無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第21話:匂いのテロ事件

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天ぷらの衝撃は、レオンの食生活における価値観を根底から覆した。彼はあの日以来、執務の合間にぼんやりと遠い目をしては、「揚げる、とは…」と呟き、側近たちを困惑させるのが常となっていた。

もちろん、彼の足は変わらず毎朝、私の厨房へと向かう。その期待に満ちた瞳に応えるため、私も日々新しい料理の考案に頭を悩ませていた。

「『揚げる』料理は、天ぷらだけではないのよね…」

ある日の午後、私は一人厨房で思案に暮れていた。鶏肉が手に入ったのだ。これもマルタがどこからか調達してきてくれた、弾力のある新鮮なものだった。

前世の記憶をたどれば、鶏肉を使った揚げ物料理の王者が、燦然と輝いている。

外はカリッと香ばしく、中はジューシー。一口噛めば、肉汁と旨味の洪水が口の中を襲う。そして何より、その調理過程で放たれる香りは、人の理性を麻痺させ、抗いがたい欲求を掻き立てる、悪魔的なまでの魅力を持つ。

――唐揚げ。

「……作りましょう」

私は決意を固めた。レオン様を、そしてこの離宮を、新たな美味の衝撃で包み込むのだ。

私はまず、鶏肉を一口大より少し大きめに切り分けた。そして、この料理の魂となる、特製の漬けダレの準備に取り掛かる。

ボウルに、我が厨房の至宝である醤油もどきを注ぐ。そこに、すりおろした生姜もどきをたっぷりと。さらに、果実の蜜をほんの少しだけ加えて、味に深みを出す。

そして、今回の切り札。

それは、庭師の老人が「臭いが強すぎて、薬草にしか使えない」と持ってきてくれた、小さな球根のような香味野菜だった。皮をむいてすりおろすと、ツンと鼻を突く、強烈で、それでいてどうしようもなく食欲をそそる香りが立ち上る。前世の『ニンニク』にそっくりな、魅惑の食材だ。

私はそのニンニクもどきを、たっぷりとタレの中に加えた。醤油、生姜、ニンニク。勝利が約束された、黄金の組み合わせだ。

切り分けた鶏肉を、その特製ダレの中に投入し、手で優しく、しかし味が染み込むようにしっかりと揉み込んでいく。厨房には、まだ火を入れていないというのに、すでに危険な香りの片鱗が漂い始めていた。

ラップもどきの濡れ布巾をかけ、冷蔵庫代わりの冷たい地下室で、肉を半日ほど寝かせる。味が染み込むのを、じっくりと待つのだ。

翌朝。いつものようにレオン様が厨房にやってきた時、私はちょうど肉を地下室から取り出したところだった。

「アリア、今日は一段と、不思議な匂いがするな」

彼は鼻をひくつかせながら言った。その蒼い瞳は、タレに漬け込まれて飴色になった鶏肉に釘付けになっている。

「ふふふ。今日の料理は、香りが主役かもしれません」

私は悪戯っぽく笑うと、衣の準備に取り掛かった。天ぷらとは違う。唐揚げの衣は、もっと肉と一体化し、カリッとした食感を生み出すものでなければならない。

私は穀物の粉と、芋から作った片栗粉に似た粉を、絶妙な割合でブレンドした。そこに、下味をつけた鶏肉を一つずつ入れ、余分な粉をはたきながら、まんべんなく衣をまとわせていく。

そして、運命の時。

中華鍋にたっぷりの油を熱し、完璧な温度になったのを見計らって、衣をまとった鶏肉を、一つ、また一つと、そっと油の中へと滑り込ませた。

ジュワアアアアアアッ!

パチパチパチッ!

天ぷらの時よりも、一段と激しく、そして食欲をそそる音が厨房に響き渡る。

そして、次の瞬間。

香りの、暴力が、解き放たれた。

醤油とニンニク、生姜が、高温の油によって加熱されることで化学反応を起こし、凝縮された旨味の香りが爆発したのだ。それはもう、ただの「いい匂い」という生易しいものではない。人の本能の最も深い部分を直接殴りつけるような、抗いがたい、野性的で、官能的でさえある香りだった。

レオンは、椅子に座ったまま硬直していた。

天ぷらの時の衝撃が、知的な好奇心を刺激する『発見』だとしたら。今回の唐揚げの香りは、彼の奥底に眠っていた野生を呼び覚ます『本能への呼びかけ』だった。

彼の瞳は、もはや飢えた狼のようにぎらついていた。油の中で、気泡を立てながら黄金色に色づいていく肉の塊から、一瞬たりとも目が離せない。喉が、ごくりと鳴る。

この禁断の香りは、厨房という小さな空間に留まってはいなかった。開け放たれた窓から、扉の隙間から、まるで意思を持っているかのように、離宮の外へと溢れ出していった。

その頃、月影の宮を警備する一人の若い騎士、名はクラウスといった。彼は騎士の家系に生まれ、規律を重んじる、実直で真面目な青年だった。今日も彼は、持ち場である離宮の裏門で、微動だにせず、鋭い視線で周囲を警戒していた。

その、時だった。

ふわり、と彼の鼻腔を、未知の香りがかすめた。

(……なんだ?)

最初は、気のせいかと思った。しかし、風が吹くたび、その香りは徐々に濃度を増していく。香ばしく、食欲をそそり、そしてなぜか無性に腹が減る、不思議な香り。

(……いかん。任務に集中せねば)

クラウスは頭を振って、雑念を追い払おうとした。しかし、香りは彼の抵抗をあざ笑うかのように、さらに濃密になっていく。

醤油の香ばしさ。ニンニクの強烈なアピール。肉の焼ける匂い。それらが彼の脳を直接刺激し、胃袋をわし掴みにする。

ぐぅぅぅぅ……。

静かな離宮の敷地に、盛大な腹の音が響き渡った。クラウスの顔が、かっと赤くなる。騎士たるもの、任務中に腹を鳴らすなど、あってはならぬ失態だ。

しかし、彼の体は、もはや彼の意思の制御下にはなかった。

(食べたい)

脳裏に、その一言だけが響き渡る。

(あの香りのするものを、食べたい。今すぐ、口いっぱいに頬張りたい)

気づけば、彼の足はふらふらと、香りの発生源である厨房の方へと、一歩、また一歩と引き寄せられていた。

駄目だ。持ち場を離れては。規律違反だ。ギルバート団長に知られたら、どれほど叱責されるか。

彼の理性は悲鳴を上げていた。しかし、本能は勝利した。

クラウスは、まるで夢遊病者のように、厨房の扉の前までたどり着いていた。扉の隙間から漏れ出してくる香りは、もはや致死量と言えるほどに濃密だった。

「あ……あぁ……」

彼は扉に手をかけようとした。しかし、その指が扉に触れる寸前。

彼の意識は、限界を迎えた。

脳が、胃袋が、この幸福な香りの奔流に耐えきれず、完全に処理能力を超えてしまったのだ。

「ぐ……なんという……悪魔的な……かおり、だ……」

それが、彼の最後の言葉だった。

ガクン、と彼の膝が折れた。彼はその場に膝から崩れ落ち、そのまま意識を手放した。その顔は、苦痛ではなく、むしろ至福に満ちた、安らかな表情をしていたという。

一方、厨房の中では。

「さあ、揚がりましたよ! 一番揚げです!」

私が油から引き上げた、黄金色に輝く唐揚げ。それを待ち構えていたレオンは、私が皿に置くのももどかしいとばかりに、指で直接つまみ上げた。

「あちっ!」

「レオン様、お熱いのでお気をつけて!」

私の忠告も、彼の耳には届いていなかった。彼は熱さに耐えながら、ふーふーと息を吹きかけると、ためらいなく、その唐揚げにかぶりついた。

サクッ!

小気味よい音。

次の瞬間、彼の口の中は、肉汁の洪水に見舞われた。カリカリの衣を突き破った瞬間、中に閉じ込められていた鶏肉の旨味と、タレの風味が凝縮された肉汁が、じゅわっと溢れ出す。

醤油とニンニクのパンチの効いた味付けが、鶏肉の脂の甘みと完璧に融合し、脳がとろけるような美味さを生み出していた。

「……っ! ……っ!」

レオンは、またしても言葉を失った。彼はただ、目を閉じて、この至福の味を全身で味わっていた。

もちろん、白米もどきとの相性は、言うまでもなく最高だった。唐揚げを一口、そして白米をかき込む。その無限ループに、終わりは見えなかった。

私が二度目の唐揚げを揚げている、その時だった。

ドンッ。

厨房の外から、何かが倒れるような、鈍い音が聞こえた。

「え? なんの音でしょう」

私が首を傾げると、唐揚げを頬張るのに夢中だったレオンも、はっと我に返ったように顔を上げた。

「……侵入者か?」

彼の目に、皇帝としての鋭い光が戻る。私は少し不安になりながら、おそるおそる、厨房の扉へと近づいた。そして、ゆっくりと、その扉を開けた。

そこに広がっていたのは、信じられない光景だった。

離宮の警備をしているはずの騎士様が、なぜか扉の前で、幸せそうな顔をして、倒れていたのだ。

「……ええええええっ!?」

私の悲鳴が、離宮に響き渡った。

私の料理が、ついに人を昏倒させるという、新たなステージに到達してしまった瞬間だった。
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