精霊の御子

神泉朱之介

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25話

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 空には、飛行軍船を空中に停泊させるための錨の役目をする大きな風球が無数に漂っている。
 ほとんどの船は、帆を下ろしていた。
 今日は、風が強い。
 ともすれば船は風に流されがちで、船の間に渡した綱や 禹州真賀ウスマガ の港に繋いだ舫い綱がぴん、と張りつめたり、急にたわんだりして、船の乗員たちは船同士の衝突を避けるために一瞬も気が抜けない。
 百人余りもの戦士たちと鳥を乗せることが出来るこの大きな軍船は、藍絽野眞アイロノマ 軍の旗艦である。
 船の広い甲板の上では、軍用に訓練された巨鳥 鵜吏竜紗ウリリューサ たちが、暖かな陽射しの中をのんびりと毛繕いをしている。
 しかし、鳥たちの間を歩きまわる武装した戦士たちにはリラックスした様子は微塵もない。
 その顔にも態度にも、ぴりぴりと緊張が走っている。
 偵察に出た哨空兵から、根威座ネイザ の部隊がこちらに向かいつつある、という情報がすでに入っていた。
 いつ、この空の彼方から 根威座ネイザ の軍勢が姿を現すかもしれない。
 それは、今、この瞬間かもしれないのだ。
 敵がどの方向から現れてもいいように、九大陸連合軍は円陣に戦列を組んでいた。
 根威座ネイザ の軍が現れ次第、その方向に対して押し包むように長い戦列を展開することになっていた。
 根威座ネイザ 軍は火器に優れ、装備も九大陸連合の戦士たちとは比べ物にならないほどに優秀だったが、数では劣る。
 根威座ネイザ の死した土地は人口を殖やすには適していないらしく、また、だから常に浮遊大陸から奴隷として人間を補給しようとするのだろう。
 このところ九大陸連合が 根威座ネイザ からの防衛に成功していたのは、この数の優位によるもので、根威座ネイザ 軍の一騎に対して三騎ほど寄ってたかって、ようやく互角に戦える、というのが現状だ。
 消耗戦である。
 甲冑に身を固め、いつでも戦闘に立てる姿で、李玲峰イレイネ は舷側に立っていた。
 風が彼の緋色のマントと赤い髪をなぶる。
 李玲峰イレイネ の目は、藍絽野眞アイロノマ の軍船が並ぶその向こうに見える、禹州真賀ウスマガ 軍の旗艦である豪奢な造りの軍船に向けられていた。
 悔しげな口をぐい、と引き結び、一度は目を離したが、また目がそちらに戻る。
「ったくもう、イレーったら!」
 聞き慣れた少女の声が、不意に心によみがえる。
「すぐ落ち込むし、すぐ泣くし。ホントーにあなたったら、火の精霊の加護を受ける炎の子なのっっ。
 しゃんとしなさいよ、しゃんと!」
 実際、そんな 麗羅符露レイラフロ の声が聞こえてきそうだった。
 李玲峰イレイネ は、苦笑し、言い訳じみた言葉を心の中でつぶやいた。
(だってさ、レイラ! お前の兄貴ったら、すっごくつれないんだぜっ)
 禹州真賀ウスマガ の王子は、声もその口調も、どこか 麗羅符露レイラフロ に似ていた。
 それが血というものなのだろうが、あまりにも 麗羅符露レイラフロ にそのすべてが似ているので、李玲峰イレイネ は彼に惹かれずにはおられなかった。
 だが、禹州真賀ウスマガ の王子の方は、というとこれがきわめて 李玲峰イレイネ には冷たく、取り付く島がまるでない。
 おかげで、李玲峰イレイネ はどっぷり落ち込む羽目に陥っていた。
 禹州真賀ウスマガ と 藍絽野眞アイロノマ はそもそもあまり仲がよくはないというが、嫌われている、というのはあまり気持ちの良いものではないし、その相手が 麗羅符露レイラフロ にそっくりだったりすると、苦しみは二倍である。
 前の晩の夢見も良くなかった。
 麗羅符露レイラフロ の夢を見たのだ。
 それが、彼がよく見る夢だった。
 夢の中で、レイラは哀しげに 李玲峰イレイネ を見ていた。
 救いを求めるように。
 麗羅符露レイラフロ は、水の中にいるようだった。
 髪がふわふわと白い貌の周りに藻のように広がり、髪を飾る花が水の中で揺れていた。
「イレー」
 麗羅符露レイラフロ は話しかけてくる。
 どこにいるんだ……と、李玲峰イレイネ は尋ねる。
「遠いところよ」
 と、麗羅符露レイラフロ は答える。
 レイラの方に手を伸ばそうとするのだが、届かずに夢は終わってしまう。
 麗羅符露レイラフロ が生きていて、自分に助けを求めているのではないだろうか。
 夢から目覚めるたびに、李玲峰イレイネ はそうした甘い希望にすがろうとしてしまう。
 生きているはずはないのに。
 麗羅符露レイラフロ も、於呂禹オロウ も。
 やにわに甲板の上が騒がしくなって、李玲峰イレイネ は振り返った。
「敵だぞおぉぉ!」
 鐘楼の上の見張りが叫ぶ声が聞こえてきた。
「陛下!」
 そう叫んで、騎士長のひとりが艦首へと走っていった。
 李玲峰イレイネ の手は、無意識に腰の剣の柄に触れた。
 ついに、戦いか!
「王子!! おいで下さい!」
 騎士のひとりが、彼を呼びに来た。
「敵は、どっちから来たんだ?」
 李玲峰イレイネ が尋ねると、騎士は無言で船首の方を指差した。
 遠く、空の彼方に黒い無数の染みが見えた。
 宇無土ウムド で、於呂禹オロウ とともに迫り来る 根威座ネイザ 軍をみつけた時のように。


 ゴォン、ゴォン、と鋼鉄の船の中で、動力の音が響き渡る。
 亜苦施渡瑠アクセドル 魔皇帝は船の中の私室に引きこもり、そのテーブルの上の透明な球を見下ろしていた。
 そこには、おびただしい数の飛行軍船や巨鳥兵たちの姿が写っている。
 透明な球に写る映像が移り変わってゆき、やがて 藍絽野眞アイロノマ 王家の紋章が帆に描かれた軍船で止まった。
 甲板の上に視界は寄ってゆき、やがて甲冑を着た赤い髪の王子の姿をとらえる。
 魔皇帝はくくっと笑った。
於呂禹オロウ。おいで」
 魔皇帝の声に応じて、壁ぎわに控えていた黄金の鎧に身を包んだ金髪の少年戦士が部屋の中央に歩み出てくる。
 亜苦施渡瑠アクセドル は立ち上がり、於呂禹オロウ の肩を抱いて、水晶球の前へと引き寄せた。
 少年の虚ろな眼差しを、水晶球へと向けさせる。
「そなたが殺す 炎の御子 だ。
 間違いなく、そなたのその手で仕留めるがよい。
 さて、もうそろそろ行くかな」
 魔皇帝は、テーブルの上に置いてあった紅い光を放つダイアモンドを手の平の中に握りしめると、於呂禹オロウ を連れて船室を出た。
 仮面のついた兜をつけた騎士たちが、部屋の外を守っている。
 甲板へ降りていくと、戦士たちは整列して魔皇帝を待ち受けていた。
「我が方の第一陣がもうそろそろ敵の戦列と接触する頃です、陛下」
 魔皇帝の親衛隊である仮面騎士団の団長が、そう報告した。
「うむ」
 魔皇帝は物憂げに答え、少年とともに舷側へと寄った。
 遙か下方で、巨鳥兵 鵜吏竜紗ウリリューサ によって戦端が開かれていた。
 殺到する連合軍の、圧倒的に数が多い巨鳥兵たちに対して、根威座ネイザ 軍から火炎槍の炎が一斉に放射されている。
 火に焼かれてばたばたと落ちていく連合軍の巨鳥兵たちに、それでも数に任せて突進してくる巨鳥兵たちを相手に、一対一の戦いが始まる。
 援護に進む軍船同士の間でも、火弾の欧州が始まろうとしている。
「いい眺めではあるが、いささか退屈だな」
 魔皇帝は娯しげにつぶやく。
 手の中で、彼は宝石をもてあそんだ。
「が、これを使うのは、もう一幕開けてからに後にしよう。
 このままでは、単純すぎる。
 於呂禹オロウ、今日の主役はお前だ。準備をしてお行き。
 そなたは、今日は魔皇帝たるわたしの代わりに戦場に出る。あの白い天馬に乗って」
 二人のもとには、黒い一角天馬と、白い天馬とが挽かれてきた。
 魔皇帝は 於呂禹オロウ の金色の髪を撫でながら、言葉を続けた。
「そなたの姿は、根威座ネイザ の戦列の中でもひときわ目立つだろう。
 すると、あの赤毛の坊やがやってくる、というわけだ。まるで、火に惹かれる虫のように」
 根威座ネイザ 軍と連合軍の衝突は、ますます激しくなっていく。
 やがて、戦線の全域にわたって戦闘が始まった。


 李玲峰イレイネ にとって、それは初陣だった。
 巨鳥 鵜吏竜紗ウリリューサ の背に乗って 藍絽野眞アイロノマ の旗艦が飛び立ち、最前線へ飛んだ。
 根威座ネイザ の鳥兵たちは火炎槍から激しい炎を噴きつける。
 腕の良い巨鳥兵たちは、すかさず鳥を操って逃れる。
 腕の悪い兵は、巨鳥ごと落ちていく。
 悲鳴を上げて炎に包まれて落ちていく味方の兵たちを目の辺りにして、李玲峰イレイネ は、一瞬、恐慌に陥った。
 炎が怖かったのではない。
 その死におののいたのだ。
 それも、一瞬のうちにあまりに多くの兵たちが死んでいくのに。
(くそっ!)
 李玲峰イレイネ は、槍を構えた。
 炎の中はなんなく突破する。
 火は彼に害を及ぼさず、また、彼を取り巻く武具や騎乗する巨鳥にも恩恵を与えて保護してくれる。
 根威座ネイザ の巨鳥兵とまともに向かい合った時に、また、一瞬の恐慌が起こった。
 初めて、敵と対峙する恐怖、そして相手を殺すことへの躊躇。
 だが、怒りはそれよりも激しかった。
 槍の柄に重い手応えが伝わり、根威座ネイザ の巨鳥兵が落ちていった。
「王子! お見事です!」
 近くにいた 藍絽野眞アイロノマ の老兵が声を掛けてくれたのが耳に聞こえた。
 それからは、夢中だった。
 李玲峰イレイネ が炎を突っ切って敵を落とすと、周囲の兵たちからは必ず歓声が上がった。
李玲峰イレイネ 王子、万歳!」
 一度ならず、そうした声が聞こえた。
 怖れ知らずに炎の中を抜ける 李玲峰イレイネ の姿は、藍絽野眞アイロノマ 軍の士気の高揚には役立ったようである。
 彼は戦場にいた。
 そこで、彼は戦っていた。
 藍絽野眞アイロノマ のために。
 藍絽野眞アイロノマ の民のため、父王と母のため、妹のため、あるいは九つの浮遊大陸の自由のために、そして、麗羅符露レイラフロ と 於呂禹オロウ の仇を討つため、彼自身が 根威座ネイザ の魔皇帝から受けた胸の傷の報復のために。
 彼は戦っていた。
 しかし、敵は倒しても倒しても、次から次へと湧いてくるように思えた。
(キリがない!)
 多くの巨鳥兵たちが落ちていき、落ちていく数は、どうみても連合軍側の方が多いように思えた。
 戦線は膠着状態にあり、その時はまだ連合軍は互角の勝負を続けていた。
「王子! ひとまず船にお戻り下さい! ここは我らが!」
 初めての戦いに消耗し、息を切らしている彼に気づいて、王子の後見に回っていた鳥騎士が 李玲峰イレイネ を止めた。
 李玲峰イレイネ はうなずき、素直にそれに従った。
 用心して、他の者たちに援護してもらって戦場を後退する。
 藍絽野眞アイロノマ の旗艦へ帰投すると、甲板の上で指揮する 競絽帆セロホ 王が彼を出迎えてくれた。
「なかなかの初陣だったようだな」
 頼もしげに、そうねぎらってくれるのが嬉しかった。
 李玲峰イレイネ が 鵜吏竜紗ウリリューサ から降りて、槍を傍らの者に渡そうとした時に、船の後方でどよめきが起こった。
 鐘楼に登っていた者が甲板に呼び戻され、確認を取られている。
「何事だ!」
 不審に思った 競絽帆セロホ 王が叫ぶ。
「陛下! その……」
 船尾から走ってきた戦士は、王の前でひざまずいて、言いにくそうに言葉を濁した。
「なんだ? 今は戦時だ。簡単に報告せよ」
「はっ! どうも、裏切り、のように思われます、王よ」
「裏切りだと? 馬鹿な!」
「ですが、陛下。阿琉御羅アルオラ の軍が、味方を攻撃しております!」
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