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第五章~花の行方~
三百話
――ちゃぷん。
爪先から湯船につかると、とろみのあるお湯が肌を包んだ。手足をうんと伸ばして、息を吐く。
「はぁ、あったかい~」
薬草が入っているらしいお湯のおかげか、リラックス効果がすごいです。母屋のお風呂に入らせていただいてるんやけど、すごく大きいお風呂でね。
「泳げちゃいそう。宏ちゃんと一緒に入れたら良かったなあ……」
とけるように滑らかな石張りの浴槽は、秘境の温泉宿みたい。お義父さんがお風呂好きで、石から選んでこだわったんやって。
「ふふ。宏ちゃんのお風呂好きは、お義父さん譲りやったりして」
ちゃぷ、とお湯を手のひらで掬って、肩にかける。やっぱり、色々あって緊張していたのか……あちこちが凝っていた。
――お家、どうなるんやろ……犯人は……?
ひとりで、こんな広いところに居るからかな。宏ちゃんの実家に来られた、って言う興奮が落ち着いて来て……現実に帰ってきてしまう。
巨大な浴槽のなか、抱えた膝に片頬を乗せた。
「ご近所さんと、杉田さんも心配してお電話してくれはったし……せめて、様子を見に行けたらええんやけど」
滅茶苦茶にされたお庭とお店を思うと、胸が痛んだ。宏ちゃんが高校の下宿を出てから、すごくお仕事を頑張って、買った家なのに。
あんな、酷いことになって悔しい。
「……」
お湯に濡れたふたつの手のひらで、顔の下半分を覆う。
薬草の匂いでも――鼻腔の奥に残った、濃い薔薇の香りが消えない。ちくちくと、胸の奥を嫌な予感が刺す。
――もし。もし、陽平が、この件に関わっていたら……?
ぼくは、ぎゅうとわが身を抱く。酷い不安のせいか、湯あたりしたように胸が苦しくなる。
「なーんて。……さすがに、ありえへんよね。いくら何でも、あんなことするわけないっ」
陽平は、プライドが高い。元婚約者の家に来て、あんな乱暴をするなんて、ありえないよね。
それに、そういう凶行に走るのは、小説でも現実でもフラれた方だ。ぼくを捨てたのは陽平なんだから……あんな真似をする理由がない。
そう思い切って、お風呂を上がった。
「えい。ひと様の家で、長風呂なんてしちゃダメっ」
手早く体を拭いて、お借りした浴衣を身にまとう。さらりとした生地が、湯で火照った肌を包むと、洋服より涼しく感じた。
身支度を整えて、外に出る。ひんやりとした廊下を歩んでいくと――話し声が聞こえてきた。
「……兄弟なんだよ。もっと、仲良くしたらいいのに」
「……わかってるよ。それより……」
廊下の、お庭に面した大きな窓の前に、小さなテーブルセットがあって。籐椅子に向かい合うように座って、宏ちゃんとお義母さんがお話をしていた。
硝子のテーブルの上には、タブレットとお酒のグラス。
――どう見ても、ご歓談中。お声をかけて、大丈夫のタイミングかな?
判じかねながらも近づいて行くと、背を向けて座っていた宏ちゃんが、振り返った。
「成、温まったか?」
「はいっ。お義母さん、お風呂頂きました」
宏ちゃんに笑み返し、お義母さんに会釈する。と、お義母さんはにっこりと頷きはった。
「いいお風呂だったでしょう。よく寛げた?」
「はい、とても。浴衣も貸して頂いて、旅館に来たみたいです」
「おっ、うまいこと言うな~! あはは……ほんじゃあ、成くんも出てことだし。秀くんにお湯を仕舞ってもらってくるからね。君たちは、先に寝なさいよ」
よっこらしょ、とお義母さんは椅子から立ち上がる、お酒の瓶とグラスを掴むと、廊下をぷらぷらと歩いて行かはった。
「ひ、宏ちゃん。ぼく、ひょっとしてお待たせしてた?」
さっぱりした去り際に、焦って訊くと……宏ちゃんが苦笑する。
「気兼ねしなくていい。あの人はマイペースなだけだから」
「そう?」
「ああ。――俺達も、戻るか」
タブレットを拾い上げ、宏ちゃんがもう片方の手を差し出す。その時――白地に藍の縞模様の浴衣が、とても似合っていて、素敵なことに気づいて、少しはにかんでしまった。
「うん、宏ちゃん」
離れまでの道は、ほとんど真っ暗やった。
タブレットの光と、母屋の灯りを頼りに、ふたりで並んで歩く。綺麗に舗装された道だけれど、暗いと不安になっちゃうな。
「成、足下気を付けてな」
「ありがとう、宏ちゃん」
ぼくは、宏ちゃんの腕を借りて、歩んだ。さわさわと、風が庭園の草花を揺らす音がする。昼間見た時は華やかだった庭木が、真黒い影に見える。
――すっごく暗い。それに、めっちゃ静かだ……
ふと、隣の宏ちゃんを見上げる。
平然としてる。暗い道を突っ切る迷いない足取りには、この道を通って来た習慣を感じた。
「……宏ちゃん。子供の頃、怖くなかった?」
そっと尋ねると、宏ちゃんはくすりと笑う。
「いや、全然……って言いたいが、ガキの頃は怖かったかな。怪談を聞いた夜なんかはさ、めちゃくちゃ走ったよ」
「あはは、かわいい」
おどけた言葉に、ぼくは笑ってしまった。子供の頃の宏ちゃんが、暗い小径をダッシュする姿が浮かんで、胸がきゅうと疼く。
ご飯食べてるときに、聞いたんやけど。宏ちゃんは物心ついた頃には、離れで暮らしてたんやって。やから、ご両親やお兄さんおねえさんとは、ごはんさえ一緒に食べへんかったって……
『けほ、けほっ』
『成、大丈夫かっ? ごめんな、気づかなくて……』
初めて一緒にごはんを食べた時、宏ちゃんは「俺も食うの早いのか」って驚いていた。それは、ひとりぼっちで過ごしてきたからなんやなあって、思ったん。
――宏ちゃんも、小さいときから……
ふいに、宏ちゃんが言う。
「……怖いか?」
「あ」
知らず、腕に力がこもっていたみたい。ぼくは慌てて、笑みを作った。
「ううん、大丈夫。……えと、宏ちゃん。さっき、お義母さんと何話してたの?」
「ああ。さっきはな」
宏ちゃんは、タブレットをひらひらさせる。光が縄のように揺れて、無差別に暗い道を照らした。
「成が風呂に行ってる間に、管理会社から連絡があったよ。――監視カメラに、犯人がバッチリ映ってたって」
ぼくは、ハッと息を飲む。
「明日、さっそく話しを聞きに行ってくるってことを報告してたんだ」
「そうなんや……」
爪先から湯船につかると、とろみのあるお湯が肌を包んだ。手足をうんと伸ばして、息を吐く。
「はぁ、あったかい~」
薬草が入っているらしいお湯のおかげか、リラックス効果がすごいです。母屋のお風呂に入らせていただいてるんやけど、すごく大きいお風呂でね。
「泳げちゃいそう。宏ちゃんと一緒に入れたら良かったなあ……」
とけるように滑らかな石張りの浴槽は、秘境の温泉宿みたい。お義父さんがお風呂好きで、石から選んでこだわったんやって。
「ふふ。宏ちゃんのお風呂好きは、お義父さん譲りやったりして」
ちゃぷ、とお湯を手のひらで掬って、肩にかける。やっぱり、色々あって緊張していたのか……あちこちが凝っていた。
――お家、どうなるんやろ……犯人は……?
ひとりで、こんな広いところに居るからかな。宏ちゃんの実家に来られた、って言う興奮が落ち着いて来て……現実に帰ってきてしまう。
巨大な浴槽のなか、抱えた膝に片頬を乗せた。
「ご近所さんと、杉田さんも心配してお電話してくれはったし……せめて、様子を見に行けたらええんやけど」
滅茶苦茶にされたお庭とお店を思うと、胸が痛んだ。宏ちゃんが高校の下宿を出てから、すごくお仕事を頑張って、買った家なのに。
あんな、酷いことになって悔しい。
「……」
お湯に濡れたふたつの手のひらで、顔の下半分を覆う。
薬草の匂いでも――鼻腔の奥に残った、濃い薔薇の香りが消えない。ちくちくと、胸の奥を嫌な予感が刺す。
――もし。もし、陽平が、この件に関わっていたら……?
ぼくは、ぎゅうとわが身を抱く。酷い不安のせいか、湯あたりしたように胸が苦しくなる。
「なーんて。……さすがに、ありえへんよね。いくら何でも、あんなことするわけないっ」
陽平は、プライドが高い。元婚約者の家に来て、あんな乱暴をするなんて、ありえないよね。
それに、そういう凶行に走るのは、小説でも現実でもフラれた方だ。ぼくを捨てたのは陽平なんだから……あんな真似をする理由がない。
そう思い切って、お風呂を上がった。
「えい。ひと様の家で、長風呂なんてしちゃダメっ」
手早く体を拭いて、お借りした浴衣を身にまとう。さらりとした生地が、湯で火照った肌を包むと、洋服より涼しく感じた。
身支度を整えて、外に出る。ひんやりとした廊下を歩んでいくと――話し声が聞こえてきた。
「……兄弟なんだよ。もっと、仲良くしたらいいのに」
「……わかってるよ。それより……」
廊下の、お庭に面した大きな窓の前に、小さなテーブルセットがあって。籐椅子に向かい合うように座って、宏ちゃんとお義母さんがお話をしていた。
硝子のテーブルの上には、タブレットとお酒のグラス。
――どう見ても、ご歓談中。お声をかけて、大丈夫のタイミングかな?
判じかねながらも近づいて行くと、背を向けて座っていた宏ちゃんが、振り返った。
「成、温まったか?」
「はいっ。お義母さん、お風呂頂きました」
宏ちゃんに笑み返し、お義母さんに会釈する。と、お義母さんはにっこりと頷きはった。
「いいお風呂だったでしょう。よく寛げた?」
「はい、とても。浴衣も貸して頂いて、旅館に来たみたいです」
「おっ、うまいこと言うな~! あはは……ほんじゃあ、成くんも出てことだし。秀くんにお湯を仕舞ってもらってくるからね。君たちは、先に寝なさいよ」
よっこらしょ、とお義母さんは椅子から立ち上がる、お酒の瓶とグラスを掴むと、廊下をぷらぷらと歩いて行かはった。
「ひ、宏ちゃん。ぼく、ひょっとしてお待たせしてた?」
さっぱりした去り際に、焦って訊くと……宏ちゃんが苦笑する。
「気兼ねしなくていい。あの人はマイペースなだけだから」
「そう?」
「ああ。――俺達も、戻るか」
タブレットを拾い上げ、宏ちゃんがもう片方の手を差し出す。その時――白地に藍の縞模様の浴衣が、とても似合っていて、素敵なことに気づいて、少しはにかんでしまった。
「うん、宏ちゃん」
離れまでの道は、ほとんど真っ暗やった。
タブレットの光と、母屋の灯りを頼りに、ふたりで並んで歩く。綺麗に舗装された道だけれど、暗いと不安になっちゃうな。
「成、足下気を付けてな」
「ありがとう、宏ちゃん」
ぼくは、宏ちゃんの腕を借りて、歩んだ。さわさわと、風が庭園の草花を揺らす音がする。昼間見た時は華やかだった庭木が、真黒い影に見える。
――すっごく暗い。それに、めっちゃ静かだ……
ふと、隣の宏ちゃんを見上げる。
平然としてる。暗い道を突っ切る迷いない足取りには、この道を通って来た習慣を感じた。
「……宏ちゃん。子供の頃、怖くなかった?」
そっと尋ねると、宏ちゃんはくすりと笑う。
「いや、全然……って言いたいが、ガキの頃は怖かったかな。怪談を聞いた夜なんかはさ、めちゃくちゃ走ったよ」
「あはは、かわいい」
おどけた言葉に、ぼくは笑ってしまった。子供の頃の宏ちゃんが、暗い小径をダッシュする姿が浮かんで、胸がきゅうと疼く。
ご飯食べてるときに、聞いたんやけど。宏ちゃんは物心ついた頃には、離れで暮らしてたんやって。やから、ご両親やお兄さんおねえさんとは、ごはんさえ一緒に食べへんかったって……
『けほ、けほっ』
『成、大丈夫かっ? ごめんな、気づかなくて……』
初めて一緒にごはんを食べた時、宏ちゃんは「俺も食うの早いのか」って驚いていた。それは、ひとりぼっちで過ごしてきたからなんやなあって、思ったん。
――宏ちゃんも、小さいときから……
ふいに、宏ちゃんが言う。
「……怖いか?」
「あ」
知らず、腕に力がこもっていたみたい。ぼくは慌てて、笑みを作った。
「ううん、大丈夫。……えと、宏ちゃん。さっき、お義母さんと何話してたの?」
「ああ。さっきはな」
宏ちゃんは、タブレットをひらひらさせる。光が縄のように揺れて、無差別に暗い道を照らした。
「成が風呂に行ってる間に、管理会社から連絡があったよ。――監視カメラに、犯人がバッチリ映ってたって」
ぼくは、ハッと息を飲む。
「明日、さっそく話しを聞きに行ってくるってことを報告してたんだ」
「そうなんや……」
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