団長が我先にと囮を請け負うとは、全く思わなんだ。
 確かに騎士団内でも下から数えるほど歳若いらしいが、その若さでその地位についているのだから、もう少しどっしり構えていても良いかとも思う。が、まぁそれぐらいがバランスが良いんだろうな、とどことなく苦い空気を含んだ笑いを浮かべるターウェを見て、そう思った。

 そしてターウェとユノの交流が始まって一月経った、今現在。
 ターウェの元へ往診へ行くことは全くなく、代わりにターウェが時間を見つけてはユノの店へと顔を出すようになった。

 金の髪が店内のカウンター席で腰を落ち着けながら、ユノが騎士団から依頼されている薬の調合様子を興味深げに眺めていた。
 その姿は全身をすっぽり覆う黒のマントに、ラフなシャツにベスト、スラックスの格好。しかしラフとは言ってもそれなりの素材で作られており、腰に片手直剣がある通り、特にマント防護服も兼ねているようだった。

「__ユノさん、今のそれは何の薬なんですか?」

 すり鉢に赤い小さな実を入れていた瓶から5粒取って、叩いて割るようにすっていくとターウェが不思議そうに言った。
 本人が言うには2週間はこうして来る度に調合を見ているから、ある程度の内容と材料は記憶している、らしい。通常であれば、それは中々難しいことだと思っているがなんてことないようにターウェは言うので、ユノは無言を通している。

 往診を通じて、ユノとしてはターウェとは良い友人関係を築いていた。そのため、ターウェが才を持っているな、と感じることも多くあった。

 実例としては、その記憶力。
 ターウェの言葉から、この実はターウェの前では調合に使用したことがなかったな、と思い出し、故にターウェがそう疑問を口に出したことに合点がいった。

「ルコの実だ。いつもの痛み止めにすりつぶした汁を混ぜると、痛覚遮断効果の高い痛み止めになるんだよ。いわゆる上位薬、的な?」
「……初めて聞きました」
「あぁ、それはあまり使用されていないからな。ルコの実が薬に」
「…………ユノさんが開発したので?」

 すり鉢でルコの実の種を潰さないように取り除きながら説明していると、やけにターウェの反応がワンテンポ遅れていることに気付き、訝しげに伏せていた顔を上げる。カウンターに身体を乗り出すように座っていた筈のターウェが、姿勢を正し、難しい顔をして考え込んでいた。
 最近よく見るようになった顔だった。

「……ターウェ?」

 思考の海へ揺蕩っているのか、声をかけても反応がなかった。

 こうなると長くなるとこの一月で把握しているので、一度息を吐いて再度作業へ戻った。

 ルコの実を潰し終えて、すり鉢の底面に泡立つ白濁する液体の匂いを嗅ぐと、ほんのりと酒精を帯びていた。
 この酒精が、通常の痛み止めより強い痛覚遮断の効果を与えていた。
 酒精はルコの実だけを潰したことで、得られるものだ。

 この液体を一旦、作業台の脇に置いて準備だけしていた痛み止め用の薬草をパットごと手元に引き寄せる。
 その中には間隔をあけて乾燥させた3種類の草と、小さな白い花をついた枝が置かれており、ユノは慣れたように乾燥草3種類のうち、1番小さく量のある種類を薬研に全て入れる。そして薬研車を手に、最初は大まかに砕いていく。
 重い、石がぶつかる音が店内に響く。

 乾燥草が細かく砂状になってきたら他の2種類を同時に投入し、さらに細かく粉砕していく。
 薬研は小さくともそれなりに重量があるため、休憩として途中小さな白い花を枝から離し、ビーカーに移す。そしてカウンターのすぐ後ろにある棚から、一つの小瓶を手に取り白い花の入ったビーカーに小瓶を丸々移す。
 淡く緑に色づいているその液体は、薬草の効力を増強し薬効を安定させる効果がある。

 中性薬、とユノは呼んでいる。

 何故これを使用しているのかというと、現在調合している乾燥草と白い花は宿す薬効の成分濃度が違いすぎるからだ。
 白い花はこれもルコの実と同様、あまり知られていないが治癒力増強の効果があるものだった。水辺の、それも精霊が住むとされる場ほど清らかな澄んだ水辺にしか咲かないという花だ。その水辺がこの白い花の強い効果を付与しているのだと、ユノは考えている。

 ビーカーの中で薄緑の中を揺れる白い花は中々綺麗だ。

 ガラス棒でかき混ぜながら、じんわりと白い花の花弁先が緑に染まってきたのを確認し、一旦手を離す。
 ここまでは市井に出ている痛み止め薬と同じ製法である。
 そこにルコの実を加えることで、その効果を上乗せしているのがユノの薬だった。

「__そういや、近々討伐でも行くのか?」

 再度薬研を掴んで、今度は乾燥草を粉末状にすべく腕を動かし始める。
 もう少し白い花が緑を帯びるまで、ビーカーでつけておかなくてはいけない。
 ついでに、この騎士団依頼の薬の使用用途を軽く聞いて見ると、思考の奥底へ行っていたターウェが気の抜けた声を上げた。

(まだ戻ってきてねぇのかよ……)

 呆れた視線をターウェに流すと、ターウェはそれに気付いたのか気まずそうに視線を逸らして、わざとらしく咳払いをした。

「コホン、えぇっと……討伐、ですか?」
「あぁ」

 短く肯定すると、迷うように視線を彷徨わせたターウェ。
 その様子を気配で察して、先制するようにユノはさらに言葉を繋げた。

「機密事項だったら言わなくていい。注文があるだけ、うちとしては有難いしな。寧ろ、言い難いこと聞いちまって悪かった」

 手を止めてターウェを見ると、パチリと目を瞬いたターウェがいた。

「お前、男前が台無しだぞ?」

 思わず声に出た。
 しかしターウェのその容貌は、そんな間抜け顔でも絵になっている。
 ……デジャブだ。

 あまり頻繁に人が来ることはない店だが、このターウェが来てから異常なほどの人の出入りが見られている。……まぁ原因は言わずもがな、か。
 来て居座るだけならユノも商売にならない為、ましてや調合の邪魔なので追い出すが、どうもその辺の常識はしっかりしているのか、来る客はきちんと買い物をしていってくれるためユノは現状に目を瞑っている。
 その影響はやはりターウェのその容姿の良さだろう。
 難儀だな、と思う。

 なんだかな、と苦笑めいた笑いを浮かべながらユノは薬研を動かす。
 ターウェはユノのその笑みを受けて、困ったような顔を浮かべた。

「ユノさん、無理は承知でお願いがあるのですが」

 意を決したような声音と顔でターウェが切り出して、そんな素振りが見えなかったためにぴたりと動作を止めるユノ。
 店内はターウェの影響を受けないように、ターウェが来店している際は店を閉めるようにしている。そのため客の姿は見えず、静かな森の音が小さく聞こえるだけだった。
 カウンター前に座る、姿勢の良いターウェ。
 真っ直ぐに白緑の瞳がユノへと注がれて、その瞳にうっすらとユノの銀白の毛並みが映って見えた。

「…………もしかして、今まで考え込んでいたことと関係あるのか?」
「……実は、はい」

 やはりバレてましたか。

 隠す気もないだろうに、と思ったが口には出さなかった。しかし代わりに肩を竦めてターウェに答えると、話し始めようとしていたターウェを制止する。

「これだけ終わらせちまうから、少し待っててくれ」
「分かりました。……ありがとうございます」

 軽く頭を下げたターウェを待たせないように、素早く的確に慎重に調合を切りの良いところまで進めていく。
 薬包紙を引き出しから一枚取り出し、薬研から粉末状になった乾燥草を薬包紙へ移す。
 呼気で吹き飛ばないように鼻から口を布で覆い、零さないように薬包紙の中心部に盛った。ガラン、と薬研と薬研車が互いに音を立てた。
 正方形の形の薬包紙を対角線状に角を摘み上げ、包んでいく。
 そして白い花が淡い緑の花になったことを確認すると、新たなビーカーに濾し器をセットしてそこへ花ごと注ぐ。
 あとはこの二つとルコの実の液体を、火にかけながら掛け合わせ3分ほど煮詰め、濾せばユノ印の痛み止め薬の出来上がりだ。

 ここまで仕上げたユノは、乾燥薬やらを入れていたパットを軽く拭いて液体の入ったビーカーと薬包紙、とりあげた緑の花を小皿に移して置いた。

 よし、と内心で満足げな声をあげて、ターウェに作業の終わりを告げると、店からリビングへ移動しようと提案した。

 ターウェは間髪なく、頷いた。
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