無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第22話:唐揚げと疲労回復の謎

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私の悲鳴に、レオン様は眉をひそめ、素早く私の前に立った。その手は、常に腰に下げている剣の柄に置かれている。皇帝としての、鋭い警戒心が瞬時に彼の全身を支配していた。

「どうした、アリア」

「き、騎士様が! 倒れて……!」

私の震える指が示す先を見て、レオン様の表情も険しくなった。彼は慎重に倒れている騎士に近づき、その体を観察する。

敵襲か。あるいは、毒か。最悪の事態が彼の脳裏をよぎっただろう。しかし、数秒後、彼の表情から険しさが消え、代わりに深い困惑の色が浮かんだ。

「……死んではいないな。呼吸も安定している。外傷もない」

レオン様は屈み込むと、騎士の首筋に指を当てて脈を確認する。そして、さらに不可解だと言いたげに首を傾げた。

「毒の反応も見られない。むしろ……なんだ、この安らかな顔は」

言われてみれば、その通りだった。倒れている騎士――クラウスと名乗っていた、あの若い衛兵だ――の表情は、苦痛に歪んでいるわけではない。むしろ、とても幸せな夢でも見ているかのように、穏やかに口元が綻んでいた。

状況が全く理解できず、私はただオロオロするばかりだった。その時、私の鼻腔を、厨房から漏れ出してくる強烈な唐揚げの香りがかすめた。

そして、一つの恐ろしい可能性に思い至る。

「あの、レオン様……」

「なんだ」

「もしかしたら、ですけど……この匂いの、せい、とか……」

私の恐る恐るの指摘に、レオン様ははっとしたように、倒れている騎士と厨房の扉を交互に見た。そして、彼の中で何かが繋がったようだった。

「なるほどな」

彼は納得したように頷いた。

「極度の空腹状態にあったところに、これほど強烈な食欲をそそる香りを嗅いだ。脳がその刺激を処理しきれず、幸福感の中で意識を失った、ということか」

そんな馬鹿な、と思う。しかし、目の前の状況と、唐揚げの持つ悪魔的な香りを考えれば、それ以外に原因は考えられなかった。私の料理が、人を気絶させてしまった。その事実に、私は罪悪感で胸が押しつぶされそうになった。

「私のせいで……! どうしましょう、この方、目を覚まされなかったら……!」

「落ち着け、アリア。死んではおらん」

レオン様は冷静だった。彼は私を安心させるように言うと、とんでもない提案を口にした。

「原因がその香りにあるのなら、答えは簡単だ。その原因そのものを与えてやればいい」

「えっ?」

「つまり、だ。この男に、その『からあげ』とやらを食わせてみろ、ということだ。それで目を覚ますかもしれん」

あまりに突拍子もない治療法に、私は呆気に取られた。気絶した人間に、食べ物を? しかし、レオン様の蒼い瞳は真剣そのものだった。それに、他に方法も思いつかない。

「……やってみます」

私たちは二人で、意識のないクラウスをなんとか厨房の中まで運び込んだ。彼は思ったよりずっと重かった。

椅子にぐったりと寄りかからせたクラウスの前に、私は揚げたての唐揚げが一皿置かれたテーブルを置く。そして、一番小さな唐揚げを一つ手に取り、さらに小さく指でちぎった。

「失礼します……」

私は彼の口元に、その小さな肉片をそっと運んだ。

すると、信じられないことが起きた。

意識がないはずのクラウスの口が、もぐ、と動いたのだ。まるで、本能が食べ物を認識したかのように。彼はゆっくりとそれを咀嚼し、ごくりと喉を鳴らして飲み込んだ。

「……食べました」

私の驚きの声に、レオン様も興味深そうにその様子を見つめている。

私はもう一度、同じように肉片を彼の口に運んだ。彼はまた、無意識のままそれを食べる。それを数回繰り返した、その時だった。

「……う……まい……」

クラウスの唇から、はっきりとした寝言が漏れた。そして、その瞼がゆっくりと、ぴくぴくと震え始める。

やがて、彼はうっすらと目を開けた。そして、目の前に広がる光景を認識した瞬間。

「ぎゃああああああ!」

盛大な悲鳴と共に、彼は椅子から転げ落ちた。

「へ、陛下!? なぜ、ここに……!? そ、それに人質の姫様まで!?」

彼は完全にパニックに陥っていた。自分がなぜ厨房にいるのか、なぜ皇帝陛下が目の前にいるのか、何も理解できていないようだった。

「私は……任務中に意識を……! あっ! 申し訳ありません! 職務怠慢です! いかなる罰もお受けいたします! どうか、打ち首だけはご容赦を!」

床に額をこすりつけて平謝りするクラウスに、レオン様は静かに告げた。

「落ち着け。そして、何があったか正直に話せ」

クラウスは震えながらも、自分が体験したことを正直に語り始めた。持ち場にいたこと。突如、未知の香りに襲われたこと。抗おうとしたが、気づけば厨房の前にいて、意識を失っていたこと。

全てを聞き終えたレオン様は、小さくため息をついた。

「……まあ、無理もないか。この香りは、確かに騎士の忠誠心さえも揺るがす威力がある」

その言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようだった。

「罪には問わん。だが、このことは他言無用だ。分かったな」

「は、はい! ありがとうございます!」

許されたことに、クラウスは涙ながらに感謝した。そして、彼はゆっくりと立ち上がろうとして、自分の体の異変に気づいた。

「……あれ?」

彼は不思議そうに、自分の肩を回したり、腰を捻ったりしている。

「どうした」

「いえ、あの……体が……軽い、です」

「軽い?」

「はい。実は私、騎士団に入って以来、過酷な訓練で蓄積された疲労が抜けず、常に肩や腰に重い痛みを抱えておりました。それが……今、嘘のように消えております。長年悩まされていた肩の痛みが、全くないのです! 何だこれは!?」

クラウスは自分の体を信じられないというように何度も確かめ、驚愕の声を上げた。

彼の言葉に、私もレオン様も驚いた。ただの唐揚げに、疲労回復の効果まであるというのか。

「きっと、栄養のあるものをしっかり食べたからですよ。お腹が空いていたのでしょうし」

私はそう言って取り繕おうとした。しかし、それだけでは説明がつかないほどの、劇的な回復ぶりだった。

レオン様は、黙って私を見ていた。その蒼い瞳は、何かを鋭く見抜こうとするかのように、私の心の奥底を探っている。

彼は気づいているのかもしれない。私の料理にまつわる、数々の小さな奇跡。
病で伏せっていた皇太后が、私のスープを飲んで数日で回復したこと。
食欲を失っていた子供が、私のオムライスを食べて元気を取り戻したこと。
そして、今回の騎士の長年の疲労が、唐揚げ数切れで霧散したこと。

これらは、もはや偶然や栄養価だけでは説明がつかない。

このアリアという少女自身に、何か特別な『力』が宿っているのではないか。

彼はその確信に近い疑念を、まだ胸の内に留めていた。今それを口にすれば、彼女を怯えさせてしまうかもしれない。そして、この秘密は、何よりも厳重に守らなければならない。彼女の力が外部に知られれば、彼女は様々な勢力から狙われることになるだろう。

彼は決意を固めた。この少女は、自分が守り抜かなければならない、と。

「……クラウス騎士」

「は、はい!」

「褒美だ。それをいくつか持って、持ち場に戻れ。そして、今日のことは忘れろ」

レオン様が皿の上の唐揚げを指さすと、クラウスは感涙にむせびながら「もったいなき幸せ!」と叫び、揚げたての唐揚げを数個、布に包んで大切そうに懐に入れた。

そして、私に深々と、感謝の一礼をすると、彼は幸せそうな足取りで厨房を後にして行った。

嵐が去った厨房で、私とレオン様は顔を見合わせた。

「私の料理、少し、やりすぎてしまったみたいですね」

私がてへ、と舌を出すと、レオン様は呆れたように、しかしどこか優しげな眼差しで、小さく息を吐いた。

「……全くだ。君は、本当に飽きさせないな」

その言葉には、親愛と、そして私の計り知れない力への、かすかな畏怖が入り混じっているように聞こえた。

私の料理が起こした不思議な現象。その謎の答えに、私自身がまだ気づいていないことを、彼は知っていた。そして、その謎が解き明かされる時、私たちの運命もまた、大きく動き出すことになるだろう。
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