Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 31

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家に戻ると、小川は仏間を歩きまわってはまたメモを取り写真を撮りを繰り返していた。居間へ行くと、父と祖母が小川のことを語らっている。雪江が大きな座卓に料理を並べ始めた。煮物中心のいわゆる田舎料理だろう。母も居間へやってきて、仏間の方へ声をかける。
「サーヤ、ごはんできたからいらっしゃい」
理事長の時とは明らかに違う、優しい母の声で小川を呼んだ。小川が居間へ駆け込んでくる。
「ありがとうございます理事長」
めずらしく小川は緊張している。
「家では私はお母さん。理事長はやめてサーヤ」
母がにっこり笑って小川を見る。
「それではお言葉に甘えまして、ごちそうになります奥様」
母に指し示された席に座り、小川が一礼する。
「この家はなにか役に立つのかい、あんたの研究に」
祖母もやさしく声をかける。小川に気を使ってか、祖母は江戸弁ヴァージョンだ。
「ご刀自、役に立つも何も、この座卓まで調査対象です」
「そういやこれは、あたしが物心ついた頃にはここにあったわねえ」
祖母が座卓をなでながらいう。たしかに立派な座卓だ。ところでゴトジとかいうのは一体なんのことだろう。
「しらべっだいどぎは、いづだて来てしぇーさげな、サーヤ」
父までサーヤ呼ばわりを始める。
「小川さん、ほんとに勉強熱心だね」
雪江は年上の小川に向かってサーヤ呼ばわりは避けたようだ。筍と牛肉と糸こんにゃくの煮物を小川によそってやる。
「そうそう、今日はサーヤに飲ませるんだったわね」
母がうきうきしている。そういえば、母はこの間のトールパインでの食事でも、けっこうワインをグイグイやっていた記憶がある。
「お父さんは飲まない人だからね、お酒の在庫が貯まるのよぉ。議員やってるとねぇ、なにかと」
「これでも飲むいようになったんだ、昔は清酒をコップ一杯飲むなが大変だっけ」
「俺も似たようなもんです」
俺は父にさらりと相槌を打つ。
「オヤズも煙草は山ほど喫うっけげど、酒は進んで飲まねっけな」
「親戚の集まりの席では、あの人のぶんはあたしが頂いてたのさ」
「石川家は女系でありアルコール分解酵素も遺伝的に多数受け継いでいる、と」
小川が真面目な顔でツッコミを入れ、食卓が笑いに包まれる。
「さぁさぁ、まずは一杯」
赤やら青やら金色やらでびっしりと絵が描いてある、美術館かなんかに展示してありそうな徳利と杯で、母が小川に酒を勧める。小川は酒を注がれる前に杯を凝視する。
「九谷ですね、明治期でしょうか」
いい仕事してますねと続けないのか。
「古いものはオヤズの代で全部県と市と大学に寄付した」
父はめずらしく何度か盃を口に運んでいる。
「ご英断です。貴重な資料は、美術館や博物館で管理したほうが確実ですから」
小川がそう言ってくいと盃を干す。
「大東亜戦争が終わってねぇ、農地開放で土地はあらかた小作人さんにさし上げたのよ。でも蔵いっぱいの伝来の品は絶対渡さなかった、GHQにだって。うちの人はね、時代が変わって、石川の蔵に押し入る馬鹿者も出るかもしれん、蔵ン中の伝来の品は全てお上にお預けしよう、って言ったのさ。20年近くかけて調査員が全部の品を鑑定して運びだした」
本来はいける口である祖母も江戸弁を操りながら盃を口にする。
「県立美術館にいってごらん、サーヤ。常設展示で石川家収蔵品コーナーがあるから」
俺に酒を注がれながら、母が優しい声で語りかける。
「小川さんの実家も長く続いた家だって、あーくんに聞いたけど」
雪江に至っては、早くもコップで飲んでいる。
「私の家は、そうですね、長いことは長い。船橋市のはずれのほうですが、かなり古い神社のそばの村で。地元では小川一族なんて言われるくらいですけど、本家じゃありません」
「昔からの住民なんだな。所沢にも、そういう家あったわ」
これまで俺はほとんど日本酒を飲まなかったが、これはどうも良質な酒らしく料理の味にも合い、雪江の酌に杯を重ねる。
「私の家のあたりは大きな川がないので、水田ではなく畑でした。今はかなり宅地化していますが」
雪江は小川にもコップを与え、一升瓶から直接注いでやる。
「んだ、若いころ大先生んとこで書生してで、大先生さ付いて船橋の在のほうさ行ったっけ、寒河江どたいして変わらねっけな。畑ばんでよ、東京さ近いつってもど田舎だどれ、ってな」
父がげらげら笑う。徐々に酔ってきているようだが、雪江と小川が飲んでいるコップ一杯ようやく飲んで二杯目に口をつけたところだ。
「今でもちょっとは残ってる、畑。売ればいいのに」
「この牛肉と筍の煮物、美味い、なんて料理?」
小川は次第に酔ってきているようで、あの時の繰り言が始まりそうになり、俺はあわてて茶々を入れる。
「んー牛肉と筍の煮たの、かな」
母が普通に答える。ギュウタケ煮、みたいな具体的名称はないのか。
「春の、筍の美味い時期は必ず出すねぇ。家によってはこんにゃくは入れないかねぇ」
祖母が筍を食べながら続ける。
「昔は農機具のかわりに牛を使ってだわげで、その牛が年取ると肉用に売る。このあだりは、昔は肉つったら牛肉だ。めったに食わねっけげっとな」
「なるほど、鶏もそうですが、年取った肉は固いけど、いいダシが出ます」
グルメの小川は、畑を売ればいいのにの件を忘れてくれたようだ。煮物の汁を味わいつつそう語る。
「おぉ、このあだりの名物で肉そばってのがあってな、ほいづはそばつゆに鶏のダシが入るんだ。具も鶏肉煮たやつを切ったもんだ。ババ鶏のほうが美味い」
父が嬉しそうに語る。しかし、それは非常に美味そうだ。
「それは聞いたことなかった。食べよう」
小川がコップの酒を飲み干し、にこにこして語る。もはや完全に酔いが回ってきているようで、敬語を使うのをやめている。
「サーヤは彼氏はいねなが」
父が禁句を切り出した。
「お父さん、そういうこと聞くの失礼」
雪江がぴしりと注意し、父は縮こまった。
「いないです、って言いますか、恋愛感情というモノが理解できたことがないんです」
小川は気にする様子もなくさらりと答えた。
「ですから石川さん夫婦の仲の良い様子が不思議で」
「ふぅんそうか、サーヤは勉強…ってか民俗学に恋をしてるのねぇ」
母も少し酔ってきたようだ。
「研究への没頭と恋愛は同じなの」
「とてつもなく大好きなものがある、って意味では同じでしょ」
雪江もタメ口になりつつある。
「俺はギターだな」
美味い酒をちびちびと舐めながら俺はぽつりとつぶやく。
「もう私以外を大好きになったら許さない」
雪江が酒臭い息を吐いて俺に抱きつく。小川は珍しい動物を見る目で俺たちを見ている。父と母、祖母が苦笑した。
「サーヤ、東海林と付き合ったらどう?」
母がいきなり提案した。
「あー、東海林先生、カッコ良かったよね。でもまだ独身なの?」
雪江が懐かしそうに話す。
「三十代後半にはいっちゃったけどまだまだ熱血教師よ。サーヤの指導担当だから、ついでに恋愛も指導してもらおっか」
母は簡単に言うが、はたしてそれは許されることなのだろうか。
「理事長がそう言うなら私は従います」
小川がまじめに答える。それでいいのか小川。
「問題は、東海林が全く女性に興味がなさそうなところなのよね」
母もまじめに考え始める。
「ホモじゃないと思うよ。ホモの人ひとり知ってるけど、東海林先生とは違う雰囲気だった」
雪江がとんでもないツッコミを入れる。たしかにリアルでホモの知り合いはいるわけだが。
「たぶん、サーヤと同じね。学問と学院が好きすぎて、他のことに興味を持つヒマがない」
母が冷静に分析している。しかし、酒量はだいぶ進んでいるはずだ。
「東海林先生、他にも好きなのあるよ。アニメオタクだよ。あの人バスケも好きだけど、アニメも大好き。学院のアニメ同好会作ったのあの人よ」
雪江が牛乳のように日本酒を飲みながら話す。
「何が好きなの?」
小川がアニメという言葉に敏感に反応した。そういえば小川は、そうだった、重度のオタクだった。
「なんだろなんだろ、ロボット系かな美少女系かなBLだったりしたらどうしよ、うきゃきゃきゃきゃきゃきゃ」
小川が壊れた。
「週明けに早速ふってみなさいよ。サーヤときっと気が合うわね」
母がにっこり笑った。
この後、祖母を除く女性三人は深夜まで酒を酌み交わしたというが、俺と父は途中でリタイヤして早々に布団に入った。
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