薬師はひそやかに

涙希

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「ダン、お疲れ」
「……師匠」

 無表情に疲れの滲んだダンが、振り返る。
 労いながらついその頭を撫でて、ダンの記入した観察記録を手に取り、読み始める。

 ……数名、毒におかされていたようだが自己治癒力で問題なく解毒できるようだった。念の為と、ダンは治癒力強化を患者にかけたようだ。

 うん、いい判断だ。

 ここは国境で、魔物との戦いでも最前線となっている。
 戦力はとても重要で、ここにいる患者である彼らも早期復帰を願うだろう。

 観察記録を捲りながら、とある患者の記録で紙を捲る手を止める。

 ダンの横で助手に徹していた、ここの治癒士をチラリと視る。

「……ダン、ここからは俺が代わるから重傷患者から持ってきた布で体を拭いてやってくれ。ついでにシーツの交換や換気も。そろそろハインリヒとグランも終わるだろうから、そうしたら手伝って貰え」
「でも……」
「平気だ、お前の書いてくれた記録のおかげですぐ終わる」
「……わかり、ました。無理だけは、しないで……」
「あぁ。頼んだぞ」

 先ほどの治療からすぐに次の治療をしようとするユノに心配と咎めの視線を向けながら、予想外に褒められたためほんのり頬を染めながら、渋々納得するダン。苦笑しながらダンの書き途中の記録を受け取って引き継ぎをすると、ダンは早速とばかりに持ってきた布を多数抱え込んで、奥の医務室に向かった。
 丁度入ろうとしたダンと、出ようとしたハインリヒとグランが鉢合わせたらしい。ダンが静かにユノの伝言を伝えると、すぐさま行動に移し始めた。

 見なくとも気配でその動きがわかり、思わず微笑むユノ。

 さて、とほっこりした気持ちから気を引き締めて、目の前にいる一人の青年に目を向ける。

「お前がここの治癒士か?」
「えっ……まぁ、そんなところです」

 ダンとのやりとりを黙って見聞きしていた彼に、カルテを手に持ちながら問うたユノ。
 驚いたように、次には気まずげに視線を逸らしながら肯定する彼に、うん? と眉を顰めながら、ダンの座っていた場所に座るようにいう。

「…………はい?」

 虚を突かれたように目を見開いた彼が、小さく抵抗の声を出す。
 ……なるほど、隠したいようだ。

 そんなことさせねぇけどな。

 スッと目を細めると、ユノが気付いていることに気付いた治癒士の青年は、ビクついたように首を竦めるとユノの視線の強さに負けて、ノロノロと椅子に座った。
 ユノは部屋の端の方にあった空いている椅子を持ってきて、彼の目の前に腰掛ける。

「お前、名前は?」
「え…………ククル、です。ククル・オロン……」

 気の弱そうな顔立ちに、自信のなさが垣間見えるその声。
 しかし見かけ以上の我慢強さと精神力の強さがあるようで、無造作に治癒士_ククルの手を取ると、脈拍を測りながら状態を知るために魔力を流して、魔力回路を探す。
 すると。魔力を流し始めてすぐに、不快そうに眉を寄せるククルに気付いて、驚きに小さく眉を動かすユノ。
 ユノの魔力に気付いて、居心地悪そうに身動ぐククル。

「…………あの……何ですか……?」

 堪えきれなかったのか、ククルが気まずさと不快さにユノに声をかける。

「何って、お前毒にやられてるだろ。解毒しようとしてんだよ。つっても……随分、薄いけどこりゃ……お前、よく……」

 今度はククルが目を見張る番だった。
 誰にも言わず、誰にも悟らせず、隠し通したのに。
 自分がこの砦で唯一治癒を使いこなせていたために、負傷者の手当てを受け負うために鈍い痛みや不調を訴える己の体に鞭打って動いていたのに。それがたったの一目で、見破られた。
 ダンの診察にも嘘は言っていないが、事実も言っていない曖昧な発言をするように心がけていた。

 そしてククル自身も察していた自分の状態を、ユノは確信を持って言い、言い淀む様を見て。
 __一気に安心がククルの体を覆った。

 もう、僕じゃなくても……良かった。

「っ、おいククルッ! 待て待て待て! もう少しだけ気を張っててくれ!!」

 安堵によって押さえていた、無理矢理遮断していた体の不調が一気にククルへ襲い掛かる。
 その様を魔力回路を通じて理解したユノが、焦ったように制止と続行の依頼をするが、既に痛みによる意識の混濁によりククルは目を開けていることが困難だった。痛みに汗が滲み、額を流れる感覚がして(気持ち悪い……)と遠くの意識で思う。

 ククルは混濁した意識が、想像以上の自分の限界を自覚した。

「ダァー! もう、くそっ……!! 我慢しろよな!!」

 そんな、焦りと投げやりな決意の言葉が聞こえた。

 次の瞬間。
 ククルは何かに包まれて。ぬるま湯の水の中を揺蕩うような不安定さで、でも何故か安らいで。ユノの言葉通りに薄く開いていた目を、ククルは完全に閉じてその揺れに身を任せた。

 ククルの体から力が抜けて、完全にユノに真正面から寄りかかる。

 限界だったククルを真正面から抱きしめたユノは、力無くユノの肩に頭をもたれるククルの顔色を見て、急ぎ脈拍を測っていた手を持ち上げ、目を閉じて集中する。

 ククルを蝕んでいたその毒は、先ほどの毒とは違い、どちらかというと精神に影響を与えるものだった。
 戦闘時の攻撃による痛みをその精神に刻み、怪我は治ったとしても幻痛としてその記憶を呼び起こし、精神を追い込む類のものだ。毒、というよりは幻術が近い。しかしその発動方法が攻撃によりその対象者へ毒を仕込み、毒を媒体に発動させているため、幻術でありながら毒で、毒でありながら幻術という極めて稀なものだった。

 入り込んだ毒はとても薄く、小さい。自己治癒力で簡単に解毒できる程度のものだ。
 しかし幻術である痛みによって、その治癒力が作用されず、傷を負ってから今までその痛みと闘ってきたのだろう。

 身体に外傷はないが、診察結果を読みつつ一目見た時からその疲弊した顔に疑問を持って、よく視てみたら今握っている手首にその残滓があった。

 魔力を練り、手首の該当部分にピンポイントで魔力を馴染ませながら、解術の意思を宿す。

 __パキンッ

 薄い何かが割れた音が聞こえて、目を開くと握るククルの手首から紫がかった黒い靄が出てきて、空気に溶けて消えた。
 解術の成功を目で確認し、まだ10代だろうそのククルの背中と足裏に腕を差し込み、抱き上げると寝かせるために医務室の中で少し空間のある場所に持ってきて貰った布を持つと、敷いた。
 丁度よく換気やらが終わったらしいグランにも手伝ってもらって、ククルを丁寧に横たわらせると滲んだ汗を別の布で拭う。
 治癒士として呼ばれたから、気を張っていたんだろう。
 すまないことをした、と内心反省しながらその安堵したような穏やかな寝顔を眺めるユノ。

「……よし。じゃあダンは引き続きここの診察を頼む。グランとハインリヒはダンの助手をしてくれ。俺は砦内を見て回って怪我隠してるやついねぇか見てくるから。それが終わったらマルティカとベルタラフのところにいる」
「分かりました、いってらっしゃい先生」
「分かりました。……あ、持ってきた調合済み物資使ってもいいですか?」
「勿論。じゃんじゃん使え。そのために持ってきたんだ」

 新たな指示を出しながら気分を改め、ユノはまだまだ始まったばかりだと自分自身に喝を入れる。

 ダンがそんなユノを見て、目を細めながら尊敬を滲ませ、気づけなかった自分の未熟さを恥じて自責する。
 あんなに近くにいたのに。
 あんなに言葉を交わしたのに……気づけなかった。
 医療に携わるものとして、それが酷く悔しかった。だから遠ざかろうとするユノに声が出なくて、口を開いては閉じる様子を見たグランが優しくダンの肩に触れた。

 グランが控えめに確認を取ってきたため、ユノが遠慮するなと笑いながら許可すると、引き締められた顔で頷いた。

 頼もしい限りだ。……その横にいる、ダンのその決意したような瞳も。

 __さぁて、気を張っている患者を。そして、その患者を認識しながら強く言えない同業者を安心させるために、腕を回しながら準備運動しつつ、医務室を出たユノ。

 その後ろ姿を見送っていた部下であり、弟子でもあるグランとダン、ハインリヒは顔を見合わせて内心を完全に一致させていた。

(((今日も患者に容赦ないな)))

 三人は安定の上司の姿に、広がる頼もしさと誇らしさに笑いながら自分のやるべきことに意識を向けた。
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