いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第八章~遥かな扉~

四百八十話

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 鳥の囀りが聞こえて、ぼくは身じろいだ。

「ん……」

 あったかい。お天気の良い日に、森の中を散歩してるみたいな清々しい香りが鼻腔をくすぐる。うとうとしながら、ゆっくり目を開けると、がっしりした喉が見えた。

 ――宏ちゃんだぁ……。

 宏ちゃんは、ぼくをしっかりと抱き寄せてくれていた。こんなにあったかいのは、そのおかげやったんや。お布団から出てる顔に触れる空気は冷たいのに、つま先までほかほかしてるんやもん。
 ぼくは、気持ちよさそうに寝息を立てる夫を、うっとりと見上げた。

「ふふ……寝てる」

 伏せられた長い睫毛に、高い鼻。薄い唇は少し綻んでいた。大人な宏ちゃんやけど、寝顔は子供みたいにあどけない。

「……宏ちゃんっ」

 心に、大好きが溢れちゃう。
 ぼくはそっと伸びあがると、滑らかな頬にキスをした。高い鼻にも、ちゅっと唇をくっつける。額や、端正なラインを描く顎にも、いっぱい……。
 大好きだよ、宏ちゃん。
 思い切って、唇の端にキスをする。くすぐったかったのか、「んん」と甘く唸った夫に、胸がきゅんとなる。

「……っ」

 じたばたと悶えそうになるのを堪えて、厚い胸に頬を伏せた。

 ――わああ。なんやろう、この気持ち……!

 宏ちゃんが大切で、可愛くて。ずっと、触れていたいん。やわらかいスエットに額をつけていると、背中にまわった腕がぎゅっと締まった。

「あっ」

 ぐい、と引き寄せられて、視界がまわる。気がつくと、宏ちゃんの上に乗り上げていた。

「おはよう、成」

 甘い笑みを浮かべる宏ちゃんと、目が合った。

「宏ちゃんっ。いつから……?」

 返事のかわりに、頬にキスされる。

「――このへんくらいから?」
「さ、最初からやんっ!」

 悪戯っぽい笑みを浮かべた夫に、ぼくは真っ赤になってしまう。照れ隠しに、ポカポカ胸を叩くと、宏ちゃんは両手を上げて降参した。

「ごめん、ごめん。起きるのが惜しくてさ」
「え……」

 火照る頬を大きな手に包まれて、ドキリとする。灰色の目が細まったのをみとめた瞬間、鼻にキスされた。そのまま、額や顎にも、優しいキスがふってくる。
 ぼくがしたキスのお返しやって、すぐに気づいたん。やから……やわらかい唇がふれるたび、すっごく照れちゃう。

「あ……っ、宏ちゃ……」

 子猫がじゃれるみたいな、甘いキス。心がむずむずして、叫んじゃいそう。宏ちゃんが惜しい、って言った意味がわかったから。
 だってね――どこもかしこも「可愛い、大好き」っていうみたいに触れられてるんやもん。
 ぼくは、たくさんの愛を浴びながら、真っ赤になった。

「大好きだよ、成」

 最後に、唇に思い知らせるように甘いキスを与えられ――ぼくはきゅう、と項垂れる。

「……ま、まいりました……」
「あはは。もっとしたかったのに、残念」
「……っ」

 大らかに笑いながら言われ、うっとつまる。やっぱり、大人な宏ちゃんには、かなわへん。簡単に溶かされて、翻弄されちゃう。
 でもね……それが、なんだか嬉しいぼくがいるん。もっともっと、構ってほしいと思うんよ。
 
 ――甘えてる……かなあ?

 起こしちゃいけないのに、キスしたり。今だって、もう起き出さないとなのに……抱きしめて、放して欲しくないって思ってる。宏ちゃんと一緒にいて、森の香りに包まれていると……心から安心できるから。

「成ちゃん、かわいい。こっち見て」

 それに……宏ちゃんが、そんなぼくを喜んでくれているのも、感じるん。蜜のような声を耳に吹き込まれて、どきどきする。
 
 ――どんどん、愛されて……溶けていっちゃいそう。

  番になってから、ますます甘くなった瞳が近づいて、唇を塞がれる。たっぷりと甘いキスを楽しんだ後――ふたり同時に、お腹が鳴った。ぼくはくすくす笑って、夫の頬をつつむ。

「……おなかすいたね、宏ちゃん」
「そうだな。何か食べるか」

 照れ笑いする夫に、きゅんとする。

「じゃあ、今日はぼくが作るねっ。塩鮭を解凍しておいたから、成己特製の和朝食!」
「おっ、いいな。俺も手伝います」

 大らかに笑った夫が、ぼくを抱き上げてくれる。

「ひゃっ! ぼく、歩けるよ~」
「だめ。俺が運びたいの」
「もう……!」

 お姫様みたいに運ばれて、ぼくはくすぐったい気分で笑みを浮かべた。
 あたたかい胸に頬を寄せて、森の香りを吸いこむ。
 蜜月――そんな言葉が、心に過った。

 
 *


「~♪」

 鼻歌を歌いながら、サボちゃんにお水を上げる。たっぷりと水を吸って、やわらかい棘が生き生きと輝いてる。ぼくは床に這って、小さなサボちゃんと目を合わせた。

「ふふ。サボちゃん、今日も元気やねぇ」

 おう、と言うように棘が光る。
 眠り込んでいる間、宏ちゃんがサボちゃんを見てくれていたん。ぼくの大切な子を、一緒に大切にしてくれる夫に、胸がほわりとあたたかくなる。
 網戸にした窓から吹き込んだ風が、カーテンを揺らしている。やわらかな陽ざしで、フローリングがほのかにあたたかい。
 久しぶりの良いお天気やった。
 
 ――もう、すっかり秋やもんねえ……
 
 窓を閉めながら、部屋のカレンダーを見れば、もう十月も半ばやった。陽平の家に攫われて。宏ちゃんと番になって、甘やかな日々を過ごすうちに――飛ぶように時間が過ぎていたんよ。
 宏ちゃんのおかげで、からだも元気になってきたし、心だって充実してる。
 けれど……ひとつ、心残りがあるん。

「綾人……」

 新薬発表のパーティで会おうね、って約束していたのに、行けなかった。
 ヒートの後、しばらく寝込んでいる間に、パーティの日が過ぎてしまったん。欠席の連絡は宏ちゃんがしてくれていたし、体調が落ち着いてからは、ぼくもいちど電話で綾人に謝ったのですが……。
 
 『馬鹿だなあ、体調第一だぞ! ゆっくり休んでくれな』

 明るく励ましてくれた綾人を思い、しょんぼりと肩を落とす。宏ちゃんづてに、スピーチが上手くいったことも聞いたんやけどね……やっぱり、会場で応援したかったと思う。
 滅多に会えないぼくらにとって、大切な機会だったのに……ぼくが、うっかりと城山さんに攫われたりしたから。
 こんな事を言うと、宏ちゃんは「お前は悪くない」って怒るに違いないから、間違っても口にしない。それに、ぼくだって宏ちゃんと番になれたことに、後悔なんてひとつもないんやもの。
 
 ――宏ちゃんと番になれて、本当に幸せ……やから、ちゃんとしないとって思うん。
 
 宏ちゃんが好きで、とても大切なん。
 人生で、いちばん幸せで……大切な絆が結ばれたからこそ、全部ないがしろにしたくない、って感じてる。
 ぼくは項に手を当て、窓の外を眺めた。
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