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第三章 マリーアントワネット
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店の中へ入って、紅麗亜ちゃんを席へと通す。ほだか先生と紅麗亜ちゃんは軽い挨拶を交わした後にも、
「今日はどうされます?」
「いつものでお願いします」
短いやり取りにてカウンセリング終了。淡々と真っ黒なカラー用のクロスを紅麗亜ちゃんに着せたほだか先生は、そのままバックルームへと引っ込んでいった。これといった緊張感を感じないそのやり取りに、わたしは少し唖然とさせられていた。
「結衣先輩、お久しぶりです……」
受付台のわたしへ、紅麗亜ちゃんが申し訳なさそうに話しかけてくる。鏡に映るその瞳は、泳いでいるようにも見えた。
「うん、久しぶりだね。バイトを辞めた日が最後だから、一ヶ月くらい?」
「あ、ああ、そうですね。それでその、結衣先輩」
「ん、なにー?」
首を傾げて尋ねるわたしへ、やはり居た堪れなさそうな表情を浮かべる紅麗亜ちゃんは。
「その節は、本当に申し訳ありませんでした。結衣先輩は、なにも悪くなくて、むしろ私のことをかばってくれたのに」
「ああ、バイトのことね」
一ヶ月前だ。わたしは、紅麗亜ちゃんにしつこく言い寄ってくる客と揉めにもめて、そのままクビを言い渡された。どうも紅麗亜ちゃんは、そのことを気にしているらしい。後ろめたそうにしているのは、そのせいだろう。えっと、そうだよね?
「別に気にしなくていいよ。前々からあのハゲ店長のこと嫌いだったし、むしろ清々してるくらいだからさ。それに、今はこんな良い職場に巡り会えたからね~」
「そ、そうだしたか……」
「でも驚いたよ! まさか紅麗亜ちゃんがここに来るなんて。家、このあたりだったかな?」
「家は、辻堂の方です。藤沢との、間くらいです」
「ふーん。じゃあ、結構離れてるね。まさかあれ、昔からここに住んでて、その流れで来てるとか?」
「い、いえ……その、そういうわけでは、ないんですけども」
「? じゃあ、どういうこと?」
「それは…………」
紅麗亜ちゃんは困った顔を作る。そのまま俯き、黙り込んでしまう。あれ、なんかわたし、聞いちゃいけないこと聞いちゃったかな?
よく分からないけど、なにかの地雷を踏んだのは確かなのだろう。
「質問責めしてごめん。お茶の準備してくるね」
わたしは逃げるようにバックルームへ入る。
3畳ほどの、手狭な室内。バックルームと言っても、そこは休憩したり、ご飯を食べたりするような場所ではない。言い方を変えれば「調剤室」と呼ばれる場所で、流し台と大きな棚しかなくて──
「!? げほぉっ、げほげほっ」
鼻腔を刺激する強烈な臭いに、激しくむせ込んでしまう。また、目にちくちくとした痛みが走った。
「大丈夫ですか、結衣くん?」
「げほぉ……え、ええ。なんとか」
涙目を擦って、頷く。また視線をほだか先生へ──見ると、ほだか先生は平たいカップに満たされたドロドロの黄色い液体を、銀色のマドラーでかき混ぜている最中であった。どうも、強烈な刺激臭はそのカップから漂ってきているらしい。
「忘れていました。結衣くんにカラーの調剤を見せるのは、はじめてでしたね」
ほだか先生は棚を見上げる。扉のない棚には、「5/04」や「7/07」などの、よく意味の分からない数字の刻まれた箱がびっしりと収まっている。その箱の中に、カラー剤のアルミチューブが入っているという次第だ。
「カラーの調合時には強いアルカリ臭が出てしまうんですよ。目や鼻に強い刺激が起きるのは、そのせい。言いそびれていましたね」
「そ、そうだったんですか……でも、ほだか先生はなんともないように見えますけど?」
「信じられないかもしれませんが、美容師はこういったことを日常的にこなしているので、体が慣れてしまうんですよ」
和やかに言って、クルクルとマドラーを回し続けるほだか先生は、確かに咳き込むことすらない。慣れるものなのか、これが。「結衣くんもそのうち慣れますよ」と笑顔で言われても、実感は湧かない。
「でも、カラーかぁ~。いいなぁ」
何度か染めようかと迷ったことはあった。基本的には学校の校則で禁止されているので、夏休みなどの長期連休中だけでも染めようと、薬局でカラー剤を購入。したまではいいのだが、結局は臆病風に吹かれ使うことはなかった。でも、学校の友達が校則に引っかからない程度でほんのり茶色く染めているのを見てしまうと、いつも羨望の眼差しを光らせてしまう、そんなジレンマ。それに。
「外国人の明るい髪なんか見ると、やっぱり憧れるんですよね。なんだか髪が軽く見えるって言うか。わたしはこの通り、真っ黒ですので」
「その通り」
カラーをかき混ぜ終えたほだか先生は、棚の引き出しから取り出したカーキ色のゴム手袋をはめながら言った。
「明るいカラーリングは、見た目の印象として髪を軽く見せます。逆に黒髪とは、重たい印象を与えますね。別にどちらが良いというわけではなく、好みの問題です。ただ結衣くんが言ったように、日本を含むアジア人は黒髪であることがほとんどですので、西洋人のような明るい髪色に憧れる人も少なくはありません」
「へぇ~、そこまで意識して考えたことありませんでしたけど、やっぱり髪を染めるにもいろいろとあるんですね」
「もちろん。カラーリングを専門とした、カラーリストと呼ばれる美容師がいるくらいですから、奥が深いんですよ」
語るほだか先生は、なんだか楽しそうだった。目もキラキラと輝いているような。
「カラー剤とは、細やかな調合に寄ってその色を変えます。明るさも、暗さにしてそうです。好みは大前提のもと、季節感、その人の顔立ち、普段の服装、憧れ……など、お客さまに納得してもらえるベストな髪色をご提案するのが、我々美容師の務めです」
「すごい! そんなに意識してるんだぁ」
「カラーリングは見た目の印象や雰囲気をがらりと変えてしまいますので、適当にはオススメできません。中には髪色を変えることで、性格まで変わってしまう方もいらっしゃいますから」
「そこまで言われちゃうと、なんだか染めたくなってきますね」
「いいものですよ、カラーリングは」
もちろん、髪はダメージを負ってしまいますからアフターケアが必要ですけどね──ほだか先生はそう付け加え、ブラシと櫛が一体となったハケとカップを手にした。カラーの準備は万全だ。
すっかりカラーリングの魅力に取り憑かれたわたしは、調剤室からピョコッと顔だけを出して、カラーを待っている紅麗亜ちゃんを見つめた。今の紅麗亜ちゃんは、わたしと同じで髪が真っ黒だ。きっと、明るくするのだろう。
「紅麗亜ちゃん、可愛いし顔立ちも日本人離れしてるから、きっとすごく印象が変わるんだろうな」
わたしが何気なく言った、刹那──ほだか先生の顔から、すっと、笑顔が失われる。また声も、どことなく暗かった。
「……それは、どうでしょうかね。彼女の場合は、グレイカラーですので」
「グレイカラー?」
「すみません、そろそろ塗りはじめなくては」
よそよそしく行ってしまう、ほだか先生。少しだけ様子がおかしいと思ってしまう。ふと、脳裏に悪い予感が過ぎりはしたが。
「では、時上さん。塗っていきますね」
ほだか先生は、マヨネーズのようなとろみのあるカラー剤をハケですくい、紅麗亜ちゃんの髪に塗布していく。眼鏡姿。なんらおかしな様子はなかった。だったらわたしの思い過ごしに違いない。勘違いもいいとこだ。
その後のカラー塗布、カラー放置時間、シャンプー、ドライまでは、大体一時間半くらいかかった。ほだか先生は、施術以外はフロアに出てこなかった。久しぶりの再会を果たしたわたしと紅麗亜ちゃんに気を遣ってくれたのかもしれない。ただ、そうだな。
「……」
髪を染めている間も、また染め終わった後も、紅麗亜ちゃんの表情は暗雲立ち込めているみたく、暗かった。紅麗亜ちゃんに対して明るい印象を抱いていただけに、少し驚きだ。
それに、暗いといえば。
「(なんか……変わった?)」
カラー後の紅麗亜ちゃんの髪色は──黒髪のまま。わたしには、その変化が全く分からなかった。外で見ればその変化が分かるのかもしれないけれど、少なくとも店内ではどの角度から見ても黒。そのはずなんだけども。
「どうですか、時上さん。いつもと同じお色で仕上げましたが」
「……はい、大丈夫です」
紅麗亜ちゃんは頷く。納得の様子だ。もしかしたら、二人にはド素人のわたしには分からない色が見えているのかもしれない。
「紅麗亜ちゃん、またね」
「はい、結衣先輩。ありがとうございました」
会計を済ませた紅麗亜ちゃんは、ほだか先生の目を見ず頭だけを下げた。カラーにしては、えらく安い金額。その後にも「では」と呟くように言って、そのまま逃げるよう帰っていった。なんだか、釈然としない終わり方だ。
「結衣くん」
ほだか先生は、ガラス扉向こうの薄れゆく紅麗亜ちゃんの見つめながら言った。少し、思い詰めたような顔で。
「時上さん、傘を忘れています」
「え? ああ、ほんとだ!」
傘立てにある真っ赤な女性ものの傘は、紅麗亜ちゃんがさしていたものだ。雨は──すっかり止んでいる。うっかり忘れてしまったのだろう。雨が降ってないと傘の存在は薄れガチだ。わたしもよくある。
「申し訳ありませんが、届けてきてくれませんか? 今日はそのまま上がってもらっても結構ですので」
「えっと。もしかしてですけど、気を遣ってくれてます?」
尋ねると、ほだか先生はいつもとなに一つ変わらない柔和な笑みに戻った。
「……ご友人を大切に。久々と再会となれば、尚更にです。ここで出会えたのも、なにかの運命に導かれてのことでしょうから」
「運命、ですか」
「ほら、早く行かないと見失ってしまいますよ? 再び雨が降り出してしまうかもしれません」
「あ、はい!」
と、わたしはスクールカバンを肩に背負う。紅麗亜ちゃんの傘を手に取って、そのまま店を後にしようとして。はっと思い出す。
「ほだか先生、今日の夕飯は"青椒肉絲(チンジャオロースー)"にしてみました! 冷蔵庫に入れてあるんで、ちゃんと温めて食べてくださいね」
「ほう、それは予想外でしたね」
「ご飯も保温してますから、余った分はちゃんと冷やしといて──」
「ふふっ、分かっていますよ。ありがとうございます。結衣くん、GOです」
「はい! お疲れさまでした!」
今夜は中華にしてみました。ほだか先生、喜んでくれるかしらん?
「今日はどうされます?」
「いつものでお願いします」
短いやり取りにてカウンセリング終了。淡々と真っ黒なカラー用のクロスを紅麗亜ちゃんに着せたほだか先生は、そのままバックルームへと引っ込んでいった。これといった緊張感を感じないそのやり取りに、わたしは少し唖然とさせられていた。
「結衣先輩、お久しぶりです……」
受付台のわたしへ、紅麗亜ちゃんが申し訳なさそうに話しかけてくる。鏡に映るその瞳は、泳いでいるようにも見えた。
「うん、久しぶりだね。バイトを辞めた日が最後だから、一ヶ月くらい?」
「あ、ああ、そうですね。それでその、結衣先輩」
「ん、なにー?」
首を傾げて尋ねるわたしへ、やはり居た堪れなさそうな表情を浮かべる紅麗亜ちゃんは。
「その節は、本当に申し訳ありませんでした。結衣先輩は、なにも悪くなくて、むしろ私のことをかばってくれたのに」
「ああ、バイトのことね」
一ヶ月前だ。わたしは、紅麗亜ちゃんにしつこく言い寄ってくる客と揉めにもめて、そのままクビを言い渡された。どうも紅麗亜ちゃんは、そのことを気にしているらしい。後ろめたそうにしているのは、そのせいだろう。えっと、そうだよね?
「別に気にしなくていいよ。前々からあのハゲ店長のこと嫌いだったし、むしろ清々してるくらいだからさ。それに、今はこんな良い職場に巡り会えたからね~」
「そ、そうだしたか……」
「でも驚いたよ! まさか紅麗亜ちゃんがここに来るなんて。家、このあたりだったかな?」
「家は、辻堂の方です。藤沢との、間くらいです」
「ふーん。じゃあ、結構離れてるね。まさかあれ、昔からここに住んでて、その流れで来てるとか?」
「い、いえ……その、そういうわけでは、ないんですけども」
「? じゃあ、どういうこと?」
「それは…………」
紅麗亜ちゃんは困った顔を作る。そのまま俯き、黙り込んでしまう。あれ、なんかわたし、聞いちゃいけないこと聞いちゃったかな?
よく分からないけど、なにかの地雷を踏んだのは確かなのだろう。
「質問責めしてごめん。お茶の準備してくるね」
わたしは逃げるようにバックルームへ入る。
3畳ほどの、手狭な室内。バックルームと言っても、そこは休憩したり、ご飯を食べたりするような場所ではない。言い方を変えれば「調剤室」と呼ばれる場所で、流し台と大きな棚しかなくて──
「!? げほぉっ、げほげほっ」
鼻腔を刺激する強烈な臭いに、激しくむせ込んでしまう。また、目にちくちくとした痛みが走った。
「大丈夫ですか、結衣くん?」
「げほぉ……え、ええ。なんとか」
涙目を擦って、頷く。また視線をほだか先生へ──見ると、ほだか先生は平たいカップに満たされたドロドロの黄色い液体を、銀色のマドラーでかき混ぜている最中であった。どうも、強烈な刺激臭はそのカップから漂ってきているらしい。
「忘れていました。結衣くんにカラーの調剤を見せるのは、はじめてでしたね」
ほだか先生は棚を見上げる。扉のない棚には、「5/04」や「7/07」などの、よく意味の分からない数字の刻まれた箱がびっしりと収まっている。その箱の中に、カラー剤のアルミチューブが入っているという次第だ。
「カラーの調合時には強いアルカリ臭が出てしまうんですよ。目や鼻に強い刺激が起きるのは、そのせい。言いそびれていましたね」
「そ、そうだったんですか……でも、ほだか先生はなんともないように見えますけど?」
「信じられないかもしれませんが、美容師はこういったことを日常的にこなしているので、体が慣れてしまうんですよ」
和やかに言って、クルクルとマドラーを回し続けるほだか先生は、確かに咳き込むことすらない。慣れるものなのか、これが。「結衣くんもそのうち慣れますよ」と笑顔で言われても、実感は湧かない。
「でも、カラーかぁ~。いいなぁ」
何度か染めようかと迷ったことはあった。基本的には学校の校則で禁止されているので、夏休みなどの長期連休中だけでも染めようと、薬局でカラー剤を購入。したまではいいのだが、結局は臆病風に吹かれ使うことはなかった。でも、学校の友達が校則に引っかからない程度でほんのり茶色く染めているのを見てしまうと、いつも羨望の眼差しを光らせてしまう、そんなジレンマ。それに。
「外国人の明るい髪なんか見ると、やっぱり憧れるんですよね。なんだか髪が軽く見えるって言うか。わたしはこの通り、真っ黒ですので」
「その通り」
カラーをかき混ぜ終えたほだか先生は、棚の引き出しから取り出したカーキ色のゴム手袋をはめながら言った。
「明るいカラーリングは、見た目の印象として髪を軽く見せます。逆に黒髪とは、重たい印象を与えますね。別にどちらが良いというわけではなく、好みの問題です。ただ結衣くんが言ったように、日本を含むアジア人は黒髪であることがほとんどですので、西洋人のような明るい髪色に憧れる人も少なくはありません」
「へぇ~、そこまで意識して考えたことありませんでしたけど、やっぱり髪を染めるにもいろいろとあるんですね」
「もちろん。カラーリングを専門とした、カラーリストと呼ばれる美容師がいるくらいですから、奥が深いんですよ」
語るほだか先生は、なんだか楽しそうだった。目もキラキラと輝いているような。
「カラー剤とは、細やかな調合に寄ってその色を変えます。明るさも、暗さにしてそうです。好みは大前提のもと、季節感、その人の顔立ち、普段の服装、憧れ……など、お客さまに納得してもらえるベストな髪色をご提案するのが、我々美容師の務めです」
「すごい! そんなに意識してるんだぁ」
「カラーリングは見た目の印象や雰囲気をがらりと変えてしまいますので、適当にはオススメできません。中には髪色を変えることで、性格まで変わってしまう方もいらっしゃいますから」
「そこまで言われちゃうと、なんだか染めたくなってきますね」
「いいものですよ、カラーリングは」
もちろん、髪はダメージを負ってしまいますからアフターケアが必要ですけどね──ほだか先生はそう付け加え、ブラシと櫛が一体となったハケとカップを手にした。カラーの準備は万全だ。
すっかりカラーリングの魅力に取り憑かれたわたしは、調剤室からピョコッと顔だけを出して、カラーを待っている紅麗亜ちゃんを見つめた。今の紅麗亜ちゃんは、わたしと同じで髪が真っ黒だ。きっと、明るくするのだろう。
「紅麗亜ちゃん、可愛いし顔立ちも日本人離れしてるから、きっとすごく印象が変わるんだろうな」
わたしが何気なく言った、刹那──ほだか先生の顔から、すっと、笑顔が失われる。また声も、どことなく暗かった。
「……それは、どうでしょうかね。彼女の場合は、グレイカラーですので」
「グレイカラー?」
「すみません、そろそろ塗りはじめなくては」
よそよそしく行ってしまう、ほだか先生。少しだけ様子がおかしいと思ってしまう。ふと、脳裏に悪い予感が過ぎりはしたが。
「では、時上さん。塗っていきますね」
ほだか先生は、マヨネーズのようなとろみのあるカラー剤をハケですくい、紅麗亜ちゃんの髪に塗布していく。眼鏡姿。なんらおかしな様子はなかった。だったらわたしの思い過ごしに違いない。勘違いもいいとこだ。
その後のカラー塗布、カラー放置時間、シャンプー、ドライまでは、大体一時間半くらいかかった。ほだか先生は、施術以外はフロアに出てこなかった。久しぶりの再会を果たしたわたしと紅麗亜ちゃんに気を遣ってくれたのかもしれない。ただ、そうだな。
「……」
髪を染めている間も、また染め終わった後も、紅麗亜ちゃんの表情は暗雲立ち込めているみたく、暗かった。紅麗亜ちゃんに対して明るい印象を抱いていただけに、少し驚きだ。
それに、暗いといえば。
「(なんか……変わった?)」
カラー後の紅麗亜ちゃんの髪色は──黒髪のまま。わたしには、その変化が全く分からなかった。外で見ればその変化が分かるのかもしれないけれど、少なくとも店内ではどの角度から見ても黒。そのはずなんだけども。
「どうですか、時上さん。いつもと同じお色で仕上げましたが」
「……はい、大丈夫です」
紅麗亜ちゃんは頷く。納得の様子だ。もしかしたら、二人にはド素人のわたしには分からない色が見えているのかもしれない。
「紅麗亜ちゃん、またね」
「はい、結衣先輩。ありがとうございました」
会計を済ませた紅麗亜ちゃんは、ほだか先生の目を見ず頭だけを下げた。カラーにしては、えらく安い金額。その後にも「では」と呟くように言って、そのまま逃げるよう帰っていった。なんだか、釈然としない終わり方だ。
「結衣くん」
ほだか先生は、ガラス扉向こうの薄れゆく紅麗亜ちゃんの見つめながら言った。少し、思い詰めたような顔で。
「時上さん、傘を忘れています」
「え? ああ、ほんとだ!」
傘立てにある真っ赤な女性ものの傘は、紅麗亜ちゃんがさしていたものだ。雨は──すっかり止んでいる。うっかり忘れてしまったのだろう。雨が降ってないと傘の存在は薄れガチだ。わたしもよくある。
「申し訳ありませんが、届けてきてくれませんか? 今日はそのまま上がってもらっても結構ですので」
「えっと。もしかしてですけど、気を遣ってくれてます?」
尋ねると、ほだか先生はいつもとなに一つ変わらない柔和な笑みに戻った。
「……ご友人を大切に。久々と再会となれば、尚更にです。ここで出会えたのも、なにかの運命に導かれてのことでしょうから」
「運命、ですか」
「ほら、早く行かないと見失ってしまいますよ? 再び雨が降り出してしまうかもしれません」
「あ、はい!」
と、わたしはスクールカバンを肩に背負う。紅麗亜ちゃんの傘を手に取って、そのまま店を後にしようとして。はっと思い出す。
「ほだか先生、今日の夕飯は"青椒肉絲(チンジャオロースー)"にしてみました! 冷蔵庫に入れてあるんで、ちゃんと温めて食べてくださいね」
「ほう、それは予想外でしたね」
「ご飯も保温してますから、余った分はちゃんと冷やしといて──」
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「はい! お疲れさまでした!」
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