無能と蔑まれ敵国に送られた私、故郷の料理を振る舞ったら『食の聖女』と呼ばれ皇帝陛下に溺愛されています~今さら返せと言われても、もう遅いです!

夏見ナイ

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第86話:ざまぁの始まり

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ガルディナ帝国からの使者がリンドブルム王国に到着したのは、粛清の嵐が吹き荒れた数日後のことだった。

玉座の間に響き渡ったのは、ガルディナの使者が読み上げる氷のように冷たい皇帝レオンハルトの言葉。

国交の完全断絶。
そして、国王と第一王女イザベラの個人に対する責任追及。

「……ふ、ふざけるなッ!」

全てを聞き終えた国王は玉座から立ち上がり、怒りに顔を歪ませて叫んだ。

「あの若造皇帝めが、我らを恫喝する気か! 断じて許さん! 全軍に告げよ! 今すぐ、ガルディナとの国境へ…!」

「おやめください、陛下!」

宰相が血の気の引いた顔で主君を諌めた。

「もはや我らに勝ち目はございません! それどころか…!」

宰相の言葉を裏付けるかのように、その日からリンドブルム王国はゆっくりと、しかし確実に世界から見捨てられていった。

ガルディナ帝国がリンドブルム王国の非道を公にした声明は、大陸諸国を瞬く間に駆け巡った。

聖女を虐げ、人質として追い出し、その価値を知るや否や、今度は軍事力で脅して取り返そうとした。そればかりか帝国内の反乱分子と手を組み、国家転覆の陰謀にまで加担していた。

そのあまりにも醜悪で信義にもとる行い。

大陸諸国の反応は、リンドブルム国王の稚拙な計算を遥かに超えて冷酷だった。

最初に動いたのは美食大国ソレイユだった。あのジャン=ピエール公爵は自国の王にこう進言したという。

「聖女様の芸術的なデザートを味わうこともなく、その価値を理解できぬ国と文化的な交流を持つ意味などございません。即刻、全ての交易を停止すべきです」

ソレイユ王国との交易停止。それはリンドブルムにとって致命的な一撃だった。国の歳入の三割を占めていた高価な織物や宝石の輸出ルートが完全に断たれたのだ。

ソレイユの動きは、ドミノ倒しの始まりに過ぎなかった。

南の商業国家連合はリンドブルム籍の商船の入港を全面的に禁止した。
東の鉱山国家は鉄鉱石の輸出を停止し、リンドブルムの武具生産は完全に麻痺した。

大陸中の国々が雪崩を打ったようにリンドブルム王国に背を向けた。彼らはガルディナ帝国という巨大な市場と、聖女アリアという希望の象徴を敵に回すよりも、ちっぽけなリンドブルム王国一つを見捨てることを躊躇なく選んだのだ。

「聖女を迫害した、不浄の国」
「信義をわきまえぬ、裏切り者の国」

リンドブルム王国には、そんな不名誉な烙印が次々と押されていった。

国際的な孤立は即座に民衆の生活を直撃した。

他国からの穀物の輸入が止まり、パンの価格はわずか一月で十倍にまで高騰した。塩や砂糖、薬草といった生活必需品も市場から姿を消した。

王都の広場には日を追うごとに飢えた民衆が集まるようになった。

「食い物をよこせ!」
「我々を見殺しにする気か!」

その怒りの矛先は、当然、王家へと向けられた。

「なぜ、聖女様を追い出してしまったのだ!」
「あの方がいらっしゃれば、我々がこんな目に遭うこともなかったはずだ!」

かつてアリアを『無能』と蔑み、見て見ぬふりをしていた民衆が、今や手のひらを返したように彼女を救世主として崇め、王家を糾弾している。あまりにも身勝手な話だったが、それが追い詰められた人々の偽らざる本心だった。

貴族たちもまた沈みゆく泥船から我先にと逃げ出し始めていた。多くの者が自らの領地に引きこもり、国王からの召集にも応じなくなった。王家は完全に孤立無援となった。

玉座の間はもはや国の行く末を議論する場ではなく、責任のなすりつけ合いが行われる醜い劇場と化していた。

「全て、お前のせいだ、イザベラ!」

国王が娘に向かって怒鳴り散らす。

「お前が余計なことをしなければ! あの女を刺激さえしなければ、こんなことには…!」

「私のせいですって!? いいえ、お父様のせいでしょう!」

イザベラもヒステリックに叫び返した。

「そもそもお父様が、あんな無能な妹をさっさと処分なさらなかったから! 私の言う通りにしていれば、今頃私が聖女としてガルディナの皇后になっていたものを!」

醜い罵り合い。現実から目を背け、自分たちの過ちを、決して認めようとしない愚かな父娘。

その姿を、玉座の間の隅で宰相が冷え切った目で見つめていた。

その頃、ガルディナ帝国の私の厨房は。

呪いから解放された大地がもたらす豊かな恵みで溢れかえっていた。

「アリア様! 見てください、この人参! 蜜のように甘いですよ!」
「こちらの小麦も香りが全く違います! これでパンを焼いたら、どんなに美味しいか…!」

侍女たちの明るい声が響く。

私はその豊かな食材を前に幸せを噛しめていた。しかし、心のどこかには小さな棘が刺さったままだった。

エリオット様が定期的にリンドブルムの惨状を私に報告してくれていたからだ。

「……民に、罪はないのに」

私がぽつりと呟くと、ちょうどお茶を飲みに来ていたレオン様が静かに言った。

「君が心を痛める必要はない、アリア」

彼の声は優しかった。

「彼らは君が虐げられている時、見て見ぬふりをした者たちだ。そして、君の価値を知った途端に、君を救世主だと持ち上げる。そんな彼らに同情する必要などどこにもない」

その言葉は冷たいようでいて、私を気遣う彼の不用器な優しさだった。

「君が救うべき民はここにもいる。君の料理を心から待ち望んでいる、この国の民が」

彼は窓の外の活気を取り戻した帝都を見やりながら言った。

「過去を振り返るな。君は前だけを見ていればいい。君の未来は、この国と、そして俺と共にあるのだから」

彼の力強い言葉。

そうだ。私はもうリンドブルムの王女ではない。

私はこの国で生きていくのだ。この人の隣で。

私の心の最後の棘が、すうっと抜けていくのが分かった。

「……はい、レオン様」

私は最高の笑顔で頷いた。

故郷のざまぁの始まり。それは私が過去と決別し、新たな未来へと力強く一歩を踏み出すための始まりの合図でもあった。

リンドブルム王国が自らの愚かさの代償をこれからどう支払っていくのか。

その結末を、私はもうただ静かに見届けるだけだった。
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