Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 28

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別に仕事があるわけでもない俺と小川は定時で上がる。雪江と母に、「同期との交友を深めるため、小川さんと一緒に食事をしてきます。遅くならないようにします」とメールを打つ。母からはすぐ返信が来た。
「ぁぃ♪ ̄▽ ̄)ノ」
本当に仕事とプライベートが完全に分離した母である。雪江はまだ勤務時間中なのか、返信は来ない。
丘の中腹にある学院への道は1本だけだ。来週、新学期が始まればこの道は学院の生徒であふれかえるのだろうが、春休みの今は閑散としている。俺と小川は並んで歩き、この道が通りに突き当たる場所にあるトールパインを目指した。
「トールパイン…カミさんの親友が働いてる店。オーナーの妹だけどね」
俺はトールパインのことを説明したが、雪江にはどんな人称を用いるべきか少し考え、カミさんとした。雪江は嫁ではあるが俺のほうが入婿だし、妻というのもなんか堅苦しいし、カミさんが最も合っているような気がする。
「あそこ、良さげな感じの店だとは思ってました」
小川は相変わらずの調子で話す。小川はけっこう背が高く、俺と大差ない。横目で見てみたが、地味なスーツで覆ってはいるものの、けっこういいプロポーションをしていることに気がつく。
トールパインのドアを開けると、櫻乃の元気な声が迎えてくれた。
「いらっしゃいませー…なんだ、あーくんだがした」
櫻乃は特上の笑顔で迎えてくれたが、俺に続いて入ってきた小川を見て眉をひそめる。
「あーくん、なんぼなんでも浮気すんな早すぎねが?ユキさゆてけんじぇー」
俺はかなり山形弁のスキルが上がっており、この美人が話す訛りも大体理解できるようになっている。スキルが上がっての感想だが、櫻乃の訛りっぷりは最高ランクである。
「サクラちゃん何いってんの。この人は、同期のひと」
席に案内されながらそう説明してやる。
「あー、んだっけー、今日ついたづだもねー、今日から学院さ行ったのっだなねー」
櫻乃はもとの明るい美人に戻って、俺達の前に水の入ったコップを置く。。
「なにー、今年の新任、ふたりばりなんだがしたー」
語尾を伸ばすのは、女性に特有らしい。
「小川です、よろしく」
小川はほんの少しだけ笑顔になって櫻乃に挨拶した。櫻乃も笑って挨拶を返し、メニューブックを置いて去った。
「若いわりに完璧な訛りですね」
小川が櫻乃の方を見ながら言う。
「え、小川さん、わかるの、訛り」
「山形県村山地方は、フィールドワークで四回訪れました。お年寄りから話を聞くのに、訛りも学習しましたので」
つくづく学究肌である。
「小川さん、飲む?」
一応、同期会なのである。
「えぇ、ワインを」
「あれ、酒はいける方?」
「はい、フィールドワークでお年寄りの酒の相手もしますし、むしろ好きです」
小川はメニューブックを見ながら、事務的な語り口でそう言った。底知れない女である。
「俺はあまり酒は得意じゃなくて。カミさんは酒豪だけど」
「ほう。石川さんの奥さんと一度ご一緒したいですね、お酒を」
冗談とも本気ともつかないことを小川が言い、そのタイミングで櫻乃がオーダーを取りに来た。
「アラカルトで頼んで、割り勘にしましょう。いいですか?」
「まかした」
大学時代はずっと居酒屋でバイトしていた俺だが、酒も料理も詳しくない。酒は進んで飲む方ではないし、毎日鶏唐揚定食を食ったとしても気にならない。気安い感じで小川にオーダーを任せる。小川はすらすらといくつかの料理名とワインの銘柄を櫻乃に伝える。料理の名は素材の名前しか理解できず、唯一わかったのはラザニアだけだった。
「イタリアンをベースにした創作料理、という感じですね」
小川は初めてにっこり笑って櫻乃に話しかけた。
「うわー小川さん詳しいんねがー、オランデーズソースどコンフィばオーダーするなて、店長びっくりするはー」
「先週引っ越してきた時から、この店気になって」
「うわーうれしいちゃー、まだ来てなー、ほんてよー」
「このメニューブックに載ってるのを全部食べるまでは来るつもり」
櫻乃はにこにこしながら店長にオーダーを伝えに去った。
「グルメなんだ」
小川は年上だが、タメ口に決めた。
「まぁ、食べるのは好きだな。フィールドワークに行った先でその土地の特色あるメニューを探しますし」
年下の俺にタメ口をきかれても、小川は気分を害した様子はない。彼女自身が敬語ともタメ口ともつかない語り方なのだから。
「小川さんは、音楽とか聴くの」
俺はもともとあまり人付き合いをしない方だし、女をナンパしたことなど一度もない。雪江以外の女と二人で食事するなど初めてだった。話題に困って、とりあえず俺の専門分野の話を振る。
「アニソンかな」
「へぇそんなバンドあるの、海外?」
「いや、アニメソングの略だけど」
小川は視線をしっかり俺に合わせて話している。考えてみれば今日はじめて面と向かって話したかもしれない。
「ボカロとかも」
料理とワインが届けられるまで、小川はアニメソングとボカロことボーカロイドについて俺に語った。事務的な口調はだいたい変わらなかったが、瞳は輝いているし喋りっぱなしだ。この話し方は感情の起伏に関係ないのだろう。
「盛り上がったみでな」
若鶏のコンフィというやつとオランデーズなんとかとやらが櫻乃によって運ばれてくる。
「先生の場合は初出社ては言わねべな」
続いて店長がワインを持ってくる。
「一杯目は祝いで、俺のおごりだ。初出勤おめでとう」
店長は怖い表情のまま俺と小川にワインを注いでくれた。小川の事務的口調と店長の怖い顔にはある種の共通事項がある。その時の本人の感情とリンクしていないというところだ。店長は怒っているわけではなく、俺達を祝ってくれている。
「まだ来いな、裏メニューもおしぇっさげ」
櫻乃に小川のことを聞いたらしく、グルメの小川に店長が仏頂面で話しかける。
「それは楽しみです」
少しだけ笑顔になった小川がワイングラスを持ち上げ、店長に応えてから俺の方にグラスを差し出す。
「これからよろしく、小川さん」
「よろしく、石川さん」
俺もワイングラスを捧げ、グラスを合わせた。店長と櫻乃が軽い拍手を送ってくれた。
オランデーズソースとかがかかったアスパラガスをつつきながら、ワインを一口。オランデーズソースってのはマヨネーズみたいなものか。また会話に入る。
「アニソンが、1分30秒のなかに印象深いフレーズを盛り込む、ってのは目ウロコだな。俺、一応元ミュージシャンだけど、サビがいきなり来る曲は作らなかった」
「へぇ。大学サークルのバンドでミュージシャンて言う」
小川はずけずけと物を言う。俺は少しカチンと来たが、今日一日一緒にいて小川の基本性格は理解したので本気で怒ったりはしない。
「言うねぇ。ですけど残念ながら俺のいたバンドは先週、メジャーデビューしたよ」
「へぇ。バンドの名前は」
「JET BLACK」
小川は食事の手を止め、脇においていたiPhoneを手に取る。検索しているのだろう。
「おぉ。本当だ」
いくつかのデータを読んで、iPhoneを静かに置く。
「デビュー直前に涙の脱退をしたギターのアイが、石川さん」
小川の情報収集能力に舌を巻きながら、俺はうなずく。
「脱退理由は、JETより大事なものができた。それが奥さんか」
小川は鶏のコンフィを口に運びながら俺を見た。
「まぁ、そういうことだ」
俺はものすごく恥ずかしくなってきて、ワインを一気に飲んだ。そのタイミングで携帯にメールが届いた。雪江からだった。俺のメールに返信したそのメールを開くと、
「ウワキしたらコロス」
 携帯を畳むと、櫻乃がワインのボトルを持ってやってきた。
「サクラちゃん、雪江になんか言ったでしょ」
酒に弱い俺はワインを断り、携帯を振ってみせる。櫻乃が小川のグラスにワインを注ぐ。
「なんだてユキ、リアクション早いったらやー。今さっきメールしたんだじぇ、あーくん、女性と楽しそうに食事してます、って」
櫻乃は名前通り、桜の花のように笑って言った。
「やめてくれー、俺殺されるって」
「さすがデビュー直前のバンドを脱退するだけあって、相思相愛ってやつね。そんなのアニメの中だけでしか存在しないと思ってた」
小川のあくまで冷静な表情と語り口は、櫻乃といい感じのコントラストになっている。
「ベダボレなんだじぇー、ユキもあーくんも」
櫻乃が屈託のない笑顔で小川を見る。小川も少し微笑んだ。
「私はそういうの、わからない」
「ほだなごどないー。小川さんだて必ずしぇーおどご見つかっさげ心配ないー。美人だしスタイルなのすばらすぐいいどれー、うらやますいったらよー」
女性同士、見るところは見ている。天は二物を与えずとやら、美人の櫻乃は胸のボリュームがすこし乏しい。小川も化粧っけがないだけで、ちゃんとメイクをして髪型を整え、メガネも替えれば、そこそこ映えるのではないか。
それから、お互いの趣味であるアニメとロックの話をして会話が弾む。また、雪江との馴れ初めなども話してやった。
小川が三杯目のワインをオーダーする。顔色も語り方もまったく変わらなかった。今度は店長がワインを注ぐ。そのとき、店のドアが開いてカラコロと鐘が鳴った。
入ってきたのは雪江だった。
石川家の女モードになっていて、ついでに軽い怒りのオーラも漂わせている。店長がそっとテーブルを離れる。雪江はヒールを鳴らしてこちらへやってくる。そして、テーブルの前で小川に深々と礼をした。
「石川愛郎の妻です。雪江と申します。このたびは寒河江中央学院高校へのご着任、おめでとうございます。夫のこと、これからよろしくお願い申し上げますわ」
小川は最初呆気にとられた表情を浮かべたが、雪江の挨拶を受けいつもの表情に戻った。
「はじめまして、小川沙綾です。縁あって旦那様と同期ということで、寒河江中央学院高校で教職に就かせていただきます。これから何かとお世話になると思いますが、よろしくお願いいたします」
さすがにまる2歳年上だし、フィールドワークとかでいろんな人に会うのだろうし、頭もいいことだし、小川はそつなく雪江に挨拶を返す。口調が全く普通になったのには驚いたが。
「私もご一緒していいかしら」
そう言いつつ雪江は俺の横にぴったりと体を寄せて座る。
「ホント初めて見た。こんなのアニメ以外であるんだ」
小川は雪江と俺の密着ぶりを見て言い、ワイングラスに口をつける。
「小川さん、酒強いんだって」
とりあえず当たりさわりのなさそうな話題を振ってみる。
「酒に強いって言うから、雪江さんと一緒に飲んでみたいです」
挨拶が終わると普段の話し方に戻る小川。
「あらいいわね。でも今日は車だから…そうだ、今度うちで飲もうよ。理事長が理事長でなくなるとこ見せてあげるわ」
雪江は小川の人間を見ぬいたらしく、軽い口調で言った。
「あぁそうか…理事長の娘夫婦だもんね。行きたいな、オタクに」
少しは酔ってきたのだろう、話し方は微妙だった「ですます体」を放棄している。
「大歓迎よ、あーくんの同期だし」
雪江は小川の顔を覗きこんでそう言い、少し挑戦的に笑った。小川は表情を変えずに雪江の目を見る。
「お招きありがとう」
小川がグラスを雪江に捧げ、ワインを飲み干した。
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