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第二十四幕
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遡ること三時間前。
囲炉裏を中心に、私、ジエンダ、ヴォルトラ、ラウラ、チカ、ミーネ、ザハク殿、荒木鴇が車座になって作戦会議をしている頃。そしてなかんずく、ザハク殿が聞き憶えのある科白をのたまった直後である。
ザハク殿の徒言に、荒木鴇を除いて一同はため息をついた。御多分に洩れず、私も盛大にバラの香りのするため息を吐いてやった。場はたちまち馥郁(ふくいく)たる花香に充たされた。そこら辺の邪霊ならば、即時成仏してしまうくらい清浄な空間と化した。
ジエンダとラウラの間で仁王立のザハク殿は、不思議そうに首を傾げた。
「なんじゃ、不満か。妙案だと思ったのじゃが」
「愚案です」
私が言う。
「何を今さらそんなことを」
「きっと、ザハク殿はもう眠いのね」
「まだそんな戯けたことを言ってんのか」
「チカ、私お腹空いたかも」
「う~ん。あんまり食べ過ぎると太っちゃうから、やめとこうよお」
「お布団の支度をしてきましょうか」
己がじし口々に述べる。チカとミーネの会話にいたっては、もはや本件とはまるで関係がない。ジエンダが閨房へ布団を敷きに行こうとするので、ザハク殿は慌てて彼女を引き止めた。
「いや、待て。わしの話を聞け」
「眠くないのですか?」
「ちょっと眠いけど。だけど大丈夫だから、とりあえず聞くのじゃ」
「わかりました。どうしても眠くなったら、言ってくださいね」
ジエンダは再び元の位置に腰を下ろした。
ザハク殿は咳払いをひとつする。
「まあ皆がそう言いたいのもわかる。しかし、わしの案は向後のことを視野に入れた策であることを知っていただきたい」
「しかして、それは?」
「うむ。かの忌むべき劫掠隊はあの手この手を用いて、善神の目をかい潜り、強悪非道の限りを尽くしてきた。被害者の数はその辺に石をなげれば当たるほどである。わしはいつかこの因縁に決着をつけねばならぬ、と前々から思っておったのじゃ」
「嘘くさいね」とミーネがチカに囁く。チカは彼女に諾い、「嘘だよ」と囁き返す。
私も嘘だと思う。ザハク殿は私たちの思惟なぞどこ吹く風といった体で取り合わず、
「奴らに引導を渡すチャンスは、此度の交渉の場に於いて他にない。なんとなれば、氷神のスクエアひとりが赴くとは思い難く、けだし幾許かの部下を用心に連れてくるからじゃ。ともすれば、一網打尽にできるやもしれぬ。これを逸することすなわち、善神の全面敗北を意味する。なんとしてでも成し遂げねばなるまい」
ヴォルトラが言下に訊ねた。
「相手は多勢かもしれないんだろう? 比べてこっちは、ザハク殿と荒木鴇の二人だけときた。私らがこっそりと着いて行ったとして、もしそれが事前にばれちまえば決裂は必至。あいつらの条件に従うのは不服だが、やっぱアマユリの身の安全が第一だ。そこは守ってしかるべきだろうぜ。無論、それらを踏まえての『異世界に送る』という申し入れなのだろうけれど、具体的にどうするんだ? 荒木鴇は覗き穴を作れねえし、ましてや一個の世界を創るなんて、どだい無理だろう」
「奴らの云うことを馬鹿正直に聞かんでもいい。よって、わしはカラクラを連れて行く。お前は確か、自分を透明にすることができるよな?」
私はハッとして、「ああ、なるほど」と言った。
「密かにアマユリを自由にしてあげればいいのですね」
「その場の状況にもよるがの。手首を縛るくらいの簡単な拘束なら良いのだが......なににまれ、交渉が終わるまでにアマユリの絆しを解いてくれ。おそらく、奴の目的は」
ザハク殿は、彼女の真向かいに位置する荒木鴇を指差した。
「トキ、お前じゃ」
「僕ですか」
トキは眉をひそめた。
「なぜです」
ザハク殿は理由を述べる前に、『中級神劫掠隊』について説明をした。
「......氷神のスクエアは何でも盗むことが出来るのじゃ。たとえ、それが形而上的なことでもの。つまり、お前の持っておる創神の力を盗もうという魂胆じゃろう」
「はあ」
「絶対そうじゃ。他に理由がない。七天神の誘拐という、前代未聞の凶行を犯してまで手に入れたいものなんぞ、限られておるわ。さて、奴らを異世界に送るという件だが、トキよ。お前、もうすでに覗き穴を創れるのではないか?」
荒木鴇に嘱目が集まる。彼は面映そうにはにかんだ。
「はい、おっしゃる通りです。完璧とは言えませんが、それに近いものは創れます」
驚嘆の声が上がる。私は彼に瞠目した。まさか、これほどまでに成長が早いとは。端倪すべからざる人間である。
ザハク殿はうむうむと頷き、
「善哉。やはり、わしの目に狂いはなかったようじゃ」
「ほんとかよ。ザハク殿より凄いな、あんた」
とヴォルトラ。
「あらあら。立派じゃないの」
とジエンダ。
嘖々激賛される荒木鴇は、ますます含羞の相を深めた。
「あまり褒めそやしてやるでない。気が緩んだらどうするのだ」
ザハク殿は腕を組んで、その場にどっかと座った。顔を伏せて黙る。ややあって、ぽつりと呟いた。
「失敗は、露いささかも許されぬのだからな」
誰も何も言わなかった。皆が神妙な面持ちで、炉に赤くおこった燠炭を凝視している。ときどき炭がパチパチと弾ける。火の粉が羽虫のように舞うけれど、またたく暇に消えてしまう。
ミーネは手慰めして何か言いたげに見えるが、言葉が見つからない様子だ。ラウラは襟元からタロットカードと思しき物を、出しつ仕舞いつしていた。チカは口を結んで、眉根に皺を寄せたまま黙る。ジエンダとヴォルトラは、何か思慮に耽っているみたいに真顔である。荒木鴇も同様であった。
大任を仰せつかった私はというと、緊張やプレッシャーをさして感じてはいなかった。その自信は、あの冬の夜に己を透明にしたとき、誰も私の存在を察知できなかったことに依拠する。
ミーネがチカを抱く情景が脳裡に蘇る。雪と同じ色の髪。そして、血の気の失せたチカの白い顔色。結局私が彼女たちに声をかけたのは、一度家に帰り、番傘を二本持ってきてからのことだった。
私は後悔をしていた。自身に被る危険など考えず、無理を承知で助けるべきだったのだと。私はアマユリやザハク殿みたいに、攻撃力で他を制圧するだけの能力は持ち合わせていない。ゆえに恐れた! ゆえに止まった! よろずに於いて優先すべき家族の救済をなおざりにして、あまつさえ偶然を装い、彼女たちに「探したよ。一緒に帰ろう」なんて白々しく声をかけた私は果たして善神であったか。家族であったか。
あれから五百年あまりが過ぎた。チカとミーネは何事もなかったごとく、その記憶すら忘れているかのように生活をしている。
しかし、その記憶が卒然と鎌首をもたげた。忘れてはいなかったのだ。ただ、裡の底の底に封を施し、隠していただけなのだ。今の彼女たちの様子を見ればわかる。悔しかった。怖ろしかった。無力だった。救えなかった。それらの感情が沸々と湧き上がり、しかし何もしてやれぬ自分がもどかしい。
私はミーネとチカを交互に見た。彼女たちの表情はいつの間にか等しく、悲しそうに目を潤ませていた。
「ザハク殿」
私は言った。
ザハク殿は顔を上げてこちらを見た。
「なんじゃ」
「もう、五時四十分です」
$
緩慢な時間の中で、荒木鴇は石畳の或る部分に手をかざし、覗き穴の創造に取り掛かっていた。彼の傍にザハク殿が膝をつき、熱心にその工程を見守っている。決して手出しはせず、あくまでも荒木鴇本人の力だけでやり遂げるべきだという、頑なな意志が感じられる。アマユリはザハク殿の背後に立っている。彼女はザハク殿を監視しているようだった。そして、彼らの後ろには腕をまっすぐ伸ばしてニヤけているスクエアがいる。
私は眼前に広がる奇特な光景を、賽銭箱の前に立って見ていた。私の両隣には全然動かない悪神が佇む。パッチリと開いていた目は、今やちょっとだけ瞼が降りてきている。しかし、微々たる変化である。常に観察していなければ、わかるまい。ちょっと目線を下げると、二の腕の横から豊満なおっぱいがロケットのごとく飛び出している。サテン地の黒いドレスだから、光沢を帯びていて奇にエロい。彼女たちの着ているドレスは、体のラインが明分に見て取れるので、陽の下であらためると余計にその不健全さが際立つ。無性に腹が立ってきたので、おっぱいをパンチしてやった。乳は見事私の拳の形に凹んだ。
向拝の向こうには、青空を背に大きな鳥居が見える。貫から上はいかんせん向拝に遮られて伺えない。参道の両端に悪神のおっぱいが並ぶ。絶景である。男性ならば、感慨無量の思いに欄干として涙すること請け合いである。私は胸元に手を当てた。
つと、地響きがした。よろぼうた拍子に左隣の悪神に抱きついてしまった。ちょうど鼻先が首筋あたりに触れた。この神、いい匂いがする!
しかし、その芳しい香りに自我を乱されなかった私は、荒木鴇の足元に現れつつある、青い光の渦を描く円をしかと見とめていた。身体は彼女に預けたままだった。
渦はどんどん大きくなってゆく。かと思えば、フリスビーくらいの大きさになったりする。これだけ激しく地面が揺れているのに、葉っぱは一枚も落ちてこない。アマユリは盤踞して動じない。ザハク殿は穴の動静を目で追っている。
大丈夫だろうか。
私はふと心配になった。険阻な表情の荒木鴇は必死である。よし失敗しようものなら、いったいどんなことになるのか想像がつかないけれど、およそ良からぬ事態になるに相違ない。私は彼の成功を祈った。
それが功を奏したのか、やがて覗き穴の大きさは、畳一畳分ほどに落ち着いた。地響きも止んだ。私は凭れていた悪神に礼を言うと、荒木鴇の元へ寄った。
「成功したんですね」
荒木鴇は嬉しそうな笑顔を見せた。
「はい、なんとか。あとは、ちゃんとザハク殿の世界に繋がっていれば良いのですが」
私は穴を覗いた。運転中の洗濯機の中、洗剤の泡で白く濁ったような感じだった。何も見えない。少し待つ。すると、泡と泡との間隙に澄んだ真水の透明の部分が増して、反対にきめの細やかな泡の体積は減衰した。
清冽な水の底が顕になる。激しい雨が降っている。不気味な鼠色の雲は厚く、表面を雷が這っている。荒れた丘、切立った崖がある。荒れ狂う海の中に巨大な影が蠢く。実に大きな翼を拡げ、滑空する怪鳥が水面すれすれを行く。長く鋭い嘴を一寸海面に沈めるや否や、やたら鰭の多い魚を咥えて飛び上がった。海面の或る部分が大きく膨らむ。水泡を突き破り、首長竜が飛び出した。首長竜は、古代魚のようなそれを器用に飲み込んでいる怪鳥を一口で喰らった。奇怪な声を出しながら、激しく飛沫を上げて、海の中へと帰って行った。
私たちは太古のハンティングに見入った。荒木鴇がゴクリと喉を鳴らす。
「お前、なかなかえげつないところに繋いだの」
ザハク殿は顔をしかめて言う。荒木鴇も同じ顔をした。
「ザハク殿が創ったんでしょう」
「まあの」
ザハク殿はう~んと唸る。
「しかし、ここはちと厳しいところだな。地獄よりひどいかもしれん」
アマユリがザハク殿に耳打ちをする。
「ザハク殿、そろそろ私の力は限界です。ご決断を」
「う、うむ。そうじゃな......繋がったものは仕方がない、これも運命じゃ。おい、お前たち。連中を余すことなく穴に落とせ」
ザハク殿の捨て鉢気味の命令が下った。有り体に言って、鬼畜である。
私が呼び出した骸骨たちが、バケツリレーのごとく悪神を運んでは穴に放る。百二十の黒いドレスは、荒れた丘の上に折り重なった。残るは氷神のスクエアのみだ。
やがて骸骨たちに担ぎ上げられ、天に向けてデコピンをせんとするスクエアが穴の前にやってきた。
「お別れじゃな」
ザハク殿は言った。
ふと、雨が降った。不自然な雨だったので、それがチカであるとすぐに理解した。
水滴が集まり、人形を成す。せかせかとやって来たチカは、スクエアの額に掌を乗せた。
「返してもらうねえ」
チカの手が淡く光った。一歩退く。
「もういよお。私、帰るね」
そう言うと、チカは雨滴に変身し、早戻しの映像のごとく天に登った。あっという間だった。
「あっさりじゃの」
「チカらしくていいじゃありませんか。それより、あと一分で時間の停滞が解除されますよ」
「では......」
骸骨たちの手が離れる。スクエアは穴に吸い込まれた。
仰向けのまま、不敵な笑みのまま、右手を伸ばしたまま——緩やかに回転しつつ降下してゆく。私たちは彼女が堆く積もる悪神の山の頂きに帰着するまでを、しかと見届けた。
渦の縁があららかに波立つ。急速に縮小する覗き穴。完全に消える刹那、スクエアの高笑いが聞こえたような気がした。
「さようなら、お元気で」
私は内裡にそう言った。
$
澆季の世に跋扈するは、有象無象の怠惰で退屈を持て余した人類であった。
彼らは皆、愚人だった。口を開けばやれ「飽きた」だの、やれ「つまらない」だの、やれ「おっぱい」だのうるさかった。
仕事はしない。娯楽は貪り尽くしてやることがない。隣人がどうなろうと知ったことではない。
漫然と生きて死ぬのだ。
上界から見下ろす我々神々は、かくのごとき惨憺たる下界の有様を嘆き、悲しみ、激怒した。
しかし人間の信仰なくして存在する能わずの神であるため、不承不承、食べ物や生活必需品、なにがしかの金銭などを月に一度地上の人々に分け与えた。
すると、ますます堕落した。
朝な夕なに酒盛りお祭りどんちゃん騒ぎ。眠らぬ街は燦然と輝くぼんぼりの光に満たされた。
——彼らは言った。私たちは、神のヒモであると。
......私は縁側に腰掛け、長閑な陽射しに蝶が遊ぶ、枯山水の庭園を眺めていた。鹿おどしの間歇的に竹が石を打つ音を鳴らす度に、番の蝶の飛行は乱れた。くっついたり、離れたりを繰り返して、やがて番は木の間に紛れて姿を見せなかった。
右手を見ると、ヴォルトラが私の隣に座っていた。三色団子を美味そうに食べている。
「今日はもういいの?」
私は尋ねた。
「ん。いいんだ、最近はやることがなくて暇でな。いつまでも下界に居てもしようがないのさ」
ヴォルトラは煎茶をぐいと飲んだ。とっても熱いのに、よくもまあ。
「いいじゃない。神様の仕事が減るのはいいことよ」
「百年前と比べれば、だいぶマシになったな。あれほどひどい時代はない」
私は思わず笑う。
「そうね、たしかに。みんな遊んでばかりで、何もしなかったものね。真面目な人なんて、ほとんどいなかったわ」
「ああ。でも、今はいささか真面目すぎる傾きがある。もうちょい砕けた方がいいぞ」
ヴォルトラの言い草に、私はまた吹き出した。
「それ、どこかで聞いたわよ」
「誰が言ったんだ?」
「ヴォルトラ」
「ああ、そうかい。忘れちまったよ」
ヴォルトラは仰向けに寝転んだ。
「あら、日向ぼっこ?」
振り向くと、ラウラがにこやかな顔で立っていた。小さなポーチを手に持っている。買い物にでも行くのだろう。
「いいわね。私はこれから買い出しに行くのだけれど、何か必要な物とかある? ついでに買ってくるよ」
「秋刀魚がいい」
ヴォルトラは寝転んだまま言った。そしてニッと笑って、
「七輪で焼いてくれ」
「昨日食べたでしょう。ダメよ。今夜は天ぷらにするから」
「へえ。まあいいや。行ってらっしゃい」
「もう。あ、カラクラは何か要る?」
私はちょっと考えて、「ないわ」と答えた。
「そっか。じゃあ、行ってくるわね」
ラウラは去った。玄関の鍵が閉まる音が遠くに聞こえた。
太陽は中天を過ぎて、やや西寄りであった。私はゆっくりと立ち上がり、頭の後ろに組んだ手を枕にしているヴォルトラを見た。
「ちょっと散歩しない?」
$
荒木鴇は運送業社『桃太郎』の社員である。彼の精励恪勤ぶりは目を見張るものがあり、年内のほとんどを大型トラックの中で過ごすという、過当なスケジュールを黙々とこなしていた。
しかし、人手不足が理由ではない。トキの裡に宿る天地万有の膂力が彼をして、猛烈に働かしむるのであった。
渾々と溢れるエネルギーを持て余す彼は、休日になると天上界へ遊びに行くなり、会社の人を誘って旅行に出かけるなり、旅行先で運命的出会いをした彼女とイチャコラするなどして過ごした。
やがてトキは結婚をした。三十五歳だった。
披露宴はたくさんの人や神様でごった返しであった。ザハク殿のせいである。ある日、荒木鴇はザハク殿に結婚をする旨を伝えた。するとザハク殿はあまりの嬉しさに千里を休み休み駆け回り、自作のビラを天上界にばら撒いたのだ。するとザハク殿の居宅に、「ぜひとも披露宴に出席をしたい。どうにかしてくれ」といった内容の手紙が山ほど届いた。気軽に承ったザハク殿はすべてをトキに送りつけて、こう言った。
「なんとかしてくれ」
もちろん、怱卒に如上のごとくを言われて、さすがに困惑したのであるが、トキはさほど悩むでもなしに、「全員呼びましょう」と請け負った。
かくして披露宴は、ホテルを丸ごと貸し切って行われた。ひねもす酒盛りどんちゃん騒ぎ。和装洋装入り乱れる混沌とした盛況は、惜しまれつつも当日の深夜に幕を下ろした。しかし、すっかり仲良くなった人間と神様の興奮はなかなか冷めず、酔いに任せて各々が淫猥に耽るというとんでもない有様であった。
これによりて、神と人の混血児が続々と産声をあげたのである。おしなべて赤子の成長の早さは著しく、五歳の頃には身長がすでに四寸を越えていた。しかのみならず、彼らは己がじし特異な能力を有していた。ちょっと宙に浮かべる。熱湯を人肌の温度にする。クッキーをチョコクッキーに変える。無限百円ライターを作れる。自分の背丈を自在に調整できる。腕がゴムのように伸びる。机に突き刺したフォークがケーキになる、などなど。
どれもが大した能力ではないため、特に危惧される問題はなかった。なかんずく知性が高いのも手伝って、徒に能力をひけらかす者がいなかったのが幸いした。そして皆、人望がすこぶる厚かった。
ちなみに、七天神はこれを閑却した。
曰く、そろそろ神の世界も、時代の流れに迎合せねばならない。神が下界の民を睥睨する時代は終わりを迎える。これからは人と神同士が手を取り合い、互いが渾然一体となる世界がやってくる——と謂う。
ザハク殿はこれを街頭演説でやった。毎日やるものだから、彼女を興がる者は日ごとに増していった。いつとなく湧いたファンや信者は足繁く通った。そして、ついにメディアから声がかかった。
ザハク殿はテレビ番組に出演した。その倨傲と阿呆っぷりをお茶の間に届けて大反響、一躍有名人の仲間入りを果たした。アイドル、レポーター、歌手、モデル、俳優、声優、レースクイーンなど様々な仕事をこなした。いや増すギャラは使い道がないため、全額を適当に寄付した。またそれが反響を呼び、いつしか「本物の神」と称えられるようになった。
しかし、ある日突然ザハク殿は「飽きたのじゃ」と言うのを最後に、芸能界から姿を消したのである。その知らせを耳にしたとき、五十八歳のトキは思った。
「ああ、やはりこうなったか」
七年が経った頃、トキは天上界を訪った。彼は覗き穴を自宅の書斎に創り、そこから彼のひとり娘とともに参じた。娘の名前は真希。二十八歳になんなんとする既婚者で、三人の子供を育てている。今回は元気の良い孫たちはお留守番である。
玄関扉を二三ノックし、名を名乗るとすぐにアマユリが二人を出迎えた。茶室に通される。囲炉裏の前でザハク殿がマシュマロを焼いていた。
「こんにちは、ザハク殿」
トキは一揖した。ザハク殿は莞爾と笑って、「よう来た、よう来た。ほれ、そこに座るのじゃ」と慌てて座布団を用意した。その間にマシュマロが炭化したので、ちょっとだけザハク殿は気落ちした。トキと真希は笑って、真っ黒なマシュマロを口に放り込み、「苦い! 苦い!」と年甲斐もなくはしゃいだ。
アマユリが煎茶を盆に載せて持ってくる。それを飲みながら、互いに近況を報告し合った。笑ったり、怒ったり、不満や喜びを共有しあったり、新作の美味しいお菓子を教えたり、教えなかったりした。教えるふりをして教えないと、ザハク殿が目に見えて不機嫌になるので、トキは「冗談ですよ、冗談」と言ってとりなした。お約束だった。
やがて一段落をして、トキが声の調子を穏やかにして言う。
「ザハク殿。実は今日、僕はお願いがあって来たのです」
「な、なんじゃ、急に。改まりおって」
ザハク殿はいつもとは違う、トキの様子に戸惑うた。
「お前がわしに願うなんて、珍しい。どうしたのじゃ」
「ええ。——僕、ザハク殿に力をいただいているでしょう。そのおかげで毎日が健康で、元気で、楽しいのです。体は全く衰えた気がしませんし、近所の奥様方からはよく「若いですね」と言っていただけて......本当、ザハク殿には感謝しております」
トキは深々と低頭する。ザハク殿がそれを制す。
「やめろ、止せ」
トキは鷹揚に姿勢を正し、ザハク殿の目を見据える。
「神様って、すごいのですね。その気になれば、なんだってできる。人間のちっぽけな願いなんて、簡単に叶えてしまう。道を歩いている人がどんな人か、良い人か、あるいは悪い人か、じっと目を凝らして見るだけでわかります」
「やめろ、止せ」
ザハク殿は言う。トキは続ける。
「そして、見えるんですよ、寿命も。その人がいつ産まれて、いつ死ぬのかが克明に。御多分に洩れず、私を鏡で見てみると、それがわかってしまうんですよねえ」
トキは苦笑いをして頭を掻く。そして、真剣な表情でまたザハク殿を見た。
「でも、これはよくありません。僕だけが借り物の力で長生きをして、いつまでも生き続けるというのは可笑しいでしょう? それは道理に悖る行為だ。恥じてしかるべきです。かつてザハク殿の膂力を奪わんとした、あの神様と僕は何も変わらない」
ザハク殿は唇をぎゅっと結んで、やおら頭を振った。
トキは蹶然と立ち上がり、後ずさるザハク殿の元へ寄った。片膝をつき、右手を差し出す。
「創神の力、今ここに返上いたします」
<了>
囲炉裏を中心に、私、ジエンダ、ヴォルトラ、ラウラ、チカ、ミーネ、ザハク殿、荒木鴇が車座になって作戦会議をしている頃。そしてなかんずく、ザハク殿が聞き憶えのある科白をのたまった直後である。
ザハク殿の徒言に、荒木鴇を除いて一同はため息をついた。御多分に洩れず、私も盛大にバラの香りのするため息を吐いてやった。場はたちまち馥郁(ふくいく)たる花香に充たされた。そこら辺の邪霊ならば、即時成仏してしまうくらい清浄な空間と化した。
ジエンダとラウラの間で仁王立のザハク殿は、不思議そうに首を傾げた。
「なんじゃ、不満か。妙案だと思ったのじゃが」
「愚案です」
私が言う。
「何を今さらそんなことを」
「きっと、ザハク殿はもう眠いのね」
「まだそんな戯けたことを言ってんのか」
「チカ、私お腹空いたかも」
「う~ん。あんまり食べ過ぎると太っちゃうから、やめとこうよお」
「お布団の支度をしてきましょうか」
己がじし口々に述べる。チカとミーネの会話にいたっては、もはや本件とはまるで関係がない。ジエンダが閨房へ布団を敷きに行こうとするので、ザハク殿は慌てて彼女を引き止めた。
「いや、待て。わしの話を聞け」
「眠くないのですか?」
「ちょっと眠いけど。だけど大丈夫だから、とりあえず聞くのじゃ」
「わかりました。どうしても眠くなったら、言ってくださいね」
ジエンダは再び元の位置に腰を下ろした。
ザハク殿は咳払いをひとつする。
「まあ皆がそう言いたいのもわかる。しかし、わしの案は向後のことを視野に入れた策であることを知っていただきたい」
「しかして、それは?」
「うむ。かの忌むべき劫掠隊はあの手この手を用いて、善神の目をかい潜り、強悪非道の限りを尽くしてきた。被害者の数はその辺に石をなげれば当たるほどである。わしはいつかこの因縁に決着をつけねばならぬ、と前々から思っておったのじゃ」
「嘘くさいね」とミーネがチカに囁く。チカは彼女に諾い、「嘘だよ」と囁き返す。
私も嘘だと思う。ザハク殿は私たちの思惟なぞどこ吹く風といった体で取り合わず、
「奴らに引導を渡すチャンスは、此度の交渉の場に於いて他にない。なんとなれば、氷神のスクエアひとりが赴くとは思い難く、けだし幾許かの部下を用心に連れてくるからじゃ。ともすれば、一網打尽にできるやもしれぬ。これを逸することすなわち、善神の全面敗北を意味する。なんとしてでも成し遂げねばなるまい」
ヴォルトラが言下に訊ねた。
「相手は多勢かもしれないんだろう? 比べてこっちは、ザハク殿と荒木鴇の二人だけときた。私らがこっそりと着いて行ったとして、もしそれが事前にばれちまえば決裂は必至。あいつらの条件に従うのは不服だが、やっぱアマユリの身の安全が第一だ。そこは守ってしかるべきだろうぜ。無論、それらを踏まえての『異世界に送る』という申し入れなのだろうけれど、具体的にどうするんだ? 荒木鴇は覗き穴を作れねえし、ましてや一個の世界を創るなんて、どだい無理だろう」
「奴らの云うことを馬鹿正直に聞かんでもいい。よって、わしはカラクラを連れて行く。お前は確か、自分を透明にすることができるよな?」
私はハッとして、「ああ、なるほど」と言った。
「密かにアマユリを自由にしてあげればいいのですね」
「その場の状況にもよるがの。手首を縛るくらいの簡単な拘束なら良いのだが......なににまれ、交渉が終わるまでにアマユリの絆しを解いてくれ。おそらく、奴の目的は」
ザハク殿は、彼女の真向かいに位置する荒木鴇を指差した。
「トキ、お前じゃ」
「僕ですか」
トキは眉をひそめた。
「なぜです」
ザハク殿は理由を述べる前に、『中級神劫掠隊』について説明をした。
「......氷神のスクエアは何でも盗むことが出来るのじゃ。たとえ、それが形而上的なことでもの。つまり、お前の持っておる創神の力を盗もうという魂胆じゃろう」
「はあ」
「絶対そうじゃ。他に理由がない。七天神の誘拐という、前代未聞の凶行を犯してまで手に入れたいものなんぞ、限られておるわ。さて、奴らを異世界に送るという件だが、トキよ。お前、もうすでに覗き穴を創れるのではないか?」
荒木鴇に嘱目が集まる。彼は面映そうにはにかんだ。
「はい、おっしゃる通りです。完璧とは言えませんが、それに近いものは創れます」
驚嘆の声が上がる。私は彼に瞠目した。まさか、これほどまでに成長が早いとは。端倪すべからざる人間である。
ザハク殿はうむうむと頷き、
「善哉。やはり、わしの目に狂いはなかったようじゃ」
「ほんとかよ。ザハク殿より凄いな、あんた」
とヴォルトラ。
「あらあら。立派じゃないの」
とジエンダ。
嘖々激賛される荒木鴇は、ますます含羞の相を深めた。
「あまり褒めそやしてやるでない。気が緩んだらどうするのだ」
ザハク殿は腕を組んで、その場にどっかと座った。顔を伏せて黙る。ややあって、ぽつりと呟いた。
「失敗は、露いささかも許されぬのだからな」
誰も何も言わなかった。皆が神妙な面持ちで、炉に赤くおこった燠炭を凝視している。ときどき炭がパチパチと弾ける。火の粉が羽虫のように舞うけれど、またたく暇に消えてしまう。
ミーネは手慰めして何か言いたげに見えるが、言葉が見つからない様子だ。ラウラは襟元からタロットカードと思しき物を、出しつ仕舞いつしていた。チカは口を結んで、眉根に皺を寄せたまま黙る。ジエンダとヴォルトラは、何か思慮に耽っているみたいに真顔である。荒木鴇も同様であった。
大任を仰せつかった私はというと、緊張やプレッシャーをさして感じてはいなかった。その自信は、あの冬の夜に己を透明にしたとき、誰も私の存在を察知できなかったことに依拠する。
ミーネがチカを抱く情景が脳裡に蘇る。雪と同じ色の髪。そして、血の気の失せたチカの白い顔色。結局私が彼女たちに声をかけたのは、一度家に帰り、番傘を二本持ってきてからのことだった。
私は後悔をしていた。自身に被る危険など考えず、無理を承知で助けるべきだったのだと。私はアマユリやザハク殿みたいに、攻撃力で他を制圧するだけの能力は持ち合わせていない。ゆえに恐れた! ゆえに止まった! よろずに於いて優先すべき家族の救済をなおざりにして、あまつさえ偶然を装い、彼女たちに「探したよ。一緒に帰ろう」なんて白々しく声をかけた私は果たして善神であったか。家族であったか。
あれから五百年あまりが過ぎた。チカとミーネは何事もなかったごとく、その記憶すら忘れているかのように生活をしている。
しかし、その記憶が卒然と鎌首をもたげた。忘れてはいなかったのだ。ただ、裡の底の底に封を施し、隠していただけなのだ。今の彼女たちの様子を見ればわかる。悔しかった。怖ろしかった。無力だった。救えなかった。それらの感情が沸々と湧き上がり、しかし何もしてやれぬ自分がもどかしい。
私はミーネとチカを交互に見た。彼女たちの表情はいつの間にか等しく、悲しそうに目を潤ませていた。
「ザハク殿」
私は言った。
ザハク殿は顔を上げてこちらを見た。
「なんじゃ」
「もう、五時四十分です」
$
緩慢な時間の中で、荒木鴇は石畳の或る部分に手をかざし、覗き穴の創造に取り掛かっていた。彼の傍にザハク殿が膝をつき、熱心にその工程を見守っている。決して手出しはせず、あくまでも荒木鴇本人の力だけでやり遂げるべきだという、頑なな意志が感じられる。アマユリはザハク殿の背後に立っている。彼女はザハク殿を監視しているようだった。そして、彼らの後ろには腕をまっすぐ伸ばしてニヤけているスクエアがいる。
私は眼前に広がる奇特な光景を、賽銭箱の前に立って見ていた。私の両隣には全然動かない悪神が佇む。パッチリと開いていた目は、今やちょっとだけ瞼が降りてきている。しかし、微々たる変化である。常に観察していなければ、わかるまい。ちょっと目線を下げると、二の腕の横から豊満なおっぱいがロケットのごとく飛び出している。サテン地の黒いドレスだから、光沢を帯びていて奇にエロい。彼女たちの着ているドレスは、体のラインが明分に見て取れるので、陽の下であらためると余計にその不健全さが際立つ。無性に腹が立ってきたので、おっぱいをパンチしてやった。乳は見事私の拳の形に凹んだ。
向拝の向こうには、青空を背に大きな鳥居が見える。貫から上はいかんせん向拝に遮られて伺えない。参道の両端に悪神のおっぱいが並ぶ。絶景である。男性ならば、感慨無量の思いに欄干として涙すること請け合いである。私は胸元に手を当てた。
つと、地響きがした。よろぼうた拍子に左隣の悪神に抱きついてしまった。ちょうど鼻先が首筋あたりに触れた。この神、いい匂いがする!
しかし、その芳しい香りに自我を乱されなかった私は、荒木鴇の足元に現れつつある、青い光の渦を描く円をしかと見とめていた。身体は彼女に預けたままだった。
渦はどんどん大きくなってゆく。かと思えば、フリスビーくらいの大きさになったりする。これだけ激しく地面が揺れているのに、葉っぱは一枚も落ちてこない。アマユリは盤踞して動じない。ザハク殿は穴の動静を目で追っている。
大丈夫だろうか。
私はふと心配になった。険阻な表情の荒木鴇は必死である。よし失敗しようものなら、いったいどんなことになるのか想像がつかないけれど、およそ良からぬ事態になるに相違ない。私は彼の成功を祈った。
それが功を奏したのか、やがて覗き穴の大きさは、畳一畳分ほどに落ち着いた。地響きも止んだ。私は凭れていた悪神に礼を言うと、荒木鴇の元へ寄った。
「成功したんですね」
荒木鴇は嬉しそうな笑顔を見せた。
「はい、なんとか。あとは、ちゃんとザハク殿の世界に繋がっていれば良いのですが」
私は穴を覗いた。運転中の洗濯機の中、洗剤の泡で白く濁ったような感じだった。何も見えない。少し待つ。すると、泡と泡との間隙に澄んだ真水の透明の部分が増して、反対にきめの細やかな泡の体積は減衰した。
清冽な水の底が顕になる。激しい雨が降っている。不気味な鼠色の雲は厚く、表面を雷が這っている。荒れた丘、切立った崖がある。荒れ狂う海の中に巨大な影が蠢く。実に大きな翼を拡げ、滑空する怪鳥が水面すれすれを行く。長く鋭い嘴を一寸海面に沈めるや否や、やたら鰭の多い魚を咥えて飛び上がった。海面の或る部分が大きく膨らむ。水泡を突き破り、首長竜が飛び出した。首長竜は、古代魚のようなそれを器用に飲み込んでいる怪鳥を一口で喰らった。奇怪な声を出しながら、激しく飛沫を上げて、海の中へと帰って行った。
私たちは太古のハンティングに見入った。荒木鴇がゴクリと喉を鳴らす。
「お前、なかなかえげつないところに繋いだの」
ザハク殿は顔をしかめて言う。荒木鴇も同じ顔をした。
「ザハク殿が創ったんでしょう」
「まあの」
ザハク殿はう~んと唸る。
「しかし、ここはちと厳しいところだな。地獄よりひどいかもしれん」
アマユリがザハク殿に耳打ちをする。
「ザハク殿、そろそろ私の力は限界です。ご決断を」
「う、うむ。そうじゃな......繋がったものは仕方がない、これも運命じゃ。おい、お前たち。連中を余すことなく穴に落とせ」
ザハク殿の捨て鉢気味の命令が下った。有り体に言って、鬼畜である。
私が呼び出した骸骨たちが、バケツリレーのごとく悪神を運んでは穴に放る。百二十の黒いドレスは、荒れた丘の上に折り重なった。残るは氷神のスクエアのみだ。
やがて骸骨たちに担ぎ上げられ、天に向けてデコピンをせんとするスクエアが穴の前にやってきた。
「お別れじゃな」
ザハク殿は言った。
ふと、雨が降った。不自然な雨だったので、それがチカであるとすぐに理解した。
水滴が集まり、人形を成す。せかせかとやって来たチカは、スクエアの額に掌を乗せた。
「返してもらうねえ」
チカの手が淡く光った。一歩退く。
「もういよお。私、帰るね」
そう言うと、チカは雨滴に変身し、早戻しの映像のごとく天に登った。あっという間だった。
「あっさりじゃの」
「チカらしくていいじゃありませんか。それより、あと一分で時間の停滞が解除されますよ」
「では......」
骸骨たちの手が離れる。スクエアは穴に吸い込まれた。
仰向けのまま、不敵な笑みのまま、右手を伸ばしたまま——緩やかに回転しつつ降下してゆく。私たちは彼女が堆く積もる悪神の山の頂きに帰着するまでを、しかと見届けた。
渦の縁があららかに波立つ。急速に縮小する覗き穴。完全に消える刹那、スクエアの高笑いが聞こえたような気がした。
「さようなら、お元気で」
私は内裡にそう言った。
$
澆季の世に跋扈するは、有象無象の怠惰で退屈を持て余した人類であった。
彼らは皆、愚人だった。口を開けばやれ「飽きた」だの、やれ「つまらない」だの、やれ「おっぱい」だのうるさかった。
仕事はしない。娯楽は貪り尽くしてやることがない。隣人がどうなろうと知ったことではない。
漫然と生きて死ぬのだ。
上界から見下ろす我々神々は、かくのごとき惨憺たる下界の有様を嘆き、悲しみ、激怒した。
しかし人間の信仰なくして存在する能わずの神であるため、不承不承、食べ物や生活必需品、なにがしかの金銭などを月に一度地上の人々に分け与えた。
すると、ますます堕落した。
朝な夕なに酒盛りお祭りどんちゃん騒ぎ。眠らぬ街は燦然と輝くぼんぼりの光に満たされた。
——彼らは言った。私たちは、神のヒモであると。
......私は縁側に腰掛け、長閑な陽射しに蝶が遊ぶ、枯山水の庭園を眺めていた。鹿おどしの間歇的に竹が石を打つ音を鳴らす度に、番の蝶の飛行は乱れた。くっついたり、離れたりを繰り返して、やがて番は木の間に紛れて姿を見せなかった。
右手を見ると、ヴォルトラが私の隣に座っていた。三色団子を美味そうに食べている。
「今日はもういいの?」
私は尋ねた。
「ん。いいんだ、最近はやることがなくて暇でな。いつまでも下界に居てもしようがないのさ」
ヴォルトラは煎茶をぐいと飲んだ。とっても熱いのに、よくもまあ。
「いいじゃない。神様の仕事が減るのはいいことよ」
「百年前と比べれば、だいぶマシになったな。あれほどひどい時代はない」
私は思わず笑う。
「そうね、たしかに。みんな遊んでばかりで、何もしなかったものね。真面目な人なんて、ほとんどいなかったわ」
「ああ。でも、今はいささか真面目すぎる傾きがある。もうちょい砕けた方がいいぞ」
ヴォルトラの言い草に、私はまた吹き出した。
「それ、どこかで聞いたわよ」
「誰が言ったんだ?」
「ヴォルトラ」
「ああ、そうかい。忘れちまったよ」
ヴォルトラは仰向けに寝転んだ。
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振り向くと、ラウラがにこやかな顔で立っていた。小さなポーチを手に持っている。買い物にでも行くのだろう。
「いいわね。私はこれから買い出しに行くのだけれど、何か必要な物とかある? ついでに買ってくるよ」
「秋刀魚がいい」
ヴォルトラは寝転んだまま言った。そしてニッと笑って、
「七輪で焼いてくれ」
「昨日食べたでしょう。ダメよ。今夜は天ぷらにするから」
「へえ。まあいいや。行ってらっしゃい」
「もう。あ、カラクラは何か要る?」
私はちょっと考えて、「ないわ」と答えた。
「そっか。じゃあ、行ってくるわね」
ラウラは去った。玄関の鍵が閉まる音が遠くに聞こえた。
太陽は中天を過ぎて、やや西寄りであった。私はゆっくりと立ち上がり、頭の後ろに組んだ手を枕にしているヴォルトラを見た。
「ちょっと散歩しない?」
$
荒木鴇は運送業社『桃太郎』の社員である。彼の精励恪勤ぶりは目を見張るものがあり、年内のほとんどを大型トラックの中で過ごすという、過当なスケジュールを黙々とこなしていた。
しかし、人手不足が理由ではない。トキの裡に宿る天地万有の膂力が彼をして、猛烈に働かしむるのであった。
渾々と溢れるエネルギーを持て余す彼は、休日になると天上界へ遊びに行くなり、会社の人を誘って旅行に出かけるなり、旅行先で運命的出会いをした彼女とイチャコラするなどして過ごした。
やがてトキは結婚をした。三十五歳だった。
披露宴はたくさんの人や神様でごった返しであった。ザハク殿のせいである。ある日、荒木鴇はザハク殿に結婚をする旨を伝えた。するとザハク殿はあまりの嬉しさに千里を休み休み駆け回り、自作のビラを天上界にばら撒いたのだ。するとザハク殿の居宅に、「ぜひとも披露宴に出席をしたい。どうにかしてくれ」といった内容の手紙が山ほど届いた。気軽に承ったザハク殿はすべてをトキに送りつけて、こう言った。
「なんとかしてくれ」
もちろん、怱卒に如上のごとくを言われて、さすがに困惑したのであるが、トキはさほど悩むでもなしに、「全員呼びましょう」と請け負った。
かくして披露宴は、ホテルを丸ごと貸し切って行われた。ひねもす酒盛りどんちゃん騒ぎ。和装洋装入り乱れる混沌とした盛況は、惜しまれつつも当日の深夜に幕を下ろした。しかし、すっかり仲良くなった人間と神様の興奮はなかなか冷めず、酔いに任せて各々が淫猥に耽るというとんでもない有様であった。
これによりて、神と人の混血児が続々と産声をあげたのである。おしなべて赤子の成長の早さは著しく、五歳の頃には身長がすでに四寸を越えていた。しかのみならず、彼らは己がじし特異な能力を有していた。ちょっと宙に浮かべる。熱湯を人肌の温度にする。クッキーをチョコクッキーに変える。無限百円ライターを作れる。自分の背丈を自在に調整できる。腕がゴムのように伸びる。机に突き刺したフォークがケーキになる、などなど。
どれもが大した能力ではないため、特に危惧される問題はなかった。なかんずく知性が高いのも手伝って、徒に能力をひけらかす者がいなかったのが幸いした。そして皆、人望がすこぶる厚かった。
ちなみに、七天神はこれを閑却した。
曰く、そろそろ神の世界も、時代の流れに迎合せねばならない。神が下界の民を睥睨する時代は終わりを迎える。これからは人と神同士が手を取り合い、互いが渾然一体となる世界がやってくる——と謂う。
ザハク殿はこれを街頭演説でやった。毎日やるものだから、彼女を興がる者は日ごとに増していった。いつとなく湧いたファンや信者は足繁く通った。そして、ついにメディアから声がかかった。
ザハク殿はテレビ番組に出演した。その倨傲と阿呆っぷりをお茶の間に届けて大反響、一躍有名人の仲間入りを果たした。アイドル、レポーター、歌手、モデル、俳優、声優、レースクイーンなど様々な仕事をこなした。いや増すギャラは使い道がないため、全額を適当に寄付した。またそれが反響を呼び、いつしか「本物の神」と称えられるようになった。
しかし、ある日突然ザハク殿は「飽きたのじゃ」と言うのを最後に、芸能界から姿を消したのである。その知らせを耳にしたとき、五十八歳のトキは思った。
「ああ、やはりこうなったか」
七年が経った頃、トキは天上界を訪った。彼は覗き穴を自宅の書斎に創り、そこから彼のひとり娘とともに参じた。娘の名前は真希。二十八歳になんなんとする既婚者で、三人の子供を育てている。今回は元気の良い孫たちはお留守番である。
玄関扉を二三ノックし、名を名乗るとすぐにアマユリが二人を出迎えた。茶室に通される。囲炉裏の前でザハク殿がマシュマロを焼いていた。
「こんにちは、ザハク殿」
トキは一揖した。ザハク殿は莞爾と笑って、「よう来た、よう来た。ほれ、そこに座るのじゃ」と慌てて座布団を用意した。その間にマシュマロが炭化したので、ちょっとだけザハク殿は気落ちした。トキと真希は笑って、真っ黒なマシュマロを口に放り込み、「苦い! 苦い!」と年甲斐もなくはしゃいだ。
アマユリが煎茶を盆に載せて持ってくる。それを飲みながら、互いに近況を報告し合った。笑ったり、怒ったり、不満や喜びを共有しあったり、新作の美味しいお菓子を教えたり、教えなかったりした。教えるふりをして教えないと、ザハク殿が目に見えて不機嫌になるので、トキは「冗談ですよ、冗談」と言ってとりなした。お約束だった。
やがて一段落をして、トキが声の調子を穏やかにして言う。
「ザハク殿。実は今日、僕はお願いがあって来たのです」
「な、なんじゃ、急に。改まりおって」
ザハク殿はいつもとは違う、トキの様子に戸惑うた。
「お前がわしに願うなんて、珍しい。どうしたのじゃ」
「ええ。——僕、ザハク殿に力をいただいているでしょう。そのおかげで毎日が健康で、元気で、楽しいのです。体は全く衰えた気がしませんし、近所の奥様方からはよく「若いですね」と言っていただけて......本当、ザハク殿には感謝しております」
トキは深々と低頭する。ザハク殿がそれを制す。
「やめろ、止せ」
トキは鷹揚に姿勢を正し、ザハク殿の目を見据える。
「神様って、すごいのですね。その気になれば、なんだってできる。人間のちっぽけな願いなんて、簡単に叶えてしまう。道を歩いている人がどんな人か、良い人か、あるいは悪い人か、じっと目を凝らして見るだけでわかります」
「やめろ、止せ」
ザハク殿は言う。トキは続ける。
「そして、見えるんですよ、寿命も。その人がいつ産まれて、いつ死ぬのかが克明に。御多分に洩れず、私を鏡で見てみると、それがわかってしまうんですよねえ」
トキは苦笑いをして頭を掻く。そして、真剣な表情でまたザハク殿を見た。
「でも、これはよくありません。僕だけが借り物の力で長生きをして、いつまでも生き続けるというのは可笑しいでしょう? それは道理に悖る行為だ。恥じてしかるべきです。かつてザハク殿の膂力を奪わんとした、あの神様と僕は何も変わらない」
ザハク殿は唇をぎゅっと結んで、やおら頭を振った。
トキは蹶然と立ち上がり、後ずさるザハク殿の元へ寄った。片膝をつき、右手を差し出す。
「創神の力、今ここに返上いたします」
<了>
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