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Crush on you
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何してんだよ、って訊いたつもりだったけど、咥えさせられた布が音も唾液も奪っていく。くぐもった声は届いているのだろうか、それこそ打ち上げられた海老のように不自然な格好でバタバタと蠢く俺の身体。近くにアイツの気配はない。身体を起こそうにも腹筋に力が入らない、ズリズリとシーツの上をのたうち回るだけ。
「いつまで続けるの?」
ひやりと氷を背筋に当てられている気がした。あるいは抜き身のナイフ。こんな状況だというのに余りにもその声は平坦でいつも通り過ぎることに恐怖を覚えた。
「疲れると思うけど」
頭上から降ってくる声の主は何を思ってこんなことを。
「お前が飽きるまでこうしていようね」
それからも何日も監禁は続いた。丁度夏休み期間だったのが悪化に拍車をかけた。俺がいないことに違和感を持つやつが少なかった。毎日毎日嬉しそうに俺を愛玩してはゴリゴリに精神を削っていく飼い主と化したアイツは、痛いことや酷いことはしなかった。ただ俺の望むことは何ひとつ叶えなかった。たったそれだけで俺の心を器用に折っていった。
「水が飲みたい」
「そっか」
「外に出たい」
「そうだね」
否定も罵倒もしない。ただ頷いて流すだけ。自己防衛の結果か、何度願っても叶えられないことが分かると人は何も望まなくなる。誰にも届かない声は一体何処に消えていくのだろうか。何をされたわけでもないのに、人は心を殺されると牙を抜かれたケモノのように飼い慣らされてしまう、今の俺のように。
「なあ、お前は俺をどうしたいの?」
腕力では敵わないと知っているからだろうか、緩やかに身体も心も衰弱させていく計画を選んだらしい確信犯は、ぼんやりとソファに座ってベランダ越しに見える曇り空を見上げている。嵐が来そうだった。
「んー、…なんだろね。俺はお前をどうしたいんだろう。どう思う?」
聞き返す顔は純真無垢な子供のように明け透けだ。いつの間にか道に迷ってしまって正しい帰り道が分からない、とでも言いたげに薄ぼんやりとしている。訊いたのは俺なのに、助けて欲しいのは俺の方なのに、どうしてお前がそんなに苦しそうな顔をするんだよ。
「こんなことしなくたって、俺は傍にいる。約束する。お前をひとりにさせやしないから、解放してくれよ」
半分本音で、残りの半分は偽善だった。友人として、ならいくらだって傍にいて支えてやれるけどお前が欲しい答えはきっと違うんだろ。
「人はさ、嘘を吐くんだよ。他人にも、自分にも。そういう生き物なの」
たかが二十年くらいしか生きてないクセに分かったような口きくなよ、って普段の俺なら窘めていただろう。こうなる前の俺なら、お前が手のひらで両目を塞ぐくらいの眩しさを投げかけて明るい方へと引き摺って行っただろう。でも今の俺は、重たい鎖で足を繋がれた罪人のようにこの空間に縛りつけられている。
叫んで暴れて助けてもらうための行動を起こすことは簡単だった。椅子のひとつでも窓ガラスに向かって投げつければ済む。だけど、その結果コイツに残るものは、あるいは俺が失うモノは、あまりに大きすぎる気がした。そんなの自業自得だろって言うことは容易いけれど重たすぎる十字架を背負わせたいわけじゃなかった。友人を拘束監禁だなんて事件でしかない。
俺を繋ぐ拘束具のバックルがひと穴分縮まった頃、俺はもうこの部屋から出ていく必要性を感じなくなっていた。ここにいればコイツが傍にいて、何でも世話を焼いてくれて、独りにならずに済む。ただ抱き締められて執着されて愛玩されていれば生きていることを赦されるだなんて、余りにも怠惰で余りにもイージーだった。
必死に勉強して入った大学も、幼い頃から続けてきた野球も、増え続ける友達も、もしかしたら存在していたかもしれない未来も、何もかもどうでも良くなっていた。
じわじわと毒を喰むように息をして、満たされることも奪われることもなく淡々と、砂漠に尽きることなく糸のような水を注ぎ続ける日々。終わりが見えない底なし沼をかき分けてかき分けて前に進む度に沈んでいく。もがいて、もがいて、首元まで浸かって泥に、塗れて、愛に、溺れる。
「ねえ」
それは夏の嵐が過ぎ去って秋の風が吹き始めた午後だった。
「俺がいなくなったらどうする?」
クッションを抱きながら今日の天気でも話す気軽さで恐ろしいことを言う。お前がいなくなったら?俺はどうすればいいの?ひとりになっちゃうじゃないか。お前がいないと俺は生きていけないよ。どうしてそんなこと言うの?俺のこと要らなくなったの?
頬を涙で濡らしながら縋りつく俺を、柔らかな笑みを浮かべてなだめるお前は何故だか酷く満足そうに笑って俺の頭を撫でた。
「自由に、してあげるね」
鎖が外されて、いつの間にかまとめられた荷物を片手に、振り返ることなく出ていった。俺の日常。俺の世界。俺の心。全てを壊していった男。
地獄のような冬だった。
身体は比較的すぐに戻った。食欲は湧かなかったが口に物を入れれば体重は増えた。だけど、壊された精神はいつまで経ってもアイツを求めていた。
一人でどうにもならなくなった俺が助けを求めたのは、アイツを古くから知る共通の友人だった。電話をかけて助けてくれと伝えたら飛んできてくれた。いい奴だった。
「…何があったんですか」
理由もなくこんなことをするヤツじゃない、と言外に匂わせる。でもそんなの俺が一番知りたかった。ある日突然友達の境界線を越えて乗り込んできて踏み躙って何もかもブチ壊して帰っていったヤツの気持ちなんて分かる訳がない。
「わかんない。何もわかんない。俺が教えて欲しいくらいだよ」
掠れた喉で床だけを見つめる俺を甲斐甲斐しく世話してくれた年下の友人は、しばらく寝泊まりしてから俺が何とか立ち上がって飯を食い、風呂に入り、着替えて眠ることが出来るようになるまで傍にいてくれた。
「ちょっと俺も一旦帰りますけど、いつでも呼んで下さいね」
またすぐに様子見に来ますから、と心配そうに何度も振り返りながら帰っていった背中を見送る。ベランダの窓を閉めたら急に、静寂が襲ってきた。
「いつまで続けるの?」
ひやりと氷を背筋に当てられている気がした。あるいは抜き身のナイフ。こんな状況だというのに余りにもその声は平坦でいつも通り過ぎることに恐怖を覚えた。
「疲れると思うけど」
頭上から降ってくる声の主は何を思ってこんなことを。
「お前が飽きるまでこうしていようね」
それからも何日も監禁は続いた。丁度夏休み期間だったのが悪化に拍車をかけた。俺がいないことに違和感を持つやつが少なかった。毎日毎日嬉しそうに俺を愛玩してはゴリゴリに精神を削っていく飼い主と化したアイツは、痛いことや酷いことはしなかった。ただ俺の望むことは何ひとつ叶えなかった。たったそれだけで俺の心を器用に折っていった。
「水が飲みたい」
「そっか」
「外に出たい」
「そうだね」
否定も罵倒もしない。ただ頷いて流すだけ。自己防衛の結果か、何度願っても叶えられないことが分かると人は何も望まなくなる。誰にも届かない声は一体何処に消えていくのだろうか。何をされたわけでもないのに、人は心を殺されると牙を抜かれたケモノのように飼い慣らされてしまう、今の俺のように。
「なあ、お前は俺をどうしたいの?」
腕力では敵わないと知っているからだろうか、緩やかに身体も心も衰弱させていく計画を選んだらしい確信犯は、ぼんやりとソファに座ってベランダ越しに見える曇り空を見上げている。嵐が来そうだった。
「んー、…なんだろね。俺はお前をどうしたいんだろう。どう思う?」
聞き返す顔は純真無垢な子供のように明け透けだ。いつの間にか道に迷ってしまって正しい帰り道が分からない、とでも言いたげに薄ぼんやりとしている。訊いたのは俺なのに、助けて欲しいのは俺の方なのに、どうしてお前がそんなに苦しそうな顔をするんだよ。
「こんなことしなくたって、俺は傍にいる。約束する。お前をひとりにさせやしないから、解放してくれよ」
半分本音で、残りの半分は偽善だった。友人として、ならいくらだって傍にいて支えてやれるけどお前が欲しい答えはきっと違うんだろ。
「人はさ、嘘を吐くんだよ。他人にも、自分にも。そういう生き物なの」
たかが二十年くらいしか生きてないクセに分かったような口きくなよ、って普段の俺なら窘めていただろう。こうなる前の俺なら、お前が手のひらで両目を塞ぐくらいの眩しさを投げかけて明るい方へと引き摺って行っただろう。でも今の俺は、重たい鎖で足を繋がれた罪人のようにこの空間に縛りつけられている。
叫んで暴れて助けてもらうための行動を起こすことは簡単だった。椅子のひとつでも窓ガラスに向かって投げつければ済む。だけど、その結果コイツに残るものは、あるいは俺が失うモノは、あまりに大きすぎる気がした。そんなの自業自得だろって言うことは容易いけれど重たすぎる十字架を背負わせたいわけじゃなかった。友人を拘束監禁だなんて事件でしかない。
俺を繋ぐ拘束具のバックルがひと穴分縮まった頃、俺はもうこの部屋から出ていく必要性を感じなくなっていた。ここにいればコイツが傍にいて、何でも世話を焼いてくれて、独りにならずに済む。ただ抱き締められて執着されて愛玩されていれば生きていることを赦されるだなんて、余りにも怠惰で余りにもイージーだった。
必死に勉強して入った大学も、幼い頃から続けてきた野球も、増え続ける友達も、もしかしたら存在していたかもしれない未来も、何もかもどうでも良くなっていた。
じわじわと毒を喰むように息をして、満たされることも奪われることもなく淡々と、砂漠に尽きることなく糸のような水を注ぎ続ける日々。終わりが見えない底なし沼をかき分けてかき分けて前に進む度に沈んでいく。もがいて、もがいて、首元まで浸かって泥に、塗れて、愛に、溺れる。
「ねえ」
それは夏の嵐が過ぎ去って秋の風が吹き始めた午後だった。
「俺がいなくなったらどうする?」
クッションを抱きながら今日の天気でも話す気軽さで恐ろしいことを言う。お前がいなくなったら?俺はどうすればいいの?ひとりになっちゃうじゃないか。お前がいないと俺は生きていけないよ。どうしてそんなこと言うの?俺のこと要らなくなったの?
頬を涙で濡らしながら縋りつく俺を、柔らかな笑みを浮かべてなだめるお前は何故だか酷く満足そうに笑って俺の頭を撫でた。
「自由に、してあげるね」
鎖が外されて、いつの間にかまとめられた荷物を片手に、振り返ることなく出ていった。俺の日常。俺の世界。俺の心。全てを壊していった男。
地獄のような冬だった。
身体は比較的すぐに戻った。食欲は湧かなかったが口に物を入れれば体重は増えた。だけど、壊された精神はいつまで経ってもアイツを求めていた。
一人でどうにもならなくなった俺が助けを求めたのは、アイツを古くから知る共通の友人だった。電話をかけて助けてくれと伝えたら飛んできてくれた。いい奴だった。
「…何があったんですか」
理由もなくこんなことをするヤツじゃない、と言外に匂わせる。でもそんなの俺が一番知りたかった。ある日突然友達の境界線を越えて乗り込んできて踏み躙って何もかもブチ壊して帰っていったヤツの気持ちなんて分かる訳がない。
「わかんない。何もわかんない。俺が教えて欲しいくらいだよ」
掠れた喉で床だけを見つめる俺を甲斐甲斐しく世話してくれた年下の友人は、しばらく寝泊まりしてから俺が何とか立ち上がって飯を食い、風呂に入り、着替えて眠ることが出来るようになるまで傍にいてくれた。
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