いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第八章~遥かな扉~

四百七十九話

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 宏ちゃんの愛に包まれて、ぼくは体調を回復していったん。
 そして――体調の良い日をえらんで、ぼくはセンターで検査を受けた。往診には来て下さったんやけど、ちゃんとした検査は出来ひんからね。

「成己くん、痛みは良くなってきた?」

 中谷先生が、穏やかに聞かはった。消毒綿が傷に当てられて、ひんやりした感覚にくすくすと笑う。

「はい。大丈夫ですっ」
「消毒、頑張ってくれましたね。綺麗な傷跡になってる」
「良かったぁ。宏章さんが、毎日してくれたんです」

 ベッドに横向きに寝て、項の噛み痕を診てもらっていたん。不思議なことに、あれだけ深く牙が刺さったのに、噛み痕はもう治りかけてた。いわく、あの時のアルファの毒に、傷口がふさがる成分が入ってるんやって。
 中谷先生は、傷にパッドをはり、感嘆の息を吐く。

「炎症反応も下がっていたし。こんなに治りが早いのは、宏章さんの毒がよっぽど強いんだろうな。成己くん、しばらく相当痛かったでしょう?」
「えへ……」

 噛まれた時、わんわん泣いてしもたことを思い出して、ちょっと照れ笑い。あ、あの後からはずっと痺れていて、痛みはなかったんやけどね……! そう言いわけすると、中谷先生は「君は我慢強いなあ」と笑って、肩甲骨を指でトンと叩いた。

「何にせよ、もう毒は馴染んでるから、大丈夫。――ここに、紋様も浮かんできているよ」
「えっ」

 ぼくは吃驚して、先生を振り返る。

「そうなんですか? 普通、毒が馴染むのに三か月くらいかかるって……」
「うん。オメガの体も、アルファの毒に抵抗しようとするからね。こんなに順応が早いのは、私も初めて診たなあ」

 中谷先生も、驚いているみたいやった。
 アルファに項を噛まれたオメガは、その毒が馴染むと、フェロモン線と子宮をロックされるんよ。もう、自分以外に咲かないように……って。
 それでね。ロックが完了した証として、オメガのフェロモンが強く発する部分――たいていは首や背中。または胸元や鼠径部――に、紋様が浮かびあがるん。この紋様は、アルファそれぞれに違うの。やから……紋様が浮かぶと、オメガはそのアルファのものになったって、文字通り体に刻まれることになるねん。

「あのっ。もう、はっきりわかるんですか?」

 ぼくは、ドキドキしながら聞いてみる。先生は、背中を触診しながら、ううんと唸った。

「成己くんは肌が白いから、解りにくいけど……かなり鮮やかに浮かんできてるね」
「そうなんですか……!」

 ぼくが、宏ちゃんのものになった証がでてるんや。
 
 ――すごい。嬉しい……!
 
 胸がきゅうって苦しくなって、掛けてもらった毛布を抱く。頬が、勝手にニコニコしちゃう。

「宏章さんも、気づいてはるかなあ」
「ふふ、どうだろうねえ。また、聞いてごらん」

 診察が終わり、服を直していると、中谷先生が言った。

「この後、宏章さんにも話すんだけど。また、二週間ほどしたら、また検査に来てほしいんだ。”あっち”の方で、検査を……」
「はいっ。よろしくお願いします」

 ニットをぎゅっと引き下ろして、笑顔で振り返り――ぼくは、目を瞬いた。

「中谷先生?」

 先生は、泣いていた。顔をくしゃくしゃにして、ハンカチを眼鏡の下に押し込んでいる。結婚式以来の泣きっぷりに驚いて、飛び起きた。

「どうしたんですか?」

 白衣の背を擦った。先生は、涙にしわがれた声で、言わはる。

「……ご、ごめんよ、大人のくせにね。これは……嬉しくてね」
「え?」
「成己くんが……これで。ここには、帰ってこなくていいんだ、って思ったら――」

 はっと息を飲んだ。優しい目が、ぼくを見てくれていた。

「……先生っ」

 ぼくの声も、涙で潤んだ。
 幼いころから、ずっと見守って来てくれた先生の……心配と愛情に、本当に触れた気がしたん。先生の手を握ると、幼いころよりもかさついてたけど……同じように、あったかかった。

「良かったね。本当に」
「ありがとう……」

 二人でしばらく泣いてしまって。診察室に戻ると、待っていてくれた宏ちゃんに、驚かれちゃったん。
 
 
 *

 
「成。しんどかったら、眠っていてもいいからな」

 運転席で、宏ちゃんが優しく案じてくれる。ぼくは助手席に埋もれるように座って、ふふっと笑った。
 赤みを増した陽ざしが、ビル街を優しく染めている。

「ありがとう、宏ちゃん。でも、大丈夫っ」
「そうか?」

 心配性の夫は、少し眉を寄せている。ぼくは、その端正な横顔を見つめ……そっとおなかに手を当てた。さっき、先生と……二人で話したことに、思いを馳せていたん。

「ねえ、宏ちゃん」

 信号待ちのタイミングで、ぼくは宏ちゃんに話しかける。

「うん?」
「……先生がね、毒が馴染んだって言うてくれたよ」

 切れ長の目が、瞠られる。ぼくは、にっこりとほほ笑んだ。

「ぼくたち、ちゃんと番になれたん」

 夫を見つめながら、核心が深まる。車の中だから、じゃない。はっきりと、以前よりも芳しさを増した、森の香りを感じていたんやもん。

「成っ!」
「……んっ」

 抱き寄せられて、口づけられる。大きな手が後頭部を撫で、項に指先が触れた。ピリ、と甘い痛みが走り、頬がほわりと熱を持つ。深い森の香りに陶然となる――。

「大好き……」
「俺も。愛してる、成……」

 優しいキスの狭間に、愛を伝えあう。あたたかな体温が教えてくれる。
 ぼくの体は、宏ちゃんに繋ぎ留められて――もう、どこにも行かなくて済む。血の繋がりよりも確かな絆が、結ばれたんやって。
 ぼくたちは、夕陽の差し込む車の中で、キスをしていた。信号が変わり、クラクションに急かされるまで、ずっと。
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