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習慣というものは残酷だ。
 寝るまでにどんなに余計な時間を費やしたとしても同じ時間に目が覚めてしまうのだから。おかげで寝不足で身体が怠い。そして鏡が手元にないから確認はできないものの、眼の下にはうっすらとクマができていることだろう。
「今日、ラウス様との外出なのに……」
 思えば数日ぶりの外出だ。この屋敷に来てからというもの敷地の外には一歩たりとも出ていない。どこへ行くのか、何を目的に行くのかもわからないがどちらにせよこの辺りは領地の山とは違って土地勘がないため、好き勝手は出来ないだろう。
 まぁ今さらどうする気もないが……。
 だが太陽の下を歩くだけでも楽しい気分になることだけは確かだ。出来ることなら無心でひたすらに歩き続けたい。ヒールは疲れるので裸足で。草原の上を歩いたりしたら絶対に楽しい。…………私だけが。明らかにラウス様は楽しくないだろう。
 ひたすら歩き続ける私と木陰で本を読むラウス様の姿が簡単に予想できる。わざわざ好きでもない女と外出してまで本を読む意味がわからない謎の光景だ。
 そんなことより根本的な疑問なのだが、せっかくの休みを私なんかと過ごしていいのだろうか?
 買い物に行くにしても荷物持ちくらいにしかならないだろうに。
「本当に今日、どこに行くんだろう?」
 眠いことなど頭からは離れていき、その疑問が頭の大半を占める。まるでお出かけに連れて行ってもらえる子どものようだ。自分の意思だけで外出が決められない今の状況はまさしく子どもと一緒といえばそうなのだが……。
 そうこう考えているうちにドアが弱々しく叩かれる。まだ日も昇ったばかり。誰が一体、何の用だろう?
「はい?」
 そう返してからドアをゆっくりと開くと、そこには数人の使用人がたくさんの洋服と靴を持って笑顔で立っていた。そしてその後ろからひょっこりと顔を出すのはお義母様だ。
「モリアちゃん、お着替えしましょうか?」
 どうやらこの数日で私の起床時間は把握されていたらしい。わずかに開いた隙間を開いてお義母様は部屋へと入って来る。そして使用人もその後に続いて入ると準備を開始した。
「お義母様、これは?」
「私は今日お留守番でしょう? だからせめてお着替えだけでもお手伝いしようと思ってね。私が昔気に入ってたアクセサリーなんかも用意したのよ?」
「そ、そんな、服だけでも申し訳ないのに、アクセサリーなんか借りれません!」
 人違いとわかってからは、毎日着させてもらっている服は供給されたものなのか貸し出されたものなのかよくわからないが、必要不可欠のものとして遠慮なく着ることにしている。だがアクセサリーは違う。なくても困らない。そして壊したりなんかしたら借金がカサを増していく、なんとも恐ろしいアイテムなのだ。
「借りる、じゃなくてあげるのよ。モリアちゃん、荷物はほとんど持ってこなかったし、その中にはアクセサリー、なかったでしょう?」
 それはそうだ。アクセサリーなんて真っ先に売り払った。元々数があったわけではないそれらは災害の修復作業代に当てた。そんなに高くは売れなかったが、それでも売らないよりはマシだったのだ。
「……それを貰うことは出来ません」
『借りる』は第一に壊してしまったらどうしようかと心配をするが、『貰う』はそんな心配などする暇もなく拒むだけだ。
 好意だからこそ明確に拒まなければいけない。
「なぜ?」
「貰う権利がありません」
 私は人違いの嫁だからだ。悲観するわけではなく、事実としてそれは私の胸の中にある。
 借金を返済するために、愛よりも金をとった私は線引きをしっかりとしなければいけないのだ。
 私がこの場に立つのは、いつか探し出してみせる本物の彼女がやって来るまでの期間なのだから。
「モリアちゃんは私の義娘なのに……」
 私の言葉に納得いかないように頬を膨らますお義母様だが、無理にそれを強要することはなかった。
「まぁそうね……『いつか』でいいわ」
 そんな『いつか』などやって来ることはないのだが、そう言って引き下がったのは彼女なりの優しさなのだろう。その代わりなのか、それから朝食の時間までお義母様は一片の妥協などせずに私の着せ替えを続けた。
 寝不足と相まって、朝から着せ替え人形のように何度も着替えさせられてさすがに疲れた……。
 服も決まり、仕上げに使用人が髪を梳いてくれている間、うつらうつらと船を漕いでしまったのは仕方のないことなのだろう。



 それから意識を取り戻したのは遠くから聞こえる怒鳴り声を耳にしたからだった。
「だから……!」
「私だって……のよ!」
「だからって……こと……」
「だって……だってそれは……」
 途切れ途切れに聞こえる男女の声は、どうやらラウス様とお義母様のものらしい。眠りから覚めた頭を髪がボサボサにならない程度に左右に振ってから、声のする方へと向かった。二人の言い合いをどうにかできるとは思ってはいないが、身体が勝手に動いてしまったのだ。
「ラウス様、お義母様!」
「モリア!」「モリアちゃん!」
 声を掛けると二人は言い合いをやめ、ほぼ同時に振り返る。
 ラウス様は心配そうに、お義母様は嬉しそうに。
「身体は大丈夫なのか?」
「え? あ、はい」
 足早に距離を詰めて顔を覗き込むラウス様は、訳がわからず適当に返事を返した私のおでこに手を当てる。
「とりあえず、熱はないな……」
「ラウス様?」
「疲れているんだろう? 今日はゆっくり休んでくれ」
「え、ですが今日はどこかへ出かけるんじゃ……」
「疲れているモリアを連れていくなんてできる訳がないだろう? いいですか、お母様?あまりモリアに無理はさせないでくださいね」
 どうにも私を病弱か何かだと勘違いをしているらしいラウス様は私に語りかけるのと正反対の、突き放すような声でお義母様を威嚇する。
 それはお茶会で仲間はずれにされていたお義母様と似ていて、さほど怖いとは思わなかった。ただ家族なんだと思う。
「私だって、私だってモリアちゃんがここに来るのに一役かったのにそれはあんまりだわ……」
 お義母様はやはり怒られたことなど気にせずに頬をぷくっと膨らまして、いじけたように髪をいじる。
 それにしてもお義母様が一役かったとはなんの話だろう?
 私はただ借金があって、そしてカリバーン家が私を指名したからここにいるだけ。私はその結果は知っていても、過程をよく知らない。だがよくよく考えれば名家として知られるカリバーンが下級貴族を引き取るまでに色々ないざこざがあったとしてもおかしくはない。
 そうなるとただの『人違い』として引き取られた私としては少しだけ肩身がせまい。
 それでもここにいていいと思えるのは単純にこの家の誰もが私を排斥しようとしないからだろう。むしろ歓迎されている。
「それはまぁ……感謝はしていますが……」
「ならいいじゃない! 私もモリアちゃんと仲良くなりたいの!」
 少しばかり歓迎されすぎではないかと思わなくもないが……。
「そういえばお母様。来週のお茶会、モリアを連れて行くと叔母様に約束したそうですね?」
「ええそうよ。お義姉様もモリアちゃんに早く会いたいんですって!」
 それは私も初耳だ。
 どうせ大した予定も入っていないし、構わないのだがラウス様の叔母様か……。どんな方なのだろう?
 カリバーンの名前でさえも噂でしか知らなかった私にとって初対面の人になるのはまず間違いのないことだろう。
 だがなぜそんなにも会いたいと思ってもらえているのだろう?
 もしかしてカリバーンに相応しくないとでも言われるのだろうか?
 そうだとしたらまた振り出しに戻るだけだ。田舎村に帰ってせっせと借金返済に向けて地道に努力する生活に帰るだけ。そのはずなのにほんの少しだけ胸が疼くのはなぜだろう?
 ラウス様の言った通り体調でも悪いんだろうか?
 頑張り屋のお姉様達と違って、私はそうそう風邪なんてひかないのだけど、慣れないことが続いたからな……。いや、でも私の身体はそんなヤワではないはずなのだ。
 私が自分の身体と対話しているうちもやはり二人の形勢はラウス様が優勢のまま続いている。
「叔母様にはすでにお断りの手紙を出しておきましたから」
「なんでそんなことをするのよ!」
「叔母様には結婚式の招待状を出しているのですからそこで会えばいいでしょう!」
「ダメよ! これはもうモーチェス様との話し合いでも決まったことです」
「話し合いって、お父様が叔母様に逆らえる訳ないじゃないですか……」
「そう。だから今モリアちゃんがカリバーン家にお嫁に来れているのよ?」
「それは……まぁそうですが……」
「来週のお茶会は決定事項です。私とお義姉様、モリアちゃん、アンジェリカの四人でするお茶会だから、あなたは安心していつも通り仕事でもしていればいいのよ」
「はぁ……。まぁ身内だけだし、叔母様には恩があるからな……。モリア、すまないな……」
 話し合いの結果、私のお茶会参加は決まったようだ。
 3人中2人はお義母様とアンジェリカで緊張することはないと思いたいのだが、どうやらラウス様の叔母様はお義父様よりも力関係が強いらしい。そんな人とお茶会なんて、大丈夫な気がしない……。
「無礼のないように頑張りますね」
 だが私の出来ることはたかが知れていて、その相手の機嫌を損ねないように気をつけるくらいなものだろう。
 胸に手を当ててそう決意したのだが、お義母様はそんな決意をかき消すように呑気な声で「モリアちゃんはそのままでいいのよ」と笑った。

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