カクリヨ美容室の奇譚

泥水すする

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第二話 幸福の招き猫

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「ほだか先生、わたしが言うのもなんですが……もうあの三觜さんと付き合うのは、やめた方がいいと思うんですけど」

 営業終わり。母屋のリビングにて。本日の夕飯であるサバの塩焼きを美味しそうに食べるほだか先生へ、ついにその旨を告げた。

「? どうしてですか?」

 ほだか先生はサバの切り身をほぐす箸を止めて、無垢な顔して首を傾げた。美しくて可愛い。激しく母性本能がくすぐられる。でも、ここで許したらダメよ結衣。ちゃんといけないことはいけないって言わないと。彼は心が綺麗で素直な子。きっと、悪意を悪意と気付いてないんだわ。

 わたしは意を決して、

「はっきりと申し上げます。ほだか先生……あの人に騙されていますよ」
「騙されている、ですか」
「はい、間違いありません。だって見てくださいよ、あれ!」

 隣部屋に我が物顔で居座る憎たらしい招き猫へ、ビシッと指先を向けた。

「あんな、ただ部屋を圧迫だけするだけの不細工猫に、なんの御利益があるっていうんですか!? それにです」そのまま足を隣部屋へ──「この『幸福が訪れる河童の腕』は確か5万円! こっちの『幸福サプリメント』は一箱4万円! ひと粒あたり大体800円ですよ!? それに……あちゃー、これもか。『幸福筋肉鉄アレイ君』。これは確か10万円だぁ~」

 その後も珍妙なスピリチュアルグッズの商品名と、その値段を読み上げていく。総額、述べ高級外車を一括で買える金額──もうダメだぁあああっと、悶絶しかけたとき。

「結衣くん、安心してください」

 ほだか先生が、悟りを開いた阿弥陀菩薩みたいな笑みを見せた。

「それらの商品は、実質タダのようなものですから」
「……へ? そうなんですか?」
「はい。ふふっ、さすがに僕もそこまでバカではありませんから」

 口に手を当ててクスクスと笑うほだか先生。どういうワケかは分からないけれど……そうか、タダなのか。つまり、わたしは勝手に勘違いして頭を悩ませ暴走していたって、そういうこと?

「あはははは……で、ですよねー。わたしったら、とんだ勘違いを……ゴメンナサイ」
「いいんですよ。結衣くんは、僕のことを心配してくれたんですよね。ありがとうございます」

 しおらしくちゃぶ台に戻ったわたしの頭を、ほだか先生がぽんっぽんっと撫でてくれた。もうそれだけで恥ずかしさなんて吹っ飛び、お釣りが返ってくる程の幸福が舞い込んでくる。ほだか先生に撫でられた、しあわせぇぇ……って招き猫、お前は許さない。こっち見んな。

 と、それはさて置きだ。

「タダってのはどういうことですか? 友達のよしみで、無料で貰ってるということですかね?」
「まさか。彼も一応は商売をしている身ですから、そういうワケにもいきませんよ」

 ですよねー。ほっとした。三觜に「わたしの勘違いでした。ごめんなさい」などと頭を下げるのだけは絶対にイヤ。わたし、生理的にあの人嫌いなんです。

「でも、じゃあどういうことなんでしょうか?」

 改まって尋ねると、ほだか先生は「ちょっと待っていてください」と階段を降りていく。1分程して戻ってきたほだか先生の手には、3枚の紙切れが握られていた。

「つまり、こういうことですよ」

 それは、宝くじだった。いや待って、全く持って意味が分からない。

 つまり……どういうこと?

「僕はですね、こうしてたまに宝くじを買っているのですが、ずっとからっきしでして」

 まだ分からない。

「ですが、あれですよ。『幸福の招き猫』。あの子をウチへ招き入れたその日にも、見事宝くじが当選したんです」

 凄く嬉しそうに話すほだか先生。なんだかオモチャを買って貰った子供みたいで、お可愛いこと……って、いや待って待って!

「要するにですね、僕が宝くじに当選したのは昴くんが有難い商品を売ってくれたお陰なんです。僕も初めは胡散臭いと思いましたし、少し高い買い物だとは思いましたが、まあ置き物としても可愛いですし、それに僕、大の猫好きで」

 ほだか先生は「でも、猫アレルギーなんですけどね」と、お茶目な笑み。

「以来、僕は昴くんのご好意で商品を譲ってもらっているんです。確かに高い買い物ばかりですが、元はと言えばあぶく銭。だから、タダなんです」

 背筋を嫌な汗が伝う。

「ほ、ほだか先生……因みに、聞いてもよろしいですか」
「はい? なんでしょう」
「その、宝くじの当選額とは、一体」
「……内緒ですよ?」

 わたしは首を五回くらい縦に振った。そしてその額をこっそり聞いて……唖然とした。人に明かせば疎遠だった親戚やらがわらわら現れ、お金の相談を持ちかけてきそうな高額。だから、なのかもしれない。

ほだか先生が売り上げなどを気にせず、人助けで美容師をできるのは。働かなくたって、一生食いっぱぐれることもないだろうし。でも、府に落ちない。例え宝くじに当選したことが事実にせよ、あの不細工猫のお陰だなんて思えないし──

「ただ残念なことにですね、そろそろ、そのお金もなくなりそうなんです」

 ……は?

「一度に運を使い過ぎた、ということもあるのでしょうね。あれからは、一切運に恵まれないんです。ですから今は、運を貯めるために商品をたくさん昴くんから譲ってもらっているという次第です」

 戦慄する──生まれてこの方一度も使ったことのなかったその言葉とは、今この瞬間のことを言うのかもしれない。

「持つべきものは友、ですかね」

 もう我慢の限界だった。

 ぷいっと、招き猫へ視線を移す。愉快そうなニンマリ顔で、ほだか先生を嘲笑っている。そう見えなくもなかった。いや、絶対にそうだ。あいつは幸福を招く猫なんかじゃない。疫病神だ。ほだか先生の運を、吸い取っているに違いない。

 わたしは握り拳を作り、憤怒の意を示す。次の瞬間、拳を振りかぶっていた。

 いざ、成敗!

「この糞猫、きさまぁああああっ!」





 そして、招き猫の破壊に失敗した。
 そもそもの話、あの招き猫はありとあらゆる物理法則を寄せつけない霊界の物質で作られているらしい。霊界とは、現世とは異なる別次元の世界。

その世界は霊や神などが棲む神聖な場所とされ、そんな世界から奇跡的に落ちてきた物質で作られたものこそがあの「幸福の招き猫」というわけだ。もちろん、そんな希少な物質が市場に出回ることはそうない。値段こそ貼るが、それ以上の幸運を齎すとされる。

しかもここだけの話、今「幸福の会」へご入会された方はこの「幸福の招き猫」を特別価格にて購入可能。それだけではない。今なら特典として、あの「幸福の孫の手」が5万円引きの税込8万9000円でご購入できるビックチャンス!

「は~、アホくさ」

 わたしは自宅へと帰ってすぐにも、こっそり拝借してきたそのパンフレットに憎しみを練り込むかのようにクシャクシャと丸めてやった。お次にゴミ箱へと怒りの投球──失敗。パンフレット屑ボールが自室の隅へと転がっていく。慣れないことをするもんじゃない。自業自得だが、それすらもあの糞猫のせいだと思ってしまうわたしだ。

 ベッドへと寝転がる。そして僅かに赤くなった手の甲を眺めて、自然と重たいため息が溢れ出ていた。

 ──結衣くん、罰当たりなことをしてはいけませんよ。その招き猫は、本当にご利益のある代物ですから。

 まさかだった。ほだか先生が、あそこまでどっぷりハマり込んでいるなんて……でも、それもまた仕方がないことかもしれない。というのも以前、ほだか先生はこんなことを言っていた。『僕はこういったスピリチュアルな話を信じたりはしません。僕は、目に映るもの、自分で実際に確認できたものしか信じません──』と。

 だとすれば、信じるに至ったのだろうか──購入したその日にも宝くじが当選。実際にもその大金を目の当たり。奇跡を招き入れた幸福の招き猫。そんなにも嘘臭く、単なる偶然にしては出来すぎた事実を……あり得る。ほだか先生なら、全然あり得る。ほだか先生は悪くない。だけど、全肯定はできない。もどかしい。



 それから数日後のことだった。その日はなんの予定もなく、美容室のバイトも休み。久々に学校の友達──同じクラスであり、中学からの腐れ縁でもある「岩井琴里」と遊びに出かけることとなった。大船駅から東海道湘南新宿ラインにて横浜駅へ、そのまま横浜駅西口へと繰り出した。

 そうして訪れた横浜の繁華街には、毎度のことながら驚かされる。人混みの量が半端ではない。さすが大都会横浜さまだ。神奈川県の中でも、ここ横浜駅周辺は一味も二味も違う。どこを眺めてもネオンの明かりがギラギラと輝いており、活気が凄まじい。街を歩いている同世代の子たちの垢抜け方も、わたしとは大違いだ。

 そして本日、生まれてはじめてのことである。

「お姉さんたち、ちょっといいですか?」

 知らない男の人に、声をかけられた──突然のことに、わたしは酷くあたふたとしてしまった。一方で、琴里はえらく冷静だった。

「あれ、モデルハントってやつだよ。わたしもはじめてじゃないし、別に普通のことでしょ?」

 そうらしい。なんでも若い美容師さんたちはああやって街に繰り出しては、若い女の子を技術の練習台にしている。練習台といっても無茶苦茶にされるわけではなく、彼らもそれなりの技術を培った上でのことだから、仕上がりは普通に美容室へ行くのと大差はないという。むしろモデルハントの場合は値引き価格でやってもらえるとのことだから、そのことを饒舌に語ってくれた琴里も何度か利用しているのだと。今回は残念ながらご縁はなかったけれど。

 帰りの電車の中でその話を聞かされて、わたしは素直に感心していた。

 日頃から「美容師さんって、どうやって技術を磨くんだろ? マネキンを使って?」などと考えていたから、えらく納得。そりゃあそうだ。お客さまを相手にするんだから、ずっとマネキン相手に練習しても仕方がない。

「でも美容師って大変だよねー。知らない人にいきなり声をかけるとか、わたし絶対無理。それで失敗とかしたら、心臓止まりそー」

 そう言って身震いさせる琴里には、わたしも同意見だった。美容師になることは、思っているよりもずっと大変そうだ。

 ほだか先生も、そんな過程を経て今に至ったのかな──帰宅ラッシュで溢れる下り線の車両内にて、想像してみる。うん、ほだか先生に声をかけられたら絶対に付いていく。そもそもの話、モデルハントじゃなかっただけで、実際がそうじゃないか。

「でも結衣、気をつけなよー。美容師の中には、そうやって仕事のフリして声かけるナンパ目的の男もいるみたいだから」

 まさか。わたしに限ってそんなことあるわけ──

「結衣って変なとこで純情だから、好みのイケメンに声かけられたらホイホイ付いていきそうだし」

 わたしの心を見透かすように言ってくる琴里さん。「ははは、まさかー。わたしもそこまで軽くないよー」と平然を装う。内心は焦っている。冷や汗がこめかみを伝っていた。感の鋭いやつめ……

「それにしても結衣、今の髪型すごく似合ってるよ。毛先も超自然だし! それ、どこで切ったの? わたしにも紹介してよ」
「だが断る」
「は? なんでよ」

 なんでも糞もありません。ほだか先生を紹介なんかした日には、きっと「ワーキャー!」騒がれて、後日にも噂が広がることだろう。ネット社会の拡散力怖し。お客さまを紹介するってことは大事かもしれないけれど、「カクリヨ美容室」はそういった場所ではない気がする。あの場所が、若い子たちで溢れるのはなんか嫌だ。これ自体は、わたしの我儘なのかも知れないけどさ。

「バカ正直者の結衣が隠し事なんて、怪しい、って……あ! まさか結衣、もうそんな感じなの!?」
「そんな感じって?」

 意味も分からず訊ね返せば、ニヤニヤと小悪魔的な笑みを浮かべる琴里は。

「だから、実はもうモデルハントにあっちゃってて、その流れで……みたいな感じぃ? ここ最近付き合いが悪いとは思ったけど、なるほどねぇ」
「そんなわけないじゃんっ!?」
「焦ってる焦ってるぅ~。あははは、結衣ってばほんと分かりやすいんだからー」

 そんな甚だしい誤解へ対する意見陳情を考えている最中にも、車内アナウンスが流れる。大船駅に着いた。二駅先にある辻堂駅へ帰る琴美とはここでお別れ。その別れ際。

「明日詳しく聞かせてね~」

 手を振ってくるニヤけ面の琴里に、わたしは苦笑いで手を振り返す。やれやれ……この誤解を説くには、しばらく時間がかかりそうだ。
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