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 お義母様が納得したように去って行くと、ラウス様は何かを思い出したかのように肩を揺らしてからこちらへ身体を向けた。
「そうだ、こんな言い合いしている場合じゃなかった……。モリア、大丈夫か? せっかく着替えてくれたようだが外出は今度にしよう」
「ですが、私はどこも悪くありませんよ?」
 きっとこの様子からすると、この前みたいにずっとラウス様は私の隣にいることだろう。せっかくの休みに看病で潰すのは申し訳ない。本当に体調が悪いならともかくとして、熱があるわけでも咳が止まらないわけでも、はたまた背後から鈍器で殴られるような痛みに襲われているわけでもない。私はいたって健康だ。
「無理はしていないか?」
「大丈夫です!」
 心配性らしいラウス様に少しだけ強めに問題ないとアピールをすると「そうか」と心底安心したように頬を緩ませた。
 そしてラウス様は自分の手と私の手の指を絡ませるように繋いだ。
「なら朝食を食べてから行こうか」
「……はい」
 ラウス様は慣れた仕草で、流れるように繋ぐのに顔だけは赤らめるものだからこちらも妙に意識して顔が赤くなる。
「今日はどこに行くのですか?」
 無言の間が続くほど顔は熱くなるもので、どうにか繋がれたままの手から意識を逸らそうと話を振ると、ラウス様も恥ずかしいのか前を向いたままで話を続けた。
「城下町に行こうと思っている」
「そうなんですね」
 絞り出したはずの会話はあっけなく終わりを告げる。だが『城下町』と聞いた私の心は弾んでいた。
 城下町といえば国随一の品々が集まるところであり、それに比例して値段が張る。まぁどこに行こうが私が何かを買うことは出来ないが、見て楽しむというのも買い物の楽しみの一つだ。店側からしたらハナから買う気などないのだから、たまったものではないのだろうが今回ばかりは許してほしい。
 そんな城下町と当家の領地からほど近い街では売ってるものは全くと言っていいほど違うだろう。
 いつになるかわかったものではないが、いつか自由に使えるお金が出来た時にする買い物に備えた下見だと考えれば楽しいものだ。
「楽しみですね」
 思ったことを簡潔にまとめて口から出すと、ラウス様は目を丸くして私の顔を覗き込んだ。それが本心から出た言葉であると納得したのか「そうだな」と嬉しそうに笑った。
 もしかして恥ずかしくて前を向いていたのではなく、自分の案が否定されることを恐れていたのだろうか?
 場所がどこであろうと従うだけで拒みなどしない。出来ればここ数日の運動不足が解決するような場所が良かったなんて口が裂けても言いはしないのだ。


 食事を手早く、けれどやはり昨日と同じだけの量を食べた。そして用意されていた馬車にラウス様に支えられながら乗り込んだ――まではよかったのだが、距離が妙に近い。
 馬車なのだから当たり前だ?
 馬車の大きさが爵位と比例しているということもなく、サンドレア家と内装の差はものすごいものがあれど広さは同じなのだ。
 だが今までこんなに相手との距離を気にしたことがあっただろうか? 
 おそらく一度もない。家族はもちろんのこと、ハーヴェイさんとご一緒した時も、ラウス様と初めてあった時も息苦しさを感じこそすれど距離はそこまで気にしなかった。
 では私の意識し過ぎではないか?
 それはノーだ。私とラウス様の距離は6人乗りの馬車に無理矢理もう一人追加して乗っているのではないかというほどに近いのだ。御者はもちろんのこと、お付きの使用人までもが御者の隣に座っているため、馬車の中には二人しか乗っていない。つまり空きスペースの方が格段に広い。……だというのになぜこんなに近いのか。答えは簡単だ。なぜかラウス様が距離を詰めてきているからだ。初めは極度の馬車酔いで体調を崩して、支えを欲しているのではないかとも考えたがどうやら違うらしい。見た目だけで判断を下すのならば健康この上ない。今にも鼻歌を歌いそうな、上機嫌のラウス様が体調不良だというのならば今後はこんな素人ではなく、医師の資格でも持った者を側に置くことを勧めたい。
「ラウス様?」
「どうかしたか?」
「近くありませんか?」
「そうか?」
 腕がふれあうほどの距離なのに、ラウス様は私の指摘に首を傾げる。どうやらこの距離をどうにかするつもりはないようだ。
「そうだ、モリア。何か不便に感じていることはないか?」
「ありません。皆様、本当に親切にしてくださっていて……」
 ラウス様の唐突な質問に模範解答とも言える言葉を返した私だったが、言った後でそれは間違いだったと気づいた。私の隣のラウス様は困ったような表情を浮かべていたのだ。ないこともないのだが、そろそろ勘違いに気づいてほしいなんて、ラウス様が私のことを自分が惚れた相手だと信じきっている以上は言って仕方のないことだ。私が地道に探してラウス様の前に連れてくるか、ラウス様の前に本人が現れてくれることを祈る他ない。
 そのほかに困っていることといえば、まず頭に浮かぶのはここ数日での運動不足で、これもまたラウス様に相談するようなことではない。これからもひたすら自室で筋力トレーニングに励むだけである。
「本当に何もないのか? どんな些細なことでもいいんだ」
 相変わらず困ったような表情を浮かべながら問いかけてくるラウス様に、これは何とかして困っていることを見つけなくてはと思ってしまう。
 何か困っていること、困っていること……。
「あ!」
「何かあったか?」
「いえ、困っているってほどではないのですが……」
「何でもいいんだ。言ってみてくれないか?」
「部屋、なのですが少し暗いイメージがあるので少し彩があった方がいいかなと思いまして……」
 それは以前ふと思ったことだった。
 私が今現在あの部屋を使う際に困っているわけではないが、本当のラウス様の想い人が今後あの部屋に来た場合、もう少し彩があった方が心が安らぐのでは? と感じたのだ。
「彩、か」
「はい。花を飾るだけでも華やかになると思います」
「モリアは花が好きなんだな」
「はい、綺麗ですから。それに花といっても種類がたくさんありますし、花そのものが嫌いな人は少ないと思います」
 だから趣味嗜好がわからない相手に用意する部屋だとしても飾りやすい。ずっとそこに飾り続けるというよりは定期的に入れ替えて楽しめるものだから、後でその人の好みに変えられる。細かいものは後で、誕生日だとか結婚記念日だとか、好みを知った後でお祝い事の時にプレゼントしていけばいいのだ。
 自分のことを考えて選んでくれたとなれば嬉しいものだろう。
「モリアはどんな花が好きなんだ?」
「私ですか? そうですね……私はレモン色やオレンジ色といった明るい色の花、でしょうか。見ていて明るい気持ちになれます」
「明るい気持ちに……か」
「あ、あくまで私はというだけで他の女性もそうであるとは限りませんからね」
 納得したように深く頷いてみせたラウス様に私は慌てて付け足す。
 それが一般的な女性の花に対するイメージだとは限らない。
 香りに癒されたい人もいれば、落ち着いた色合いの花を好む人もいるだろう。
 好きな花の種類なんて人それぞれなのだ。
「ああ、わかっているさ」
 そう返したラウス様は楽しそうに笑った。
 本当にわかってくれたのだろうか?
 少し心配だ。今日はいつにも増して機嫌がいいのは喜ばしいことだが、そんなラウス様の心情はいつにも増して読めないのだった。
「ラウス様はどんな花がお好きですか?」
「私は花はあまり詳しくなくて……。だがモリアの植えた花は綺麗だと思う」
 私の植えた花というのはおそらくあの、庭師たちの仕事を邪魔しながら玄関先に植えた、花壇の花のことだろう。それを生業とする彼らが選んだ花なのだから、色合いのバランスもバッチリである。私はそれを彼らのアドバイスを受けながら植えていただけで、私の成果などほとんどない。けれどほんの少しだけ自分が関わっていたこともあり、嬉しくなる。
「ありがとうございます」
 出来ることなら彼らに直接聞かせてあげたい言葉で、ここにいないことが悔やまれる。後で私からラウス様が綺麗だとおっしゃっていたと伝えたところで効果は半減だろう。

 走り続けた馬車が止まり、ラウス様に支えられながら降りた先で見たのは宝飾店のガラス張りのウィンドウだった。まさか買い物ってここで? カクカクと首を機械のように動かしながら横を見上げると、ラウス様の視線は真っ直ぐにガラス張りのウィンドウに固定されていた。
 どうやら今日のお買い物はここでするらしい。
 買い物って見るだけでも楽しいと思っていた自分を今からでも怒りたい。拒否権はないのでここに来る未来は変わらなかったのだろうが、だとしても心の準備があるかないかで大きく変わる。
 ただでさえ花瓶一つを恐れている私が、いくら頑丈に作られたショーウィンドウで守られているとはいえ、傷のつきやすいものばかりが揃う宝飾店に緊張感を全く持たずして臨むということがどれだけ無謀なことか、他ならぬ私がよく知っている。
「モリア? どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」
 今すぐに緊張感を最大限に発揮して臨むしかあるまい。
 ここは王都、ここは王都。と頭に何度も語りかけながら一歩、また一歩を踏み出す。
 ――店員によって開かれたドアの先の風景は私の記憶に刻まれることはなかった。


 そして気付いた時、私はお屋敷のお風呂にいた。
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