16 / 32
第十二幕
しおりを挟む
家がありますね、とアマユリが言った。
見ると、茅葺屋根の小さな家屋があった。およそ二千年以上前に人間がこぞって建てた、俗に竪穴式住居と呼ばれる建築様式だ。今ではすっかりとなりを潜めてしまったこの家屋は下級の神々たちの指定居屋として、現在も下級神の村で利用されている。
そのとき、私は思議の糸が網状にひろがるのを脳裡に見た。
......下級神は神の界層において最下に位置する神々である。
おしなべて社は小さく、その多くが畦道の路傍や山奥に局在する。また、信仰者の微々たるが彼らの霊験貧小たらしめる所以であり、ひいてはザハク殿のなかば下僕的あつかいを受けるの所以でもある。
なんらかの用事で七天神の皆が出払っている、なおかつ下界が雨天の場合、無聊のザハク殿は天上界の最西端のある下級神の村を、招かれるわけでもなしに訪うのがきまりだった。前触れもなく卒爾として彼女が飛来することを、下級神たちは畏敬の念を込めて『入寇』と呼んだ。しかしつっけんどんに追っ払うわけにもいかぬ。相手は最上級の神だ、礼を尽くして臨まなければならぬ。
甘いポン菓子。それが献上品だった。
ザハク殿はある下級神たちと遊んだ。それらは瓜二つの容姿を持つ双子の女性の神だった。
ユリエルとルリエル。
菖蒲色の髪。
純白のサイズの合っていないダボダボのカーディガン。
サイドテールが本人側から見て右に結んであるのがユリエル、左がルリエルである。馴れ初めはザハク殿がはじめて入寇したとき、彼女たちがザハク殿を呼び捨てにしたことだった。
目をつけられたのだ。
以来、遊び相手は双子が担った——という話を、その集落の長に聞いたアマユリに聞いたのが私だ。
しかして、なぜそこにいるのだろう、と私は思った。
あるところに通常存在し得ないはずのモノがある、もしくは何者かが居るというのは、たいそう不気味に思わせるもので、とりもなおさず私が感じたのはまさしくそれであった。
私は鬼胎を抱いた。腕に沈む鬼胎は不気味の感情の亢進に附して、毛糸をたぐる行為の果てに鞠ほどの大きさと重さになるように、それはたちまちに私の腕におさまらなくなった。
途端、行かねばならぬと思った。村の現状を知るために。
......私は足のしびれを我慢しながら立つと、すり足で玄関の方へ向かった。
「おい、急にどうした」
ヴォルトラが訊く。
私は止まったが、振り返らずに答えた。
「西の下級神の村へ行って参ります」
「今から行くのか? 夜も更けたし、明日でもいいんじゃねえのか」
「いえ、どうしても気になることがあって。それを解決ないと、とても眠れそうにありませんので」
「お待ちなさい」
つとアマユリが言った。
「誰か、カラクラに着いて行っておやりなさい。夜道に一人では危険でしょう」
ややあって、ヴォルトラの大儀そうに立ち上がるけはいがあった。
私はふり向いた。
「しゃあねえなあ......」
ヴォルトラが言った。
後頭部を搔き、口の端に笑みを湛えている。
「あたしが行ってやんよ。問題ねえだろ」
私は顎をちょっと突き出してみせる。そして言った。
「いいえ、結構ですにゃ。そこでおとなしくしてろですにゃ」
私は激したヴォルトラから全力で逃げた。
$
「あれあれ?」「ザハクどん?」
双子はめいめい不思議そうな、それでいて愉悦のまじったような表情とこわねで言った。
ザハク殿は彼女たちに下敷きにされており、うつ伏せのまま両腕を押さえつけられている。脚をジタバタとさせ、「おい、降りろ! 降りんかこの......」と、首を斜め後方にかしぎ喘いでいる。
——マズイなあ。
トキは思った。これでザハク殿に元来の膂力がなきに等しいことが露呈してしまった。今や下級の神様よりも尩弱なザハク殿は、もはや子女の形をしただけの『なんちゃって神様』である。
せめてここを辞去するまでは秘し隠すつもりだったけれど、致し方ない。いっそあけすけに事情を話し、双子の協力をあおぐに専念するか。だが、最上神と下級神の間にひどい尊卑の懸隔があるとすれば、双子はどうするだろうか。やはり下克上か。そして彼女たちの言う「伴侶になれ」とはどういった意味なのか。
差し向き下唇を噛み締めて、悔し涙を目の端に溜めているザハク殿を救出せねばなるまい。
トキは半身を乗り出した。
「取り込み中ごめん。そろそろ主人から降りていただきたい」
「おお、トキ」
ザハク殿は鮮やかな花弁の開くを連想させる笑顔をみせた。
双子は口をとがらせ、いささか不満の相を示した。
「え~」「まだいいじゃない」
「いけません。ひしゃげたカエルのようでなんだか可哀想です」
「おい」
一言余計じゃ、とザハク殿が言った。
双子はクスクスと笑った。
「降りてあげてもいいけどお」「君が私たちのお願いを聞いてくれたらねえ」
「それは、先ほどの『伴侶になれ』ということでしょうか」
トキは訊ねた。
双子は二三肯首した。
「そうそう」「いいかな?」
「止せ、聴くな、トキ!」
ザハク殿が躍起になって言う。
「どうせ碌な考えではな」
双子に口をふさがれた。もがもがと曖昧な音。台詞の続きは意味をなしていなかった。
トキは深い呼吸をして、その後言った。
「伴侶とは何か、具体的に教えていただきたい」
「ああ、それはね」「ちょっと生き贄になることだよ」
絶句した。緊張が空気に薄ら氷のように張った。
瞬間的に思考が停滞し、言葉の接ぎ穂を失い額に汗をうかべるトキの視界には、「死」の一文字が禍々しくゆらゆらとおどっている。強く頭をふった。
ふと疑問が浮かんだ。「ちょっと」ってなんだ。
生贄に加減があるのか。
初耳だ。
まゆつば物だ。
そこはかとなく怖くなってきたので、矢も盾もたまらずにトキはそれを反復した。
「生贄......ですか」
「あはは、そんな青い顔しないでよ」「生贄といえども、べつに取って食うわけじゃあないのよ」
「と言いますと」
「知りたい?」「今すぐ知りたい?」
「ぜひ」
「うん、それじゃあ教えてあげるから、そこを動かないでね。——ルリエル、ザハクどんを押さえておいて」「わかったわ、ユリエル」
ユリエルはザハク殿の背中から軽快に飛びのくと、伸びのびの袖をずるずると引きずりながら、トキの膝前によった。
両手を彼の肩に乗せ、「動かないでね」と言って少女の風采らしからぬ媚態をたたえつつ、熟れた張り詰めた桜桃のような口唇を、彼のうすい細い口唇にせまった。
「あの、これは」
「動いたらダメ。私が困るじゃない」
ユリエルの指先はトキの首筋をなぞり上げ、落ちくぼんだ頬に掌をはわせた。
菖蒲色の髪の隙間に暁暗のごとく情緒的な瞳がのぞかれる。繊細微妙な青と橙のコントラストがきらびやかである。ザハク殿のあえぎが聞こえる。どことなく嘆願に類する必死さをかんじる。
はらい退けることは容易い。ただ、得も言われぬ桃色の思想がいや増す拍動の調子にともなって、なしくずしにトキの体の自由をせしめていた。
かくてトキは微動だにできない。ユリエルが何をせんとしているのかは想像にかたくないが、しかし彼女の挙動の真意が判然としないのはトキにとって恐怖でしかない。
彼女は類まれなる美女である。匂やかな息、まろやかな声音、柔肌の体温の包容——それらが彼の理性のとばりを暴きださんと目論んでいる......。
さて、そんなトキのアンビバレントな心緒など露知らずのユリエルの口唇は目前だった。
トキは腹をくくった。
目を瞑った。それが礼儀である気がしたからだ。
が、身に覚えたのは、およそ枯れ草にふれる記憶の喚起であった。
下唇に指をやると、何やら短い棒状のモノが触れた。
目を開けた。ユリエルは天井を見上げていた。「オオカミ」とつぶやいた。
トキも上を見た。すると、天井だったところが巨大な歯型にくりぬかれて、陽光を背負ういかつい獣の顔がそこにあった。黄金の毛並みの先が陸離に透けて見えた。茅がバラバラと落ちてくる。
あの大狼である。臓物を揺るがす低い唸り声。険阻にゆがんだ面差しに、剽軽は毫も見られなかった。
大狼は首をぬっと突き出すと、鼻息で双子を吹き飛ばした。タンブルウィードよろしく転げる彼女たちの行方は、稜角のない部屋の左端に終着した。
アトランティック・ジャイアント——俗にいうおばけかぼちゃ大の黒い鼻先が、トキの全身を検分するごとく丹念に嗅ぎ分けている。頭髪、顔、首筋、肩、腕、腋、胸部、腹、そびら、腰、太腿、脛、足、爪先までしっかりと......。
トキは居然としてそれを静観している。なされるがままである。おりおりに感ぜられる息吹の生温かさが、彼の肌の産毛をわななかせ、こそばゆくさせた。
「あなたも、神様ですか」
トキはおやすみを告げるような、長閑やかな口調でたずねてみた。
しかし、大狼は何も答えなかった。動きを止めて彼の瞳を凝然と見据えている。
ふっと目を細めた。彼の襟首を噛むと、ゆっくりと上へ持ち上げた。トキの体は再三天へと登る機会をえた。
「おい! どこへ連れてゆくつもりなのじゃ! 待たぬか、この犬っころ!」
ぴょこぴょこと跳ねるザハク殿が、憤然として言うのだった。
本来ならばここで空を飛ぶのだけれど、それが出来得ないゆえにザハク殿はひとえに跳ねた。
トキは大狼の背中へとほうられた。振り落とされぬよう、ひしと毛束を鷲掴んだ。青葉の香りをかすかに含んだ涼風がさらりと流れる。蹌踉として膝行する。顔を上げると、遠くまで見渡せる景色がすこぶる良好である。
大狼は軽らかに駆け出した。上下に激しく揺さぶられる。トキは大狼の頭部付近にしがみつきながら、口を開いて待ち構える黯然たる叢林地帯の入り口を西の方角に見た。
$
ザハク殿は蹶然と立ち上がった。
次いで、角っこにておびえている双子の元へ寄った。
「おい、お前たち、わしに手を貸せ」
「なに?」「どうする気なの?」
めいめい上目遣いをして訊いた。
ザハク殿は腕を組み、ふんぞり返った。
「決まっておろう、わしの眷属を取り返すのじゃ」
見ると、茅葺屋根の小さな家屋があった。およそ二千年以上前に人間がこぞって建てた、俗に竪穴式住居と呼ばれる建築様式だ。今ではすっかりとなりを潜めてしまったこの家屋は下級の神々たちの指定居屋として、現在も下級神の村で利用されている。
そのとき、私は思議の糸が網状にひろがるのを脳裡に見た。
......下級神は神の界層において最下に位置する神々である。
おしなべて社は小さく、その多くが畦道の路傍や山奥に局在する。また、信仰者の微々たるが彼らの霊験貧小たらしめる所以であり、ひいてはザハク殿のなかば下僕的あつかいを受けるの所以でもある。
なんらかの用事で七天神の皆が出払っている、なおかつ下界が雨天の場合、無聊のザハク殿は天上界の最西端のある下級神の村を、招かれるわけでもなしに訪うのがきまりだった。前触れもなく卒爾として彼女が飛来することを、下級神たちは畏敬の念を込めて『入寇』と呼んだ。しかしつっけんどんに追っ払うわけにもいかぬ。相手は最上級の神だ、礼を尽くして臨まなければならぬ。
甘いポン菓子。それが献上品だった。
ザハク殿はある下級神たちと遊んだ。それらは瓜二つの容姿を持つ双子の女性の神だった。
ユリエルとルリエル。
菖蒲色の髪。
純白のサイズの合っていないダボダボのカーディガン。
サイドテールが本人側から見て右に結んであるのがユリエル、左がルリエルである。馴れ初めはザハク殿がはじめて入寇したとき、彼女たちがザハク殿を呼び捨てにしたことだった。
目をつけられたのだ。
以来、遊び相手は双子が担った——という話を、その集落の長に聞いたアマユリに聞いたのが私だ。
しかして、なぜそこにいるのだろう、と私は思った。
あるところに通常存在し得ないはずのモノがある、もしくは何者かが居るというのは、たいそう不気味に思わせるもので、とりもなおさず私が感じたのはまさしくそれであった。
私は鬼胎を抱いた。腕に沈む鬼胎は不気味の感情の亢進に附して、毛糸をたぐる行為の果てに鞠ほどの大きさと重さになるように、それはたちまちに私の腕におさまらなくなった。
途端、行かねばならぬと思った。村の現状を知るために。
......私は足のしびれを我慢しながら立つと、すり足で玄関の方へ向かった。
「おい、急にどうした」
ヴォルトラが訊く。
私は止まったが、振り返らずに答えた。
「西の下級神の村へ行って参ります」
「今から行くのか? 夜も更けたし、明日でもいいんじゃねえのか」
「いえ、どうしても気になることがあって。それを解決ないと、とても眠れそうにありませんので」
「お待ちなさい」
つとアマユリが言った。
「誰か、カラクラに着いて行っておやりなさい。夜道に一人では危険でしょう」
ややあって、ヴォルトラの大儀そうに立ち上がるけはいがあった。
私はふり向いた。
「しゃあねえなあ......」
ヴォルトラが言った。
後頭部を搔き、口の端に笑みを湛えている。
「あたしが行ってやんよ。問題ねえだろ」
私は顎をちょっと突き出してみせる。そして言った。
「いいえ、結構ですにゃ。そこでおとなしくしてろですにゃ」
私は激したヴォルトラから全力で逃げた。
$
「あれあれ?」「ザハクどん?」
双子はめいめい不思議そうな、それでいて愉悦のまじったような表情とこわねで言った。
ザハク殿は彼女たちに下敷きにされており、うつ伏せのまま両腕を押さえつけられている。脚をジタバタとさせ、「おい、降りろ! 降りんかこの......」と、首を斜め後方にかしぎ喘いでいる。
——マズイなあ。
トキは思った。これでザハク殿に元来の膂力がなきに等しいことが露呈してしまった。今や下級の神様よりも尩弱なザハク殿は、もはや子女の形をしただけの『なんちゃって神様』である。
せめてここを辞去するまでは秘し隠すつもりだったけれど、致し方ない。いっそあけすけに事情を話し、双子の協力をあおぐに専念するか。だが、最上神と下級神の間にひどい尊卑の懸隔があるとすれば、双子はどうするだろうか。やはり下克上か。そして彼女たちの言う「伴侶になれ」とはどういった意味なのか。
差し向き下唇を噛み締めて、悔し涙を目の端に溜めているザハク殿を救出せねばなるまい。
トキは半身を乗り出した。
「取り込み中ごめん。そろそろ主人から降りていただきたい」
「おお、トキ」
ザハク殿は鮮やかな花弁の開くを連想させる笑顔をみせた。
双子は口をとがらせ、いささか不満の相を示した。
「え~」「まだいいじゃない」
「いけません。ひしゃげたカエルのようでなんだか可哀想です」
「おい」
一言余計じゃ、とザハク殿が言った。
双子はクスクスと笑った。
「降りてあげてもいいけどお」「君が私たちのお願いを聞いてくれたらねえ」
「それは、先ほどの『伴侶になれ』ということでしょうか」
トキは訊ねた。
双子は二三肯首した。
「そうそう」「いいかな?」
「止せ、聴くな、トキ!」
ザハク殿が躍起になって言う。
「どうせ碌な考えではな」
双子に口をふさがれた。もがもがと曖昧な音。台詞の続きは意味をなしていなかった。
トキは深い呼吸をして、その後言った。
「伴侶とは何か、具体的に教えていただきたい」
「ああ、それはね」「ちょっと生き贄になることだよ」
絶句した。緊張が空気に薄ら氷のように張った。
瞬間的に思考が停滞し、言葉の接ぎ穂を失い額に汗をうかべるトキの視界には、「死」の一文字が禍々しくゆらゆらとおどっている。強く頭をふった。
ふと疑問が浮かんだ。「ちょっと」ってなんだ。
生贄に加減があるのか。
初耳だ。
まゆつば物だ。
そこはかとなく怖くなってきたので、矢も盾もたまらずにトキはそれを反復した。
「生贄......ですか」
「あはは、そんな青い顔しないでよ」「生贄といえども、べつに取って食うわけじゃあないのよ」
「と言いますと」
「知りたい?」「今すぐ知りたい?」
「ぜひ」
「うん、それじゃあ教えてあげるから、そこを動かないでね。——ルリエル、ザハクどんを押さえておいて」「わかったわ、ユリエル」
ユリエルはザハク殿の背中から軽快に飛びのくと、伸びのびの袖をずるずると引きずりながら、トキの膝前によった。
両手を彼の肩に乗せ、「動かないでね」と言って少女の風采らしからぬ媚態をたたえつつ、熟れた張り詰めた桜桃のような口唇を、彼のうすい細い口唇にせまった。
「あの、これは」
「動いたらダメ。私が困るじゃない」
ユリエルの指先はトキの首筋をなぞり上げ、落ちくぼんだ頬に掌をはわせた。
菖蒲色の髪の隙間に暁暗のごとく情緒的な瞳がのぞかれる。繊細微妙な青と橙のコントラストがきらびやかである。ザハク殿のあえぎが聞こえる。どことなく嘆願に類する必死さをかんじる。
はらい退けることは容易い。ただ、得も言われぬ桃色の思想がいや増す拍動の調子にともなって、なしくずしにトキの体の自由をせしめていた。
かくてトキは微動だにできない。ユリエルが何をせんとしているのかは想像にかたくないが、しかし彼女の挙動の真意が判然としないのはトキにとって恐怖でしかない。
彼女は類まれなる美女である。匂やかな息、まろやかな声音、柔肌の体温の包容——それらが彼の理性のとばりを暴きださんと目論んでいる......。
さて、そんなトキのアンビバレントな心緒など露知らずのユリエルの口唇は目前だった。
トキは腹をくくった。
目を瞑った。それが礼儀である気がしたからだ。
が、身に覚えたのは、およそ枯れ草にふれる記憶の喚起であった。
下唇に指をやると、何やら短い棒状のモノが触れた。
目を開けた。ユリエルは天井を見上げていた。「オオカミ」とつぶやいた。
トキも上を見た。すると、天井だったところが巨大な歯型にくりぬかれて、陽光を背負ういかつい獣の顔がそこにあった。黄金の毛並みの先が陸離に透けて見えた。茅がバラバラと落ちてくる。
あの大狼である。臓物を揺るがす低い唸り声。険阻にゆがんだ面差しに、剽軽は毫も見られなかった。
大狼は首をぬっと突き出すと、鼻息で双子を吹き飛ばした。タンブルウィードよろしく転げる彼女たちの行方は、稜角のない部屋の左端に終着した。
アトランティック・ジャイアント——俗にいうおばけかぼちゃ大の黒い鼻先が、トキの全身を検分するごとく丹念に嗅ぎ分けている。頭髪、顔、首筋、肩、腕、腋、胸部、腹、そびら、腰、太腿、脛、足、爪先までしっかりと......。
トキは居然としてそれを静観している。なされるがままである。おりおりに感ぜられる息吹の生温かさが、彼の肌の産毛をわななかせ、こそばゆくさせた。
「あなたも、神様ですか」
トキはおやすみを告げるような、長閑やかな口調でたずねてみた。
しかし、大狼は何も答えなかった。動きを止めて彼の瞳を凝然と見据えている。
ふっと目を細めた。彼の襟首を噛むと、ゆっくりと上へ持ち上げた。トキの体は再三天へと登る機会をえた。
「おい! どこへ連れてゆくつもりなのじゃ! 待たぬか、この犬っころ!」
ぴょこぴょこと跳ねるザハク殿が、憤然として言うのだった。
本来ならばここで空を飛ぶのだけれど、それが出来得ないゆえにザハク殿はひとえに跳ねた。
トキは大狼の背中へとほうられた。振り落とされぬよう、ひしと毛束を鷲掴んだ。青葉の香りをかすかに含んだ涼風がさらりと流れる。蹌踉として膝行する。顔を上げると、遠くまで見渡せる景色がすこぶる良好である。
大狼は軽らかに駆け出した。上下に激しく揺さぶられる。トキは大狼の頭部付近にしがみつきながら、口を開いて待ち構える黯然たる叢林地帯の入り口を西の方角に見た。
$
ザハク殿は蹶然と立ち上がった。
次いで、角っこにておびえている双子の元へ寄った。
「おい、お前たち、わしに手を貸せ」
「なに?」「どうする気なの?」
めいめい上目遣いをして訊いた。
ザハク殿は腕を組み、ふんぞり返った。
「決まっておろう、わしの眷属を取り返すのじゃ」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
へなちょこ勇者の珍道記〜異世界召喚されたけど極体魔法が使えるのに無能と誤判定で死地へ追放されたんですが!!
KeyBow
ファンタジー
突然の異世界召喚。
主人公太一は誤って無能者判定され死地へと追放され、その後知り合った2人のエルフの美少女と旅を始める。世間知らずの美少女は無防備。太一はインテリだが意気地なし。そんな3人で冒険をし、先々でトラブルが・・・
神様のたまご
高柳神羅
ファンタジー
「お願いします。この世界の運命は貴方に委ねられています」
家の近所のホームセンターで買い物をしていた有栖野(ありすの)樹良(きら)は、気が付くと異世界の神の家にいた。
彼を異世界に召喚した古き神々のラファニエルは、彼にひとつの卵を渡してこう言った。「この世界を滅びの運命から救うために、多くのエルを育てて下さい」と……
樹良に与えられたのは、エルという名の神の生き物を育てて精霊を復活させるというブリーダーとしての仕事だった。思い描いていた召喚勇者としての使命とは全然違う形の使命だったが、生き物を育てることは嫌いではないという単純な理由から樹良はラファニエルの頼みを引き受けることに。
これは、神の生き物の世話に翻弄されながら日々をまったりと過ごす一人の若者の日常の物語である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる