いつでも僕の帰る場所

高穂もか

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第六章~鳥籠の愛~

三百六十二話

 大急ぎですべての支度を整えた頃、車の停まる音がした。
 
「宏ちゃん、お帰りなさい」
「ただいま、成」
 
 玄関に迎えに出ると、宏ちゃんが濡れた傘を畳んでいた。穏やかに笑いかけられて、自然と顔がほころんでしまう。
 
 ――ああ、宏ちゃんだあ……
  
 ぼくは、持って来たタオルを渡す。
 
「ありがとな」
 
 笑顔で受け取った宏ちゃんは、濡れた肩や腕を拭いはじめた。大雨の中の人助けで、シャツの色は変わってしまってる。ぼくは、優しい夫の袖を引いた。
   
「宏ちゃん。風邪ひいちゃうから、お先にお風呂に入ってね」
「おっ、サンキュ。じゃあ、甘えようかな」
「はーい」
 
 嬉しそうな宏ちゃんに、ぼくもにっこりする。
 馴染んだ家と、宏ちゃんという組み合わせ。……なんだか、いつもの日常らしいものが愛おしくてならない。
 陽平のことがあって、乱れた心が癒されるみたい。
 
 ――あの男の人のこととか。話さなあかんことがあるのは、わかってるけど……もうちょっと堪能していたいなぁ。
 
 なんて、われながら甘えたことを思う。
 宏ちゃんの隣を弾むように歩いていると、ふいに宏ちゃんがくるりと振り返った。
 
「成」
「わっ?」
 
 肩をぐいと引き寄せられて、からだが密着する。ひやりと冷たいかと思いきや、やわらかな温みのある肌が触れ、目を丸くした。
 
「宏ちゃん、どうしたん?」
「んー」
 
 宏ちゃんは黙ったまま、首を捻っている。 
 ずっと上にある顔を見上げれば、何か考え込んでいるような顔をしていた。
 
「なあ、成」
 
 やがて、静かに尋ねられる。
 
「はい、宏ちゃん」
「俺がいない間、何かあったか?」
「……!」
 
 目を見開くと、じっと見つめられた。とても真剣な目に、なにか気づかれている気がして……ぼくは、酷く動揺してしまう。
 
「えと……何もないよ?」
 
 動揺しすぎて、咄嗟に嘘が口から飛び出した。「しまった」と思ったけれど、本当のことも言えなくて、口ごもる。
 出来るなら、陽平が来たことを言わずにいたかったん。だって、もし言ったら……
 
 ――『陽平!』
 
 陽平の側に出て行ったことを、知られちゃう。勿論、やましい感情なんか、ないよ。でも、ぼくのことをとても心配してくれている宏ちゃんには、言いたくなかった。

「……」

 俯いていると、宏ちゃんはふうと息を吐いた。
 
「……そうか」
 
 頭に、ぽんと大きな手が乗る。
 おそるおそる目を上げると、宏ちゃんが苦笑していた。
 
「そんなに怖がらないでくれ。お前が無事ならいいんだよ」

 信頼のこもった眼差しに、ぐっと胸が詰まる。

「宏ちゃん……ごめんなさい」
 
 罪悪感でうなだれると、頬をそっと包まれた。……芳しい木々の香りが鼻先を掠めていく。
 
「成、冷たいな」
「え……そうかなあ」
 
 唇を親指でなぞられて、くすぐったさに肩を竦めた。
 
「うん、濡れたせいかな。ちょっと青褪めてるし……風呂は入らなかったんだな」
「あはは。ちょっと、バタバタしてて……」
 
 陽平のことがなければ入っていたと思うので、ばつが悪いです。
 宏ちゃんは、ふっと目を細めた。
 
「成は、自分のことは後回しだな」
 
 そう言って、眩しいものを見るように見つめられる。
 ぼくは、きょとんとしてしまった。――どうして、そんなに切なそうなんだろう。

「宏ちゃん……?」

 灰色がかった瞳を見つめ返すと、宏ちゃんはころっと態度を変え、言う。
 
「まあ、そういうわけで。お前も一緒に入ろう。こんなにあちこち冷たくちゃ、辛いだろ」
「えっ? え、遠慮します……!」
 
 頬が、ぱあっと火照る。
 今まで一緒にお風呂に入ったときの顛末を、思い浮かべてしまったん。
 宏ちゃんは、ぷっと吹き出した。
 
「大丈夫、悪さはしないよ。心配してるだけだから、入んなさい」
 
 笑い交じりに、「いい子、いい子」って頭を撫でられちゃう。

――むう。子ども扱い……

 ちょっと釈然とせん気もしたけど――ぼくは、ホッとして頷いた。
 
 
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