無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第72話:古代遺跡の伝説

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グレイヘム村の長老は、皺だらけの顔をさらに深くして、地図の上の険しい山脈地帯の一点を指差した。

「ここじゃ……。『嘆きの谷』は、この山のさらに奥深く。古の時代には精霊たちが住まう聖なる地じゃったと聞く」

彼の声は古井戸の底から響いてくるようにかすれていた。その瞳には深い畏怖の色が宿っている。

レオン様が用意させた皇帝執務室直通の魔導通信機の前で、私たちは村の集会所に集まり、長老の話に耳を傾けていた。通信機の向こう側ではエリオット様も、この貴重な証言を一言一句聞き漏らすまいと神経を集中させているはずだ。

「わしらが子供の頃、祖父から聞かされたもんじゃ。決して近づいてはならん場所だと」

長老は遠い目をして、記憶をたどるように語り始めた。

それは二百七十年前の『大いなる嘆きの時代』よりも、さらに昔からこの地に伝わる伝説だった。

嘆きの谷には古代の神々が築いたとされる、巨大な石造りの遺跡が眠っている。その遺跡は、大地のエネルギーが集まる龍脈の上に建てられており、かつては自然の恵みを司る神聖な儀式が行われる場所だったという。

しかし、ある時を境にその聖地は禁足地となった。

「何があったのですか」

レオン様の鋭い問いに、長老は一度言葉を詰まらせた。そして、思い出したくない過去を語るかのように声を潜めた。

「……裏切りがあった、と。遺跡を守っていた神官の一人が邪悪な力に魂を売り、大地のエネルギーを生命を生み出す力から、生命を奪う力へと逆転させてしまったのじゃ」

「エネルギーの、逆転…」

通信機の向こうで、エリオット様の息を呑む音が微かに聞こえた。

「それ以来、嘆きの谷は呪われた地となった。近づく者は皆、原因不明の病にかかり正気を失う。谷に満ちる瘴気は周囲の木々を枯らし、動物たちを狂わせた。時の王は、その谷へと続く道を全て封鎖し、遺跡の存在そのものを歴史から抹消したのじゃ」

それは、今まで誰も知らなかった帝国の歴史の暗部だった。

「そして、二百七十年ほど前の、あの日のことじゃ」

長老の声が震えを帯びる。

「空から赤い流れ星が落ちたあの夜。わしの祖父は見たという。嘆きの谷の方角の空が不気味な赤紫色に染まり、大地がまるで断末魔の叫びを上げるかのように大きく、長く揺れたのを」

「……」

レオン様は黙って話の続きを促した。

「次の日の朝には全てが終わっておった。作物は味を失い、家畜は病に倒れ、人々は生きる気力を失った。嘆きの谷から溢れ出した呪いの瘴気が、ついに国中を覆ってしまったのじゃ」

長老の話はエリオット様たちが文献から導き出した仮説と、恐ろしいほどに一致していた。

二百七十年前の『大いなる嘆きの時代』は天災などではない。何者かが嘆きの谷の古代遺跡を利用して、国中に呪いを拡散させた大規模な魔術攻撃だったのだ。

「その遺跡の奥深くには、呪いの源となった『黒き祭壇』なるものが今も眠っていると、言い伝えは語っております。そして、それを二匹の恐ろしき番人が守っておるとも…」

「番人?」

「はい。一匹は『石の巨人』。大地そのものが意思を持ったかのような岩の怪物。もう一匹は『影の魔狼』。闇に潜み、人の心を喰らう漆黒の魔獣じゃと」

その、おとぎ話のような名前にギルバート様が、ふんと鼻を鳴らした。

「石ころの巨人と黒い犬ころ、ですと? 我ら帝国騎士団の敵ではありますまい!」

しかし、レオン様とエリオット様の表情は険しいままだった。

「……油断するな、ギルバート」

レオン様が静かに窘めた。

「古代の遺跡に巣食う魔物だ。ただの獣ではない可能性が高い。おそらくは呪いの力によって生み出された特殊な個体だろう」

「陛下のおっしゃる通りです」

通信機からエリオット様の冷静な声が響いた。

「問題はなぜ二百七十年前にその呪いが突如として国中に拡散したか、です。それまで谷に封じられていたはずの呪いが、なぜ。その『赤い流れ星』とやらは、一体何だったのか」

それは、この謎における最大の核心だった。

私は黙って彼らの会話を聞いていた。私の頭の中では別のことが引っかかっていた。

(……裏切り。邪悪な力に魂を売った神官)

その構図が、なぜか私の故郷リンドブルム王国と重なって見えた。

私の力を知った途端に手のひらを返した父と姉。彼らの強欲な瞳。

呪いとは、邪悪な力とは一体どこから来るのだろう。それは人の心の中から生まれるものではないのだろうか。

「……いずれにせよ、我々が進むべき道は定まった」

レオン様が地図の上に力強く指を置いた。

「嘆きの谷へ向かう。そして、その遺跡の最深部にあるという『黒き祭壇』を破壊する」

その揺るぎない宣言に、騎士たちの顔に緊張が走った。

「準備を急がせろ。これより先は未踏の地だ。食料、装備、全てを万全に整えろ。アリア」

彼は私の方を向き直った。

「君には少し酷な旅になるかもしれん。だが君の力なしではこの呪いは解けん。ついてきてくれるか」

その問いは形式的なものだった。彼は私が「はい」と答えることを知っていた。

「もちろんです」

私は迷いなく頷いた。

「私の力がこの国を救うためにあるのなら。どこへでも参ります」

その答えに、彼は満足そうに力強く頷いた。

通信機の向-こうでエリオット様が最後の確認をするように尋ねてきた。

「陛下。遺跡の調査は我々だけで、本当に?」

「ああ。これ以上リンドブルムにこちらの動きを悟られるわけにはいかん。帝都の守りはお前に任せる、エリオット。頼んだぞ」

「……御意に。ご武運をお祈りしております。陛下、そしてアリア殿」

通信が切れた。

村の集会所は再び静寂に包まれた。しかし、その静寂はもはや諦めのものではない。

これから始まる決戦を前にした、静かな闘志に満ちていた。

長老はそんな私たちを皺だらけの顔で静かに見つめていた。そして最後に私に向かって深く、深く頭を下げた。

「聖女様。どうかこの呪われた大地に、再び光を…」

その切実な祈りを、私は胸に固く刻み込んだ。

古代遺跡の伝説。

それはもはやただの言い伝えではなかった。

私たちがこれから挑むべき、過酷な現実そのものだったのだ。
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