Straight Flash

市川 電蔵

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Scene 38

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新人教師としての日々はすごい早さで過ぎてゆく。俺自身が高校生だった頃、時の流れがこんなに早く感じることはなかったはずだ。寒河江は梅雨明け間近である。高校野球の地方予選が控えており、野球部と吹奏楽部は練習に余念がない。山形県は野球が強い学校は二、三校に限られており、夏の甲子園にはその学校がローテーションで出るようなものだと聞いていたが、学院の野球部はベストエイトまでは順当に進む程度の実力なのだそうだ。他県から野球留学してくる生徒はいないそうだが、くじ運次第では甲子園出場もうかがえる実力だという。
放課後遠くから響く野球部のかけ声と球音、吹奏楽部の楽曲を聞きながら、俺は軽音楽部の部室にやってきた。いつものように國井は山形市の進学塾へ行ってしまってここには来ない。西川と大泉、沖津がセッションしており、秋葉は傍らの席でぼんやりとそれを眺めていた。部室に入ってきた俺を見て、西川が演奏終了を知らせる手振りをした。
「沖津のドラムもすごいな」
いつものクールな表情のまま、軽いロールでドラミングを終えた沖津に声をかける。
「父がジャズ好きで、ずっとドラムをやってたそうです。子供の頃は父のドラムで遊んでました」
そういえば沖津はスティックをレギュラーグリップで握っている。リョータローなどはめったにやらないスタイルだ。
「小学校の頃に父がちゃんと教えてくれて、学校のマーチングバンドにも入ってました」
「なるほどね、上手いわけだ」
リョータローに教えてやって欲しいくらいだ、繊細なスティックコントロールを。
遠くから聞こえる球音のせいか、秋葉の右手は無意識にボールを握っている。
「野球、やりたいだろう」
俺は秋葉の近くへ行って小さな声で話しかける。その語りかけに対し、秋葉は俺を軽くにらみつけてすぐ目をそらす。
「まぁな。でももう、俺の肩は壊れてっから、全力投球はでぎね」
秋葉は見えないボールを握りながら、自嘲気味に笑った。
「前話したよな、俺のいたバンドのベーシストも、高校んときエースで四番でベストフォーまで行ったって」
「ベストフォーは聞いでね」
秋葉はキタと似て寡黙だが、たまに話す言葉には俺に対する敬語は含まれない。
「ピアノ弾けるんだろ、秋葉もまざれよ」
俺はテーブルの上に放置されたままのキーボードを指さす。
「ピアノとキーボードは違うんだじぇ」
秋葉は少し挑発的に笑った。
「わかってる。だが、ピアノ弾ける奴はキーボード弾くのにまったく不便がないだろ」
俺はこの部室に置きっぱなしにしておいたギターを手に取って答えた。自分で初めて買ったギターで、ボディのシェイプだけがレスポールのコピーである安物だ。長年使っているあいだに、自分でピックアップを入れ替えたり増設したりと好き勝手に改造してある。
「賢也、弾いでみろちゃ」
沖津だけがこの静かなる猛獣をファーストネームで呼び捨てにする。
「賢さん、弾いでみっべよ」
西川がキーボードにシールドと電源をつなぐ。喧嘩屋西川は、勝てなかった秋葉に敬意を込めて賢さんと呼んでいる。
「秋葉くんもまざれー、おもしゃいべー」
秋葉より四十センチ以上背が低い大泉が、秋葉を見上げてにこやかに誘う。さしもの猛獣もついに表情をゆるめた。
「俺、コードはわがんねんだ」
「ピアノやってた奴に多いなそういうの」
ミギが最初そうだったと言っていた。彼はもともとピアノから音楽の道に入ったのだと。そして中学のときバンドを組み、その時初めてギターを手にしたのだと言っていたのを思い出す。考えてみれば、あのコトブキとの出会いがそこだったのだろう。
「んだらひさしぶりにやってみっか」
秋葉は学生服を脱ぎ、キーボードの前に座り、キーを叩いた。西川がボリュームを調整してやっている。でかい手だが、驚くほど流麗に指が動いている。
「賢さん、やっぱじょんだず」
「秋葉くんひいっだの、久しぶりに聴いだちゃー」
西川と大泉が、例のお気に入り曲のフレーズを散発的に鳴らす。沖津がフィル・インしながら入ってくる。秋葉が歌メロをさらりと流し込んだ。いやいやどうして、けっこうな腕前である。
「みんな、上手いじゃんよ、びっくりしたわ」
俺はあたりさわりのないカッティングを入れながら、素直に賞賛した。
「先生におしぇでもらたし」
「けっこうまじめに練習しったんだじぇ」
西川と大泉のカップルが絶妙の間合いでMCを入れた。
「一応私が軽音楽部の部長ですし」
表情を変えないままグルーヴィーなドラミングを続ける沖津が言った。
「バンド名はあるのか」
俺の左手はフレットを動きまわり、細かいカッティングを入れ続ける。
「STAY GOLDだっす」
西川が俺のカッティングに絡ませてフレーズを転調させる。
「いい名前じゃん」
「先生はゲストプレイヤーだよ、メンバーじゃないからネ」
大泉は笑いながら言う。フレットもピックも見ずベースを弾きながらリズムに合わせてステップを踏んでおり、すごい上達ぶりだ。
「ソロの掛け合い、お願いします」
西川のスタイルは大泉と違ってどっかりとしたフォームで体を動かさない。大泉とはいいコントラストだ。
「よっしゃ」
俺はオーバードライブを踏み、ソロを弾く。
「このチョーキングがまだまだなんだ俺」
西川が俺の左指を凝視しながら言い、俺に続いてソロを弾き終わってバンドに演奏終了の合図をした。
「さすがにちょっと疲れた」
クールな沖津が口元をゆるめて微笑んだ。
「久しぶりに弾いだな」
秋葉は肩を回しながら沖津と目を合わせる。沖津の微笑みにつられるように秋葉が少し笑った。秋葉のこんな表情ははじめて見たかもしれない。
「いいバンドだ、STAY GOLD。ゲストに呼んでもらえて光栄だよ」
俺も心地よい疲労を味わう。タバコを一本やりたいところだがここではそうは行かない。
「先生はゲストプレイヤーだけど固定」
大泉が笑う。彼女はヴォーカル担当で、歌うときはまったく訛らない。男女2人ずつのバンド、STAY GOLDとして塚本社長に売り込みたいくらいだ。
「西川、夏休みに入ったら、一緒に東京へ行こう」
俺は西川に語りかけた。
「JET BLACKに会わせてやる。事務所の社長にお前のことを頼んだ後にだけど」
「ほんてだがっす?」
西川が素っ頓狂な声を上げた。
「おじいさんたちにちゃんと話して、旅費を出してもらって。さすがに新幹線代までは面倒見切れないからさ」
「ありがどさまっす!!!」
チューニングをしながら冗談めかしてそう言った俺の前へ、西川が飛んできて直角に腰を折って礼をした。そんな西川に俺は辟易する。
「先生ありがとうございます…」
大泉はいつもの元気さを打ち消し、西川の隣で静かに礼をする。うっすらと涙さえ浮かべていた。
「いや、紹介だけだから、その先は保証できんぞ、だからそんなにかしこまるな」
「太いコネだっす、BBの社長さんに直接紹介してもらえるなんて。俺、給料なのいらねがらJETの下働きばさしぇでけろって頼むっす!」
「私も一緒に土下座でもなんでもします」
未来の夫婦は、真剣な顔である。俺とてふざけた気分で言ったのではないが、彼らの本気は本当に本物だった。
「わかったわかった、俺も頑張って頼むから。理事長は推薦状書いてくれるって言ってるし。おじいさんに履歴書の書き方教わって、きれいな字で書けるようにな」
俺はなんとか二人の礼をやめさせ、ギターを肩からおろして傍らの椅子に座った。
「先生、富士男のプロデビューの夢、知ってたんだ」
沖津が俺のそばへやって来て、ぽつりと言う。
「あぁ、前に大泉と二人、ウチに来てギターの練習した時に聞いた」
「富士男、あんなだけど、プロになりたいって夢はいつも言ってたんだ」
「あんなって、俺の金髪は肩まで伸びてたぞ。ケンカは弱いけど」
「ふふ。先生、いい人なんだね」
沖津が俺を見て笑った。ちょっとドキッとするような、いい女っぷりだった。まったく、制服を着ていないと雪江や櫻乃より年上に見えるだろう。
「琴音、帰るか」
やはり高校生離れした外見の秋葉がのそっとやってくる。
「先生、富士男のこと、どうもなっす」
秋葉がはじめて俺に対して敬語らしきものを用いた。語尾に「す」をつけるのは、この辺りの方言では基本の敬語だ。
「あいづは、音楽には真剣だがら、きっとでぎっと思う」
秋葉の細い目の奥の瞳からは、これまで静かに燃えていた俺への敵愾心の炎が消えている。
「俺もそう思うわ。あとさ、國井にたまには部活に顔出せって言っといて。楽器できなきゃ歌えって」
「ミノルさんは、歌はダメかもしんね。楽器のたぐいはやってるては聞がねな」
秋葉がついににっこりと笑って俺に返した。
「ミノルさんに伝えておくわね、それ」
沖津も笑う。
「お先」
秋葉がぼそっと言って背を向け、沖津がそれに従う。手をつなぐでもなく密着するでもないが、ちょうどいい距離を保っている。
「金婚式迎えた夫婦みたいだな」
独り言のつもりだったが、沖津の耳に届いたらしい。彼女は振り返って、拳で俺を殴る真似をしてまた笑った。
その日の夜、西川の祖父母が正装して石川家を訪れ、俺に長々と礼を述べた。そのうえ「寸志」と書かれた分厚い祝儀袋まで差し出すので、これを断るのに石川宗家全員が動員されたのである。
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