Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 20

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寒河江での結納を終え、俺は実家へ戻った。石川家へ移るまでの時間を実家で過ごすよう雪江に諭されたためだ。雪江は部屋にあった俺の荷物を宅急便で実家へ送ってきた。雪江も東京の部屋を引き払ったのだ。その後正式に卒業が決定し、俺は篠沢教授や学生課へ頭を下げて回る。バイトも実家から通った。寒河江へ旅立つまでの間、俺は実家でつかの間の家族団らんを味わうことにする。
実家の居間で茶をすすりながらぼんやりとしていると、母親が向かいに座った。
「雪江さんって、ほんとうに素敵な女性よね」
母親がぽつりとつぶやく。
「どうしてあんたにあれだけ惚れてるのか、見当がつかないわ」
少し笑って俺を見た。
「俺にもさっぱりわからん」
俺も笑った。
「あとはお兄ちゃんにお嫁さんが来れば、一安心なのよね」
母親はそう言って台所に行く。
俺はあらためてどうして雪江が俺と一緒にいるようになったのかを考えてみる。あの夜、ステージがいい感じで盛り上がったため、俺は調子に乗って酒をがぶ飲みしていた。JET BLACKのメンバーでは、ミギがほとんど酒が飲めず、俺は進んで飲む方ではない。リョータローは飲んで大騒ぎして喜ぶタイプ、キタは底なしだ。
「アイさん、とってもかっこよかったです」
初めて会った雪江が俺のグラスにビールを注ぎながら語りかけてきた。
「えぇ~照れるなぁ、あははははは」
俺は完全にバカになっていた。
「アイさんは彼女とか、いるんですか」
雪江はぐいぐい飲みながら話していた。
「いないいない、俺の恋人はギターとJET!!!!!」
俺は隣に座っていたミギの肩を抱いて、ミギと頬をあわせて大笑いした。
「JETがアイの恋人かよ、じゃあ俺も恋人ってわけだ」
ミギはまったく酒を飲んでいなくても、酔っ払っているかのようなハイテンションだ。俺の頬に唇をつけ、キスをしてきた。打ち上げに参加したファンの連中が歓声を上げる。リョータローはふざけてキタに抱きついたためもう一度歓声が上がった。
「アイさんたち、仲いいんですね」
雪江が潤んだ瞳で俺を見上げた。
「もう、雪江ちゃんだっけ?アイさんやめてよ、アイでいいアイで!」
俺は完全に酔っ払っており、ミギの隣を離れて向かいに座っていた雪江の方へ寄っていき、ひざに顔をうずめた。
「雪江ちゃんかわいい」
記憶はここで途切れた。次に見たのは、安らかな雪江の寝顔だ。俺は、雪江の部屋で雪江のベッドに雪江と一緒に全裸で寝ていた。事態を理解して手をついて謝る俺に、雪江はこう言った。
「私が誘ったのよ、アイ。ギター弾いてるあなたに一目惚れしたんだもの。ゼッタイあなたが欲しくなったの」
あの時の雪江は、たぶん石川のオーラをまとっていたに違いない。土下座しっぱなしで雪江の顔を見てはいないが。雪江はその日以来、俺の彼女という位置におさまった。それを知った時のミギの複雑な表情を思い出したが、俺を雪江に奪われてショックだったわけだ。雪江はJET BLACKの活動には深入りせず、せいぜいスタジオでの練習におにぎりを差し入れる程度だった。いつかは俺にJET BLACKと縁を切らせるための布石だったのかもしれない。
最後に、アルバイトしていた居酒屋にも少しかしこまって挨拶に行く。店長にアルバイトを辞めることを正式に申し入れ、快く受理してくれた。なんだかんだ言って、JET BLACKと同じくらいの時間をバイト先で過ごしたのだ。俺はここでは最古参のバイトリーダーだった。JET BLACKのファンもよくここを訪れてくれており、売上にも貢献していたはずだ。店長には一連の流れをポイントごとに話してあり、真剣に聞いてくれてアドバイスもしてくれた。店長は退職金だと言って祝儀袋をくれた。中味は新聞勧誘でもらったと思しきビール券10枚だったが。
そしてついに大学の卒業式を終え、俺は山形県寒河江市へと旅立つ日が来た。居間で親父とお袋、兄貴に正座して丁寧に頭を下げた。
「それでは、行ってまいります」
親父が無言で顎を引き、俺に応える。
「いつ帰ってきてもいいからね」
お袋が涙声で言う。
「縁起でもないこと言うもんじゃない」
兄貴が苦笑した。
「でも、時々は顔を見せろよな、雪江さんと一緒に」
兄貴はお袋たちにまだ話していないようだが、結納のとき話題になった、雪江の同級生を紹介してもらったらしい。彼女のほうは大宮の市役所に内定しているそうで、逢うのには苦労しないだろう。
「荷物、そんな無いけど、あとで頼むわ、山形に送って」
玄関で靴を履きながら、ひとりごとのようにつぶやいた。俺の手荷物は、当面の着替えが入ったバッグと、ギターケースが2つ。
「これから発送しとくよ」
兄貴が笑って俺を見た。
「荷物が無いって、冗談じゃねぇ、生活用品はないけど、ギターにアンプにエフェクターに、音楽関係は山のようにあるじゃん」
親父もお袋も笑った。
「じゃ、行きます」
玄関を開けると、真剣な表情をした雪江が立っていた。質素なスーツに身を固めている。まったく予想外の出来事に俺はたじろいだ。
「お父様、お母様、お兄様。愛郎さんをお迎えに上がりました」
雪江は短く言い、深々と徳永家に頭を下げる。俺はようやく事態が飲み込めて、あらためて雪江の隣に並んで頭を下げた。
「雪江さん、愛郎を」
お袋が感極まって雪江に抱きついて泣いた。雪江も泣く。
「お母様、大事にいたします、愛郎さんを大事にいたしますわ」
ご近所衆が外に出てきて徳永家の愁嘆場を眺めていた。通りの向こうから、黒塗りのベンツがゆっくり近づいてくる。運転しているのは軍兵衛さんだった。あれは、東京の大先生しか乗せないというやつではないのか。
「愛郎くん、にもづ後ろさつけで」
車を降りた軍兵衛さんはトランクを開け、俺のギターケースをしまってくれた。地味めなスーツを着ているためか、今日の軍兵衛さんはそう怖そうに見えない。
「父が愛郎さんを迎えに行けと言いましたので、来てしまいましたわ、寒河江から」
雪江が母親と抱き合いながら、少し笑って言った。
「兄貴はたぶん、やまがだえぎあだりまで、むがえいげっていうだいなんねっけべが」
軍兵衛さんも苦笑している。おそらく、そのとおり、駅辺りまで迎えに行けと義父は言ったのだろう。
「大先生しか乗せないこのベンツで行けって言ったのよ、お父さん」
雪江はようやくお袋から身体を離して、俺に笑いかけた。
「まぁ、4ずかんくらいすかかがんねっけ、ベンツだど」
所沢と寒河江は400キロ以上の距離があるはずだが、どれだけ飛ばしてきたのか。
「雪江さん、愛郎をよろしく」
親父がそう言い、德永家があらためて頭を下げる。
「では、次は結婚式で」
雪江が石川の女スタイルで頭を下げ、軍兵衛さんが開けたドアからベンツの後部座席に乗り込んだ。俺ももう一度頭を下げて、雪江に続いて乗り込んだ。軍兵衛さんがドアを閉め、運転席に乗り込みエンジンを始動させる。
この日俺は、德永家を出て行ったのだった。
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