いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
472 / 485
第七章~おごりの盾~

四百七十一話

しおりを挟む
 突然解放され、ぼくは激しく咳き込んだ。シーツの上に倒れ込みそうになったところを、熱い腕にしっかりと抱き留められる。

「成……成己!」
「ゲホッ、ゲホ……」

 必死な声が、耳元で響く。苦しさで溢れ出した涙のむこう、愛しい面影が映る。

「……っ、ひろ、ちゃ……」

 声を絞り出すと、喉が引き攣るように痛む。ケホ、と咳き込むと大きな手が背を擦ってくれた。

「大丈夫か!? なんて無茶をするんだ!」

 苦しみを吐くように囁いた宏ちゃんが、ぎゅっとぼくを抱く。……ぼくをすっぽりと包んでしまいそうな、大きな体。背を撫でてくれる大きな手。あたたかな木々の香りに包まれて、どっと安堵が襲ってきたん。

 ――宏ちゃん……宏ちゃんだ……!

 顔がくしゃりと歪む。鼻の奥がツンと痛んで、嗚咽が漏れた。

「ああ……ごめんな。すぐに外してやる」

 泣きだしたぼくに、悲しい顔になった宏ちゃんが、急いで手首の戒めを解いてくれる。バラッ、と音を立てて拘束が落ちるとともに、ぼくは逞しい首に抱きついていた。

「わああん……宏ちゃんっ……」
「成……っ」

 ぎゅう、と両腕で齧りつく。家の明かりを見つけた、迷子の子どもみたいに、ぼくはわあわあ泣き叫んだ。

「怖かった……怖かったよぅ……!」
「よしよし……辛かったな。もう大丈夫だから……」

 宏ちゃんは、ぼくをしっかり抱いて、頭を撫でてくれた。低く優しい声が、脳を甘く揺らす。とくん、とくん、と鼓動が脈打って、全身にあたたかな血が通いだした。
 宏ちゃん。
 ぼくの、大切な人。
 鼻先を埋めたシャツに、汗と血のにおいがして胸が締め付けられる。こんな、ぼくのせいで。

「ひっ……うう。ごめ、なさ……」
「いいんだよ。成……うちに帰ろう。な?」

 しゃくりあげるぼくに、宏ちゃんが優しく言い聞かせる。何度も頷くと、宏ちゃんはぼくの頭を彼の肩に抱え込んだ。
 それから、シャツを脱いでぼくに着せかけてくれる。

 ――うちに帰れる。宏ちゃんと、おうちに……

 喜びと安堵でぼうっとしていると、背後で呻き声が聞こえた。ぼくは、はっとする。

「ぐっ……野江……」

 左頬を赤く腫らした陽平が、よろめきながら身を起こす。険しい紅茶色の瞳が、ぼくを射抜く。ビクリと肩を震わせると、宏ちゃんが守るように抱きしめてくれた。

「無駄だ、城山」

 宏ちゃんの声は、冷たく静かだった。本気で怒ってると伝わるそれに、自分に向けられていないのに、肌がさあっと粟立った。
 そして、やっと状況が少し見えてきたん。

 ――あ!

 腕を戒めていたはずのベルトは、打ち捨てられていた。
 宏ちゃんを押さえつけていた男たちは、全員倒れている。外傷はないみたいやのに、全員白目をむいていた。きっと、フェロモンに当てられたんだ。
 陽平も、苦しそうに息を吐いている。状況は、すっかり逆転していた。

「成己を、離せ……!」
「断る」

 宏ちゃんが言い、静かに後じさる。陽平は、叫んだ。

「ふざけるなッ……成己は俺のだ。俺の、オメガなんだよ!お前なんかが、手に入れられるもんか……!」

 子どもの駄々のような叫びだった。歪んだ目から、お気に入りのおもちゃを失くしたような、幼い必死さが溢れ出す。その顔に、高校時代の陽平が重なった。
 さあ、と風が吹き込んで、シャツがはためく。夕焼けの教室で笑い合ったことが甦った。
 
 


 放課後、ぼくがセンターからの送迎車を待っているとき。陽平は気まぐれにやってきて、一緒に待ってくれた。
 一緒に本を読んだり、お喋りしたり。でもね……話し出してしばらくすると、むっつりと黙り込んで、窓の外をじっと見てることに、気が付いたんよ。

 『陽平?』
 『……』

 教室の窓から、黙って校庭を見下ろしていた陽平。唇をぎゅっと引き締めて、何を尋ねても黙っていた。
 はじめは、何なんやろう?って不思議やった。
 でもね、次第に分かったん。
 陽平は、校門を見ていたんやって。だって、陽平がその顔をしたらね。すぐにセンターの職員さんから「校門に着いたよ」って連絡が来たんやもん。
  


「陽平」

 ぼくは、泣いていた。溢れ出す涙をそのままに、陽平を見返すと――紅茶色の瞳が見ひらかれる。

「成己?」
「……っ」

 涙を噛み縛り、俯く。過ぎ去った日が迫って、胸が痛い。

 ――あのとき……お別れを、惜しんでくれたんよね?

 ずっと忘れてたけど、思い出した。
 あれが初めてやったん。陽平にとって、ぼくは惜しんでもらえる存在なのかも、って思えた瞬間やったんや。
 宏ちゃん以外で、初めて……ぼくのことを見てくれたんやないかって思ったから。

「成?」

 ほとほとと零れた涙を、大きな手が受け止めてくれた。
 心配そうに、ぼくを見つめる灰色の瞳に笑み返す。ぼくの痛みに、誰より聡いこの人が悲しい。

「……宏ちゃん。ありがとう」

 愛しい夫を抱きしめて、紅茶色の瞳を振り切った。
 最後に思い出せて、良かった。宏ちゃんの背に腕をまわすと、そっと抱き上げられる。

「成己!!!」

 迷子の叫びが、真っ赤な夕焼けに染まる部屋に響く。胸が痛くなるような声。それでも――それはきっとぼく自身の感傷なんだ。
 目を伏せて、夕陽に立ち尽くす子供の残影を、意識の外に追いやった。

「さようなら、陽平」

 ぼくは、もう振り返らない。
しおりを挟む
感想 261

あなたにおすすめの小説

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

なぜ、私に関係あるのかしら?

シエル
ファンタジー
「初めまして、アシュフォード公爵家一女、セシリア・アシュフォードと申します」 彼女は、つい先日までこの国の王太子殿下の婚約者だった。 そして今日、このトレヴァント辺境伯家へと嫁いできた。 「…レオンハルト・トレヴァントだ」 非道にも自らの実妹を長年にわたり虐げ、婚約者以外の男との不適切な関係を理由に、王太子妃に不適格とされ、貴族学院の卒業式で婚約破棄を宣告された。 そして、新たな婚約者として、その妹が王太子本人から指名されたのだった。 「私は君と夫婦になるつもりはないし、辺境伯夫人として扱うこともない」 この判断によって、どうなるかなども考えずに… ※ 中世ヨーロッパ風の世界観です。 ※ ご都合主義ですので、ご了承下さい、 ※ 画像はAIにて作成しております

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

処理中です...