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【11】お別れの準備

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「……あと1年かぁ」

わたしは、自分の部屋でひとり紅茶を飲みながら、昨日の誕生日パーティを思い出していた。

テーブルの上には、昨日の夜にミュラン様からいただいた誕生日プレゼントを飾ってみた。
大きなバラの花束と、真っ赤なルビーの指輪だ。指輪は、海外の細工師に依頼した特注品だそうだ。バラのデザインが彫り込んである。

「ミュラン様ったら、こんな張り切らなくていいのに……」

くすぐったい気持ちと。なんだか、胸がふさぐような息苦しさ。
あと1年で、終わっちゃうんだなぁと思うと、なんだか寂しくなってくる。

(……わたしったら。自分から「離婚したい」って言いだしたクセに、なにをワガママ言ってるんだろう)

実家の両親から、「結婚してから3年経っても夫婦関係がなかったら、慰謝料もらって離婚していいからともかく嫁げ」って言われて、いやいや結婚したんだった。

残り期間は、あと1年。

ミュラン様は、そんなわたしのワガママに付き合ってくれている。3年間、夫婦関係がないままで過ごし、期間終了後に80000レントもの慰謝料をくれるって。

その見返りとして、『期間終了まではわたしとのんびり暮らしたい』って言ってたけど……どう考えても、ミュラン様にはほとんどメリットがない。

「わたしって、最低な人間だわ……」
ミュラン様の優しさにつけ込んでいるわたしは、私腹を肥やそうとする悪い妻なのではないだろうか。

(でも、お父様もお母様も、わたしの慰謝料を待ってるし、今さらどうしようもないよね……)
実家の父母の顔を思い出し、いまさら後には引けないと思い直した。

……でも。ふいに違和感が湧く。

(って、あれ?? お父様たちのお話って、そういう内容だったっけ?)

よくよく思い返してみたら、父も母も『結婚詐欺をして来い』なんて言ってなかった気がする。『どうしても仲良くなれなかったら、慰謝料貰って帰ってきてもいい』って言ってただけだ。

(じゃあ……もしも、わたしがミュラン様に、『このままあなたと一緒に暮らしたい』って言ったら。……『本当の奥さんになりたい』って、お願いしたら。ミュラン様は、わたしを奥さんにしてくれるのかな)

都合の良すぎるお願いだと分かっていても、ついつい胸が高鳴ってしまう。
ミュラン様は、毎日すごく優しいから。
初めて会ったころとは、全然違うから。

今なら、もしかしてわたしのこと、好きになってくれるかもしれない。

「ミュラン様……」
貰った指輪を指にはめ、ぎゅっと握りしめてみた。――そのとき。

こん、こん、という控えめなノックが響いた。

「どうぞ」
「失礼いたします、リコリス奥様」

部屋に入ってきたのは、侍女長のロドラだった。

「旦那様が、執務室でお呼びでございます」
「ミュラン様が?」
「えぇ。奥様に、急いでお越しいただきたいとのことでした」

なんだろう。胸が、とくんと高鳴った。

「分かったわ。ありがとう、ロドラ。ちょっと行ってくるね」
わたしは、いそいそとミュラン様の執務室に向かった。

   * * *

執務室をノックしても、返事はなかった。

(留守かな? ……でも、鍵が開いてる)

入っちゃっていいのかな。「急ぎで来てほしい」って言ってたみたいだから、入って待ってようかな。

「ミュラン様? リコリスです。失礼します」
部屋のなかには、やっぱり誰もいなかった。

「あれ?」
窓が開けっぱなしになっている。強い風が吹き込んでいて、執務机に置きっぱなしになっていた何十枚もの書類が、風にあおられて散らばりそうになっていた。

わたしはとっさに執務机に駆けよって、書類をおさえようとした。
見る気はなかったのだけど、ついつい、書類の内容に目を落としてしまう。

「…………これって?」

なにこれ。
未婚男性のリスト?
年齢。家柄。家族構成。性格。経済状況。……備考欄? なんだろう。

見ちゃいけないものなのだと直感で分かったけれど、なぜか、目が離せなかった。
いくつかの書類にミュラン様の書き込みがあるのを見て、凍り付いてしまう。

『リコリスには不適。年齢差』
『家柄が不釣り合いで、リコリスの気質に合わない』
『再婚相手としては、論外』

再婚相手?
わたしの、再婚相手ってこと?

唐突に、ミュラン様が愛人たちとの関係を切ったときのことを思い出した。


『彼女たちには慰謝料を渡したうえで、それぞれの家柄に見合う婚約者を見繕っておいた。……結婚に至らず契約終了するときには、そういう扱いをすると取り決めてあった』


胃がせりあがるような吐き気に襲われて、わたしは机にすがりついた。

(ミュラン様、わたしの再婚相手を探してたんだ。……まだ1年もあるのに、もう、離婚の準備を進めてたの?)

わたしとの契約を終わらせる準備を、着々と進めていたんだ……

身勝手な涙が、ぽろぽろあふれ出していた。

――バカだなぁ、わたし。ミュラン様はちゃんと約束を守ってくれようとしていたのに。
なに、勝手なことばかり考えてたんだろ。
わたしって、本当に……

わたしは、泣きながら執務室を飛び出していた。

   * * *

「あら。リコリス奥様、旦那さまとはお会いになれましたか? …………奥様?」

たまたますれ違ったロドラに、わたしは泣きながらすがり付いていた。

「どうなさったのですか、奥様?」
ロドラは心配そうな声で尋ねながら、わたしの背中を静かに撫でてくれていた。

「よろしければ、このロドラめにお話しくださいませ、奥様。お力になれることがあれば、喜んでいたしますから」

「…………いいの。全部、わたしが悪いの」
泣きじゃくりながら、わたしは何度も「わたしのせいで」と繰り返した。

どうしよう。あの人のことが、大好きになっちゃった……
なのに、離婚しなきゃいけない。
怖いよ……

   * * * * *



「デュオラ、これはどういうことだ」
ミュランは執務室に騎士デュオラを呼びつけ、低い声で問いただした。

「閣下、「これは」というのは、一体どれのことでございましょうか?」
「未婚者の書類が散らばっている。僕はきちんと書棚に収めていたはずだ。……お前がやったんだろう」

「さて。なんのことやら」

「部屋の鍵と窓にも、いじった痕跡があったが? 何をしていた」

「天地神明に誓って、私は何もしておりません」
つーん。とわざとらしい無表情でデュオラが答える。

こういう顔をするときは、こいつはたいてい何かをしでかしているんだ……と、ミュランは長く連れ添った経験のなかで学んでいた。

「……書類の一部が、なぜか濡れていた。涙のような濡れかただ。これはどう説明する?」

「はてさて。雨が降りこみましたか?」
「首を撥ねるぞ貴様……」

ミュランには、もちろん察しがついている。
不自然に書類を散らかしっぱなしにしているのも、鍵を開けっぱなしにしているのも。「これでもか」と言わんばかりに痕跡を残しているのは、ミュランへの無言のメッセージのつもりなのだろう。

「……貴様。わざわざリコリスに、未婚者の書類を見せたな!?」
「いいえ閣下。ただの首無し騎士ごときに、そのような大それた真似が出来ましょうか? いいえ、出来ません」

ミュランはうなだれて、頭を抱えた。――彼女の再婚の手配など、彼女本人には絶対に知られたくなかったのに。


その日から、食事の席にリコリスを呼んでも、絶対に来てくれなくなってしまった。
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