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第58話:勝敗の行方
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宴会場の空気は、完全に一つの料理によって支配されていた。
私のビーフシチュー。
貴族たちは身分も体面も忘れ、夢中で皿を空にしている。おかわりを要求する声があちこちから上がっていた。厨房に残っていたシチューは、あっという間に底をついてしまった。
一方、イザベラの『虹色のテリーヌ』はほとんどの皿で最初の一口が食べられただけで、無残にも手つかずのまま残されていた。その美しい彩りが、今の状況ではひどく虚しく、そして滑稽にさえ見えた。
勝敗は決した。
言葉による判定など、もはや必要ない。会場にいる全ての人々の幸福に満ちた表情が、その答えを雄弁に物語っていた。
イザベラは自席でただ俯いていた。その美しい顔は屈辱と嫉妬と、そして生まれて初めて味わう完全な敗北感で蒼白になっていた。
(なぜ……なぜ、私が、あんな女に……)
彼女の頭の中は、その言葉だけでいっぱいだった。
やがて全ての食事が終わり、会場が少しだけ落ち着きを取り戻した頃。
玉座からレオン様が静かに立ち上がった。その動きに全ての視線が彼一人に集まる。
「皆様」
彼の静かだがよく通る声が、会場に響き渡った。
「今宵の素晴らしい余興。実に楽しませてもらった」
彼はまずイザベラの方へと視線を向けた。その瞳は勝者を称えるものでも、敗者を憐れむものでもない。ただ絶対的な王者の冷たい光を宿しているだけだった。
「イザベラ王女。貴殿のテリーヌ、見事な細工であった。その技術、称賛に値しよう」
その言葉は儀礼的な最低限の賛辞だった。誰の耳にもそれが社交辞令であることは明らかだった。
イザベラの肩が、屈辱に小さく震える。
そしてレオン様は、ゆっくりと私の方へと向き直った。
その瞬間。彼の氷のような表情がふっと和らいだ。その蒼い瞳には隠しようのない温かい愛情と、そして誇らしげな光がきらきらと輝いていた。
「そして、アリア」
彼は私の名前を呼んだ。その響きは甘く、そして優しい。
「君のビーフシチュー。それはもはや料理という言葉では言い表すことができん。あれは魂そのものだ」
彼の言葉に会場が再びどよめいた。皇帝からのこれ以上ない最大限の賛辞。
「君の一皿は我々の腹を満たすだけではない。心を満たし、魂を温め、そして明日を生きる力を与えてくれる。それこそが真の『食』の力であると、俺は、そしてここにいる誰もが今宵改めて知ることとなった」
彼は会場の全ての人々を見渡した。
「異論のある者は?」
その問いに答える者は一人もいなかった。
誰もが深く、そして何度も頷いていた。その顔には心からの同意と感動の余韻がまだ色濃く残っている。
「よって、今宵の対決。勝者はアリア・フォン・リンドブルム。これは俺個人の判定ではない。ガルディナ帝国、そのものとしての総意である」
彼の高らかな宣言。
それは私にとって勝利の凱歌だった。
そしてイザベラにとっては、公開処刑の宣告にも等しかった。
彼女は顔を上げることができなかった。会場中の憐れみと嘲笑が入り混じった視線が、針のように彼女の全身に突き刺さる。
プライドの高い彼女にとって、殺されることよりも辛い屈辱だっただろう。
私はそんな姉の姿を複雑な思いで見つめていた。
嬉しい。勝てて嬉しい。私の料理が認められて嬉しい。
でも、心のどこかでちくりと痛むものがあった。あんなにも憎らしかった姉が、今はひどく小さく、そして哀れに見えた。
宴はその後、私への賞賛の声で再び盛り上がりを見せた。しかし、その熱狂の中心にいながら私の心はどこか晴れないままだった。
宴が終わり人々が会場を去っていく。イザベベラも誰にも気づかれないように、まるで逃げるようにしてその場を後にした。その背中はひどく寂しげだった。
一人、控え室で後片付けを手伝っていると、レオン様が静かにやってきた。
「見事だった、アリア。君はまた一つ大きな勝利を手に入れたな」
彼の声は優しかった。しかし私の表情が晴れないことに、すぐに気づいたようだった。
「……どうした。嬉しくないのか」
「いえ、嬉しいです。嬉しいのですけれど…」
私は言葉を詰まらせた。
「姉様が少し可哀想に思えてしまって」
私の言葉に、彼は少しだけ驚いたように目を見開いた。そして次の瞬間、彼は困ったように、しかし愛おしそうに微笑んだ。
「君は本当に優しいな」
彼は私の頭を大きな手でくしゃりと撫でた。
「だが、同情する必要はない。あれは彼女自身が招いた結果だ。人を貶めようとする者は、いずれ自分自身が貶められることになる。それだけのことだ」
彼の言葉は厳しく、そして正しかった。
「君は君の道を進めばいい。君のその優しさと温かい料理で、これからも多くの人々を幸せにしてやればいい」
その言葉が、私の心の靄をすっと晴らしてくれた。
そうだ。私は下を向いている場合じゃない。私には私のやるべきことがある。
「はい…!」
私は顔を上げた。私の瞳にはもう迷いはなかった。
「ありがとうございます、レオン様」
私が心からの笑顔でそう言うと、彼は満足そうに頷いた。
イザベラの公衆の面前での惨めな敗北。
その知らせはすぐに遠いリンドブルム王国の国王の耳にも届くことになるだろう。
そしてこの日の出来事が、二つの国の関係に新たな、そして決定的な亀裂を生むことになる。
私を巡る物語はもはや私一人の手の中には収まりきらないほど大きく、そして複雑に動き始めていた。
その奔流の中心で、私はただ私の信じる『美味しい』を作り続けるしかない。
それが私の運命なのだと、改めて心に刻んだ夜だった。
私のビーフシチュー。
貴族たちは身分も体面も忘れ、夢中で皿を空にしている。おかわりを要求する声があちこちから上がっていた。厨房に残っていたシチューは、あっという間に底をついてしまった。
一方、イザベラの『虹色のテリーヌ』はほとんどの皿で最初の一口が食べられただけで、無残にも手つかずのまま残されていた。その美しい彩りが、今の状況ではひどく虚しく、そして滑稽にさえ見えた。
勝敗は決した。
言葉による判定など、もはや必要ない。会場にいる全ての人々の幸福に満ちた表情が、その答えを雄弁に物語っていた。
イザベラは自席でただ俯いていた。その美しい顔は屈辱と嫉妬と、そして生まれて初めて味わう完全な敗北感で蒼白になっていた。
(なぜ……なぜ、私が、あんな女に……)
彼女の頭の中は、その言葉だけでいっぱいだった。
やがて全ての食事が終わり、会場が少しだけ落ち着きを取り戻した頃。
玉座からレオン様が静かに立ち上がった。その動きに全ての視線が彼一人に集まる。
「皆様」
彼の静かだがよく通る声が、会場に響き渡った。
「今宵の素晴らしい余興。実に楽しませてもらった」
彼はまずイザベラの方へと視線を向けた。その瞳は勝者を称えるものでも、敗者を憐れむものでもない。ただ絶対的な王者の冷たい光を宿しているだけだった。
「イザベラ王女。貴殿のテリーヌ、見事な細工であった。その技術、称賛に値しよう」
その言葉は儀礼的な最低限の賛辞だった。誰の耳にもそれが社交辞令であることは明らかだった。
イザベラの肩が、屈辱に小さく震える。
そしてレオン様は、ゆっくりと私の方へと向き直った。
その瞬間。彼の氷のような表情がふっと和らいだ。その蒼い瞳には隠しようのない温かい愛情と、そして誇らしげな光がきらきらと輝いていた。
「そして、アリア」
彼は私の名前を呼んだ。その響きは甘く、そして優しい。
「君のビーフシチュー。それはもはや料理という言葉では言い表すことができん。あれは魂そのものだ」
彼の言葉に会場が再びどよめいた。皇帝からのこれ以上ない最大限の賛辞。
「君の一皿は我々の腹を満たすだけではない。心を満たし、魂を温め、そして明日を生きる力を与えてくれる。それこそが真の『食』の力であると、俺は、そしてここにいる誰もが今宵改めて知ることとなった」
彼は会場の全ての人々を見渡した。
「異論のある者は?」
その問いに答える者は一人もいなかった。
誰もが深く、そして何度も頷いていた。その顔には心からの同意と感動の余韻がまだ色濃く残っている。
「よって、今宵の対決。勝者はアリア・フォン・リンドブルム。これは俺個人の判定ではない。ガルディナ帝国、そのものとしての総意である」
彼の高らかな宣言。
それは私にとって勝利の凱歌だった。
そしてイザベラにとっては、公開処刑の宣告にも等しかった。
彼女は顔を上げることができなかった。会場中の憐れみと嘲笑が入り混じった視線が、針のように彼女の全身に突き刺さる。
プライドの高い彼女にとって、殺されることよりも辛い屈辱だっただろう。
私はそんな姉の姿を複雑な思いで見つめていた。
嬉しい。勝てて嬉しい。私の料理が認められて嬉しい。
でも、心のどこかでちくりと痛むものがあった。あんなにも憎らしかった姉が、今はひどく小さく、そして哀れに見えた。
宴はその後、私への賞賛の声で再び盛り上がりを見せた。しかし、その熱狂の中心にいながら私の心はどこか晴れないままだった。
宴が終わり人々が会場を去っていく。イザベベラも誰にも気づかれないように、まるで逃げるようにしてその場を後にした。その背中はひどく寂しげだった。
一人、控え室で後片付けを手伝っていると、レオン様が静かにやってきた。
「見事だった、アリア。君はまた一つ大きな勝利を手に入れたな」
彼の声は優しかった。しかし私の表情が晴れないことに、すぐに気づいたようだった。
「……どうした。嬉しくないのか」
「いえ、嬉しいです。嬉しいのですけれど…」
私は言葉を詰まらせた。
「姉様が少し可哀想に思えてしまって」
私の言葉に、彼は少しだけ驚いたように目を見開いた。そして次の瞬間、彼は困ったように、しかし愛おしそうに微笑んだ。
「君は本当に優しいな」
彼は私の頭を大きな手でくしゃりと撫でた。
「だが、同情する必要はない。あれは彼女自身が招いた結果だ。人を貶めようとする者は、いずれ自分自身が貶められることになる。それだけのことだ」
彼の言葉は厳しく、そして正しかった。
「君は君の道を進めばいい。君のその優しさと温かい料理で、これからも多くの人々を幸せにしてやればいい」
その言葉が、私の心の靄をすっと晴らしてくれた。
そうだ。私は下を向いている場合じゃない。私には私のやるべきことがある。
「はい…!」
私は顔を上げた。私の瞳にはもう迷いはなかった。
「ありがとうございます、レオン様」
私が心からの笑顔でそう言うと、彼は満足そうに頷いた。
イザベラの公衆の面前での惨めな敗北。
その知らせはすぐに遠いリンドブルム王国の国王の耳にも届くことになるだろう。
そしてこの日の出来事が、二つの国の関係に新たな、そして決定的な亀裂を生むことになる。
私を巡る物語はもはや私一人の手の中には収まりきらないほど大きく、そして複雑に動き始めていた。
その奔流の中心で、私はただ私の信じる『美味しい』を作り続けるしかない。
それが私の運命なのだと、改めて心に刻んだ夜だった。
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