いつでも僕の帰る場所

高穂もか

文字の大きさ
301 / 485
第五章~花の行方~

三百話

しおりを挟む
 ――ちゃぷん。
 爪先から湯船につかると、とろみのあるお湯が肌を包んだ。手足をうんと伸ばして、息を吐く。
 
「はぁ、あったかい~」
 
 薬草が入っているらしいお湯のおかげか、リラックス効果がすごいです。母屋のお風呂に入らせていただいてるんやけど、すごく大きいお風呂でね。
 
「泳げちゃいそう。宏ちゃんと一緒に入れたら良かったなあ……」
 
 とけるように滑らかな石張りの浴槽は、秘境の温泉宿みたい。お義父さんがお風呂好きで、石から選んでこだわったんやって。
 
「ふふ。宏ちゃんのお風呂好きは、お義父さん譲りやったりして」
 
 ちゃぷ、とお湯を手のひらで掬って、肩にかける。やっぱり、色々あって緊張していたのか……あちこちが凝っていた。
 
 ――お家、どうなるんやろ……犯人は……?
 
 ひとりで、こんな広いところに居るからかな。宏ちゃんの実家に来られた、って言う興奮が落ち着いて来て……現実に帰ってきてしまう。
 巨大な浴槽のなか、抱えた膝に片頬を乗せた。
 
「ご近所さんと、杉田さんも心配してお電話してくれはったし……せめて、様子を見に行けたらええんやけど」
 
 滅茶苦茶にされたお庭とお店を思うと、胸が痛んだ。宏ちゃんが高校の下宿を出てから、すごくお仕事を頑張って、買った家なのに。
 あんな、酷いことになって悔しい。
 
「……」
 
 お湯に濡れたふたつの手のひらで、顔の下半分を覆う。
 薬草の匂いでも――鼻腔の奥に残った、濃い薔薇の香りが消えない。ちくちくと、胸の奥を嫌な予感が刺す。
 
 ――もし。もし、陽平が、この件に関わっていたら……?
 
 ぼくは、ぎゅうとわが身を抱く。酷い不安のせいか、湯あたりしたように胸が苦しくなる。
 
「なーんて。……さすがに、ありえへんよね。いくら何でも、あんなことするわけないっ」
 
 陽平は、プライドが高い。元婚約者の家に来て、あんな乱暴をするなんて、ありえないよね。
 それに、そういう凶行に走るのは、小説でも現実でもフラれた方だ。ぼくを捨てたのは陽平なんだから……あんな真似をする理由がない。
 そう思い切って、お風呂を上がった。
 
「えい。ひと様の家で、長風呂なんてしちゃダメっ」
 
 手早く体を拭いて、お借りした浴衣を身にまとう。さらりとした生地が、湯で火照った肌を包むと、洋服より涼しく感じた。
 身支度を整えて、外に出る。ひんやりとした廊下を歩んでいくと――話し声が聞こえてきた。
 
 
 
 
「……兄弟なんだよ。もっと、仲良くしたらいいのに」
「……わかってるよ。それより……」
 
 
 廊下の、お庭に面した大きな窓の前に、小さなテーブルセットがあって。籐椅子に向かい合うように座って、宏ちゃんとお義母さんがお話をしていた。
 硝子のテーブルの上には、タブレットとお酒のグラス。
 
 ――どう見ても、ご歓談中。お声をかけて、大丈夫のタイミングかな?
 
 判じかねながらも近づいて行くと、背を向けて座っていた宏ちゃんが、振り返った。
 
「成、温まったか?」
「はいっ。お義母さん、お風呂頂きました」
 
 宏ちゃんに笑み返し、お義母さんに会釈する。と、お義母さんはにっこりと頷きはった。
 
「いいお風呂だったでしょう。よく寛げた?」
「はい、とても。浴衣も貸して頂いて、旅館に来たみたいです」
「おっ、うまいこと言うな~! あはは……ほんじゃあ、成くんも出てことだし。秀くんにお湯を仕舞ってもらってくるからね。君たちは、先に寝なさいよ」
 
 よっこらしょ、とお義母さんは椅子から立ち上がる、お酒の瓶とグラスを掴むと、廊下をぷらぷらと歩いて行かはった。
 
「ひ、宏ちゃん。ぼく、ひょっとしてお待たせしてた?」
 
 さっぱりした去り際に、焦って訊くと……宏ちゃんが苦笑する。
 
「気兼ねしなくていい。あの人はマイペースなだけだから」
「そう?」
「ああ。――俺達も、戻るか」
 
 タブレットを拾い上げ、宏ちゃんがもう片方の手を差し出す。その時――白地に藍の縞模様の浴衣が、とても似合っていて、素敵なことに気づいて、少しはにかんでしまった。
 
「うん、宏ちゃん」
 
 
 
 
 離れまでの道は、ほとんど真っ暗やった。
 タブレットの光と、母屋の灯りを頼りに、ふたりで並んで歩く。綺麗に舗装された道だけれど、暗いと不安になっちゃうな。
 
「成、足下気を付けてな」
「ありがとう、宏ちゃん」
 
 ぼくは、宏ちゃんの腕を借りて、歩んだ。さわさわと、風が庭園の草花を揺らす音がする。昼間見た時は華やかだった庭木が、真黒い影に見える。
 
 ――すっごく暗い。それに、めっちゃ静かだ……
 
 ふと、隣の宏ちゃんを見上げる。
 平然としてる。暗い道を突っ切る迷いない足取りには、この道を通って来た習慣を感じた。
 
「……宏ちゃん。子供の頃、怖くなかった?」
 
 そっと尋ねると、宏ちゃんはくすりと笑う。
 
「いや、全然……って言いたいが、ガキの頃は怖かったかな。怪談を聞いた夜なんかはさ、めちゃくちゃ走ったよ」
「あはは、かわいい」
 
 おどけた言葉に、ぼくは笑ってしまった。子供の頃の宏ちゃんが、暗い小径をダッシュする姿が浮かんで、胸がきゅうと疼く。
 ご飯食べてるときに、聞いたんやけど。宏ちゃんは物心ついた頃には、離れで暮らしてたんやって。やから、ご両親やお兄さんおねえさんとは、ごはんさえ一緒に食べへんかったって……
 
『けほ、けほっ』 
『成、大丈夫かっ? ごめんな、気づかなくて……』
 
 初めて一緒にごはんを食べた時、宏ちゃんは「俺も食うの早いのか」って驚いていた。それは、ひとりぼっちで過ごしてきたからなんやなあって、思ったん。
 
 ――宏ちゃんも、小さいときから……
 
 ふいに、宏ちゃんが言う。
 
「……怖いか?」
「あ」
 
 知らず、腕に力がこもっていたみたい。ぼくは慌てて、笑みを作った。
 
「ううん、大丈夫。……えと、宏ちゃん。さっき、お義母さんと何話してたの?」
「ああ。さっきはな」
 
 宏ちゃんは、タブレットをひらひらさせる。光が縄のように揺れて、無差別に暗い道を照らした。
 
「成が風呂に行ってる間に、管理会社から連絡があったよ。――監視カメラに、犯人がバッチリ映ってたって」
 
 ぼくは、ハッと息を飲む。
 
「明日、さっそく話しを聞きに行ってくるってことを報告してたんだ」
「そうなんや……」
 
しおりを挟む
感想 261

あなたにおすすめの小説

夫が運命の番と出会いました

重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。 だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。 しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

私と幼馴染と十年間の婚約者

川村 あかり
恋愛
公爵令嬢ロゼリアは、王子アルベルトとの婚約を結んでいるが、彼の心は無自覚に幼馴染のミナに奪われていた。ミナの魔法【魅了】が無意識に周りの男性を狂わせ、アルベルトもその例外ではない。 それぞれが生まれつき得意な魔法があり、ロゼリアは見たものや聞いたものを完璧に記録できる【記録・再生】の魔法を持ち、二人の関係に耐えきれず胃の痛みに悩む日々。そんな中、彼女の唯一の理解者の冷静沈着なキースや毒舌のマリーが心の支えとなる。 アルベルトの側近であるガストンは、魔法【増幅】で騒動を盛り上げる一方、ミナの友人リリィは【幻影】の魔法を使ってロゼリアを貶めようと画策する。 婚約者と幼馴染の行動に振り回されるロゼリア。魔法が絡んだ恋愛模様の中で、彼女は本当の愛を見つけられるのか?

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】留学先から戻って来た婚約者に存在を忘れられていました

山葵
恋愛
国王陛下の命により帝国に留学していた王太子に付いて行っていた婚約者のレイモンド様が帰国された。 王家主催で王太子達の帰国パーティーが執り行われる事が決まる。 レイモンド様の婚約者の私も勿論、従兄にエスコートされ出席させて頂きますわ。 3年ぶりに見るレイモンド様は、幼さもすっかり消え、美丈夫になっておりました。 将来の宰相の座も約束されており、婚約者の私も鼻高々ですわ! 「レイモンド様、お帰りなさいませ。留学中は、1度もお戻りにならず、便りも来ずで心配しておりましたのよ。元気そうで何よりで御座います」 ん?誰だっけ?みたいな顔をレイモンド様がされている? 婚約し顔を合わせでしか会っていませんけれど、まさか私を忘れているとかでは無いですよね!?

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

【完結】妹に全部奪われたので、公爵令息は私がもらってもいいですよね。

曽根原ツタ
恋愛
 ルサレテには完璧な妹ペトロニラがいた。彼女は勉強ができて刺繍も上手。美しくて、優しい、皆からの人気者だった。  ある日、ルサレテが公爵令息と話しただけで彼女の嫉妬を買い、階段から突き落とされる。咄嗟にペトロニラの腕を掴んだため、ふたり一緒に転落した。  その後ペトロニラは、階段から突き落とそうとしたのはルサレテだと嘘をつき、婚約者と家族を奪い、意地悪な姉に仕立てた。  ルサレテは、妹に全てを奪われたが、妹が慕う公爵令息を味方にすることを決意して……?  

処理中です...