いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第七章~おごりの盾~

四百六十七話

 からだが重い。
 眠っているみたいに、ぼんやりした意識でぼくは思った。

 ――ぼく、どうしたんだろう……どうしたんだっけ……?

 うつらうつらと考えていると、ギシ、と軋み音がする。からだがそちらに傾いて、もとに戻る。舟みたい。そんな風に思っていると、頬に何か触れる。
 じわりと熱い。――手のひら?薄目を空けると、誰かが覆いかぶさってる。ぼんやりとした影は、ぼくの体を愛しむように触れた。

 ――……ひろ、ちゃん……?

 そうだ。ぼくにこんな風に触れるのは、宏ちゃんしかいない。ほっとして体の力を抜く。愛撫が始まった。体の奥から、とろとろと甘い感覚がしみ出してくる……。

 『成……好きだよ』

 優しい声を夢うつつに聞く。

 ――ぼくも、好き。宏ちゃん……。

 心の中で応えると、ぎゅっと抱き寄せられた。ふわりと鼻先を甘い香がくすぐった。その瞬間、「あれ?」と思う。
 あたたかい、森林の香りがしない。
 それに、宏ちゃんの体は、もっとがっしりしていなかった?密着する汗ばんだ肌も、もっとあたたかくなかったっけ……。

「……あっ……」

 快楽のお湯に浸されたからだが、違和感を訴える。

 『成。もっと、見せてくれ……』

 宏ちゃんが囁く。
 そうだ、宏ちゃんに決まってる。こんなことを、ぼくは夫以外に許しはしない。なのに――からだのどこかが「おかしい」と叫ぶ。

「……ゃっ……」

 脚の間を探る手に、「待って」と言いたいのに、唇からは呻き声しか漏れない。敏感な場所に触れられ、いつも夫に教えられたように、膝が勝手にひらく。

 ――宏ちゃん……宏ちゃんっ!

 ぼくを追い詰める手に喘がされながら、必死に夫の面影を追う。

「あ……ああっ」

 目もあけられないまま、叫ぶ。
 くたり、と力がぬけた。手のひらに熱を受け止められ、意識が白くかすんでいく。

 ――だ、め……眠っちゃ、だめ。

 からだにまとわりつく違和感が、警鐘を鳴らしていた。足首を掴まれる感触がする。ぼくは――必死に重い瞼をひらいた。
 

「……え……?」

 
 涙でおぼろな視界に映ったのは、宙に持ち上がった自分の両脚。そして、それを掴む骨っぽい手と。その向こうに、栗色の髪。繊細で優美な面差しと……驚愕に見開かれた、紅茶色の瞳。

「よう、へい」

 何が起こってるのかわからなくて、ただ目を見ひらく。

 ――なんで?

 どうして陽平が……そう思ってから、怒涛のように記憶が戻ってくる。城山さんに攫われ、へんな薬を飲まされたこと。宏ちゃんを裏切るように仕向けられ、意識を失ってしまったこと――。

「……成己」

 窺うように名前を呼ばれる。陽平が、ぼくを見下ろしている。裸の上半身が目に入り、そして自分も何も身にまとっていないことに気づく。

「あ……やっ……!」

 全身から、さあっと血の気が引く。じゃあ……じゃあ、さっきまでのは、宏ちゃんじゃなくて。ぼうぜんと紅茶色の瞳を見上げ――ひっと息を飲む。自分の肌から立ち上る薔薇の匂いに、喉がうっとえづく。

「ゲホッ、ゲホ……う、ぇっ……!」

 激しく咳き込むと、口に酸っぱい味が広がった。体をくの字におり、ぼくはシーツの上に吐いてしまう。

 ――嘘や。うそや、こんなの……!

 ぼく、宏ちゃん以外と。宏ちゃん以外に……。
 あまりの恐怖に、ぼくはベッドにのたうつ。きつく閉じた目尻から、熱い涙が零れ落ちる。今見たものを、全部なかったことにしてしまいたい。

「成己……大丈夫か!」

 なのに、熱い手が僕の背を擦る。素肌に触れる体温に、迫る薔薇の香りに、心から血がふき出した。

「……っ、いやっ! 触らんといて!!」

 力いっぱい怒鳴りつけると、陽平は怯んだ。ぼくは、獣のようにふうふうと荒い息を吐く。体を丸めて、出来る限り肌を隠そうとこころみながら、叫んだ。

「なんで……なんで、こんなッ! いったいぼくに、何の恨みがあんのっ!?」
「……な、成己」

 陽平の声が揺れる。傷ついたみたいな声が許せなくて、奥歯を噛み締めた。ひどいことをしているのは、陽平なのに。どうして、ぼくにこんなことを。宏ちゃんを、裏切らせるような真似を――。

「……蓑崎さんに、ふられたからって……! どうして、ぼくが……こんな目に、遭わされないといけないんよっ……!」

 頬を熱い涙が伝う。深い恨みの叫びが喉を裂く。叫ぶほどに、胸の奥が空っぽになっていく気がした。
 あっさり捨てられた。宏ちゃんと結婚したことも怒られた。今だって、腹いせにこんなことをして!

 ――ぼくが、お前に何したっていうの……?

 親友として笑いあった日まで、心の底から抜け落ちていく。こんな薄情な自分は嫌なのに、許せなくて、悔しくて……体を丸めて泣きじゃくる。

「ううう……っ!」

 宏ちゃんの優しい笑みを思い、唇をきりきりと噛みしめる。こんなに汚い心で、大切な人の名前を呼べなかった。陽平に触れられた体がいとわしくて、マットに何度も打ち付ける。

「――成己!」

 陽平が突然、後ろから抱きついて来た。

「……っ、やあっ!」

 ぼくは、じたばたともがく。両手が拘束されていて、上手く逃げられない。

「はなして!」
「違うんだ……晶じゃない!」

 陽平は、ぼくをますます強く抱きすくめ、声を張り上げた。

「俺が好きなのは、お前なんだ。俺は、お前が好きなんだ、成己……!」

 切ない叫びが、部屋の空気を震わせる。
 
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