いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第八章~遥かな扉~

四百七十八話

 それからね。
 ぼくと宏ちゃんは、しばらく二人きりの時間を過ごしたん。
 と言うのも――ぼくが、抱き合った翌日から、しばらく寝込んでしまったんよ。

 『な、成、大丈夫か……!?』

 感動的に抱き合った翌朝、真っ赤になってうんうん唸ってるぼくに、宏ちゃんは泡を食ったそう。大慌てで中谷先生をよんでくれて、診て貰ったことには――番になって体が変わる過程で、よくあることなんやって。アルファの毒に、オメガの身体が適応するまで、体調が不安定になっちゃうそうなん。
 そして、その特効薬と言うのが――
 


「なーる。あーんして」
「あーん」

 笑顔で差し出されたスプーンに、パクリと食いつく。ふんわりと甘い卵と、ほろ苦いカラメルの味が広がった。ほにゃ、と顔が緩む。

「おいしぃ~」
「そうか、そうか。もう一口いくか?」

 相好を崩した宏ちゃんが、もうひと匙すくって、口元に持ってきてくれる。甘みに惹かれて口を開けようとして――ぼくは、はっとする。
 
 ――あかーん! また甘やかされてるっっ!
 
 自分の意志の弱さに愕然としていると、宏ちゃんが不思議そうにしてる。

「どうした? 眠いか。それなら、寝付くまで手をつなごうな」

 優しい眼差しに、うっとなる。夫の瞳からは「大丈夫かな」と「愛しい」が大量に放射されていて、浴びせられていると、抵抗の意志がふやけてしまうん。
 でも、とお布団をぎゅっと握る。

「あのう……ぼく、そろそろ起きたいんやけど……」
「だめだぞ?」

 即答ですか!? ぎょっとしてたら、宏ちゃんが先生みたいに窘める。

「中谷先生が言ってたろ。体調が安定するまでは、じっとしてなって。また熱がぶり返したらどうする」
「で、でも……流石に、甘やかされ過ぎて、だめになっちゃいそう……」

 宏ちゃんは、不思議そうに目を瞬く。

「何言ってるんだ。番が一緒にいるのが、特効薬だって言ってたろ?」

 うッと詰まる。
 中谷先生がおっしゃるには、番になって直後のオメガは不安定で。だからこそ、番のアルファの愛情をもって接することで、心身が安定しやすくなるんやって。
 いったん高熱が下がってからも……すぐに熱が出たり、眠りこんだりしてまうぼくを、宏ちゃんが心配してくれているのはわかってるんよ。

 ――でも、流石に限度があるっていうか!

 だって、番になってからこっち――真綿に包むなんて生易しい。蜂蜜づけにされて、綿あめに包まれているような生活を送ってるんやもんっ。
 ベッドから出ようとすれば、お布団に押し戻されちゃうし。移動するときは抱きかかえられて、連れてってくれるん。
 三食おやつつきの上、手ずから、食べさせてくれるし。お風呂も着替えも全部、助けてくれて。そんなやから、ずっと側に居てくれるし――。
 指を折って抗議すると、宏ちゃんは首を傾げた。

「いやだったか?」

 少し寂しそうな甘い声に、頬がかあ、と赤らむ。だって、いや、なんて嘘でも言えない自分に気づいたん。すると、宏ちゃんは大きな手でぼくの頬を包んだ。

「成? 言ってごらん」
「……っ」

 唇をなぞられて、ぞくりと肩が震える。宏ちゃんに触れられると、心がふやふやになって、抵抗できひん。これも、番になったからなんやろか……。ぼくは狼狽えながら、口にする。

「ほんまは……嬉しい。でも……こんなに甘くされたら、普通に戻れへんよぅ……」

 平常運転のときに、絶対に寂しくなるもん。ていうか、べったり甘えちゃうかも――と、ぼくの危惧を話すと、宏ちゃんは大きく笑った。

「ひどいっ、何で笑うのー!」
「すまん……あんまり可愛くて」
「それ、ほめてなーいっ」

 拳を握って、ぷんぷんしていれば、笑いをおさめた夫に抱き寄せられる。

「ばかだな、成」

 額の花に、ちゅっと口づけられた。

「そんなの気にしないで、いっぱい甘えてくれよ。番なんだから、俺はお前のものだ」

 甘い声音に、ぶわりと熱が上がる。

「ひえ……!」

 くら、と目眩がして、厚い胸に凭れた。宏ちゃんはくすりと笑って、ぼくを抱きしめたままベッドに横たわる。二人分の体重を受けとめて、ギシッとベッドが大きく軋んだ。
 大きな手が額に触れる。

「ちょっと、熱が上がったか……眠った方がいい」
「……ひろ、ちゃん」

 ぎゅ、と抱きしめられて、逞しい胸に頬が埋まる。しっとりした生地のベスト越しに、とくんとくん、と力強い鼓動が伝わってくる。あたたかくて、頼もしい。大きな手が、背中を擦ってくれる。じん……と甘い疼痛が走り、息を詰めた。

「ここ……つらいか?」
「ううん……痛くないんやけど……なんだか」

 気恥ずかしい感覚を言葉に出来なくて、濁す。それでも、大人な宏ちゃんには伝わったらしい。嬉しそうに、くすくす笑いが伝わってくる。

「そっか。楽しみだなあ」
「な……な、ななにが!?」
「ふふ。さてな」

 焦るぼくをぎゅっと抱いた宏ちゃんから、ふわりとあたたかい香りが発する。ゆらゆら揺らいでいたおなかの芯が、ぴたりとはまるような、安心が訪れる。手足がホカホカして、からだから力がぬけちゃう。

「ふあ……」

 欠伸をしたぼくを、宏ちゃんが抱きかかえて、布団に入れてくれた。

「少し、おやすみ」
「……あっ」

 無意識に、ベッドから降りようとする夫のシャツの袖を掴んでいた。真っ赤になるぼくに、宏ちゃんはとろけるような笑みを浮かべた。

「可愛いな」

 一緒に布団に入ってくれた夫に、ぎゅっとしがみつく。

「宏ちゃん、ごめんね。お仕事……」
「もう終わってるから、平気だよ」

 絶対嘘なのに、そんな風に言ってくれる。優しさの沼に沈んでいきそうや、って思った。でも……もし。宏ちゃんなしに、息が出来なくなっても平気。そんな気さえしてる、自分に大分驚く。

 ――どうしちゃったんやろ。ぼく……
 
 奇妙に想いつつ、宏ちゃんの腕に、ぎゅっとしがみついてしまう矛盾。ああ。

「成。苦しくないか?」
「うん、あったかい……」

 それでも、大きな胸に抱かれていると、ぼくはもう何も怖くないみたい。
 優しく背を擦られると、やっぱり、ぴりぴりと甘い痛みが走る。手足から力がぬけて、くっついている宏ちゃんに溶けていきそうなほど、眠い。
 宏ちゃんも、大きく欠伸をする。

「ひと眠りするか」
「ふふ……うんっ」

 でも、初めてのことばかりで、戸惑いっぱなしなのに。宏ちゃんが一緒だと思うと、何とかなりそうな気がするん。
 変やんね。こんなに、なにも出来ないのに……安心してるなんて。
 やっぱり、番になったからなのかなあ――?

「おやすみ、俺の成」

 優しい囁きを聞きながら、腕の中で丸くなる。親の腕に抱かれる子供って、きっとこんな感じなんだ……ふと、そんな風に思う。
 
 ――おとうさん。
 
 目尻に浮かんだ涙を優しく拭ってくれる親指に、小さくほほ笑む。
 あんまりに幸せやから、目眩をしてしまいそうなん。
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