無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

文字の大きさ
78 / 101

第78話:決戦の火蓋

しおりを挟む
バルドゥス侯爵の狂気に満ちた自決と、それに伴う祭壇の異変。広間の空気は一瞬にして極限の緊張感に包まれた。

ゴゴゴゴゴ……。

黒き祭壇が、まるで巨大な心臓のように不気味な脈動を始めた。その表面を流れる赤い紋様はより一層輝きを増し、祭壇から噴き出す紫色の瘴気は嵐のように渦を巻いている。

「まずい! 奴め、自らの命を贄に祭壇の力を暴走させようとしている!」

オルドゥスの弟子である調査官が絶叫した。

祭壇の異変に呼応するように、二体の番人――水晶の巨人と影の魔狼――の動きが明らかに変わった。その巨体から放たれる威圧感は倍増し、瞳の赤い光は憎悪と破壊の衝動で爛々と輝いている。

「グオオオオオオオッ!」

水晶の巨人が両腕を天に突き上げ咆哮した。すると、ドーム状の天井から無数の鋭い水晶の槍が雨のように降り注ぎ始めた。

「全員、退避ィッ!」

ギルバート様の号令が響き渡る。騎士たちは間一髪でその場を飛びのき、水晶の槍が突き刺さった床は粉々に砕け散った。

「グルルルアアアアッ!」

影の魔狼もまた、その巨体を分裂させ数匹の影の分身を生み出した。分身たちは驚異的な速さで広間を駆け巡り、騎士団の陣形を巧みに乱していく。

「くそっ、キリがない!」

騎士の一人が焦りの声を上げる。

戦況は一気に悪化した。騎士団はリンドブルムの魔術師団に加え、影の魔狼の分身たちにも対処しなければならず、完全に防戦一方に追い込まれていた。

そしてレオン様もまた、本来の力を解放した二体の番人を同時に相手取り苦戦を強いられていた。彼の神業の剣技をもってしても、再生能力を持つかのような水晶の巨人と、実体のない影の魔狼を同時に倒すことは至難の業だった。

広間は魔法の閃光と剣戟の音、そして負傷者の呻き声が入り混じる阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

その戦場の後方。私の『野戦病院』は、今やこの絶望的な戦況を支える唯一の生命線となっていた。

「次の方、こちらへ!」

私は声を張り上げた。もはや恐怖に震えている暇などない。私にできることを全力でやるだけだ。

次から次へと負傷した騎士たちが担ぎ込まれてくる。火傷を負った者、深い切り傷を負った者、呪詛によって意識を失いかけている者。

私は彼らの傷の状態を瞬時に判断し、それぞれに合わせた『処方』を施していった。

火傷で苦しむ騎士には、アロエに似た植物の汁を塗り、冷却効果のあるハーブを浮かべた冷たいスープを。
出血のひどい騎士には、止血効果のある薬草を煮詰めた濃厚な滋養スープを。
呪詛にかかった騎士には、私の【生命賛歌】の力を最大限に込めた黄金色のコンソメスープを。

私の手は休むことなく動き続ける。スープを温め、器に注ぎ、負傷者の口へと運ぶ。その一連の動作はもはや祈りの儀式のようだった。

「聖女様……ありがとうございます…」

スープを飲んだ騎士たちがみるみるうちに回復し、再び戦線へと戻っていく。その姿が私の心をさらに強くさせた。

しかし、戦況は依然として膠着状態だった。

「姫! 薬草がもう底をつきそうです!」

手伝ってくれていた調査官が悲痛な声を上げる。持ってきた回復薬や薬草は、この激しい戦闘で予想を遥かに上回るペースで消費されていた。

どうしよう。このままでは負傷者を治療する手段がなくなる。

私の脳裏に、グレイヘム村でのあの光景が蘇った。

私の力が呪われた大地に新たな生命を芽吹かせた、あの奇跡。

(もしかしたら……)

私は、騎士の一人が遺跡に持ち込んでいた一つの麻袋に目をつけた。中には非常食用の、乾燥して味のなくなった古い薬草の束が入っている。もはや薬効などほとんど期待できない代物だ。

私はその麻袋にそっと両手を触れた。そして目を閉じ、心の底から強く、強く念じた。

(目覚めて。あなたの内に眠る生命の力を、もう一度思い出して)

私の体から温かい黄金色の光が溢れ出す。その光が麻袋の中へと静かに、しかし力強く注ぎ込まれていく。

数秒後。私が目を開けると。

麻袋の口から、信じられない光景が広がっていた。

乾燥して茶色く縮こまっていたはずの薬草が、まるで摘みたてのように生き生きとした緑色を取り戻し、その芳しい香りをあたりに放っていたのだ。

「な……! 枯れた薬草が蘇った!?」

調査官が愕然として叫ぶ。

私は蘇った薬草を迷いなくスープの鍋へと投入した。

スープは黄金色の輝きをさらに増した。その香りだけで、周囲の負傷者たちの顔色が良くなっていくのが分かった。

「さあ、皆さん! まだまだスープはあります! これを飲んで、もう一度立ち上がってください!」

私の声が、絶望に満ちた戦場に希望の響きとなってこだました。

その光景を、リンドブルムの魔術師の一人が忌々しげに睨みつけていた。

「あの小娘め……! 我らの攻撃をことごとく無力化しおって! 全ての元凶はあの女だ!」

彼は他の魔術師たちに目配せをした。

「目標を変更する! 皇帝や騎士団長は後回しだ! まずはあの聖女を潰す!」

数人の魔術師が、杖の先を一斉に私へと向けた。

まずい。狙われている。

ギルバート様は影の魔狼の分身に足止めされ、こちらに来られない。レオン様も二体の番人を相手に身動きが取れない。

最大級の複合攻撃魔法。その術式が魔術師たちの周囲で輝き始める。

もう逃げられない。

私が死を覚悟した、その時。

「――そこまでだ、愚か者ども」

氷のように冷たく、そして絶対的な威圧感を放つ声が広間に響き渡った。

声の主はレオン様だった。彼は水晶の巨人の一撃を剣で弾き返しながら、その蒼い瞳で魔術師たちを射抜いていた。

その瞳はもはや人間のそれではなかった。

自らのたった一つの『宝』に手を出そうとした愚か者たちに向ける、神の怒りの眼差しだった。

「貴様らは、決して触れてはならぬものに触れようとした」

彼の全身から青白いオーラのような魔力が立ち上り始めた。それは私の黄金色の光とは対極の、全てを凍てつかせ破壊し尽くす絶対零度の力。

「その罪。万死を以て償え」

決戦の火蓋は今、本当の意味で切って落とされた。

皇帝がその真の力を解放しようとしていた。
しおりを挟む
感想 47

あなたにおすすめの小説

【完結】『飯炊き女』と呼ばれている騎士団の寮母ですが、実は最高位の聖女です

葉桜鹿乃
恋愛
ルーシーが『飯炊き女』と、呼ばれてそろそろ3年が経とうとしている。 王宮内に兵舎がある王立騎士団【鷹の爪】の寮母を担っているルーシー。 孤児院の出で、働き口を探してここに配置された事になっているが、実はこの国の最も高貴な存在とされる『金剛の聖女』である。 王宮という国で一番安全な場所で、更には周囲に常に複数人の騎士が控えている場所に、本人と王族、宰相が話し合って所属することになったものの、存在を秘する為に扱いは『飯炊き女』である。 働くのは苦では無いし、顔を隠すための不細工な丸眼鏡にソバカスと眉を太くする化粧、粗末な服。これを襲いに来るような輩は男所帯の騎士団にも居ないし、聖女の力で存在感を常に薄めるようにしている。 何故このような擬態をしているかというと、隣国から聖女を狙って何者かが間者として侵入していると言われているためだ。 隣国は既に瘴気で汚れた土地が多くなり、作物もまともに育たないと聞いて、ルーシーはしばらく隣国に行ってもいいと思っているのだが、長く冷戦状態にある隣国に行かせるのは命が危ないのでは、と躊躇いを見せる国王たちをルーシーは説得する教養もなく……。 そんな折、ある日の月夜に、明日の雨を予見して変装をせずに水汲みをしている時に「見つけた」と言われて振り向いたそこにいたのは、騎士団の中でもルーシーに優しい一人の騎士だった。 ※感想の取り扱いは近況ボードを参照してください。 ※小説家になろう様でも掲載予定です。

ヒロインに躱されて落ちていく途中で悪役令嬢に転生したのを思い出しました。時遅く断罪・追放されて、冒険者になろうとしたら護衛騎士に馬鹿にされ

古里@3巻電子書籍化『王子に婚約破棄され
恋愛
第二回ドリコムメディア大賞一次選考通過作品。 ドジな公爵令嬢キャサリンは憎き聖女を王宮の大階段から突き落とそうとして、躱されて、死のダイブをしてしまった。そして、その瞬間、前世の記憶を取り戻したのだ。 そして、黒服の神様にこの異世界小説の世界の中に悪役令嬢として転移させられたことを思い出したのだ。でも、こんな時に思いしてもどうするのよ! しかし、キャサリンは何とか、チートスキルを見つけ出して命だけはなんとか助かるのだ。しかし、それから断罪が始まってはかない抵抗をするも隣国に追放させられてしまう。 「でも、良いわ。私はこのチートスキルで隣国で冒険者として生きて行くのよ」そのキャサリンを白い目で見る護衛騎士との冒険者生活が今始まる。 冒険者がどんなものか全く知らない公爵令嬢とそれに仕方なしに付き合わされる最強騎士の恋愛物語になるはずです。でも、その騎士も訳アリで…。ハッピーエンドはお約束。毎日更新目指して頑張ります。 皆様のお陰でHOTランキング第4位になりました。有難うございます。 小説家になろう、カクヨムでも連載中です。

罰として醜い辺境伯との婚約を命じられましたが、むしろ望むところです! ~私が聖女と同じ力があるからと復縁を迫っても、もう遅い~

上下左右
恋愛
「貴様のような疫病神との婚約は破棄させてもらう!」  触れた魔道具を壊す体質のせいで、三度の婚約破棄を経験した公爵令嬢エリス。家族からも見限られ、罰として鬼将軍クラウス辺境伯への嫁入りを命じられてしまう。  しかしエリスは周囲の評価など意にも介さない。 「顔なんて目と鼻と口がついていれば十分」だと縁談を受け入れる。  だが実際に嫁いでみると、鬼将軍の顔は認識阻害の魔術によって醜くなっていただけで、魔術無力化の特性を持つエリスは、彼が本当は美しい青年だと見抜いていた。  一方、エリスの特異な体質に、元婚約者の伯爵が気づく。それは伝説の聖女と同じ力で、領地の繁栄を約束するものだった。  伯爵は自分から婚約を破棄したにも関わらず、その決定を覆すために復縁するための画策を始めるのだが・・・後悔してももう遅いと、ざまぁな展開に発展していくのだった  本作は不遇だった令嬢が、最恐将軍に溺愛されて、幸せになるまでのハッピーエンドの物語である ※※小説家になろうでも連載中※※

公爵夫人の気ままな家出冒険記〜「自由」を真に受けた妻を、夫は今日も追いかける〜

平山和人
恋愛
王国宰相の地位を持つ公爵ルカと結婚して五年。元子爵令嬢のフィリアは、多忙な夫の言葉「君は自由に生きていい」を真に受け、家事に専々と引きこもる生活を卒業し、突如として身一つで冒険者になることを決意する。 レベル1の治癒士として街のギルドに登録し、初めての冒険に胸を躍らせるフィリアだったが、その背後では、妻の「自由」が離婚と誤解したルカが激怒。「私から逃げられると思うな!」と誤解と執着にまみれた激情を露わにし、国政を放り出し、精鋭を率いて妻を連れ戻すための追跡を開始する。 冒険者として順調に(時に波乱万丈に)依頼をこなすフィリアと、彼女が起こした騒動の後始末をしつつ、鬼のような形相で迫るルカ。これは、「自由」を巡る夫婦のすれ違いを描いた、異世界溺愛追跡ファンタジーである。

当て馬令息の婚約者になったので美味しいお菓子を食べながら聖女との恋を応援しようと思います!

朱音ゆうひ@11/5受賞作が発売されます
恋愛
「わたくし、当て馬令息の婚約者では?」 伯爵令嬢コーデリアは家同士が決めた婚約者ジャスティンと出会った瞬間、前世の記憶を思い出した。 ここは小説に出てくる世界で、当て馬令息ジャスティンは聖女に片思いするキャラ。婚約者に遠慮してアプローチできないまま失恋する優しいお兄様系キャラで、前世での推しだったのだ。 「わたくし、ジャスティン様の恋を応援しますわ」 推しの幸せが自分の幸せ! あとお菓子が美味しい! 特に小説では出番がなく悪役令嬢でもなんでもない脇役以前のモブキャラ(?)コーデリアは、全力でジャスティンを応援することにした! ※ゆるゆるほんわかハートフルラブコメ。 サブキャラに軽く百合カップルが出てきたりします 他サイトにも掲載しています( https://ncode.syosetu.com/n5753hy/ )

魔物が棲む森に捨てられた私を拾ったのは、私を捨てた王子がいる国の騎士様だった件について。

imu
ファンタジー
病院の帰り道、歩くのもやっとな状態の私、花宮 凛羽 21歳。 今にも倒れそうな体に鞭を打ち、家まで15分の道を歩いていた。 あぁ、タクシーにすればよかったと、後悔し始めた時。 「—っ⁉︎」 私の体は、眩い光に包まれた。 次に目覚めた時、そこは、 「どこ…、ここ……。」 何故かずぶ濡れな私と、きらびやかな人達がいる世界でした。

前世で孵した竜の卵~幼竜が竜王になって迎えに来ました~

高遠すばる
恋愛
エリナには前世の記憶がある。 先代竜王の「仮の伴侶」であり、人間貴族であった「エリスティナ」の記憶。 先代竜王に真の番が現れてからは虐げられる日々、その末に追放され、非業の死を遂げたエリスティナ。 普通の平民に生まれ変わったエリスティナ、改めエリナは強く心に決めている。 「もう二度と、竜種とかかわらないで生きていこう!」 たったひとつ、心残りは前世で捨てられていた卵から孵ったはちみつ色の髪をした竜種の雛のこと。クリスと名付け、かわいがっていたその少年のことだけが忘れられない。 そんなある日、エリナのもとへ、今代竜王の遣いがやってくる。 はちみつ色の髪をした竜王曰く。 「あなたが、僕の運命の番だからです。エリナ。愛しいひと」 番なんてもうこりごり、そんなエリナとエリナを一身に愛する竜王のラブロマンス・ファンタジー!

お堅い公爵様に求婚されたら、溺愛生活が始まりました

群青みどり
恋愛
 国に死ぬまで搾取される聖女になるのが嫌で実力を隠していたアイリスは、周囲から無能だと虐げられてきた。  どれだけ酷い目に遭おうが強い精神力で乗り越えてきたアイリスの安らぎの時間は、若き公爵のセピアが神殿に訪れた時だった。  そんなある日、セピアが敵と対峙した時にたまたま近くにいたアイリスは巻き込まれて怪我を負い、気絶してしまう。目が覚めると、顔に傷痕が残ってしまったということで、セピアと婚約を結ばれていた! 「どうか怪我を負わせた責任をとって君と結婚させてほしい」  こんな怪我、聖女の力ですぐ治せるけれど……本物の聖女だとバレたくない!  このまま正体バレして国に搾取される人生を送るか、他の方法を探して婚約破棄をするか。  婚約破棄に向けて悩むアイリスだったが、罪悪感から求婚してきたはずのセピアの溺愛っぷりがすごくて⁉︎ 「ずっと、どうやってこの神殿から君を攫おうかと考えていた」  麗しの公爵様は、今日も聖女にしか見せない笑顔を浮かべる── ※タイトル変更しました

処理中です...