カミのアダゴト

葦元狐雪

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第十一幕

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 憤怒の情にかかずらうザハク殿は両手を振りかざしつつ走った。
 先頃の狼の影を追っている。 

 広漠とした草原をどこまでも駆けた。そのうち息が上がって、歩速が鈍重になる頃合いにある一軒の家に逢着した。
 草原の真ん中にはばかりなく据えてある茅葺き屋根の家宅らしきそれは、さながら竪穴式住居的な古色蒼然とした趣を呈していた。というか、竪穴式住居そのものである。

 裏手に回ると、なんと畑があった。蜜柑色の蔦がならんだ支柱にからみついている。垂れ下がるバナナに酷似した作物は、朝露を浴びたように艶やかにかがやいている。あやに美味そうに見えた。

「誰なのじゃ! 勝手にわしの土地に家なんぞ建ておって! 許すまじ!」

 ザハク殿はそう言うと、玄関扉の前に仁王立、片足をそびやかすや竹を張り合わせた扉を蹴立てた。しかし、シャリシャリと草履の裏が撫でる軽い音がするばかりで、扉を破るには膨大な時間を要するのは明白だった。ザハク殿は「ん? あれ、なぜじゃ」と狼狽しながら蹴りまくっている。トキはその様子を遠目に見守っている。

「おかしいのじゃ......ちっとも力が出せぬ。今のわしは、嬰児えいじのごとく非力じゃ」

 ザハク殿は息を切らせて言う。肩を上下させている。演技ではない。
 トキは彼女のかたわらに膝をつき、「僕が代わりましょう」と言った。

「ザハク殿はしばしお休みください。この扉を開ければよろしいのですね?」

「ああ、そうじゃ。破壊しても良いぞ、いや、むしろ壊せ」

「それはいささか可哀想です。平和的にいきましょう」

「ふん! 相変わらず謹厳実直な奴じゃ。好きにせい」

 トキは一揖した。
 前に進み出る。

 それにしても、かくのごとき辺鄙な場所に誰が住んでいるのだろう。しかも、この旧態依然とした住居はなんだ。学生時代に歴史の教科書でしか見たことがない。住み心地は良いのだろうか。誰が建てたのか。人間か? 可能性はうすい。となると神か。ザハク殿たちの御殿は外観こそ古めかしさはあったが、内観は現代的で上等な家具をそろえていた。ふたを開けると、中は存外豪華やもしれぬ——などと思惟するトキは、若干期待に胸を膨らませつつ、扉をノックした。

 が、ノックどころの騒ぎではなくなった。拳が扉に触れるや否や、木っ端微塵に弾けとんだからである。
 粉微塵と化した竹とわらが風に運ばれてゆく。
 狐に化かされた気分のトキは、呆然とその場に立ちつくした。眼前に起こった超常的な現象に対する理解につとめた。

「ひっ」「誰よ」

 奥からふたつの声がした。憮然とした声音だった。
 それはそうだ。
 玄関を破壊したのだ。
 当然だ。

 声の主は十代半ばほどの形をした双子の姉妹だった。その二卵性双生児たちは、めいめい半分に割った鈴カステラを大事そうに手に持ち、ぷるぷると身を寄せ合っているのであった。

「見て!」「殴り込みよ!」

 ハッとしたトキは己の姿を宙に描いて恥じた。側から見ると、右拳を顔の前に掲げて立っているのだから、「殴り込みに来ました」と言っているようなものである。トキは慌てて拳を下げた。

「違います! 殴ろうなんて、滅相もない!」

「怪しいよ!」「扉壊したし!」

「それは......すいません。僕にもよく分からなくて」

 トキは困った顔をした。すると、双子はますます気色ばんだ。

「作り直してよ!」「してよ!」

「なんじゃ、騒々しい」

 トキの後ろからひょっこりと顔を出したザハク殿が言った。
 視線が合う。双子は揃って指をさした。

「ああっ!」「ザハク!」

 言下にザハク殿はトキを押し退け、ずんずんと双子の前まで踏み入った。

「『殿』か『様』を付けんか! このあんぽんたん!」

 そして双子の脳天に拳骨をお見舞いした。

「いたっ」「......くない?」

 双子は不思議そうに顔を見合わせた。


      $


 想像に反して、内観はたいへん質素だった。
 アジアン風のカーペッドの敷きつめられた、八畳ぐらいの円形の部屋の中央には火鉢がひとつ置いてある。高い天井付近には煙を逃すための穴があり、単身用の小さい冷蔵庫、散乱する象嵌のほどこされたマトリョーシカ人形、宙に浮かんでいる硬そうなシングルベッド、そこここに張られた麦酒のポスターなどがある。紐にぶら下がった裸電球が、切り株の机を照らしていた。

 双子は神様だった。
 ただし、下級神である。ザハク殿が最上神なので、階級には二つの差があった。
 無論、最上神の方が偉い。神通力の威力も、階級に比例して強くなる。そして、下位の神々は上位の神々を景仰すべしという不文律がある。したがって、ザハク殿が沸騰したのは如上の由にほかならない。もっとも、ザハク殿の癇癖が強いことも勘定せねばなるまいが......。

 トキたちは切り株の前に座った。
 くいぜの上に青いマグカップが置かれる。温かな蒸気がゆらめく。無色透明である。香りもまったくない。
 ズルズルと音を立てて飲んだザハク殿が、「ただのお湯じゃな」と砂を噛むように言った。

「ごめんね」「お湯しかないの」

 双子は済まなそうに言った。トキは首を横に振る。

「いえ、お気になさらず。ありがたくいただきます」

「まあ、それはそれとて......」

 ザハク殿はマグカップを戻した。

「なにゆえお前たちはここにおる。この世界はわしが創成して間もないはずじゃ。立ち入りを許可した覚えもない。外連なく答えよ」

「なんでだっけ?」「なんだっけ?」

「とぼけずとも良い。怒らぬから、正直にもうせ」

「ああ、それねえ」「絶対後で怒っちゃうパターンだよねえ」

 双子の言葉にザハク殿のアホ毛はピンと立った。
 ただならぬ怒気を垂れ流している。

「目が怖いわ」「きっと殺す気だわ」

 双子は大仰に震え上がった。話が進まない。
 トキはザハク殿に耳打ちをした。

「ザハク殿、ちょっと」

「なんじゃ、トキ」

「慮外なことを申しますが、よろしいでしょうか」

 ザハク殿は眉根を寄せた。

「許す。申してみよ」

「はい、では——ザハク殿、上から目線ではいけません。相手の立場になって考えねばなりませぬ、話し合いの場というのはそういうものです。ザハク殿はあの方々の事情を知りたいわけでしょう? であれば、あとは推して知るべしです。腰を低くして、相手を立てるのが得策かと」

「嫌じゃ! どうしてわしがあのような下々の者共におべっかせねばならんのじゃ! わしは絶対にやらんからな」

「そこをなんとか」

「お断りじゃ。やるならトキ、お前一人でやれ。沽券にかかわる」

「左様でございますか。わかりました、僕がなんとかしましょう」

「できるのか」

「やってみます」

「よし、やれ」

 トキはコホンと声作りすると、おもむろに双子の眼を交互に見た。

「先ほどはザハク殿が失礼をしました」

 肘で横腹を突かれる。
 トキは続ける。

「つきましては、ザハク殿の眷属である僕が、恐れながら代弁を務めさせていただきます」

 眷属? まあよかろう、とザハク殿はまんざらでもなさそうに呟いた。

「人間くんが?」「いいんじゃない」

 双子は頷く。
 頭を下げた。

「ありがとうございます。ところで、御二方は高徳の神様とお見受けしますが、さぞかし多くの民に敬愛されておられるのでしょう。それに美しい。下級神にしておくにはもったいない——と、ザハク殿がこっそりとおっしゃっていました」

「ん? おい、お前は何を言って——」

 言いさしたザハク殿の口を、トキの手がふさいだ。
 彼女の言葉は掌にはばまれて、もごもごと何を言っているのかわからない。

「へえ~、ザハクどんがねえ」「本当かなあ」

 双子は一緒に首を傾げる。
 どん? どんってなんじゃ、バカにしておるじゃろう、とザハク殿は思った。

「はい、嘘偽りはございません。ザハク殿の手前、下手なことは申せませぬゆえ。それに、彼女の誠の心は山紫水明のごとく清らかなのです。常日頃は悪態を吐きまくるどうしようもない駄々っ子ですが」

(下手なことを言いまくっておるぞ。さては、アマユリ等が何やら吹き込みよったな)

「まあ清いかどうかは置いちゃって」「何が言いたいのかな?」

「はい、実は......」

 トキはここを先途と語調をつよめた。

「先の扉の件も含めて、お詫びないしお礼をしたい、と」

「ふーん」「何をしてくれるのかな」

「何なりと、お申し付けください」

 トキは左胸に手を当てた。
 双子は不敵な笑みを浮かべた。

「人間くんがシテくれるの?」「それとも、ザハクどん?」

 もしくは、どっちも? と、声を合わせて問うた。

「ワタクシが請けましょう」

 トキは答えた。

 大丈夫、扉の構造は見たところ、竹をわらで結び合わせた簡易的な造りだった。あれくらいなら、特別な技術が必要になることはあるまい。出来得べくんば、双子の神様にザハク殿が現下神としての力を喪失している、というかんばしくない事情を知られてはいけない。なんとなれば、こちらが下手に出た途端、彼女たちの気が大きくなったからだ。よし事情を知られたとすれば、彼女たちが下剋上にはやらぬとも限らない。

 ——この世界からの脱出。
 いかにしてその端緒を掴むか。情報が必要だ。なるたけ多くの情報が。そしてすべからく......

 双子は指をさし向けた。

「じゃあ人間くん」「私たちの伴侶になってよ」
「ダメじゃ!」

 トキの指の間をこじ開け、ザハク殿が叫んだ。
 あっ! と思った時にはもう飛び掛かっていた。
 ——平和的解決が望ましい。
 そう言いたかった。
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