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Scene 21
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俺はついに山形県寒河江市にある旧家、石川家にやって来た。これまで2度この家に来たことがあるわけだが、今日からはこの家が俺の家になる。
軍兵衛さんの運転する車は石川家の正門前に付けられた。ちゃんと正門から入って行きたいと俺が望んだのだ。軍兵衛さんは荷物は家に入れておく、と言って車を反転させ、車が通れる南門へ向かった。
3月も下旬だが、山形県寒河江市は冬を引きずっている。広大な石川家の庭は、通路の敷石のあたりをのぞいて雪がしっかりと残る。ひんやりとした空気の向こうに、なんとか城から天守閣を取り除いたような佇まいの屋敷が建っている。そういえばここの住所は山形県寒河江市屋敷、で終わり。地番もなく、この地名には石川家しかないというプレミアな住所だ。
「これから、よろしく」
隣を歩く雪江の方を見ず、屋敷の方に視線を置いたままで俺が言う。
「こちらこそ」
雪江も同じように前を見据えたままで答えた。
重厚な玄関の戸を開けると、俺の荷物はもう上り框に置かれている。靴を脱ぎ、雪江の後について仏間へ歩いて行く。仏間には義両親と義祖母が居住まいを正して座っていた。
厳かな雰囲気のなか仏壇への礼拝を済ませ、俺は義両親と義祖母に丁寧に頭を下げた。
「不束者ですが、これからよろしくお願いいたします」
三人は無言のまま頭を下げる。雪江があらためて頭を下げた。
「精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします」
凛とした声だった。
「今後の日程、前ゆたげど」
義父が事務的に言い、手帳を拡げた。
「あさって、3月24日に、婚姻届だ。日がしぇーさげ、この日に役所で書類出してけろ」
「私達の結婚記念日は3月24日だからね」
雪江が普段の声ではしゃいで俺に抱きついた。義父がイラッとした感を見せ、義母と義祖母が笑う。
「ついでだげ、転居届と住民登録はその日付でな。あぁ、後先だな、養子縁組の申請も全部一緒にやるはげ」
「私の時もそうだったけど、養子縁組で、書類的には一時的にお父さんと兄妹になったのよね」
義母が義父をちらりと見て笑った。
「あぁそうかぁ、なんか面白い」
雪江も笑う。
「事務的なこどださげしかだないなだ。婚姻届でおまえだの戸籍があだらすぐできんなだはげ」
義父はなぜかちょっと照れ気味で説明する。
「そっかー、私とあーくんの戸籍ができるんだぁ」
雪江が俺を見て微笑む。
「なんか、すごく実感湧いてきた、結婚」
俺も同じ思いだった。黙ってうなずく。
「結婚しぎど披露宴は、いろいろどあっさげ、9月」
義父が手帳をめくりながら言う。
「お父さん、今度は県議選だったね」
義父の所属政党の山形支部へ就職が決まっている雪江がつぶやく。
「披露宴は大々的になるわね」
義母が言う。言うとおり、選挙の事前運動そのものの披露宴になるだろう。
「あと、学校のほう」
4月からは俺の上司となる義母も、手帳を開いて切り出す。
「4月1日に着任、挨拶を行います。4月8日に新任式、その日の午後入学式。1学期は指導教師に付いて研修、2学期から担任教師とします」
すらすらと話す義母に雪江が尋ねる。
「誰に付くの?」
「世界史だもん、佐藤ね」
俺の通信教育の先生だった。雪江の担任だったとも言っていた。
「がんばります」
俺はまた頭を下げる。
「期待してるわ」
義母が訛りのない声で俺に声をかける。俺の上司、学校法人石川学園寒河江中央学院高校理事長、石川菊江としての言葉だった。
「じゃ荷物運ぼうか」
雪江が立ち上がる。
「ホント、男の人って荷物少ないね」
「俺だてムゴ来た時は着替えすかもだねで来たんだじぇ」
「お父さん、結婚してからもしょっちゅう実家に行ってなにやらかにやら持って帰ってきたじゃないの」
義母が立ち上がりながら義父の肩をポンと叩く。
「あなたら夫婦は、離れを使って」
義母が先に立って廊下を歩く。俺はまずギターを持って後に続く。雪江は俺の着替えの入ったバッグを持つ。
「やっぱ一番はギターなのね」
義母が俺を振り返っていたずらっぽく笑う。やはり20数年後の雪江だった。
石川家の屋敷は文化財クラスの築年数だろうが、古さを感じさせない重厚感がある。建物が渡り廊下で2軒連結しているような屋敷だが、窓をアルミサッシにしたりしゃれた電灯があったりと、細かく近代化されてはいる。
「おじいちゃんが仕事とか面会に使ってた離れで、雪江の部屋もここ。好きに使って頂戴、あなたらに任せるわ。小さいけど玄関もあるから、表玄関通らなくても入れるし」
雪江が勝手知ったる我が家とばかりにすたすた歩いて行く。はっきり言って俺の実家の1階部分の3倍の広さがある離れだ。
「どうせ部屋は余ってるからさ、私の部屋は今のままで、あーくんの勉強部屋でここ使いなよ」
指定された部屋は、洋間だった。年代物の重厚な机があり、壁は一面本棚になっている。
「オヤズの書斎だ、つかえばいいちゃ」
後ろをついてきていた義父が部屋に入ってきて、ぼそっと言った。
「お父さんはここ、使わないんですか」
「オヤズはおっかねぇっけがら、この部屋はどうもな、気後れする」
義父が頭を掻いた。この義父が怖がるくらいだから、相当なものだったのだろう。
「私は幼稚園の頃いっつもここでおじいちゃんの本を読んでたわ」
本棚の背表紙は、見たこともない漢字が並んでいるし洋書もある。
「うちの人はねぇ、ここで本を読んでる雪江をとにかく可愛がったからさぁ、さすが石川の跡取り娘は違うってねぇ」
江戸弁の義祖母も懐しそうに部屋を見回す。
「あたしゃどうも本を読むのは好きじゃなかったんでねぇ、あんまりここには出入りしなかったけど、うちの人のくつろぎの場さね」
「お、お言葉に甘えて…」
「ギターでもなんでも、好きなだけ弾いたらいいさぁ」
義祖母が笑う。雪江の60年後の姿だった。
軍兵衛さんの運転する車は石川家の正門前に付けられた。ちゃんと正門から入って行きたいと俺が望んだのだ。軍兵衛さんは荷物は家に入れておく、と言って車を反転させ、車が通れる南門へ向かった。
3月も下旬だが、山形県寒河江市は冬を引きずっている。広大な石川家の庭は、通路の敷石のあたりをのぞいて雪がしっかりと残る。ひんやりとした空気の向こうに、なんとか城から天守閣を取り除いたような佇まいの屋敷が建っている。そういえばここの住所は山形県寒河江市屋敷、で終わり。地番もなく、この地名には石川家しかないというプレミアな住所だ。
「これから、よろしく」
隣を歩く雪江の方を見ず、屋敷の方に視線を置いたままで俺が言う。
「こちらこそ」
雪江も同じように前を見据えたままで答えた。
重厚な玄関の戸を開けると、俺の荷物はもう上り框に置かれている。靴を脱ぎ、雪江の後について仏間へ歩いて行く。仏間には義両親と義祖母が居住まいを正して座っていた。
厳かな雰囲気のなか仏壇への礼拝を済ませ、俺は義両親と義祖母に丁寧に頭を下げた。
「不束者ですが、これからよろしくお願いいたします」
三人は無言のまま頭を下げる。雪江があらためて頭を下げた。
「精一杯頑張りますので、よろしくお願いいたします」
凛とした声だった。
「今後の日程、前ゆたげど」
義父が事務的に言い、手帳を拡げた。
「あさって、3月24日に、婚姻届だ。日がしぇーさげ、この日に役所で書類出してけろ」
「私達の結婚記念日は3月24日だからね」
雪江が普段の声ではしゃいで俺に抱きついた。義父がイラッとした感を見せ、義母と義祖母が笑う。
「ついでだげ、転居届と住民登録はその日付でな。あぁ、後先だな、養子縁組の申請も全部一緒にやるはげ」
「私の時もそうだったけど、養子縁組で、書類的には一時的にお父さんと兄妹になったのよね」
義母が義父をちらりと見て笑った。
「あぁそうかぁ、なんか面白い」
雪江も笑う。
「事務的なこどださげしかだないなだ。婚姻届でおまえだの戸籍があだらすぐできんなだはげ」
義父はなぜかちょっと照れ気味で説明する。
「そっかー、私とあーくんの戸籍ができるんだぁ」
雪江が俺を見て微笑む。
「なんか、すごく実感湧いてきた、結婚」
俺も同じ思いだった。黙ってうなずく。
「結婚しぎど披露宴は、いろいろどあっさげ、9月」
義父が手帳をめくりながら言う。
「お父さん、今度は県議選だったね」
義父の所属政党の山形支部へ就職が決まっている雪江がつぶやく。
「披露宴は大々的になるわね」
義母が言う。言うとおり、選挙の事前運動そのものの披露宴になるだろう。
「あと、学校のほう」
4月からは俺の上司となる義母も、手帳を開いて切り出す。
「4月1日に着任、挨拶を行います。4月8日に新任式、その日の午後入学式。1学期は指導教師に付いて研修、2学期から担任教師とします」
すらすらと話す義母に雪江が尋ねる。
「誰に付くの?」
「世界史だもん、佐藤ね」
俺の通信教育の先生だった。雪江の担任だったとも言っていた。
「がんばります」
俺はまた頭を下げる。
「期待してるわ」
義母が訛りのない声で俺に声をかける。俺の上司、学校法人石川学園寒河江中央学院高校理事長、石川菊江としての言葉だった。
「じゃ荷物運ぼうか」
雪江が立ち上がる。
「ホント、男の人って荷物少ないね」
「俺だてムゴ来た時は着替えすかもだねで来たんだじぇ」
「お父さん、結婚してからもしょっちゅう実家に行ってなにやらかにやら持って帰ってきたじゃないの」
義母が立ち上がりながら義父の肩をポンと叩く。
「あなたら夫婦は、離れを使って」
義母が先に立って廊下を歩く。俺はまずギターを持って後に続く。雪江は俺の着替えの入ったバッグを持つ。
「やっぱ一番はギターなのね」
義母が俺を振り返っていたずらっぽく笑う。やはり20数年後の雪江だった。
石川家の屋敷は文化財クラスの築年数だろうが、古さを感じさせない重厚感がある。建物が渡り廊下で2軒連結しているような屋敷だが、窓をアルミサッシにしたりしゃれた電灯があったりと、細かく近代化されてはいる。
「おじいちゃんが仕事とか面会に使ってた離れで、雪江の部屋もここ。好きに使って頂戴、あなたらに任せるわ。小さいけど玄関もあるから、表玄関通らなくても入れるし」
雪江が勝手知ったる我が家とばかりにすたすた歩いて行く。はっきり言って俺の実家の1階部分の3倍の広さがある離れだ。
「どうせ部屋は余ってるからさ、私の部屋は今のままで、あーくんの勉強部屋でここ使いなよ」
指定された部屋は、洋間だった。年代物の重厚な机があり、壁は一面本棚になっている。
「オヤズの書斎だ、つかえばいいちゃ」
後ろをついてきていた義父が部屋に入ってきて、ぼそっと言った。
「お父さんはここ、使わないんですか」
「オヤズはおっかねぇっけがら、この部屋はどうもな、気後れする」
義父が頭を掻いた。この義父が怖がるくらいだから、相当なものだったのだろう。
「私は幼稚園の頃いっつもここでおじいちゃんの本を読んでたわ」
本棚の背表紙は、見たこともない漢字が並んでいるし洋書もある。
「うちの人はねぇ、ここで本を読んでる雪江をとにかく可愛がったからさぁ、さすが石川の跡取り娘は違うってねぇ」
江戸弁の義祖母も懐しそうに部屋を見回す。
「あたしゃどうも本を読むのは好きじゃなかったんでねぇ、あんまりここには出入りしなかったけど、うちの人のくつろぎの場さね」
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