地味スキル? いいえ、『法則操作』です。 ~落ちこぼれ探索者が現代科学でダンジョンをハックする話~

夏見ナイ

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第二十八話:法則が揺らぐ場所

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装甲車両が停止したのは、地平線まで続くかのような亀裂が大地の口を開けた、荒涼とした盆地の外れだった。『グラビティ・ケイブ』への入り口は、その亀裂の底、さらに深くへと続く洞穴の一つらしい。周囲の空気は奇妙に静まり返り、風の音すらほとんど聞こえない。だが、目に見えない圧力が、まるで巨大な質量がすぐ近くにあるかのように、肌で感じられた。

「……ここが、『グラビティ・ケイブ』か」

俺は車両から降り立ち、亀裂の縁から底を覗き込んだ。暗くてよく見えないが、時折、空間が陽炎のように揺らめいて見える箇所がある。あれが重力異常の影響だろうか。

「報告によれば、入り口付近から既に重力場の変動が観測されるとのことです。足元には十分ご注意ください」

セバスチャンも隣に立ち、静かに警告を発した。彼が身に着けた特殊なボディアーマーは、周囲の微弱な重力変化を感知し、リアルタイムで情報を表示する機能も備えているようだった。

俺も自作の空間歪曲センサーを起動させ、周囲の状況をモニターする。センサーは、亀裂の底に向かって不規則な重力ポテンシャルの変動を検出していた。

「行くぞ」

俺たちはロープを使って慎重に亀裂の底へと降り立った。着地した瞬間、ふわりと体が軽くなる感覚。

(…! 0.8G程度か。いきなり低重力エリアとはな)

センサーの数値を確認しつつ、周囲を見回す。亀裂の底は比較的広い空間になっており、いくつかの洞穴が口を開けていた。壁面は滑らかで、まるで巨大な何かに抉り取られたかのようだ。

「どの入り口から進むべきか…」
「各洞穴の奥で、異なるパターンの重力変動が予測されます。エリーゼ様のご関心は、最も不安定かつ強力な重力場が発生している可能性のあるエリアにございますが…」

セバスチャンは、手元の端末に表示された予測データ(おそらくリンドバーグ家のものだろう)を示しながら言った。

「いや、まずはこの環境に慣れるのが先決だ。それに、不安定な場所ほど、何か面白い発見があるかもしれない。一番奥、あの揺らぎが大きく見える洞穴から行ってみよう」

俺は、空間歪曲センサーが最も強い異常反応を示している洞穴を指差した。セバスチャンは僅かに眉をひそめたが、異論は唱えなかった。

洞穴に足を踏み入れると、空気の質が再び変わった。金属臭のような、あるいはオゾン臭のような、独特の匂いが微かに漂っている。そして、重力が再び変化した。今度は、体が地面に押し付けられるような感覚。

(…1.5G! 急な変化だ…!)

擬似生体金属装甲が軋む音を立てる。追加したダンパー構造が、衝撃を吸収してくれているが、それでも体への負荷は大きい。一歩踏み出すごとに、普段の倍近い労力が必要になる。

「くっ…!」

セバスチャンも、僅かに顔を顰めている。彼の慣性制御システムも、完璧ではないらしい。

「セバスチャン、無理はするな。俺が先行する」

俺は『状態保存』に意識を集中した。ターゲットは、俺自身の身体にかかる実効的な重力加速度。目標値は、1G相当。つまり、体重(質量×重力加速度)を、擬似的に通常の状態に近づける試みだ。

MPがじわじわと消費されていく。だが、効果はあった。体が僅かに軽くなり、動きやすくなる。

(…いける! これなら、高重力下でもある程度は動ける。だが、MP消費が馬鹿にならないな。常用はできない)

この慣性質量操作は、あくまで緊急回避か、短時間での行動に限られるだろう。

俺は重力負荷を軽減させた状態で先行し、洞窟の奥へと進んでいく。通路は下り坂になっており、重力は1.5Gから1.8G、時には2G近くまで上昇することもあった。通常の人間なら、立っているだけで精一杯だろう。

しばらく進むと、前方に広間のような空間が見えてきた。そして、そこで奇妙な光景を目にする。

天井付近に、巨大な岩塊がいくつも「浮かんで」いるのだ。まるで、その空間だけが無重力であるかのように。

「……重力反転エリアか?」

俺は慎重に広間に足を踏み入れる。すると、足元の重力が急速に失われ、体がふわりと浮き上がった。

(無重力! いや、完全な無重力ではないな。微小重力状態か)

センサーを確認すると、0.01G程度の微弱な重力しか検出されていない。そして、天井付近に浮かぶ岩塊は、その微小な重力の影響を受けて、ゆっくりと漂っている。

「これは…」

セバスチャンも、驚いたように周囲を見回している。彼は風操作で姿勢を制御し、器用に空中を移動している。

無重力(あるいは微小重力)空間での戦闘は、地上とは全く異なる技術が必要になる。三次元的な機動、慣性を利用した攻撃、そして方向感覚の維持。

その時、天井付近に浮かんでいた岩塊の一つが、不自然な動きを見せた。岩肌の一部が剥がれ落ち、中から鋭い爪と、いくつもの赤い複眼が現れたのだ。

(擬態型のモンスターか!)

岩塊に擬態していたのは、カニのような形状をした、全長2メートルほどの甲殻モンスターだった。そのモンスターは、無重力空間を巧みに利用し、壁や天井を蹴って高速で跳躍しながら、俺たちに襲いかかってきた。

「神崎様!」

セバスチャンが警告を発し、風の刃で牽制する。だが、モンスターはそれを巧みに回避し、鋭い爪を俺に向かって振り下ろしてきた。

俺は咄嗟に『状態保存』で自身の慣性質量を瞬間的に増大させ、その場に「固定」されるようにして攻撃を回避する。同時に、クロスボウで反撃。

(無重力下では、反動も考慮しなければならない…!)

矢を放った反動で、俺の体は僅かに後方へと流される。矢はモンスターの甲殻に命中したが、硬く、弾かれてしまった。

「くそ、硬い!」

モンスターは、壁を蹴って再び襲いかかってくる。その動きは立体的で予測しにくい。

「神崎様、奴の弱点は腹部のようです!」

セバスチャンが、風でモンスターの体勢を崩しながら叫ぶ。彼は、冷静に敵の弱点を見抜いていた。

(腹部か!)

俺は『魔晶光線銃 MarkIII』を抜き放つ。無重力下での精密射撃は難しいが、やるしかない。モンスターが跳躍し、腹部が一瞬見えた瞬間を狙う。

『現象観測』で弾道を予測・補正し、『状態保存』で銃身のブレを最小限に抑える。そして、三点バースト射撃!

**ピュン!ピュン!ピュン!**

三条の青白い光線が、寸分違わずモンスターの腹部に命中した。

**ギシャアアッ!!**

甲殻モンスターが甲高い悲鳴を上げ、腹部から緑色の体液を噴き出しながら、力なく壁に激突し、動かなくなった。

「…仕留めたか」

俺は息をつき、空中に漂いながら銃をホルスターに戻す。無重力戦闘は、予想以上に神経を使う。MPも、慣性質量操作と射撃でかなり消耗してしまった。

「お見事です、神崎様。慣れない環境にもかかわらず、的確な判断でしたな」

セバスチャンが、感嘆の声を漏らす。

俺たちは、その後も重力異常が支配するエリアを進んでいった。時には、重力が左右に引っ張られるような奇妙な空間を通り抜け、時には、重力が周期的に変動する通路を進んだ。その度に、俺は『法則操作』と科学知識を駆使して状況に対応し、セバスチャンは彼の能力で的確なサポートを行った。

そして、ついに俺たちは、このダンジョンの異常な重力の源と思われる場所にたどり着いた。

それは、広大な地下空洞の中心に存在する、巨大な、黒い球体だった。直径は数十メートルはあろうか。その表面は滑らかで、光を全く反射せず、周囲の空間を歪ませているのが『現象観測』で見て取れる。そして、その球体からは、絶えず強力な重力波が放出されていた。

「……なんだ、これは? ブラックホール…のはずはない。質量が足りなすぎる。だが、この重力場の異常さは…」

俺は困惑しながら、黒い球体を観察する。センサーは、異常なほどの重力勾配と、時空の歪みを示すデータを表示していた。

「…古代の重力制御装置のコア、でしょうか? あるいは、暴走した何らかの実験の残骸か…」

セバスチャンも、息を呑んで黒い球体を見つめている。

そして、俺はその黒い球体の表面に、何か模様のようなものが浮かび上がっていることに気づいた。それは、これまでに見てきたプライマル・コードとは異なる、しかし明らかに人工的な、複雑なパターンだった。

(…重力制御に関わる、新たなコード…!?)

俺の探求心が、再び強く刺激される。この黒い球体と、表面に浮かぶコード。これこそが、『グラビティ・ケイブ』の核心に違いない。

だが、同時に、強烈な危険信号も感じていた。この黒い球体は、極めて不安定な状態にあるように見える。下手に近づけば、その異常な重力場に引きずり込まれるか、あるいは時空の歪みに巻き込まれて、存在そのものが消滅しかねない。

「セバスチャン、あれを調べるぞ。だが、絶対に近づきすぎるな」

俺は、未知なる重力の井戸の核心を前に、最大限の警戒心と、それを上回る好奇心を抱きながら、慎重な一歩を踏み出した。法則が揺らぐ場所の、さらに奥深くへと。
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